識ること、変わる事、
知識とは何か…。古来より論議か繰り返されていた。
アダムとエバは蛇にそそのかされ善悪の木の実を食べ、識った事で無垢な存在ではなくなった。それは神の怒りに触れ、結果、彼らは楽園を追われた。
人は死の定めを負い、過酷な地上で生きて行くを…原罪を背負わされた。
あのとき蛇の甘言に耳を貸さなければこんな事にはならなかった…とは僕は思わない。
識りたいと思う心、好奇心があったからこその顛末であり、結末である。
好奇心は猫を殺す。君子危うきに近寄らず。
「だからこそ僕は、僕である為に全てを拒み孤独に暮らす」
相馬悠は堂々と宣言をした。
たとえそこが古びたアパートの一室であろうとも。
その格好が、学校指定のジャージの姿であろうとも。
「何言ってるのよ悠ちゃん。馬鹿な子と言ってないで私と学校に行きましょう」
そう。たとえそれが引きこもりの口上であろうと相馬悠はその態度を崩さない。
悠の説得にやってきた少女。幼なじみで同級生のクラス委員長の笹崎朋香も彼の一度言い出したら簡単には曲げない性格を分かっている筈なのだが、それでもこうして悠が引きこもって一ヶ月が経過した現在も、毎日かかさず説得に来る辺り温和しそうな雰囲気とは別に案外と頑固ものなのだと思う。
(いやはや、参ったね)
といいつつも悠は意見を曲げる気は小指の先ほども無い。悠の頭の中にあるのは以下にして彼女にお引き取り願えるかの一点にある。このまま手をこまねいていると門限に間に合う時間ギリギリまで粘る事は目に見えている。現在の時刻は午後四時三十分。彼女の門限が七時で帰宅に要する時間三十分。単純計算で今から二時間この状態が続くのは流石に気が滅入る。
「ん?」
そんな均衡状態の中、アパートの錆た階段を駆け上がる軽快な足音が聞こえた。
「やっぱり此処にいたんですね」
現れたのは朋香と同じ制服の女の子だった。
それだけでなく、容姿まで朋香と瓜二つ。なのだが、正反対の印象を受ける。
朋香を静とすれば、彼女は動といった感じだ。
彼女の名前は笹崎陽菜香。朋香の双子の妹であり、悠にとっても幼なじみであり、同級生でもある。朋香が文芸部に所属している文学少女であるのに対し、陽菜香は剣道部のエースで全国大会の常連。そして今年ついに全国制覇を成し遂げたバリバリの体育会系である。
「姉様。今日は親族での食事会があるから早めに帰るようにお母様に言われていたでしょう」
「でも、悠ちゃんが…」
「もういい加減あきらめて下さい。こいつが変な所で頑固で偏屈なのは知ってるでしょ!」
えらい言われようだが、悠にとっては天の助け。このまま朋香を連れて帰ってくれたら問題は全て解決――
「そう。今更学校などうでもいいです、私と勝負しなさい」
――とはならなかった。
「は?」
訳が分からず生返事を返すと、陽菜香は目を釣り上げ此方を睨み付けてくる。
(同じ顔でこうも印象が変わるもんだな)
などと、暢気な事を考えていると、陽菜香は鞄から何かを取り出した。
「これを見なさい」
それは一枚の表彰状だった。夏のインハイで全国優勝した時の物だ。
「ああ、聞いてるよ。そうだね。お祝いを言ってなかったね。おめでとう。陽菜香は努力家だからね。きっと一杯頑張ったんだね」
「なっ、何言ってるんです。天才の私が努力だなんて…」
「分かってるよ。君は頑張る天才だからね」
「だ~か~ら~」
悠にとっては心よりの賛辞だったのだが、陽菜香にとっては勝手が違ったのか顔を赤くして地団駄を踏む。
「約束したでしょ。私が全国制覇したらもう一度勝負すると。これを見なさい!」
賞状とは別にもう一枚、丁寧にパウチされた紙を手渡された。
そこには拙い字で『ひ~ちゃんがニホン一になったらもうもう一回しあいをします そうま ゆう』などと書かれていた。
「勝負しなさい悠」
自体は混沌な方向に悪化していった。