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呪いの蔦と恋の種

作者: 空乃 海月

 体にその謎の痣が現れたのは、僕が15の誕生日を迎えた次の日の事だった。

 二の腕辺りに現れたその小さな痣は最初は葉の形のようで、不気味ではあったがまるでタトゥーの様で。

 幼い僕は愚かにも得意げに両親にその痣を見せに行った。


 両親は何かの病気の前兆ではないかと心配して、町一番と評判の医者に僕を見せた。

 しかし、医者は首をかしげるだけで結局病気であるかどうかすら分からずに、医者は何か植物による被れかも知れないと知り合いだという植物に詳しい薬学者を紹介した。


 僕の両親は歴史のある由緒ある貴族で、幸い金はあったらしい。

 その薬学者を多額の費用を払い家で雇い、住み込みという形で家に住まわせ僕の痣について調べさせ始めた。


 初めは未知の研究と多額の謝礼に目を輝かせていた薬学者は、しかし一向に原因もその片鱗さえ掴めない僕の痣を気味悪がるようになった。


 痣は月を経る毎にその鮮やかさを増していったが、僕にしてみればそれは同い年の友達に見せびらかせる程度の物で。

 中にはお洒落なタトゥーだと褒めてくれる者さえいた。


 しかし、やがて僕は自分の愚かさを思い知ることになる。

その始まりは、意外にも早くやってきた。


 ちょうど痣が初めて現れて2年が経った頃。

家で雇った薬学者が何の成果もあげられずに段々と両親にせっつかれ始めた頃だった。


 僕の痣に濃淡以外に変化が現れ始めたのだ。葉の形をした痣から、ちょこんと蔦が伸びていた。蔦といっても本当に蔦が生えていた訳ではない。

 これも痣だ、肌をなぞっても指先に凹凸を感じる事は無く、押しても痛みを感じない。


 僕はそれを馬鹿正直に両親に報告しに行き、両親はいよいよその顔を蒼褪めさせた。


 その頃になって漸く、僕はこの痣が屋敷内で何者かによる呪いではないかと真しやかに囁かれている事を知った。


 蔦は急速ではないが、緩やかに確実にその蔦を僕の体に伸ばしていった。

 蔦が伸び、葉は増えて、気がつけば二の腕辺りにポツンとあった痣は肩に届く程に伸びていた。


 この頃になると屋敷の使用人達は皆一様に僕を避け始め、さらに蔦が伸びて手の甲にまで蔦が這う頃には弟妹すら僕に近付かなくなった。


 やがて、家で雇っていた薬学者は屋敷から逃げ出し、彼が逃げ出した先で僕のこの痣を呪いだと吹聴すればそれは瞬く間に町中に広がって。


 僕は両親によって屋敷に匿われるようになった。

僕を見つめる両親の顔にはいつも怯えが見え隠れして、母は弟や妹にばかり構うようになっていて。


 父は社交の場に僕を出す事を嫌がり始め、やがて周りの目を避けるように僕も屋敷から、やがては自室から出る事が減っていった。





ーーそして俺が成人の儀を迎える1年前に差し掛かった頃。

 父はこの家の家督を将来的に長男の俺では無く、弟に継がせる意向を親族に発表した。

 その日を境に父は俺を極端に人から遠ざけるようになり、気晴らしに庭を散歩する事にすら難色を示すようになる。


 母は俺を気味悪がり、食事すら共に取る事がなくなりやがて顔を合わせる事すら無くなった。

 この頃になると流石にこの屋敷に俺の居場所が無い事を理解していて、自室に篭りただ時間だけが過ぎて行く日々が続いた。


 そんな毎日を無為に過ごしていると、ある夜ほんの気晴らしのつもりで書斎から本を自室に運ぼうとして通りかかった両親の部屋から灯りが漏れている事に足を止めてしまう。


 止せばいいのに、俺は周りに人が居ないのをいい事に扉の前にそっと寄り中の会話を聞いてしまった。



「もう近隣の貴族でもあの子の痣の噂を知っているわ、ダリオの所為でスコットやアルミラまで恥をかいて。私あの子達が可哀想で……」



 スコットやアルミラは弟と妹の名だ。

シルヴェストリ家は古い歴史を持つ貴族だし、母が外聞や世間体にとかく気を使っていたのは知っていたが。



