第6話 砂浜フィールド
「綺麗ですね。砂浜」
「そうだな。……って、もう18時過ぎか」
足元には細かな白い砂。頭上では太陽がその陽光を惜しげもなく浴びせてくる。
「他のプレイヤーが見当たらないな。貸切りってことはないはずだが……」
「でしたら早速装いを変えて魔法を使いますか」
海辺の全長はおよそ2㎞。見通しの良い浅瀬で波も静か。砂浜フィールドと銘打たれているが、水際の反対方向にはジャングルを思わせるほどの木々が鬱蒼と生い茂っていた。
「そうするか。……“ディーチェンジ”」
「“ディーチェンジ”」
下級魔法“ディーチェンジ”。二人はそれを唱えた。すると二人の身体がそれぞれ異なる色の光明に包まれる。かと思えば瞬く間に光のエフェクトが弾け、その姿を一新した。
「やっぱりブレザーに比べて大分重いな。この装備」
灰色をベースにしたロングコート。前は首元と胸元近くを留め金で固定し、腕は通さずに肩掛け着用。中は黒いワイシャツと群青色のジーンズ。それが京輔のトライデルタプレイヤー・スタイルだった。
「ワタシはあまり変わりませんね」
真紅のレザージャケットと薄茶色のダメージスキニー。腰回りにはポーチを二つ下げ、派手な装飾が目立つブーツを履いている。現実では決してしないコーディネートを身に纏う零音は京輔の発言を受け、自己分析した。
「よし。じゃあミッションに……。んっ、何だ?」
いよいよミッションに取り掛かろうとしたが、京輔は異変に気づく。だが、おかしい、信じられない、といった怪訝な顔をする。
「どうしたんですか?」
京輔の険しい表情を見て、零音は恐る恐る話し掛けた。
「俺の“技法”に“自動感知”があることは知ってると思うが、それの反応があった」
「つまり他のプレイヤーがどこかにいて、索敵系法術を使ったということですね? ですが、その程度のことは……」
VRMMORPGトライデルタのプレイヤーが用いる攻撃方法の中には本人の種族相応に行使できる“魔法”と、本人が所持している武器や防具を媒介にして発動できる“技法”の二種類、総称して“法術”がある。そして京輔が今発動しているのは“感知”の上位互換で自分以外のプレイヤーが索敵に使用する法術を発動した際、こちらも相手を自動で認識できる技法“自動感知”だった。
「いや、相手の場所が問題なんだ」
「場所ですか。その方はどちらに?」
どこかにいるプレイヤーを認識しただけで何故こうも驚いているのか零音は不思議でならない。すると京輔は、スッと、左手の人差し指を上に向けた。
「空だ」
「空? えっ、まさか……っ」
「すぐに気配を消したが、明らかにそいつは俺達の斜め上空にいた。正直、意味が分からない」
「不可解ですね。それに京輔さんの職種は……」
「ああ、“マジシャン”だ。だからこそ精度には自信がある。あるはずなんだが……」
相当Lv.40〜49。魔導士族“マジシャン”。それが京輔の職種であり、特性として威力よりも発動精度に重むきを置いている。だが、それゆえ困惑する事態に陥っていた。
「空中を飛ぶのはどの職種でも厳しいとなると飛行ではなく跳躍していたのかもしれませんね」
トライデルタは現状70種類の職種が存在している。しかし、全ての職種が基本的に飛び上がることは出来ても飛び続ける事が出来ないでいた。
「そう考えるのが妥当だと俺も思うが、どうもそいつの姿形が引っ掛かるな……」
「と、言いますと?」
感知は発動精度を上げれば上げるほど対象の姿を鮮明にイメージできるようになる技法。京輔の感知はまだまだ発展途上だが、対象がどのような装備をしているかはある程度分かる。そして分かるからこそ相手をより奇異に感じた。
「そいつの背中から翼が生えていた。それとドレスを着ていて、多分女性だと思う」
「それだと本当にその方が飛行していたと思えてしまいますね。そんなことができる装備は……、ん?」
「もしかするとエクレスターか、とも考えたが、特徴が全然違うしな」
「そう……、ですよね……」
同調しつつも口元に指を近づけて零音は考える。何か思い当たりそうになるが、そのワードが出てこない。
「あと考えられるのは───」
