Article 47 : strange attractor - 想定外の帰結(前)
47-1 [NB ̄] 10
アルバートからのメールには、事態を打開しうる提案が書かれていた。
同時にそれは、テルスノヴァ・プロジェクトをつぶした張本人であるハイゼンベルク博士の部下が、こんどは私に協力したいという申し出でもあった。
皮肉というなら、これ以上はないだろう。
アルバートを迎えたことで研究は順調に進んだが、肝心のNPU素子の製造は難航を極めた。
サスーン・グループのアルナイル・デジタル社は、性能試験用の試作品すら製造できなかった。しびれを切らせたマクシミリアンは、素子の設計に介入をはじめた。けれどそれは、問題解決にはなんの役にもたたず、逆にアルバートのモチベーションを削ぐことになった。
このままでは、また失敗する。
悲観的な予想が私のなかに芽生えてきたとき、タイミングを見計らっていたかように、その後の運命を変える出会いが待っていた。
「貴女が進めている研究について、有益な提案を用意している」
電話口から、もったいぶった男の声が聞こえてきた。
ヴォルフラム・パウリと名乗ったその男は、ナノテック・エレクトロニクス社の社長室長だと自己紹介をした。
そして、招待されたディナーの席で、フォアエスターライヒ公国大公にして、世界有数の複合企業グループであるグローバル・ユリウス総支配人、エリザベート四世・ノエル=エンデに引き合わされた。
「貴女が立案した異世界探査計画、理解を得られなくて残念だったわね。わたしはとても期待していたのよ。だから、もし研究を続けたいのなら、援助をしてあげてもいいと思っているのよ」
エリザベートはそう言って、そのエキセントリックで美しい顔に、寸分の瑕疵もない笑顔をうかべた。
金持ちの道楽とは思えなかった。わざわざ傘下の電子機器メーカーの重役を仲介にしたということは、私の研究が彼女の利益に結び付くという目論見があるのだろう。
私は、探りを入れるつもりで、NPUプロジェクトの状況を打ち明けた。
多少の愚痴も混じった私の話を聞き終えたエリザベートは、身を乗り出すように私に顔を寄せると、「もしも……」とささやいた。
「サスーン・グループと手を切ってわたしと組むのなら、貴女は必要なものをすべて手にすることができるわ。研究に必要な資金はもちろん、ナノテック・エレクトロニクス社のマイクロプロセッサ開発部門の全面的な協力、CERN理事の半数以上の議決権、そして、サスーン・グループの報復から貴女たちの身を守る盾もね」
私は、そのときが来た、と思った。これは、マクシミリアンやサスーン・グループの軛から脱するチャンスだ、と。
だが、今夜のディナーなみに、美味しすぎる話でもある。なにか裏があるに違いないということくらいは、私にもわかった。
「その見返りに、私はなにを提供することになるのでしょうか」
「多重世界や異世界にアクセスするための技術と、そこから得られる経済的利益よ。それをわたしたちが独占させてもらうわ。引き換えに、貴女たちは応分の報酬と名誉を得ることができる」
どうかしらと、エリザベートは笑顔のままで、ほんのわずかに目を細めた。
断る理由など、どこにもなかった。
強力な後ろ盾を得た私は、アルバートを勧誘して個人的な味方に引き入れることにも成功した。
アルバートと私がそういう関係になったことを、マクシミリアンはうすうす感づいていたようだった。だが、それをとがめてプロジェクトを破綻させてしまうよりも、サスーン・グループの気を引くための研究成果を得るほうが大事だと判断したのだろう。表面的には、いままでとなにも変わらない態度で、私たちに接していた。
私はチャンスを逃さないように、あらゆる布石を惜しまなかった。
NPUの設計資料をパウリに提供して試作品の製造を進めてもらいながら、エリザベートの息がかかった理事たちと面談し、プロジェクトへの支持と所長選挙での私への投票の約束を取り付けていった。
NPUの試作品が完成し、理事たちの「票固め」も終えて、ようやく実験の日を迎えた。
47-2 [AK ̄] 43
ボーア博士は、そこまでしゃべると、肩を落としてため息をついた。
疲れているようには見えなかった。たぶん、その先を話すかどうか、まだ迷いがあるのだろう。
頂点を通り過ぎたゴンドラは、上昇から下降に転じていた。
