第17話:伝承者
現れたのは、リデルと同じくらいの歳の少年だった。
島の住民の例に漏れず白い毛皮と耳を持っており、獣と人の中間のような姿をしている。
突然の問いかけに、アニエスとフィーネは内心驚きを禁じ得なかった。
それをどうにか表情に出さないようにしていると、リデルが彼に気づいて咎める。
「もう、来てたならちゃんと挨拶してよ。アニエスさん、フィーネさん。こちらがさっきお話しした伝承者のレジェです。まだわたしと同じ年ですが、島の昔話は彼がぜんぶ知ってるんですよ」
「そうなんだ。よろしく、レジェくん」
レジェという少年が二人に向けるものには気づかず、リデルが呑気に知り合いを紹介したため、フィーネが応じる。
二人の言葉に少年は無言だった。
既にアニエスは自らの異能にかけていた封を解き、レジェに意識を集中している。
記憶に触れる力の行使は勘の鋭い人物であれば気づいてしまう可能性もあり、今回は注意を要する事態であるため流れてくる思考を読み取るだけに留めていたが。
(この男の子の魔力も他のみんなと一緒だね。生まれて一度も魔法を使ってないよ)
(なら、知識だけで私達を魔法使いと疑ったのね)
(さっきからここにいたみたいだけど気づかなかったの? もしかして閉じてた?)
(……島には魔法を使える人も異能者もいなさそうだったから。仇になったのは認めるわ)
(別に責めたりしないよ)
(ただの自戒よ。好意と好奇心さえも聞き流せないようじゃ、駄目だもの)
(そっか、じゃあ止めないね。それはともかく。この状況、どうする?)
(どうしましょうかね……)
二人が質問に答えかねていると、今度はリデルにも聞こえる声で話すレジェ。
「ここでは言えないのか? なら、表に出ろ。話は離れたところで聞く」
「レジェ! 急に出てきてなに言ってるの!」
「やかましいな。ちょっとこいつらを借りるぞ」
あまりの事態にリデルは二の句が継げない。
彼女からすると、知人が客人に対し無礼を働いた大事件が今まさに起きたところだ。
そんな少女が気の毒になり、アニエスとフィーネが助け舟を出す。
「大丈夫よ、リデル。私達も彼に聞きたい事があったから」
「それに、ちょっと他の人には言えない話になりそうなんだ」
当人達の言葉とあっては、リデルも強くは言えない。
代わりになのか、彼女は強めにレジェへと釘を刺した。
「レジェ! お二人に失礼なことしたらダメだからね! いつもの口調は絶対ダメ!!」
「うっせえなー」
「返事は!?」
「はいはい、次期族長様の仰せの通りに……するわけねーだろ、馬鹿」
「もう! お二人とも、レジェのお話がイヤになったらすぐに戻って大丈夫ですからね!」
二人のやり取りを見ながら、アニエスとフィーネは本筋にかかわらぬ話をする。
(幼馴染みなのかな? 記憶を読んだ時はどうだった?)
(詮索無用よ。気になるなら本人に聞いて)
(思わせぶりだなー)
周囲の住民に断りを入れ、アニエスとフィーネはレジェに連れられて集会所を出る。
日は没しており、月が無いこの星では篝火と宙に点々と輝く灯だけが辺りを照らしていた。
他の住民達に聞こえない程度の距離を取ったところで、少年が呟く。
「魔法使いは大昔に災いをもたらした。どうして、お前らはこの島に来たんだ」
その言葉は、既に二人を魔法使いと確信している様子だった。
彼の言う魔法使いとは不思議な力を持った者という認識なのだろう。
アニエスとフィーネの過ごした土地においては特定の職業を指していたため、少々の齟齬がある。
「ボクは魔法使いじゃないんだけど」
「? ならそっちの青色のは?」
「……ご推察の通り、私は魔法使いよ。魔法使いの昔話でもあったのかしら?」
「そうだ。もしも島の外から誰かがやってくるなら。そいつらはきっと、俺たち一族にはできないことを平然とやってのけるはずだってな。そんでもって、もしそいつらが毛皮の無い姿をしていたら特に注意しろと伝承にはある。……で、金色の。お前はなんなんだ?」
「んー、ナイショかな。けど、ボクも魔法は使えるからキミから見たら魔法使いかも」