「いっそ、森の魔女の噂が本当なら」


「滅多な事を言うんじゃない! 貴族が下賎な魔女に身内の口減らしなど、それこそバレたら家名に泥を塗る所ではなくなるんだぞ!」



 ふらり、と足が自然と後ろに下がって、俺は手にした本もランタンも手にしたまま発作的に屋敷を飛び出した。


 屋敷の裏手には川があり、そこに普段は人の寄り付かない古びた橋が架かっている。

 俺も小さな頃には決してこの橋を渡って向こう側へ行ってはいけないとよく言いつけられていた。


――この橋の向こう側の森には魔女が住む

悪い子はみんなこの橋の奥へ送られて、二度とこちら側には帰って来られない


 それが幼い子ども達を諌める両親の口癖だった。

嘘か真か、町の人たちからしてもこの森の言い伝えは有名らしく、町の子ども達もまた同じように言い聞かせられて育つのだそうだ。


 橋の入り口まで到達すると、成る程確かに只ならぬ雰囲気を醸し出す森が橋の向こう側に広がっていた。


 昔、弟や妹を連れて探検ごっこと称してこの橋の付近に近づいた時は両親に酷く叱りつけられたのを覚えている。


 今は、どうだろうか。

弟や妹を連れ出したならばともかく、俺一人森の中に消えたとして両親は心配してくれるだろうか、探しにきてくれるだろうか。


ーーそれとも、厄介な存在が消えたと安堵するのだろうか。



 橋を渡る。

古びた踏み板が悲鳴をあげるようにギシギシと軋んで、まるでこの森に入ろうとする俺を咎めているようだった。


 橋を渡り終えると目の前にはいよいよ魔女が住むという森が広がっていて、ランタンの灯りが頼りなく道なき道を照らしていた。


 しかし、不思議と怖くはない。

あの家に居場所が無いのだと思い知った今、このまま森の魔女に殺されてしまったとしても何も問題など無いように思えた。


 心許ないランタンの灯りに照らされて、真っ暗な森の中を進む道も分からず真っ直ぐに歩いた。

夜の森は肌寒く、姿の見えない虫や鳥などの鳴き声が響くのみだ。



「静かだな」



 そんな俺の独り言すら大袈裟に響く。

空を覆う木々の葉が月の光を遮って、このままランタンの灯りを落とせば暗闇に溶けてしまいそうだった。


 このまま、仮に俺が闇に溶けたとしてこの世には一体何が残るのだろうか。

 父や母は悲しんでくれるのだろうか。

弟や妹は小さな頃に共に遊んだこの兄を時折思い出してくれるのだろうか。


 考えれば考えるほどに泣きたくなってしまって、下を向けば音も無く涙は土に吸い込まれて消えてしまうのだろう。

 本当に何も残らないのだなと、自嘲気味に笑って顔を上げた時だった。


ーーふ、と顔の横を光が飛び去って行く。


 思わず目を凝らしその光を追おうとすると、辺りの茂みや木の葉の陰から湧き上がった光が次から次へと森の奥へと消えて行って。

 反射的にその光を追いかけて森の奥へ奥へと進めば、やがて森の木々が拓けて空が広がった。


 月明かりが落ちるそこは湖のほとりだった。

澄んだ水を湛える湖面の上を先程見た光が踊る様に飛び回り、幻想的な景色を描いている。




 そして、俺は彼女に出会ってしまった。


 ほとりに腰掛ける彼女はその美しい湖に足を浸け、彼女の足が生んだ波紋に湖に映った月が不規則に歪む。

 真珠のような滑らかな白肌。

月光に照らされた彼女の髪は夜露に濡れた烏羽の様に上質な黒で、その前髪の下で光る長い睫毛に縁取られた濃紫の瞳がゆっくりと俺を捉えて瞬きした。



「おや珍しい、こんな夜更けに、ましてや森に入って来る人間なんて久方ぶりだね」



ーーーー惑いの森の魔女。


 その単語が頭に浮かんですぐ、心臓を握られたかの様な恐怖がドッと体の奥から湧き上がった。

 彼女は町の言い伝えに出てくるこの森に古くから住むという魔女に違いない。

 この森が不可侵なのも、この森が彼女の住処だからだ。

 古より生きる惑いの森の魔女は、強い魔力を持ち残虐性を孕んでいる為この森に迷い込んだ人間を甚振り殺すのだという。


 俺は、殺されるのだろうか。