「それだと───」
二人はその後も暫し考え込んだが、結局は仮定に過ぎないと結論づけ、ミッションを再開する事にした。
「とりあえず海辺にそって移動するか」
「『美味たる砂を求めて』と言うくらいですからそれがいいと思います」
星四砂浜ミッション『美味たる砂を求めて』。二人が行っている初挑戦のミッション名である。
「じゃあ、行こうか」
「はい。京輔さん」
京輔は歩き出し、零音もその横を歩く。
「ああ、それと。謎のプレイヤーとの遭遇があったから言い忘れていたけど、ディーチェンジ後は一応ネームで呼んでくれ」
「あっ、すみません。忘れていました。ケイさん」
「いや、大した事じゃないし、気を遣わせて悪いな。アマネ」
トライデルタ内の京輔はケイというネームで、零音はそのままアマネというネームで行動している。
「あの代行者の方、クラミツさんが仰っていたことが本当ならこのミッションはそこまで難しいものではなさそうですね」
「『砂の中に潜ったり、落とし穴作ったりする魚みたいなやつ』。それと『初めてだと面食らう技を持ってる』とか言っていたな」
運営代行を名乗ったクラミツの言葉を思い出しながら歩みを進める二人。
「驚くといっても星四クラスのモンスターならば遅れを取ることはない。……筈だが、それでも多少の用心はしておこう」
「分かりました」
しばらくの間、現実と遜色ない潮風を肌で感じ、穏やかな波の音をBGMにして雑談をする事にした。
「あの人、かなり強いぞ」
「ワタシもそう思います。カードに記述されていた順位は恐らく代行者達の強さ順なのではないかと」
「確か噂では十人くらいで全員トップクラスらしいな」
「職種が“ジオマンサー”である事から察するにその噂は信憑性が高いですね」
話題は代行者・クラミツについて。魔導士族“ジオマンサー”の相当Lv.は60〜69であり、現在、トライデルタの上限Lv.は79。この事を踏まえて二人はクラミツというプレイヤーの実力を推し量っていた。
「あの人のLv.も見ておくべきだったな」
クラミツが提示したステータスカードの内容は途中までしか確認できず、ケイはそれを悔やむ。トライデルタは職種を変えずにLv.を上げる事が可能であり、仮に相当Lv.60〜69の職種だとしてもプレイヤー本人はそれよりもLv.が高い事はざらにある。
「代行者の存在を公式で発表するかもしれないと仰っていたので、その時に分かるかもしれません。……あと他に気になったのは、あの職種の系統です」
「ああ、ジオマンサーはお前と同じ“エリス・ウォー”の系統だ」
「ということはPKはお手の物でしょうね」
「仮に戦ったとして俺達が組んでも、あの人には勝てそうにないな」
ケイの言葉にアマネはまたも口元に指を近づけて考えるような素振りをした。
「はい。恐らくは」
無表情ではあるが、心なしか悔しそうに返答するアマネ。瞬時に、勝てない、という結論を弾き出した自身に情けなさを覚えていた。
「まあ、その、なんだ。あいつなら勝てるかもな」
アマネの変化に気づき、話を逸らす。ケイの逸らした先は二人の良く知る人物の事だった。
「春奏さんですか? 確かにあの方ならばその可能性は高いと思います」
「『誰にも負けない力』だったか」
「……えっ?」
「いや、なんでもない」
何食わぬ顔でうやむやにする。春奏との約束をつい破り掛けてしまったため、ケイは焦った。
「あっ、あそこに他のプレイヤーがいますよ」
「ん? ……本当だ。少しこの辺りについて聞いてみるか」
そうこうしている内に二人と同じく海辺を歩くプレイヤーをアマネが発見する。ケイはある事を聞きにいこうと提案し、歩みを早めた。
「おっ、どうしたんだい君達? そんなに慌てて」
「こんにちは。俺達ちょっと聞きたいことがありまして」
後ろの物音に気づき、振り向いたそのプレイヤーは白シャツにストライプのネクタイと紺色のスラックスを着用しており、左腕にジャケットを抱えている。そしてタクシーの運転手が用いるような制帽を目深に被っていた。
「聞きたいことって、このフィールドのことかな? それなら構わないよ。何が聞きたいんだい?」
