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Article 14 : observer effect - 観測者の選択

14-1 [AK ̄] 14


 ベルナルドさんが引き合わせてくれたCERN所長のマクシミリアン・プランク博士は、存在感の薄いくたびれた人というのが第一印象だった。

 老いを感じさせる外見もそうだけど、告発文に関する調査を遠回しに拒否した後ろ向きな言動から、それを強く感じた。

 だが……。


「不正の疑惑がある人なのに、調査もされないまま所長に就任するなんて。そんなことがあっていいんですか?」


 プランク所長は、そう食い下がったあたしに不快そうに顔を歪めると、「わからんヤツだな」と急に声を荒げた。


「調査、調査と言うが、それが有害になる可能性もあるのだと、なぜ気づかんのだ……」


 その口ぶりには、あたしを見下している内心と、あたしの質問への苛立ちとが透けて見えていた。そして、まるでそれが引き金になったかのように、プランク所長は激しい口調でまくしたてた。


「だいたい、こんな文書をCERNでおおっぴらにできるわけがなかろう。ましてや、これをそのまま記事にするなど、絶対にやってはならんことだろうが」


 ベルナルドさんにたしなめられて、プランク所長は「興奮してすまなかった」と謝罪したが、その表情は憤懣やるかたないという感じだった。

 どう考えてもあたしは悪くないと思うけど、さすがに気おくれがして、「なぜですか」と問い返すのがやっとだった。


 プランク所長は答えを口にしなかった。表情を強張らせたままで、なにかを考え込んでいるように見えた。

 どうしたのだろう、と思っていると、それまで黙っていたベルナルドさんが口を開いた。


「ぼくはこの告発文、ちょっとやりすぎだと思うね。不正を告発したいという動機は理解できるけど、シュレーディンガー博士とボーア博士のプライバシーにまで踏み込むのは、さすがにまずいよ」


 あたしは驚いた。ベルナルドさんが、そんなことを言うとは意外だった。

 でもマルガレーテさんのことを思い出して、意外ではないのかもしれないと思いなおした。


「そうでしょうか。あの二人が男女の関係にあったからこそ、共謀して不正をしたのだと思います。しかも、シュレーディンガー博士は、今は別の女性と結婚していますよね。……不潔です」


 最後は気持ちがそのまま言葉になってしまった。良いとか悪いとかじゃなく、感情的に許せなかったのだ。

 ベルナルドさんが、軽く肩をすくめた。


「そういう意味じゃないんだ。所長になったボーア博士が、前任者からの正式な引継ぎ案件としてこの告発文を読んだとしたら、どうなるだろう」


 あたしは、あっ、と声を上げそうになった。

 たしかに個人の恋愛まで暴かれたら、告発者を許すことはできないだろう。感情にまかせて権限を振るい、容赦ない矛先がその人物に向けられることは明らかだ。


「告発者が見せしめにされる、ということですか」


 あたしの言葉に、うむと相槌を打って、プランク所長は硬い表情のままで口を開いた。


「遅かったと言ったのは、通報者保護だけではない。彼らの研究成果には、企業秘密が含まれているからな。ことは、CERNだけの問題ですまなくなっているのだ」

「そういえば、ボーア博士もそんなことを言っていました。物理学の実験が、企業秘密になるんですか」

「そうだ。CERNの基本方針は産官学連携だ。シュレーディンガー博士のNPU素子も、ナノテック・エレクトロニクス社の量子コンピュータに組み込まれて、すでに製品化されている……」


 ナノテック・エレクトロニクスの量子コンピュータって、このあいだジョセフがニュースで取り上げていたものだ。たしか、香港の軍需企業に納入されたと言っていたから、プランク所長の言葉と符合する。

 それに、去年の記者会見のとき、あたしを押しのけてタクシーに乗り込みCERNに来ていた男は、その会社の社員だった。

 シュレーディンガー博士やボーア博士と、ナノテック・エレクトロニクスの深い関係が垣間見えている。だとすると、この告発文が持つ意味は大きい。

 あたしの思いつきは、続くプランク所長の言葉で裏付けされた。


「こんな文書が世間に出たら、とんでもないスキャダルに発展しかねない。それでナノテック・エレクトロニクス社の業績が悪化でもしたら、我々は損害賠償を求められるだろう。それだけでなく、他の企業との信頼関係も、損なわれることになりかねないのだ」


 ことここにいたって、あたしは問題の大きさを理解した。

 告発文を見たときには、真相を解明すればボーア博士やシュレーディンガー博士にしかるべき処分がなされる、くらいにしか考えていなかった。

 まさか、産学の連係を揺るがすようなことになるとは……。


「あたしは、どうしたらいいんでしょうか」


 思わず弱音が出てしまった。

 プランク所長もベルナルドさんも、あたしの問いかけに口を閉ざしたままだった。

 いっそのこと、当方ですべて解決するから口出し無用だと、告発文を奪い取ってくれないものだろうか。そうすれば、あたしはこの事件から解放されるかもしれない……。

 気まずい沈黙を破ったのは、やはりベルナルドさんだった。


「そのレターは、アヤノに託されたものだ。昨夜も言ったよね。その意味と結果は、アヤノが決めればいいと」


 あたしは、はっとした。

 そうだ。これは、他人に決めてもらうようなことじゃない。


 そもそも告発者はどんな思いで、これをあたしに託したのだろう。

 その人はCERNのアカデミズムや自浄能力ではなく、第三者であるジャーナリズムに期待したのだ。うがった見方をすれば、むしろ所長という立場の人間に関与をさせないために、あえてこの時期を狙って通報してきた可能性だってある。