逃げようと足を引こうとするが、しかし足は地面に根を張ったように動かない。

 彼女の濃紫の瞳に見つめられると、その美しさに見入ってしまって思考が鈍る。

 これが、あの言い伝えに出てくる魔女か。

恐ろしくないと言えば嘘になる、人を惑わす見目は正に魔女と呼ぶに相応しい妖しげな美しさを纏っている。

 しかし、不思議と震えはしなかった。ただ視線を囚われたかのように彼女から目が離せない。


 湖の水深は浅いらしく、魔女はパシャパシャと湖を突っ切って此方側へと歩み寄ってきた。

 やがて彼女は湖から上がり裸足のまま草を踏みしめて、ピクリとも動けない俺の目の前で止まった。



「なんだか今夜はやけに森が騒いでいると思ったら君のせいか、随分古めかしい呪いを身の内に飼っているんだね。その気配の所為で皆が怯えているんだが」


「の、呪い……?」


「おや、自覚がない? 君のその体に根を張る痣の事だよ」



 トン、と魔女の指先が俺の首元まで伸びた痣を突く。

思わず触れられた箇所を掌で抑えながら、やはりこれは皆の噂通り呪いだったのかと衝撃を受けた。

 何故、誰がこんな事を。

俺の今の現状が誰かの悪意によって引き起こされたのだという事実に悲しみが湧き上がって。

 悪名高い魔女の前だと言うのに俺は気がつけば泣き出してしまった。



「おいおい、困ったな。一体君は何をしに来たんだか」



 いきなり泣き出した俺に魔女はクルリと瞳を丸め、困ったように眉を下げた。

 黒く艶やかな髪を搔きあげ、ハラハラと涙を流し続ける俺を見上げてやがて彼女はその手を伸ばして俺の頭を撫でた。



「もしかして私は無神経な事を言ったのかな。すまない、人と話すのは久方ぶりだったものでね、勝手がわからなくなっていたみたいだ」



 ワシワシと頭を撫でる彼女の手の暖かさに、泣き止むどころかさらに涙腺が緩んで涙が溢れ出した。

 号泣を始めた俺に魔女はさらに慌てたが、それでも俺をあやすように彼女は頭を撫でる手を止めない。


 原因不明の痣、その感染を恐れて触れるどころか俺に近寄りもしなくなった家族。

 それなのに、悪名高い筈の彼女は躊躇いもなく俺に触れて心を向けてくれた。

 その事実がどうしようもなく衝撃的で、暖かくて、嬉しかった。








「落ち着いたかい」


「あ、あぁ……すまなかった、いきなり泣き出して」


「全くだよ、何事かと思ったじゃないか。それで? 泣き虫くんはこんな夜更けにこんな森の奥に何の用だい?」



 そう問われて、俺は漸く本来の目的を思い出した。

この痣か何年か前に突然現れた事。

初めは気にしなかった痣が徐々に体に蔦を伸ばし、段々と周りに気味悪がられてしまった事。

そして今や家の中にすら居場所がなく、家族にまで存在を疎まれるようになってしまった事。


 目の前にいるのが魔女だという事などすでに頭にはなく、俺は今まで身の内に溜め込んでいた不満や不安や悲しみをぶちまけるように一気に話した。

 途中は喚き倒した、と言う方が相応しい話し方をしたかも知れない。

 涙が再び滲んで、しどろもどろに話した時もあった。

いろんな感情が混ざって、話の脈絡も整っていないような俺の話を魔女はしかし最後まで静かに聞いてくれた。



「成る程、魔女がいると知っていながらこんな場所に来たんだから、てっきり解呪でも頼みに来たのかと思ったんだけど」


「解呪? 出来るのか!?」


「可能だよ、それなりの対価がいるけどね。魔女との契約っていうのはそういうものだよ」



 長年俺を、そして家を苦しめて様々な医者や高名な学者ですら匙を投げたというのに。

 あっさりと原因を突き止めた挙句、その解決法まで有しているという。

 今日は衝撃的な事ばかりが起こる。



「対価って、お金を払えばいいのか?」


「お金なんて意味のない物、対価にはならないよ。対価だよ? 必要なのは読んで字の如く、叶えたい願いと対の価値があるものだよ」



 叶えたい願いと同等の価値があるもの。

そんな物思いつかないのだが。

この痣を消し去るのに必要な、同じ価値の物?