ケイの要望をまるで仕事帰り風な装備を見に纏った男性プレイヤーは快く了承する。
「ありがとうございます。早速ですが、この辺りにいる“グラベルイーター”について何か知っているなら教えてくれませんか?」
当たり前だが、討伐系のミッションはモンスター名を出発前に知る事ができ、ケイは受注中のミッション『美味たる砂を求めて』の討伐対象である“グラベルイーター”について尋ねた。
「グラベルイーターか。そいつならもう少し進んだ先の地中に潜んでいたよ。君は“探知”は出来るかい? 200mほど歩いたら使ってみるといい」
“探知”とはモンスターの位置を掴む場合に効果的な下級法術の事でケイは問題なく発動出来る。
「もしかして俺達と同じミッションを行っているんですか?」
「いや、違うよ。俺は星一の『砂浜探検』をしてて、そろそろ切り上げようと思ってたんだ」
「そうですか。すいません、引き止めてしまって」
「いいよいいよ。そんなことより早く彼女と行っといで。デートなんだろ?」
そう言うと男性プレイヤーはケイの肩をポンッと軽く叩き、海辺とは逆方向にある密林の方に足を踏み入れていった。
「デートじゃないんだがな」
もうなんでもいいか、と否定する事を面倒に感じながらケイは男性プレイヤーの後ろ姿を見送る。
「グラベルイーターがする正面からの中距離攻撃には気をつけろよー!」
二人が、さて行こうか、という時に男性プレイヤーの大声が響く。もう姿は密林に消えたが、最後のアドバイスとして叫んだのであろう事は二人に伝わった。
「分かりましたー! って聞こえてないか……」
「やけに気さくな方でしたね」
とりあえず言及された地点まで進もう、と二人は歩き出す。
「この辺りか。……探知!」
特にトラブルも無く200m付近まで辿り着いた京輔は探知を発動した。着用しているロングコートに付与された探知であることからこの場合は技法の発動という扱いになる。
「いたぞ。ここからさらに250mくらいだ」
砂に潜む何かの姿を知覚し、それがグラベルイーターだろうとケイは判断した。
「結構ギリギリだったが、一応見つけることは出来たな」
法術には適性があり、たとえ類似した法術だとしてもプレイヤーにとっては大きく異なる。その事もあってか、ケイは感知に比べて探知はあまり得意ではない。
「見つけたことだし、さっさと行くか。アマネ」
「はい。……おや?」
グラベルイーターの位置を把握し、いよいよ戦闘だな、という意味を込めてケイはアマネに話し掛けた。するとアマネは返事の直後、何故か口元を指で隠す仕草をする。
「どうかしたか?」
アマネが何かを考える時にする癖。兄であるケイは勿論その事を知っているため疑問に思った。
「いえ、先ほどの方はどのようにしてグラベルイーターの位置が分かったのか、と思いまして」
「どのようにって、それは……、んっ?」
アマネに言われてケイはハッとする。
「気づきましたか? 苦手といってもマジシャンであるケイさんがギリギリだったのに対して、あの方はあの距離ですでに探知出来ていたという事を……」
「考えられるのは元々俺達とは逆方向から来ていたからか、あるいは高Lv.プレイヤーか」
二人は密林に消えていった気さくな男性プレイヤーの姿を思い出していた。
「あれでもし“戦士族”や“剣士族”だったら色々と考えさせられるな」
トライデルタの種族とは魔導士族の他に“戦士族”と“剣士族”を入れた三種族。この三種族から一つを選び、職種に就く事でゲームをプレイ出来る。そして魔導士族が最も探知や感知といった非戦闘用法術を得意としていた。
「もしや、あの方も」
「そうかもな。今となってはもう分からないが……」
上には上がいる事をケイは実感する。
「さてと、……探知!」
もう一度、探知を発動するケイ。感覚を利用する法術はほとんど数秒しか発動し続けられない。そのため隠れているモンスター等には何度も発動し、正確に場所を割り出すのが一般的である。
「いる。寝ているのか罠を張っているのか知らないが、位置は変わっていない。それとHPが思いのほか多いな」
