第36話:魔女の予見
フィーネによって伝承者の始祖が遺した石板の秘された内容が当代の伝承者たるレジェへと告げられた。
それを聞いた少年は。
「そうか。大変だったんだな」
そう、一言だけ感想を述べた。
彼の言葉の後には誰も何も言わなかった。
石板と四人の間に静かな時が流れる。
沈黙を破ったのもレジェだった。
「お前ら、このあとはどうするんだ」
「具体的にはまだ決めていないけど……十日目の夕暮れまではこの島にいると思う」
「そのあとはまた違う星に行くのか?」
「ええ、そうよ」
レジェはアニエスの返答を受け、何かを考え込む。
「リデル。ジジイにまだ頂上の話はしてないか?」
「うん。レジェと話してからの方がいいかと思って待ってもらってる」
「よし。今からジジイに話して、一緒に他の連中にどこまで伝えるか決めるぞ。……つーわけで、悪いな。俺もリデルも何日かはお前らの相手をできないかもしれん」
「わかったよ。二人ともこれから大変だろうけど、がんばってね」
「まったく。他人事だと思って言いやがる」
苦笑するレジェに石板を見せてもらった礼を言い、アニエスとフィーネは借家への道を歩く。
途中、やはり幾人かの住民が声をかけてきて頂上の話を聞きたがってきたが、それらはフィーネが『その内レジェくんやリデルちゃんが話してくれるよ。たぶん』と丸投げの形であしらった。
徒歩でこの星での拠点へと戻り、アニエスは備え付けられた数少ない家具である椅子に腰かける。
「状況を整理しましょうか」
「そうだね」
アニエスのその提案にフィーネも同意する。
フィーネはアニエスから預かっている魔法器から茶葉と加温されたポットとカップを取り出し、ポットに魔法で創り出した沸き立つお湯を注ぎ込んで蒸れるのを待った。
「おいしくなーれ、おいしくなーれ」
「……それ。言ってる時と言ってない時とで本当に味が違うのはなんで?」
「そういう魔法をかけてるから」
「じゃあいつも魔法かけてよ……」
「いつも魔法で楽するのってなんか違くない?」
全宇宙の全人類より魔法の恩恵を受けた存在たるフィーネより、出来上がったお茶を受け取ったアニエスはそのまま一口啜る。口に含んだ味はアニエスが知る限り最も美味なものだ。
佳い香りで気分を落ち着けつつ、この星の現状と未来にまつわる話を始める。
「この星の表層は大部分が水で覆われている。それこそ私達が今いる島みたいな小さな陸地しか存在しないくらいに。さらに、天体表層の水は塩分がほとんど含まれない淡水だった。私達の故郷の星では川や湖を満たしていた水。……この星でもかつてはそうだった」
二人は星を訪れた当初、海だけが広がっていた光景を思い出す。初めは自分達の常識と異なる星なのかと考えたが、そうではなかった。
「ここまで海面が上昇してしまった理由は頂上に記されていた通り、星の核に施した魔法を暴走させてしまったから。そのせいで大洪水が起きて、ごく一部の高所以外の全てが水に沈んでしまった」
そして。アニエスは先ほど星の中枢で得た情報の詳細を話す。
「けど、この星を変えた魔法はまだ終わっていない。世界を救うための大いなる魔法は、淡水だけを増やす魔法じゃなかった。本来は湖と海を等しく増やす魔法のはずだった。なのに、この星には淡水しか無い。……つまり、まだ海を増やすための魔法が残っている」
ここまでアニエスの言葉に耳を傾けていたフィーネが質問を投げかける。
「あと千年以内に次の魔法が発動しそうなんだっけ。それってこの星の時間で?」
「ええ。ただ、暴走の影響で魔法は不安定な状態よ。もっと早まる可能性もある」
「魔法の解除はムリそうなの?」
「術式の規模が大き過ぎるし、組み込まれてから時間が経ち過ぎてる。停止には星の核そのものを変質させるほどの魔力が必要になるわ。人間の力では不可能よ」
「そっか。じゃあ難しいね」
つまり。今からこの星の時間で千年後に起きる大災害。それそのものを未然に止める手段は存在しないという事だった。
アニエスとフィーネは沈黙し、淹れた茶を啜る。茶葉そのものは故郷でアニエスが気に入っていた渋みの少ない品種をフィーネが再現したもので、その風味は二人にとって馴染み深く心に染み渡る。
カップの中身が少なくなった頃。フィーネが再び口を開いた。
「今よりも水が増えたら、今度こそ陸地は全部沈んじゃうね」
「そうね。結果論になるけど、そうなる前にこの星の人類は血道を上げて魔法を研鑚しなければいけなかった。だけど……」
「色々あって魔法を使えた人たちはみんな死んで、知識が途絶えちゃった」
「……この島で魔人に変質させられた人達を責める気にはなれないわ。彼らからすれば、魔法は忌むべきものだっただろうから」
「うん。こういうのって良い悪いの話じゃないだろうし」
かつて御子と呼ばれた少女は、この星の物語を端的に総括する。
「このままみんな何も知らないまま、海に飲み込まれて死んじゃう。それがこの星に遺された人たちの運命だったんだね」
現状から導き出された未来予測を、フィーネは簡潔に口にした。
続けて、彼女はいつも通りの穏やかさを湛えたまま友人に尋ねる。
「どうする、アニエス?」
「私は……正義の味方じゃない」
「知ってるよ。それはボクも同じ。ヒトを救うのはボクの使命じゃないから」
「…………」
「ボクが手助けするのはボクにとって大切な人だけ。島のみんなはいい人だから困ってるならなるべく助けてあげたいけど、次の洪水が起きるのは今いるみんなが寿命で死んじゃうずっと後だよね」
「……そうね。いつか起きる次の洪水で溺れ死ぬのは私達とは何の関係も無い、会った事も無い、まだ生まれてすらいない人達」
「それならボクがこの星の未来のためにすることはなにもないかな。ボクは自分が正しいと思ったことしかしないって決めたんだ」
冷酷とすら取れるフィーネの言葉を受けてもアニエスに驚きは無かった。彼女の立場であればそう決定づけると初めからわかっていた事だ。
「星が破滅に向かうのは珍しいことじゃないんだって。ボクたちが出会ったあの星も危なかったし、他の星ではもっと酷い目に遭っている種族もいるかもしれない。ボクじゃ宇宙全てになんて手が回らないし、知らない人を助けることがいいことなのかはわからないから」
だから自分は何もしない、フィーネはそう明言した。
この星の未来の決定に関与しない。頂上でアニエスがかつて大公と呼ばれていた男の思念に対して宣言した事と同じだったが、その理由は違う。
フィーネの理由は自身の立場と主義に基づいた明確なものだったが、アニエスのそれは。
「その上で、だけど」
フィーネはそこで一度言葉を切る。
そして、こう続けた。
「―――魔法使い、アニエス・サンライトはどうする?」
親しさに厳かさを含んだその問い掛けに、アニエスは深く瞑目した。