 そして、あたしが選ばれた理由は、この事件に関与しているジャーナリストだと思われたからに違いない。あるいはハイゼンベルク博士が招いたということで、実力にそぐわない箔のようなものがついてしまったのかもしれない。

 けれど、そういうことなのだ。プランク所長にCERNの責任者という立場があるように、あたしにもジャーナリストという立場がある。それならば……。


 あたしは深く息を吸い込んで、言葉を押し出した。


「この事件は、記事にします。あたしは半人前の学生記者ですけど、ジャーナリズムの世界に身を置く者として、告発した人の期待に応える義務がありますから」


 はあっとため息を落としてから、プランク所長はゆっくりと首を左右に振った。


「まったく、マスコミというやつは、いつもこれだ。自分たちは常に正義だと、臆面もなく言う。じつに不愉快だ……が、君たちを敵にまわす愚は犯すまい。この件はハイゼンベルク博士に一任し、調査のために便宜を図ろう。あくまでも内密にだが、それでいいかね?」

「はい。ご協力をおねがいします」

「わかった。それにしても……」


 プランク所長はそこで言葉を切ると、やや間をおいてつけ加えた。


「ハイゼンベルク博士とボーア博士は、どうにもめぐり合わせが悪いようだな。この事件といい、テルスノヴァの件といい……」


 なにかを言いかけたプランク所長を制して、ベルナルドさんが口をはさんだ。


「あれはもう済んだ話です。今回のことに関係はない」

「君にはそうでも、ボーア博士にはどうかな。……いや、つまらんことを言ったな。気を悪くしないでくれ。では、これで終わりにしよう」


 お礼を告げて退出する。

 どこか投げやりな表情を浮かべたプランク所長の顔が、閉まるドアの隙間に消えていった。



14-2 [BH ̄] 06


 廊下を並んで歩きながら、ぼくはアヤノの横顔に話しかけた。


「疲れただろう。がっかりしたかい?」


 それは、ぼくの心境でもあった。

 この事件でいちばん割を食ったプランク所長なら、進んで協力してくれると睨んでいたのに、どうやら見込み違いだったらしい。ほんとうに使えない男だ。


 アヤノは顔をぼくに向けて、こくんとうなづいた。


「はい、すこし。でもしかたないですよ、それぞれ立場がありますから。……ありがとうございました」


 気丈に答えたアヤノの顔には、けれど疲労の色がありありと浮かんでいた。成果も少なかったし、そもそも彼女にはまだ荷が重いのだろう。


「そう言ってもらえると、ぼくも助かるよ」

「本当に感謝しています。……あとのことは、ニューヨークに帰ってから、クロンカイト先生に相談します」


 え、クロンカイト?

 アヤノが口に出した名前を聞いて、ぼくは驚いた。あの電話の相手は、まさか……。


「意地悪な教師って、もしかしてCNNのジョセフ・クロンカイトのことかい?」

「はい、そうです。ジャーナリズム・スクールの担当教官なんです」


 やっかいなことになったな、とぼくは思った。

 EUの政界で覇を競うハイゼンベルク家と、社会派ジャーナリストの第一人者であるジョセフ・クロンカイトとは、それなりに因縁がある。なのに、クロンカイトの教え子であるアヤノと、ハイゼンベルク家の一員であるぼくが協同しているなんて、マルガレーテに知られたら余計にややこしいことになりそうだ。

 いや、彼女ならもう知っている可能性もある。そしてあの警告には、そういう意味も含まれていたのかもしれない。


 アヤノが、いぶかしむような眼差しをぼくに向けた。


「もしかして、先生のことをご存じなんですか?」

「有名なジャーナリストだからね。面識はないけど、名前くらいは知っているよ」

「ほんとにそれだけですか?」

「ああ、そうだよ」


 ふうんというつぶやきが、アヤノの口からもれた。どうやら、なにかを疑われているようだ。

 ぼくは、せきばらいをひとつした。


「とにかく、こちらの調査は、ぼくが責任をもって進めるよ。だから、これからもよろしくね」


 ぼくが差し出した手を、アヤノはごく自然に握り返してきた。けれど、なにかに気づいたように、あわててその手を引っ込めた。

 そして彼女は、まるで照れ隠しをするかのように、それを口にした。


「えっと、あの……。プランク所長が言っていた『テルスノヴァ』って、何ですか?」


 できれば思い出したくないことだが、ボーア博士と対峙していくのなら、アヤノには知っておいてもらったほうがいいだろう。


 ぼくは、あの事件の一部始終を、アヤノに話しておくことにした。

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