あたしは告白の続きを促すために、あえて口をはさむことにした。
「それで、アルバートさんの実験は、成功したんですか?」
ボーア博士は、あたしの顔をじっと見つめた。
口を開きかけては、言葉をのみ込む。何度かそんなことを繰り返してから、彼女はやっと短いフレーズを口にした。
「成功したと、私は信じているわ」
それは、いままでのボーア博士の態度と比べると、ずいぶんトーンダウンした言い回しだった。弱気にさえ見える彼女の様子に、すこし心が痛んだけれど、あたしはあえてその問いを口にした。
「確証がない、ということですか?」
ボーア博士は、ええ、と素直にうなづいた。
「でもね、あの場にいた人たちは、もちろん私も含めてだけど、だれひとり実験の成功は疑っていなかったと思うわ。ただ、その結果に対する思惑は、それぞれに違っていたようだけど」
47-3 [NB ̄] 11
「NPU実験にエリザベート大公が同席するなどと、私は聞いていないぞ。どういうことかね」
実験が終わると同時に、私とアルバートはマクシミリアンから詰問された。
もちろん、それは予想していたことだったから、答えはすでに用意してあった。
「話したら賛成してくれたの?」
「バカな。反対するに決まっているだろう」
マクシミリアンらしい、想定の範囲を出ない反応だった。私にはこの時点で、査問の帰結までがほぼ見通せた。
「だからよ。あなたは私たちの話なんて、聞こうともしなかった。サスーン・グループの技術力では、期限に間に合わないどころかプロジェクトの成功も危ういと、何度言ってもわかってくれなかった。それなら、結果を出して認めてもらうしかないでしょう」
「では、あのNPU素子は、アルナイル・デジタルが作ったものではないということなのか?」
「ええそうよ。知っているでしょう、ナノテック・エレクトロニクス社。あそこの技術力は、格段に優れていたわ」
大きくもない目を剥いてマクシミリアンは、なんということをしてくれたのだ、と怒鳴った。声の大きさには驚いたが、すこしも恐怖は感じなかった。
「裏切ったことは、すぐに知られるぞ。なんらかの報復があるに決まっている。どうするのだ」
ほんとうに、予想したとおりの思考しかしない人だ。堅実といえば聞こえはいいけど、要は発想に新味も飛躍もない、ということだ。
これ以上は、時間の無駄でしかない。私は口論を切り上げるために、とどめの言葉を口にした。
「いつまでサスーン・グループを当てにしているのよ。デイビッド・サスーンが死んで、もう私たちへの援助も期待できない。エリザベート大公は、私たちへの援助だけでなく、サスーン・グループの報復から守るという約束もしてくれたわ。どっちをとるかなんて、考えるまでもないじゃない」
これで詰みのはずだ。
案の定マクシミリアンは、しかたない、といわんばかりに顔をしかめて見せた。そして負け惜しみのように、おまえは分かっていない、とつぶやいたきり口を閉ざした。
マクシミリアンを黙らせることができて、私はそのまま一気に事を進めるつもりだった。
なのにここに来て、アルバートが煮え切らない態度を見せ始めた。NPUは動作するにもかかわらず、多重世界露出実験が再現できないことが、彼を消極的にさせていたのだ。
もともとアルバートは、NPUが量子コンピュータの素子として採用されることを目標にしていた。無理をしなくてもいいという彼の思惑が、日を追うごとに透けて見えるようになってきた。
けれど私は、それで済ませるわけにはいかなかった。
エヴェレットが提唱した多世界解釈の実証実験の成功。そして、多重世界の露出と物理的接続。それらは、私の願いをかなえるためには、どうしても必要な成果だった。こんなところで立ち止まることも、ここから引き返すことも、そしてこの先の回り道をすることもできなかった。
私は実験の検証を諦め、NPUに関する論文作成を最優先にした。
そして、実験から二週間がすぎて論文の骨子が出来上がってきたころ、今までの努力を水泡に帰すような事件が起きた。
いつものように研究室に出勤すると、アルバートがめずらしく狼狽した様子でコンピュータの端末を操作していた。
私の入室に気づいた彼は、焦点の合わない眼差しをこちらに向けて、唇をわずかに震わせながら告げた。
「実験データが……消えているんだ」




