第25話:日課のち出発
翌朝。日が昇り始めた頃合いを見計らったのか、アニエスとフィーネの元へとレジェが一人でやって来た。
この町の住居に扉は無く、カーテン状の仕切りがあるだけだ。
彼は二人の話声を聞き、特に躊躇はせずそのまま室内に入る。
「よお。ちゃんと起きてたか」
「おはよー、レジェくん。悪いけどちょっと待っててねー」
「リデルもまだだしいいけどよ。……なにやってんだ、お前ら」
「今難しいところなの。話しかけないで」
既に着替えや食事などおおよその支度は済ませていた二人だが、アニエスは椅子に座っているフィーネの髪を整える日課にご執心だった。今は金色の髪の束を三つ編み状にしている。
一方、アニエス本人は昨日と同じく梳かした髪をそのまま流しているだけだ。
彼女の髪型は長らく変わらない。まだ出発前だが、既に縮めた杖を差した大きな三角帽子を被っている。
レジェは二人のやり取りに『わからん』と肩を竦め、リデルの到着を待った。
「できた」
ヘアアレンジが終わって。フィーネは長い後ろ髪を三つ編みにし、それらを束ねてアップにしていた。下ろしていると腿まで届く金色の髪が編み物のように纏められている。
出来栄えを見てアニエスが満足気にしていると、手に籠を持ったリデルが自宅から出てきた。
「おはようございます――わっ、フィーネさん!? 昨日と毛皮……いえ、髪の毛でしたか? その形がぜんぜん違いますね」
「おはよう、リデル。目のつけどころがいいわね」
「おはよー。今日はアニエスがこうしたいって言うからこうなっちゃったんだよ。まあ、この結び方は邪魔にならないやつだからいいんだけど」
「よくわかりませんが、キラキラしていてすごく綺麗だと思います!」
「ありがとー。たまに邪魔で切っちゃいたくなるんだけどねー」
「絶対に駄目よ。みすみす宝を捨てないで」
「別に丸刈りするわけじゃないんだけど。気が変わったらすぐ戻せるし」
「だめなものは、だめ」
「はいはい、切らない切らない」
「あー、そろそろ目的地の話をしていいか?」
そう断りを入れ、レジェは頂上へ向かう流れについて説明を始めた。
彼が言うには、頂上までの道のりは距離がある上に坂道に手間取るだろうとの事だ。
「ここから頂上に行くだけで昼過ぎまではかかる。ぐだぐだやってると向こうで一夜明かすことになるぞ」
「この町からでもちょっと見えるのに意外と遠いよね」
「島に四つある町の中で俺たちの町が一番頂上から離れてるからな」
「何か理由がありそうね。レジェ、あなたはどう見ているの?」
「この町は俺たちの一族が最初に作った町でもある。単にあの場所のそばを避けたんじゃないか? 子孫に絶対に近づくなとか言いつけるくらいだ」
「……なるほど」
アニエスとフィーネの目的は頂上にある魔法使いの工房を調査する事だ。それにどの程度の時間が必要か現状は判らないため、往復だけで半日以上かかるようでは困る。
しかし、対策はしている。
昨夜湖に行った際に頂上への距離は把握出来たため、先ほど自分達で持ち込んだ朝食を摂る際に二人の間で相談をした。
『頂上まではどうしようか。みんなで歩いていく?』
『二人を連れて行く以上、移動の時間はなるべく短く済ませたいわね』
『じゃあボクが飛』
『荷台に詰めれば四人でもバギーに乗れるでしょ。厳しそうだったらフィーは一人で飛んで』
『ちぇー。せめて運転させてよね』
『……安全運転をするって約束できるのなら』
そんな曰くのある移動方法について先にリデルとレジェに伝えようとアニエスが考えたところ、当の二人の間で気になる会話が行われていた。
「リデル。ジジイとはちゃんと話してきたのか?」
「うん」
「どうせ泣かせたんだろ」
「……うん。もしもわたしが死んじゃったとしても、西の町の叔母さんたちが次の族長の代わりになれるでしょって」
「そりゃあジジイも泣くだろうよ……」
レジェは自身が知る伝承に基づく危険は覚悟していても、二人の魔法の力を見越して自分が確実に死ぬとまでは考えていない。
しかしリデルは、二人にそのような特別な力があるなどと知らないままだ。客人は自分たちより腕力が強い程度の認識しか持っていない。
昨夜の時点で、彼女は自分の命が今日までである可能性を強く意識していた。
「……そっちの二人。お前らの話をリデルにしても平気か?」
「もちろん。ただ、ここだと良くないから、それは道中で」
アニエスがそう話したのと同時。リデルの自宅から族長が現れた。
彼は昨夜と比べてだいぶ疲れた様子をしており、鼻をすすっていた。リデルが族長を泣かせたという話はほんの少し前の出来事らしい。
老翁はアニエスとフィーネが頂上に出発しようとしていると気づき、二人に深く頭を下げる。
「乙女たち……どうか、どうか……リデルとレジェを、お願いします」
「もちろんです。不測の事態には二人だけでも町に退避させられるよう準備をしています」
「もし入り口を見て危なそうだったら入るのをやめるかもしれないし。リデルちゃんも安心してね」
「……はい。お二人とも、ありがとうございます」
リデルと族長の会話はアニエスの異能の感受範囲内での出来事だったため、彼女は当然把握していた。
先ほどやって来た時も、気丈に振舞っていたが内心の不安は漏れ出ていたのだ。
それを朝食時にフィーネにも伝えたところ、リデルを安心させるため彼女にも魔法を明かそうと提案された。
どのみちレジェに知られている上に伝承者も魔法の存在を隠す方針であるため、リデルに口外しないように伝えればそれで大丈夫なはずだと。
「アニエスさん、フィーネさん……わたしのワガママのせいでお手間を取らせて、すみません」
「大丈夫、一人も二人も変わらないし。そ・れ・に。どうして一緒に来たがったのかとかはあとで聞かせてもらうつもりだからねー」
「えっ。そ、それは……」
「……ったく。どうせ行くって決まってるのに、いつまで話してんだよ」
「レジェの言う通りよ。そろそろ出発しましょう」
そうして。族長に見送られ、四人は町から草原へと踏み出した。