「この痣は宿主に根を張り、徐々に宿主から栄養を得てやがて体内から君を食い尽くすだろう。けれど呪いをかけたのは恐らく素人だね、進行度合いを見ても。これなら少なく見積もってもあと3年は保つ。だから今日はもう家にお帰り。大丈夫、森に捨てられたとしてこの森の魔女は人なんて食べないさ」



 これでもグルメでね、と笑う目の前の女性は本当に魔女なんだろうか。

帰り道は先程湖の上を飛び回っていた光が列をなし、道筋を示してくれている。

 その道を辿りながら、先程会ったのは実は湖に住む女神ではないのかと思いながら俺は久しぶりに心から安らいでベッドで眠りについたのだった。



 その日から、俺は毎夜家を抜け出しては森に通った。

彼女は最初こそ呆れ顔を浮かべていたが、俺を追い返すような事は決して無く。

俺たちは日々あの湖で何でもないような会話を交えて過ごした。


 俺は彼女の博識さに素直に感動し、見習い、様々な知識に触れていった。

 彼女も最初こそ気が乗らないような態度ではあったものの、俺が熱心に、というよりはしつこく質問を繰り返しているとやがて教師のように様々な知識を俺に与えてくれて。


 その中でこの痣を消すに当たって彼女に支払う対価を知る術はないかと模索ていたが、単純に彼女と語らうその時間が、いつしか俺にとってかけがえのないものに変わっていった。


