死にたがりの機械人形と収穫期
僕が源次郎と住み始めて一年が経つ。畑の種も随分と成長して、以前のような立派な植物が育っていた。
手前にある蕾を優しく摘まむ。既にいくつか開花している花もあり、これもまた明日にでもなれば大きく顔を咲かせてくれるだろうと思った。
屈んでいた腰を伸ばして、僕は背後を見やった。
誰も座らないロッキングチェアが、風に揺られている。
ついこの間まで僕が畑に向かう度に源次郎がついてきて座っていたのだが、最近は家で寝ているばかりになっている。心配して近くへ寄れば不機嫌な顔になり、食事の配膳以外は僕を遠ざけようとしているのがわかった。
「大丈夫か?」
僕がそう訊ねても、
「当たり前だろ、馬鹿。心配しすぎなんだ、うるせぇな」
としか彼は答えない。
さらには、自分の体なんてどうでもいいという風に、
「花、早く畑見てこい」
そう急かす。
僕としてもそれに異論はないのだが、どうも彼の様子がおかしい。
「今度、しっかり問いたださなきゃな……」
僕はひとり呟いて、信号棒を掲げる。
隣で鼻に大きく水を吸ったキャメラントが、霧状の水飛沫を畑に塗してくれた。
水は陽光を浴びて乱反射に、細かい光が畑の中へと散っていく。
早くこのコバタという植物が完成しないだろうか。僕は降り落ちる水を眺めながら、小さく息を吐く。
これが完成したら、さっさと殺してもらわなくっちゃいけない。
僕は手荷物を片付けて、キャメラントを促した。
「さ、今度は食料を探しに行こう」
僕を殺してくれるまで、源次郎には生きてもらわなきゃ困る。
けど、まぁ何と言えばいいのだろう。
僕は間抜けなことに、異変に気付かなかったのだ。
アンドロイドだから。
収穫の時期が訪れた。
揺れるピンクの花びらは艶やかで、立派に花を開花させている。
やっぱり切らない方が見栄えもいい。
キャメラントも喜んでいるのだろうか、僕の隣で頭を垂らし短く鳴いてくれていた。
実はこのコバタという植物は実のなる物ではないらしく、生い茂る葉が重要だ、と源次郎が言っていた。
源次郎に「なるべく柔らかい葉、新しいのを摘んできてくれ」と頼まれている。しかし僕は新しい古いの見分け方など判別不可能ので、とりあえず色が少し薄目の葉を狙って丁寧に摘んだ。葉を根元から千切る度に、枝が揺れる。その折れた根の部分から芳醇というのか、甘い香りが僕の嗅覚をくすぐってきた。
この臭いは、何だろう。
嗅覚はとても大切だ。セクサロイドの相手となる人物に合わせて香水を選出する時は、特に。僕らの五感は全て提供させる為にあるのだから。この金属繊維の人工皮膚も代謝性ではあるのだから、香りは馴染むように製作されている。
でも、この臭いは葉としては特殊な傾向にあると思う。
そう考えながら収穫を繰り返して、持ってきていたバケツの半分ほど積もった。
「これくらいで十分かな」
僕がバケツの中身を見せると、キャメラントは大きな頭をくいっと傾けて目を瞬かせた。
合格だったのだろう。長い鼻が流れるように僕の足元へ滑り込んでくる。
僕が鼻の上に片足を乗せると、キャメラントはエレベーターのように僕を頭部付近まで上昇させた。
勢いに任せるまま、キャメラントの首筋辺りに身を乗せて信号棒を振るう。
「んじゃ、帰ろうか」
ずしん、とキャメラントが踵を返し始める。
行先はもちろん、源次郎が待つ家だ。
「よし、んじゃあザルにでも並べて天日干しだ。続きは明日の朝になるぞ」
源次郎に指示されるまま葉をザルに広げて、僕は一晩、葉を外に放置した。
その日の夜、僕が知らぬ間に事態は急変する。
僕は夜になると、部屋の隅で膝を三角に折りながら朝を待つ。眠るという行為は必要ないのだ。機能を低下させて小休止状態にすることは可能なのだが、まぁほとんど意味はない。ずっと立ちっ放しで朝を待っていたら、トイレへ向かう最中のご主人が大きな悲鳴をあげて腰を抜かしたのを思い出す。僕は何故か酷く叱責されて、ベッドで眠るか部屋の隅で蹲るかを選択させられたものだ。ベッドが職場でもある僕は、部屋の隅にいることを選択した。ご主人は嫌な顔をしたのだが、あの人のそばで寝ると僕の有用性が激しく揺らぐような、そんな気がしたから。
まだ少し暑さの残る熱帯夜、普段は静かに就寝しているキャメラントが、ぼぉぉ……、と音に思考が呼び戻されていく。
意識を起動させた僕は、静寂に沈んだ世界でもう一度、ぼぉぉ……、という鳴き声を耳にした。不安になる鳴き声で、どこか以前聞いたことのある鳴き声のような――そんな気がした。
窓を見やる。窓枠に切り取られた中に散りばめられた星々、大きな満月とキャメラントの伸びた鼻の影絵。そして月明かりをそっと浴びている源次郎の背が僕の視界に映った。
ふと思い出す。
ああ、これ汚染生物、マチコが来た時に鳴いた声じゃあないか。
少し不安になりながらも、僕はじっと壁の隅にもたれながら鳴き声を聴き入っていく。
僕はどうしていつも、こうなんだろうか。いつも肝心な時に何も出来ないでいる。
いや、この時に気付いても、もうどうしようもなかったのだが。
翌日、太陽は既に真上へと登頂をしている。
いくら待っても源次郎が目覚めないので、彼の肩に触れてみた。
異変にはすぐ気付いた。――すぐ、というのもおかしいが。
その体を起こしてみれば、布団には彼岸花のような鮮血が散らされている。
その口から、おびただしい程の血が流れていた。血、いや、違う。いやになる重苦しい鉄分の匂いがしない。これは別の――血ではあるけれど――何かだ。、
「……おう、朝か。すまんな」
源次郎の目は虚ろだ。こちらを見ていない。
瞳孔が大きくなり、その眼球は濡れている。
「源次郎、しっかり」
異様な気配を察したのか、外からキャメラントが蠢く音が聞こえてくる。そしてまた、ぼぉぉ……と鳴き声をあげたのだ。嫌な声だ。僕は源次郎の体を抱えたまま舌打ちした。
これは、この症状は汚染生物へ変貌する際に起きる初期症状に違いない。
僕は――悪いと思ったが――彼の布団を大きく捲った。
源次郎の下半身は、異様なほど膨れ上がっている。どこかで見たような、隆起した鮮やかな赤とサーモンピンクだ。
DNAが破壊され、再構築されている。
僕は彼が目覚める前に、布団を元の位置に正した。きっと、彼は見たくないだろうから。
僕なんかに同情されたっても不憫だろう。