最期
暑い。
誰もいないか神社の境内を見回し、裏手にある一本の椚の枝に縄を巻き付ける。体重をかけ耐久性を確かめ、縄の下にビールケースを置く。準備は万端だ。あとは縄の先端を首に巻き、乗っているビールケースを蹴り飛ばせば、今日の目標は達成される。
じゃあ、始めるか。
正直なところ、怖い。心臓が飛び出そうとはこのことをいうのか。初めての経験だった。今日はもう一つ初めての経験ができる。人が最後にする経験、『死』だ。
なんら貴重な経験ではない。そう思うと気が楽になった。
ふうと一息をつき、ビールケースの上に乗る。以外に安定性がない。地面が土だからだろうか。小さな神社なので、細かな管理もない。
次に縄の先端に作った輪に頭を突っ込む。初めてにしては丁度いい高さに作られている。ただ縄の選択を誤ったようだった。肌には相当なダメージになることは明白だ。
全ての準備を終え、最期の景色を楽しむ。辺りからは虫の音が聞こえてくる。このオーケストラで見送ってもらえるのは意外に嬉しい。
少しだけ、昔のことを思い出してみることにした。楽しかった思い出、辛かった思い出、嬉しかった思い出、悲しかった思い出、いろいろあった。他人と比べたら平坦な人生だったかもしれない、でも確かにそこには最高の瞬間があった。当事者しか想うことのできない『最高の瞬間』が。
最後にそう思えてよかった。
「お母さん、先に行っています。」
ビールケースを蹴る。
視界が歪み、意識が遠のいていく。視界の端にこちらを見る長髪の人の影をとらえながら。