 彼女のおかげで部屋に篭ってばかりだった俺の日々は変わり、より知識を高める為に本を前よりも倍くらい読むようになった。

 沢山の書籍に目を通すために部屋から出て書斎に入り浸るようになり、書斎の本も読み終わると昼間外に買いに出るようにまでなって。


 人々から向けられる侮蔑や嫌悪の混ざった視線も、夜になればあの美しい紫色の瞳に俺が映ることを思えば気にならなくなった。

 彼女は俺が知識を深めればそれについて褒め、間違いがあれば正し、新たな知識を与えられて喜ぶ俺を慈しむように見つめてくれる。


 周囲は急に本を貪るように読み始めた俺を、体を謎の痣に蝕まれた男が藁にも縋る思いで解決方法を探しているのだと噂していた。

 実際はそうとも言えるが、その噂が俺の耳に入るようになった頃にはそれは俺が彼女の元に行くための手段でしか無くなっていて。


 俺が彼女を愛してしまったのだと気付いたのは、森に通う事が日課になってから一年が経過した時だった。



「ちょうど1年だね」


「何が?」



 それはいつもの様に俺が彼女の元を訪れていた時の事だった。

 湖のほとりにある大樹の根、彼女がお気に入りだというその場所に二人して腰掛けいつもの様に語り合っていると彼女がふと思い出したかのようにそう呟いたのだ。



「ダリオ、君がここに来るようになってからだよ」


「そう、か。もうそんなに経つんだな」


「そうだね、最初は少し煩わしかったけど、君と過ごす時間は今はそう悪くないと感じるよ」



 彼女のその言葉は、素直に嬉しかった。

しかし同時に思い出したのは俺の身の内に巣食う呪いの事だ。

 彼女の見立てでは後2年程度でこの痣は俺の命を食い潰す力を得るらしい。

1年前はこの痣を消すためのヒントを得ることが為にここに通い始めたというのに。

 今となっては、ただ死にたくなかったあの時とは違い、後2年もすればこうして彼女と過ごす時間すら無くなるのかと1年前よりも深い恐怖が襲いかかってくる。



「あ……」


「どうしたんだい?」



 彼女が俺を不思議そうに見上げていて、しかし俺はそれに言葉を返す事なく黙り込んでいた。

1年前とは違う願い。

しかし、この痣を消したいという事実には変わらない。

俺はこの日、一つの決意を固めた。

 首を傾げる彼女に断りを入れて、次の日に出かけなければならない場所があるからと家に帰りいつもより早く眠りにつく。


 そして翌日、目当ての場所で目当ての物を手に入れた俺はいつになく楽しみなその夜が来る事をただ待っていた。



 やがて太陽が沈み、月が顔を出す。

俺と彼女が時間を重ねられる、待ちわびた夜が来た。

森を歩く足取りが、いつもより軽い。

いつもの様に湖のほとりに腰掛けている彼女も、その日は一際美しく見えた。



「やぁ、今日は随分と機嫌がいいように見える」


「あぁ、大事な話があるんだ。カルディア」



 俺がわざわざ彼女の名前を呼ぶと、彼女は不思議そうに首を傾げ立ち上がった。



「もしかして、私との契約を結ぶ話かな。対価は見つかったのかい?」


「あぁ、相応しいかは分からないが、俺は君に受け取ってほしい」



 再び首を傾げた彼女の前に差し出したのは、掌に収まる程に小さな小箱だ。

 黒く、四角いその箱を開けて中に入っていた物の内の一つを取り出して彼女に見せる。



「指輪……?」


「これが対価だよ、カルディア。呪いを解き、俺が得るこれからの時間全てを君に捧げる」



 数秒、彼女は瞬きを繰り返すのみだった。

古より生きる魔女からすれば、俺なんてきっと赤子同然なのかも知れない。

それでも俺は本気だった。

 例え痣が消え、あの家を継ぐ権利が俺に戻ったとしても、俺はこの先生きる全てを彼女と共にしたいと願ったのだ。



「……ふ、ぁはっ! あはははっ! ダリオ、君って奴は! なんて奴なんだろうね、まさか魔女にプロポーズをするなんて!」



 彼女と出会ってから、俺は数え切れない程の本に目を通した。

その中にはこの地に伝わる言い伝えや、そこに住む魔女に纏わる物語もあって。彼女がどれほどの時をここで過ごして来たのかは正確には分からない。

 俺と彼女では有する時間の長さが違う事も、老いる速度も、きっと考え方や価値観が違う事も分かっている。

 けれどきっとそれは多少の違いはあれど、どんな生き物だってそうなのだ。

 生き物は等しく同じ時間を持たず、死ぬ時は一人。

だからせめて、その最後が訪れるまでの僅かな時間まで俺は彼女と共に生きたい。



「あぁ! いいさ、なんて愛しい! 魔女カルディアの名の下に、今宵ここに君との契約を成そう」



 彼女は瞳の端に涙を滲ませながら、左手を俺に差し出した。

 その指先の薬指に指輪をはめると、次は彼女が小箱に残っていた指輪を俺の指にはめて。




「ダリオ、私は君の願いを叶えたい。でもその前に忠告だ、君はこの願いを叶えるためにはもう一つ、大切なモノを失う事になる。それが何かは、言えないけれど」


「構わない、構わないよカルディア。覚悟ならとうに出来ている、俺は君と過ごすこの先があればいいんだ」


「わかった、では君との契約を、ここに」



 目を閉じた彼女の唇にソレを重ねる。

今まで生きてきた中で感じた事もないような幸福が身体中を満たして行くのが分かる。

 ゆっくりと再び開かれた紫色の世界に映っていたのは、幸せそうに笑う俺の姿だった。






 解呪に移るのに時間がかかるからと、彼女は次の日は俺に森に来ないようにと言い聞かせてその日は別れた。

 そして、その夜が過ぎ朝屋敷で目覚めた俺は一晩の後に起こった身の変化に朝から騒ぎ立てる事になる。



「痣が……、痣が消えた! お父様! お母様! 誰か! 誰か来てくれ!」