レジェは定義の話に一瞬ややこしそうに顔をしかめたものの、本人にとって重要な事ではないのか特に掘り下げはしなかった。
「この際お前らが魔法使いかどうかはどうでもいい。重要なのは、お前らが何をしにこの島へとやってきたかだ。集会所では島を調べるとか言ってたな。なんのためにそんなことをする?」
物怖じせぬ正面からの問いに、アニエスは短く答えた。
「知りたいから」
「この島のことをか?」
「この世界を。私達には、何の意味があるのかを。……それと、少しでも時間がほしいから」
どこか寂しさを含んだアニエスの抽象的な言葉を受けて、レジェは頭をかく。
彼は自分に理解出来ない事情は置いておいて、確認したい事柄のみを尋ねた。
「……要するに、お前らは何か別の目的の途中でここに寄ったってことでいいか?」
「うん。ボクたちが島に来たのは偶然だね。いるのも今日も含めて十日くらいかな」
「この島に居座る気は無いってことか。……お前らの言うことが本当なら、お前らは頂上の魔法使いとは少し違いそうだな」
『頂上』という単語にフィーネは強い興味を引かれた。それはこの島において唯一魔法の痕跡を遺す場所だったから。
だが、既に友人がその身に余る異能で少年の思考を読んでいる。やり取りについては彼女に任せる事にした。
ほんの少し考える時間を使い、アニエスは普段の態度に戻る。
「二つ、質問させてもらえるかしら」
「どんな伝承があったのか、か?」
「ええ。一つ目は」
「単純さ。俺たちの先祖がこの島で暮らし始めた頃、島の頂上に住む悪い魔法使いが先祖を苦しめたんだ。俺たちは魔法なんて使えないからな。大勢が殺されたと伝えられている」
先ほどのフィーネと若者との腕力勝負のように、魔法を扱える者とそうでない者とでは争いが成立しない程の格差が生じる。
そんな出来事があったならば島の住民が絶滅していてもおかしくないのだが、彼らは今に至るまで営みを続いていた。
「キミたちのご先祖はどうしたの?」
「どうにもならなかった。頂上の魔法使いから一族を救ったのは、別の魔法使いだった。だからこう伝えられているのさ。かの者への感謝を絶やしてはならない。だが、災いを忘れてもならない。魔法使いには近づいてはいけない、ってな。だが来ちまったもんはどうしようもねえ。つーか、島に魔法使いなんていねえんだから外から勝手に来るんだよ。どうしろってんだ」
先祖に対して文句を言うレジェ。
しかしそのような伝承があるなら、別の疑問が生じる。
なぜ、島の住民は来訪者に対して穏やかだったのか。
アニエスはそれを違う形で問う。
「二つ目。あなたはどうして私達の事を他の人に話さなかったの?」
「魔法使いの伝承は俺の家系にだけ伝わる禁忌だからだ。同胞に聞かせてはいけない、だが決して絶やすなと代々言われてる。それにお前らも町のやつらに魔法使いだと明かしていなかったからな。それがどうしてかを知りたかった」
レジェは思慮深かった。
持っている知識が異なるために他の住民と態度が異なったものの、芯の部分においては同族と変わらず、善性と好奇心が強いようだ。
彼にはアニエスとフィーネを見定めようという意志がある。
流れてくる思念と言葉を受け、アニエスも話せる範囲で正直に伝える事にした。
「私達が魔法使いだと明かさなかったのは、あなた達の生活に必要以上の影響を与えたくなかったから。この島の人に対して害意があったわけじゃないわ」
「それは珍しい力だと集られたら面倒だって話か?」
「それもあるけど、それは面倒なだけで済むからどうでもいい。そんな事より、私はもうどこかの誰かの運命を歪めるような真似はしたくないの」
それは、先ほどの寂しさと同様にアニエスが漏らした心情の欠片だった。
その胸中を知るフィーネは、何も言わない。
一方。事情を理解出来ぬ立場にあるレジェは異邦人がどう考えているかはともかく、その存在が同胞に害があるか否かを判じた。
「……わかった、ひとまずはお前らを信じる。さっきの一発芸を気軽に披露できるやつらだ、俺が抵抗したところで無駄だろうしな」
そこで一度言葉を区切り、レジェは付け加える。
「ただし。さっきお前らが言っていた頂上の調査には、一つ条件がある」




