第52話:星の統児
莫大な魔力そのものである光が変じた巨大なうねりが天を覆う。
それは不定形であり、色も質も、全てが捻じれた混沌だ。
だが、ひたすらに圧倒的な存在規模である事だけは確定していた。
この質量が儘に顕現するだけで星の表層に甚大な影響を及ぼすだろう。
それでも星に生きる命は、生まれるものが齎す滅びを受け入れようとした。
その時。
「―――“万象阻む秩序の逆光”」
巨大なものが地表に在るものにぶつかるよりも前、それを遮る光の壁が生じた。
光は星そのものに迫る重みに圧せられても軋む事無く、衝突による大破壊を防いだ。
防御の魔法と呼ぶにはあまりにも規模が違う奇跡を行使したのは、フィーネだった。
その名は“万象阻む秩序の逆光”。定義においては障壁魔法の一種であり、事象の位階において同等以上でない限り傷一つつける事すら叶わない秩序の光。この魔法は使用者の存在規模に応じ一定以上の力を発揮するため、使い手が本来の姿でなくとも光を幾重にも重ねれば人智の及ばぬ守りとなり得る。
友を守る成り行きで多くの生き物を救ったフィーネが魔法で広く響く言葉を発する。彼女は自身が展開した障壁で支えている混沌へと語りかけていた。
「はじめまして。ボクの名前はフィーネ」
フィーネが発したのは通常の言語とは異なる“原初の言葉”と呼ばれる魔法だ。意志そのものを対象が理解出来る形に自動的に訳す効果があり、相手に知能さえあれば最低限の意思疎通を行う事が出来る。
フィーネは巨大なものへの言葉を続けた。
「今日がバースデーだね、おめでとう。キミの名前はなんていうのかな?」
呼びかけられた巨大なものが、星を震わせる。
【―――名前?】
アニエスはその反応に大いに驚いた。空を覆うほどに巨大な存在は、フィーネの“原初の言葉”を模倣して明確に意思がある事を示した。
しかし、依然としてアニエスの異能はこの巨大なものの思念を読み解く事が出来ない。いや、それ以前にまずこれが何であるのか、解明する事が出来ないでいた。
一方で、解らないという事実によって判る事柄もある。
アニエスがそれに考えを巡らせるより早く、フィーネに巨大なものが応じた。
たどたどしく、思念による魔法の言葉を紡いでいく。
【―――名前……ジェア…ンテ……アヴァ…タルトゥー……ケイオ…ス……】
「そっか、ジェアンテちゃんか。よろしくね」
フィーネとの会話を聞き、アニエスは状況の整理に努める。うねりから発せられる言葉は間延びしていたため、示された名を魔法で正しい形に修正した。
(ジェアンテ・アヴァタルトゥー=ケイオス――)
資格無き身では、何人であれ秩序と混沌の名を僭称する事は出来ない。自らの名であると告げようとすればその行いは阻まれ、仮に何らかの抜け道を通ってその名を騙ればその存在に対して宙の秩序による制裁が下り、消滅が訪れる。
それが起きなかった以上は、巨大なものは真に混沌の名を持っているという事だ。
(これが、この宇宙を育む神族の一柱……)
アニエスの知識においてはそう形容する他ない存在だった。
秩序であれ混沌であれ、その名を冠するのであればそれは大いなる力を持つ。
しかし巨神の名はフィーネとは秩序か混沌かを示す属性の他に区切り方が違っていた。《ジェアンテ》が巨神の個体名であり、続く言葉の意味は『混沌の分身』。
存在意義たる使命がフィーネとは違う。だが、アニエスではその差異が何かは憶測する事しか出来ない。
名乗りを聞いたフィーネは未だに障壁で支えている状態の巨神に提案する。
「ジェアンテちゃん。大きさ、もうちょっと小さくできない?」
【―――……?】
疑問符だけで返されたため、フィーネは要望を補足する。
「わかりやすく言うと、体をボクと同じような形にしてみて」
【―――ん】
巨神はフィーネの姿を認識しているようで、彼女の形を捉え、自らを変容させた。
空を覆うほどだった巨大なうねりが急速に縮んでゆき、一つの形となる。
もう地上への脅威は無いと見て、フィーネは“逆光”を解除した。
光の壁が生じていた高高度から、混沌の渦と比べてごく小さな物体が落下してくる。一分近く経ってから湖付近の地面にぶつかったそれは大きさに反し轟音と共に大地を抉りクレーターを作った。そこへ、フィーネと彼女に連れられたアニエスが向かう。
「うん、話しやすい大きさになったね」
フィーネがそう言った通り、爆心地には人型の生き物が座っていた。
頭部に大きな角が二本ある、二人の旅人と比べてだいぶ幼い外見の少女。頭髪は鮮やかに赤く、肌は濃い褐色のためアニエスやフィーネとは印象が異なるが、造形自体は非常に整っている。
巨神たる少女ジェアンテは自身の手足を見つめ、少し動かしてからぼうっとした表情のままぼやいた。
「なんか、ヘンだ」
「そう言わないで。そのうちその体にも慣れるから。たぶん」
「そうか」
ひとまず納得したらしいジェアンテは尻から墜落した姿勢のままふらふらと体を揺らす。
「どうしたの?」
「ねむい。ねる」
ジェアンテは仰向けに倒れると、ずどん、と大きな音を立て地面を揺らし眠り出した。
一連の出来事で呆気に取られていたアニエスが思考を取り戻し、フィーネに尋ねる。
「この子……という表現が合っているかはわからないけど、とにかくこの子は今生まれたばかり、という理解でいいの?」
「そうだよ。星の統児ってやつだね。ボクたちは今まで会わなかったけど」
星の統児とは、宙を育む高位の存在――神族と呼ばれるものの幼体を指す。一つの星に一柱必ず存在するわけではなく、他の神族が意図的に生み出すか、星に住まうものの願いによって生まれるか、あるいはその他の要因か。どうあれ必然か偶然が必要とされる稀有な存在だった。
その事を知識として持っていたアニエスは、ジェアンテの名に由来する事を確認する。
「ケイオス神族なのよね。その割には人間と同じ形だったけど……フィーのせい?」
「そうなるのかな? 真体はさっきの大きいのだから、気に入らなかったらまた違う姿に変わるんじゃないかな。ケイオスの子は簡単に基礎形態を変えられるみたいだしね。まあそれについてはボクがヘタなだけかもしれないけど」
アニエスとフィーネは改めて誕生するなり眠り始めたジェアンテを見る。あの幼き巨神はこの星を統べる存在であり、二人はその出生に立ち会った事となる。
「ね? すごいものが見られるって言ったでしょ?」
「確かにすごいし、驚いたけど……」
珍しい場に居合わせる事が出来たと純粋に喜ぶフィーネに対し、アニエスはどこか不安を拭えないでいた。星にとって喜ばしい日であった事は間違いないのだが、果たして混沌の名を持つ幼きものが自分達のような異邦者をどう思うのか、と。