探知という法術は対象が近くにいればいるほど対象のステータスを読み取る事が可能。これも少量のMP消費ではあるが、何度も発動する利点の一つだ。
「大体7mくらい先にいる。頼めるか、アマネ」
ケイは目標地点を指差す
「地中から引きずり出せばいいんですね? 了解しました」
そう言うや否やアマネは斜め上にジャンプした。その跳躍は4mをゆうに超え、着地地点はケイが指差した付近である。
「“ゾア・スタンピング”」
着地するよりも前にアマネは魔法を発動した。すると近くの空間に穴が開き、その穴から黒い剛毛に覆われた霊長類を思わせる獣の腕が出現する。腕は柱や大木のようにかなり太く、グラベルイーターが潜んでいる地中の上に何の躊躇いもなく拳を落とした。
「ギゲェエエエエ!!」
地表が揺れ砂埃が舞う。そんな中、飛び出てくるなり重低音の叫びを上げるモンスターが姿を現した。
「こいつがグラベルイーターか」
「ですね」
出現を確認し、着地したアマネにケイは声を掛ける。目の前には体長6mほどで水掻きがある両足と三角形状の頭を持つ四足歩行のモンスターがいた。体表は黄色で目は飛び出ており、尾ひれは長く細い。まるで蛙と魚類を混ぜた姿をしている。それが二人の感想だった。
「ギゲェ、ギゲゲェイ」
ゾア・スタンピングの衝撃がまだ身体から抜けないのか、グラベルイーターはふらついている。
「チャンスだ。……と言いたいが、“スキル”を使ってくれないか。アマネ」
「“共鳴”ですか? 分かりました」
アマネは目を閉じ、そしてすぐに開いた。これが“スキル”“共鳴”をアマネが発動する条件である。“スキル”とは法術と同じくプレイヤーが行使できる能力の総称。職種によって振り分けられ、法術と違う点はMPの消費と発動に詠唱が無い事が挙げられる。
「アマネ。あいつはなんて言っているんだ?」
「……酔ったみたいです」
「ちゃんと聞き取れているな。じゃあ俺に“共有言語”を掛けてくれ」
「はい。ではワタシの手を見て下さい」
ケイに向けてアマネは掌を突き出す。ケイはその掌を数秒見つめたあと視線をグラベルイーターに戻した。
「なんだね、君達? 何ゆえ私の安眠を妨害するんだ?」
先ほどの叫び声とは打って変わって、ゆったりとした男性の声。二人の耳にはそう聞こえていた。
「すみません。これもミッションですので、ご容赦下さい」
軽いお辞儀。モンスターとはいえ無理に起こしてしまった事を少し申し訳なく思い、アマネはグラベルイーターに謝罪した。
「むっ? お嬢さん、私の言葉が分かるのか?」
「はい。ワタシの現職種“コンジュラー”の一つ前が“サモナー”でしたので、その時に会得しました」
相当Lv.50〜59“コンジュラー”。現在、アマネが就いている魔導士族の職種である。そしてモンスターの言葉を理解し、会話が出来ているのはスキル・“共鳴”の効力だった。
「グラベルイーター。お前に聞きたいことがある」
「ほう、君も話せるのか少年。して、聞きたい事とは?」
ケイもグラベルイーターと会話が出来るのはアマネが発動したもう一つのスキル・“共有言語”の恩恵である。
「今日、俺達と出会う前に翼が生えた女性を見なかったか?」
ケイは仕事帰り風のプレイヤーに聞き忘れた事を尋ねた。それに対してグラベルイーターは、ふむ……、と思案する。
「翼か。変わった装備だね、その子」
「どうだ、見ていないか?」
「ちょっと待ってくれ少年。私は聞きはしたが、答えるとは言っていないよ」
「んっ?」
「君達は何をしに来たんだ? 本分を思い出せ」
ケイは黙った。グラベルイーターが言わんとしている事を理解した為である。
「君達は私を狩りに来た。そして私はそこそこ機嫌が悪い。……あとは分かるだろう、少年」
ため息をつく。グラベルイーターにではなく、自身に対して。
「……参ったな」
「始めますか、ケイさん」
アマネが腰につけているポーチを右手で軽く叩く。すると水のような艶を放つ鞭が現れ、アマネはその鞭を掴んだ。
「準備は整ったようだね。では、やろうか」
グラベルイーターとの戦闘。砂浜フィールド星四ミッション『美味たる砂を求めて』が本当の意味で始まろうとしていた。