源次郎と死にたがりの機械人形
俺が健康的な生活するなんて、友人たちが知ったら鼻で笑うだろう。今も目を閉じれば「もう酒なんてやめなよ」と言う愛する女の溜め息が聞こえてくる――そんな気がする。
酒と煙草を初めて口にしたのは二十歳になった当日だった。当時付き合っていた女に勧められて嫌々ながら呑んだのだが、その女と別れた後でも口寂しくなればすぐ火を灯していたものだ。
揺らぐ紫煙の香り、チリチリと焼け付く火の粉、全てが俺の癒しになる。
酒が喉と臓腑をじんわり灼く感覚なんて最高だ。酩酊は夢の世界にいるみたいで、嫌なことは全部酒が包んで覆い隠してくれる。
汚染生物となった友人を撃ち抜いた時も、愛していた女の首を掻っ切った時もそうだ。食料を奪いに来た人間を殺した時も。
仲間がひとり、またひとりと倒れ、汚染生物へ変貌していく中でも、いつだって酒と煙草は手を離さなかった。
こいつらが俺を癒してくれた。
生存競争を生き抜けていたのは、酒と煙草のおかげと言ってもいいだろう。
でもまぁ、人類が死滅しちまえば生産者も当然いなくなる。
ただの技術者だった俺がレーザーガンや灼熱の超振動ナイフを巧みに使いこなせるようになった頃、とうとう酒と煙草が底を尽きてしまった。
絶望したもんだ。
それでも俺は生き続けた。
病を退ける為にワクチンを研究所から盗み出し、追いかけてくる汚染生物は一人残らず始末した。何度も撃ち抜いて死んだことを確認し、ようやく安堵する。夜、眠る間にも音がすれば飛び起きた。神経が磨り減る日々が続いた。
武器も底を尽きて、どうにか周辺の汚染生物を殺しきった頃、本当に世界は静かになってしまった。
俺以外の生存者の望みは薄く、この世界で俺を救助してくれる人間。
それは絶望的な確率だ。
いや、食料を探している最中に発見した機器生物がいた。廃棄処分となり処理施設にいた幼少のキャメラントが運よく生き残っていたのだ。物音がした時は人がいるかもしれないという喜びと、まだ汚染生物がいたのかという恐怖に身を縛られたが、キャメラントの姿を見た時は気が抜けてしまったものだ。絶望と希望が同時に砕かれるなんて、後にも先にもこれっきりだと思う。
その時、俺は本当にひとりになったのだと痛感した。
俺と言葉を交わしてくれる人はいない。
ああ、世界はなんて広いのだろう。
広大な空間で、俺はひとり座るだけだ。
どうして俺は生き残ろうなんて思ったのか?
たまに、それは間違いだったんじゃないか、と思ったりもする。
生存競争に勝ち残る為に、俺は自らの一部を改造し武器を手に取った。病に打ち勝つ為に頭を絞り、生きる為ならばどんな危険なワクチンだって試した。
それは人間として、当たり前だと思う。
でも俺は生き残った果てに、何を望んでいたんだ?
こうしてひとり、空を眺めて暮らす生活を望んでいたのか?