 朝、いつもの様に顔を洗って、鏡に映り込んだ俺の体には綺麗さっぱり痣が消えて無くなっていた。

 真っ先に飛び込んだ両親の部屋。

二人は顔を見合わせると、母様も父様も涙を滲ませながら俺を抱きしめてくれた。



「あぁダリオ、良かった! 良かったわ!」


「奇跡だ、一体何で。あぁそんな事はどうでもいい、今日は祝いの席を設けよう。パーティーを開いて、知り合いも皆呼ぼう、お前の回復を皆に知らせなくては!」



 父様も母様も、それはそれは嬉しそうだった。

涙を流し、使用人達にすぐさまパーティーの呼びかけをするよう言い渡し、その日は慌ただしい1日になった。


 父様と母様は招待状を慌てて書き上げ、急遽呼ばれた仕立て屋によってわずか数時間で煌びやかな衣装が仕立てられた。

 何せずっと人目を避けていたせいで、社交界ようのタキシードすらない俺は煌びやかな場にふさわしい衣装など一着たりとも所持していなかったのだ。

 あるのは最後に人前に出た成人の1年前にきた寸足らずのタキシードだけ。


 新たに仕立てられたタキシードに袖を通し、久しぶりに顔を出した俺を出迎えた招待客は痣があった頃には考えられないような笑顔で俺を取り囲んだ。


 彼らは口々に俺の回復を祝い、年頃の娘がいる母親は我先にと俺に娘を紹介しに来た。

 両親はそれを満足そうに眺めながら、時折挨拶に来た者たちと談笑に興じて。


 痣が無くなっただけであまりの周囲の変わりように笑い出しそうになる俺の頭の片隅には、月明かりに照らされた美しい彼女が呆れたように笑っていた。



 やがて夜が来て、彼女と約束した通り俺は屋敷から出ずに書斎までの道を歩いていた。


 久しぶりに華やかな場に顔を出したせいか酷く疲れた。

無性に彼女の落ち着いた声が聞きたくなるが約束は約束だと自分を律していると、いつかと同じように両親の部屋から灯りが漏れているのを見つける。



「本当に奇跡だわ、ダリオが元に戻って本当に良かった」


「あぁ、ダリオがあぁなってしまいスコットに家を継がせるつもりだったが、やはりスコットはダリオのような器量が足りない。勉強も運動も、度胸や上に立つ者の力はやはりダリオには負けていたからね」


「あら、じゃあやはり家督はダリオに?」


「そうだな、痣が無くなったのだしやはり家督は長男が継ぐべきだろう」



 なんて勝手なのだろう。

廊下に響く両親の会話に心の奥が冷え切っていくのが分かった。

 今日、俺の周りに群がっていた貴族達もそうだ。

家柄や俺の見た目、さしては俺に付随する家柄にしか興味がないのだろう。

 彼女とは違う、痣が這う俺に躊躇いもなく触れてくれたあの優しい温もりが、酷く恋しくなった。




「しかしあの呪いがなぜ突然消えたのか……」



 父様が零したその一言に一瞬思考が止まる。

今、確かに父様の口からはっきりと呪いという単語が聞こえてた。

彼は知っていたのだ、あの痣が呪いであるという事を。

何故俺に黙っていたのか。

固まったまま彼らの会話に耳を傾けていると、母様が頬に手を添えてため息をついた。



「あの呪いは強力だからとほとんどの呪い師は匙を投げたし、引き受けた者達も失敗してたちまち命を落としたものね。国一番の呪い師が失敗して、もう駄目かと思っていたけれど」



 ふら、と足が自室へ向かい、一歩、二歩と速さを増して。

やがて駆け出した勢いそのままに、俺は部屋に置いてあったランタンを引っ掴むとタキシードを着替える時間すら惜しいとそのまま屋敷の裏手へ向かった。

 途中すれ違った使用人が何事かと声をかけて来たが、それに答える時間すら今は惜しい。


 橋を渡り、森に入り慣れた道をただひたすらに駆け抜けた。


 森を抜ける、見慣れた湖の上に今日は随分と沢山の光の粒が舞っていた。

 その湖の傍らの大樹の陰に見覚えのある服を見つけ、慌てて駆け寄ったそこには彼女が静かに横たわっている。



「カルディアッ!」



 閉じられていた瞼がゆるりと開かれ、その美しい瞳に泣きそうな顔をした俺が映る。

 力なく笑った彼女は、来てはいけないと言っただろうと弱々しい声で俺を叱った。



「大丈夫、解呪は成った。君の呪いは完全に消えたよ」



 パキリ、と木の幹が乾燥して割れたような音が俺の鼓膜を穿つ。

それは紛れもなく、横たわる彼女の体から聞こえた音だった。



「あ、あぁっ……カルディア、なんでっ! なんでこんな……っ」



 白く透き通るようだった彼女の肌は今や見る影もなく、茶色く変色し木の肌の様に凹凸が生まれその肌から蔦が伸びていた。


 なんて事だ、解呪は成った。

しかし代わりに彼女が呪いを引き受けるなど誰が考え及ぼうか。

彼女は確かに契約を結ぶ前に忠告した。

俺は大切なものを失う事になると。

しかし、それが彼女だなんてあんまりじゃないか。



「カルディア、嫌だ、嫌だよカルディア、消えないでくれ死なないでくれ! 俺は、俺は君がいないと……!」


「ダリオ、いいかい、よく聞いて」


「嫌だ、嫌だカルディア! 別れの言葉も、慰めも、何もいらないから! お願いだから俺の側から居なくならないでくれ!」



 俺は彼女と初めて出会った時の様にひたすら泣き喚いた。

喉が枯れ、焼け付く様な痛みを感じても涙は枯れず。

彼女はやはり最初出会った頃の様に俺が泣き止むまで静かにそこにいた。










 数十分経っただろうか、あの頃と同じように彼女が静かな声で落ち着いたかい? と尋ねて。



「君はもう少し人の話を聞くべきだよダリオ。少し早合点が過ぎる、心配しなくとも私は死なないさ」


「…………え」


「君にかけられていた呪いはね、古くとても強い呪いなんだ。だから解くのにも時間がかかるし力もいる。だからより呪いに対して抵抗力のある私の体に移して、こうして森の中で自然の力を貰いながら呪いを打ち払っているんだよ」


