上巻 第2章2部 よう光
上巻 第2章2部 よう光
僕は飲みかけの赤ワインを一気に飲み干した。確かに僕は周りが見えない人間だった。
というより、見ようとしなかった。対人間は楽しいがその反面めんどくさくもあった。
それに比べ小説は自分がその世界にどっぷりと入ったって、傷つくことはほぼない。
人間は心情を伝える。それは声でも小説でも出来るのだが、1番効果的なのは声だ。
他にも、顔の表情や身振りなどがあるが、声があらゆる面において最も優れている。
ただ、傷つくリスクがある。とにかく僕は傷つきたくなかった。文句や悪口を言われ
たくなかった。そう思っていると、自分を出し否定されるのが怖く、自分を閉ざして
いった。誰かが話しかけてきたら自分の身代わりを出し、自分は心を閉ざしたまま、意
見も言わなくなってしまった。その結果がこれなのだろう。目の前にいる女性に全く見
覚えがない。いや、もちろん永田海という名前も知っているし、僕にコーヒーをぶち
まけた人であるのも覚えている。ただ、僕はこの人の事を…いわば卵の殻程度しか知らな
いのだろう。何分間僕らは無口でいたのか。せいぜい二分位なはずだ。この気まずさが
僕らの中の時間の進みを遅くしたのだ。
「ごめんね。変な事言って。」
そう言って彼女は少し笑う。ただ、今にも壊れてしまいそうな弱々しい笑顔だった。
カチン、と目の前に座っている女性のナイフが落ちる。
僕は少し驚き、おずおずと口を開いた。
「いえ、あの…大変失礼なのですが…私たち、いつかにお会いしましたっけ?」
急に敬語になる。一瞬で彼女がどこかへ行ってしまったような気がした。
「うん。会ったことあるよ。」
「いつ頃ですか?」
「高校二年生の時。」
淡々と話す彼女はさっきとはまるで別人だった。高校二年って僕が転校した時
じゃなかったっけ…?全く覚えていない。いや、少し覚えていることがあった。
頭の中にあの笑顔がうっすら蘇る。名前は…レ……レイ…あっ、零葉だ。
店員が彼女の机に赤ワインを持ってくる。
「零葉ちゃん。覚えてるでしょ…?」
はい。と答えてしまった。
「二人、ずっと仲良かったもんね」
はい。とカスカスの声を出す。彼女が時計をチラっと見た。嫌味な感じはなかった。
「私ね、その時あなたと同じクラスだったの。でね、サッカー部だったあなたに一
目惚れしたの。」
『ヒトメボレ』というキーワードに顔を背ける。
「その後、頭から落ちて入院したんだけどね。」
そう言って彼女は笑ったが、僕は当然笑えなかった。
彼女はまた赤ワインを一口飲んで言った。
「でも、あなたは全く私を見なかった。あなたがちゃんと見てたのは零葉ちゃんと
零葉ちゃんの原稿用紙だけだった。」
僕は心が締め付けられる思いだった。この窓を飛び降りてしまいたいとさえ思った。
「ごめんね。こんな暗い話して。」
彼女はそう言って無理に笑った。
だが、それも長くは続かずとうとう泣き出してしまった。
「ごめん。あなたは悪くないの。」
僕は今朝ポケットに入れて置いた白色のハンカチを彼女に渡した。
彼女はそれを思いつめたように眺め、涙を拭いた。
「ありがとう。これ、どうしよう…。」
戸惑いながら彼女は僕に言った。今の彼女に僕はどう見えているのだろう。
きっと最低な人間に見えてるんだろうな。
「それ、あげるよ。」
僕たちはその後、流れで店を出た。お会計は少し揉めたが、結局割り勘になった。
駅には五月らしくない冷たい風が吹いていた。
別れの挨拶を少しした後、反対車線側に歩く彼女をを僕は引き止めることができな
かった。既に散ってしまった桜並木を一人でとぼとぼ歩いた。これも全て小説みたく
フィクションだったらいいのに。ふと、そんなことを思って橋を渡る。
「残念ながらノンフィクションです。」
誰が言ったか、どこに書いてあったかも忘れてしまった言葉が僕の心を締め付ける。
冷たい風がピューッと僕の心を貫いた。
来週からは2部投稿を考えています。
文量、内容を考慮して投稿していきたいと思いますので、ご協力お願い致します。
今後とも、よろしくお願いします
────アーモンド