違う。
本当は酒と煙草を片手に、愛する女の肩を抱いて、仲間たちと一緒に夜を楽しめれば良かったんだ。
妻となった女との間に子供を儲けて、その子が成長して友人や恋人を引き連れて、泣いて、愛した女と共に老いていく。今日も楽しかったね、なんて言い合いながら眠りにつく日々。それを夢見ていた。
決して殺し、奪い、隠れて、孤独になる為に生きていたわけじゃない。
かといって、自殺する勇気なんてなかった。
生来臆病だったのもあるだろう。何よりも俺がここで自殺してしまえば、俺が手にかけてきた連中に合わせる顔がなかった。
あいつらはきっと、死にたくなかった。
あいつらだって、きっと生きたかった。
もちろん、孤独に苛まれて青空の下で絶叫したこともある。
頭を抱えて、何時間も何日も暴れ回った。椅子に座れば愛する女が隣に居る幻覚を見た。荒廃した街を歩けば友人たちの声が聞こえた――そんな気がした。俺は暴れた。本当に気が狂って、笑いながら、涙を流しながら街を駆け回った。
どうして暴れるのを止められたのか。
それは誰も止めてくれなかったからだ。
永遠に狂い続けたって仕方ない。
いくら泣いたって、頬を伝う涙を拭ってくれる人間はどこにもいないのだ。
疲れ切った俺の隣に、象とラクダの合成キメラ、キャメラントがいなければ俺は既に死んでいただろう。
こいつの世話を何となく始めていたから、俺は今日まで生きてこれた。
育てる喜び。
これは、俺が今まで経験したことのないものだった。
餌を探し、水を与え、今日という日を生きていく。
殺戮し、蹂躙し、明日の死に怯える日々とはまた違っていた。
口にしてしまえば陳腐な三文字だが、それは俺の中に確かに芽生えた輝きだった。
キャメラントはゆっくりと枯れた草や虫を捕食して、のんびりと水を口に含んでいく。病弱な個体で少しでも妙な真似をすれば弱ってしまうから苦労したもんだが、それも今となっては良い思い出だ。小さかったキャメラントは日々、徐々に成長していく。気付けば俺よりも大きくなっていた。
そうだ、と俺はようやく思い至る。
壊れた物を、少しずつ直してみようか。
寂れた廃墟に潜んでいた俺は、ここで初めて自分の家を建てるという作業に取り掛かった。ひとりじゃ不可能だっただろう。長年連れ添ったキャメラントも、馬鹿な俺の為に大いに働いてくれた。
立派とは言えないが一年程度時間をかけて、どうにか掘っ建て小屋を完成させる。久しぶりに人間らしい暮らしに戸惑ったものだが、悪くない気分だった。
古臭い音楽CDも修復して、毎日人の声を聴くようにした。
無音だった世界に響き渡るエレキギターの音は、心臓に染み渡るほど心地よかった。
それから俺が食料を探す間に見つけたのは、いくらかの小さな種だ。
病に対応する為に品種改良で造られた大企業製作の種。人類が死滅して孤独となった俺は、その種に陳腐な三文字を見たと思う。
こいつらを育てて、いつか地球上を埋め尽くしてくれれば……そんな妄想に浸る。
俺が生きていた意味もあるんじゃあないか。
そう考えていた矢先、ひとりの来訪者が現れた。
「お邪魔します」
勝手に人の家に入り込んだそいつは、やたら丁寧に頭を下げてくる。
異様なほど整った顔立ちの女――いや、男型のアンドロイドだ。人が生きていたと勘違いした俺は大いに落胆したというのに、そいつは自分を殺してくれだなんてねだってくる。正直、思考回路にバグが発生した壊れたアンドロイドだと思った。必死に生き残った人間に殺してくれなんて性質の悪い冗談だ。
そんな奴なんて相手にしたくないし追っ払ってやろうかと思っていたのに、そいつはこの家に無理やり棲みついてきやがる。
当初は果てしなく参ったもんだが。
今じゃあ、俺の畑仕事を手伝ってくれている。
人生、生きていれば何が起こるかわからないものだ。
名前はないと言うアンドロイドに花と名付けて、そいつは――、
「キャメラント、あそこにもう少し水を振って」
――と、見事に信号棒を操ってキャメラントの背に乗り、適格に指示している。
キャメラントもまた長い鼻に水を含んで、種を埋め込んだばかりの畑に淡いシャワーを降らしていた。
ああ、鮮やかな虹が描かれていく。
きらびやかな風景が眩しくって、俺は目を細めてしまう。
「源次郎」
花はこちらを見やる。
「家で寝ておいたら?」
お手製のロッキングチェアに揺られる俺を見て、花は小さく嘆息する。
「動かねえから安心しろ」
そうやって虫でも払うように手を振ると、花は不満げに畑の方を見やって、またキャメラントに指示を出す。
男型の癖に女物の服ばかり着るのが気に食わないが……。
まぁ、今は悪くない生活しているよ。隙あらば死のうとする性質の悪い奴だけれど。
なぁマチコ。
俺も、そろそろ安心して眠っていいと思うんだが、どうかな。