「じ、じゃあ……」


「あと数時間もすればこの呪いは完全に使用者に跳ね返る。私も元どおりになるさ」


「良かった、カルディア……」


「全く、泣き虫なのは変わらないんだね、君は」



 そう笑う彼女の体は、確かに薄っすらと元の肌色が戻って来ているようだった。

湖の上を飛び回る光はこの森にあるエネルギーらしく、ゆっくりと彼女の周りを舞ってはその体に溶けていく。



「この呪いが帰る先はね、ダリオ。君の弟の元だよ」


「スコットの? ど、どうして!? まさか、俺が解呪を頼んだから、代償ってまさか」


「ある意味ではそうだし、違うとも言える。呪いというのはね、跳ね返されれば行使した術者に帰るんだよ」



 彼女の言葉の意味が最初は分からず、俺は数秒かけてゆっくりとその言葉の意味を理解した。

 呪いを行使した術者、それはつまり俺に呪いをかけた本人。



「スコット、が……俺に呪いを」


「心当たりがあるのかい? でも、もうどうしようもないよ。私は死ぬつもりはないからね、この育った呪いは君の弟の元へ帰り、恐らく一週間もせずに君の弟は自らが行使した呪いによって命を落とす事になる」


「心当たり……」



 彼女の言葉を噛み砕いて、その意味を飲み込む。

思い出したのは家を出る前に聞いた父様の話と、幼少期共に過ごしたスコットとの思い出だ。


 初めて痣が浮かんだあの頃は、俺もやがて家を継ぐのだと自覚し始めそれに向けて勉強に勤しみ始めた頃で。

 弟はそんな俺と比べられ、出来ないことがあれば父様は俺を見習えと厳しくスコットを叱りつけていた。


 しかし、痣が呪いだと囁かれ始めてからそれは変わった。

父様は家督を弟に継がせると言い、俺と比べるのをやめ、弟に期待し始めた。

スコットは、ずっと苦しんでいたんだろう。

そして俺を恨み、俺の存在を消したいと願った。



「スコット……そうか、弟はずっと俺の存在を恨んでいたんだな」


「事情は分からないが、それでも呪いに手を出してしまったんだ。それを返され死に至るのも自業自得さ。人を呪うと言うことは、そういう事だよ」


「……あぁ、分かってる。分かってるよカルディア」



 震える指先で彼女の頬を撫でる。

俺の薬指には彼女の瞳と同じ、紫色に輝く宝石がはめられた指輪が光っていた。

それは、彼女の薬指にも同じく存在していて。



「きっと明日になれば、家は大騒ぎだろうな」


「そうだね、明日には弟の体には蔦の痣が全身に浮かび上がるだろうから」


「それに家督を継がせる為の長男が行方不明だ」


「……いいのかい?」



 カルディアの瞳が真っ直ぐに俺を見据え、出会った頃よりも美しく俺の瞳に映る。

もう、答えるまでもなかった。

 俺はあの家を継ぐつもりはないし、弟の最後に立ち会うつもりもない。後継者を無くしたあの家がこれからどうなるのかも、俺には既に興味はなかった。


 痣に蝕まれ、俺を蔑んできた世界に未練はない。


 ただ唯一、全てを受け入れてくれた彼女とこれから長い時を過ごすのだと思えば薄情だろうと身勝手だろうと嬉しさだけが込み上げてくる。



「これから先、全ての時間を君に捧げる。愛してる、カルディア」



 月明かりが照らす湖のほとりで、こうして俺は一人の魔女に自ら囚われたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 綺麗なタイトルに惹かれて拝読致しました。 痣が蔦になっていく呪いの表現や魔女との出会いの部分がとても好きでした。 話しのテンポも良くて読みやすかったです。 [一言] 最後が2人にとってのハ…
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