死にたがりの機械人形と労働
源次郎の朝は早い。
彼は夜の九時に就寝、早朝六時に起床する。朝食はそこらの虫を捕まえて煮るか焼いたものだ。手際よく調理して朝食を済ませた後、彼は愛用のクワと遺伝子操作で生み出した象とラクダの合成キメラ、キャメラントと共に、自宅から二百メートルほど離れた更地へと向かう。
ここが彼の仕事場、畑だ。
まぁ畑といっても、今はただの平地なのだけれど。
源次郎はここ数日、ずっと畑で精を出しているという。
キャメラントを信号棒で巧みに操りながら、その長い鼻を地面にこすらさせていた。
合成キメラが奇妙な咆哮をあげる。
かつてキャメラントは栄華を極めた人類の、特にタイの工場で有用に扱われた機器生物だった。彼らはクリーンな機器生物として石油や機械の代行として多い働き、製造機器や切断圧縮機、または土地開拓といったエネルギーに恩恵を与えてくれていた。まぁ、九割が短命で効率の悪さが浮き彫りとなり、また団体の圧力にかけられて早々に有用性を失って製造中止へ追いやられたが。
「見ているだけならついてくるな、馬鹿」
彼は眉間を険しくさせてそう言いながら、キャメラントによって柔らかくした土にクワを差し込んでいく。えっちらおっちらと耕しては休憩して、耕してはを昼頃まで繰り返すのだ。
遠くで岩に繋がれたキャメラントが鳴いた。
荒廃しきった大地に農業など意味を成さない。種を入念に揉んで、撒いて、少ない水を振りまくのは滑稽にも思えた。水分が失われれば死んでしまうというのに。
どうして彼がそこまで懸命に作業するのか不思議で、不可解だった。
ある程度耕したところで、観察に飽きてきた僕は彼に質問してみた。
「何を作るんだ?」
彼は少し考えた後、空を仰いだ。
空は高く、陽光を惜しみなく降り注がせている。
そして、彼はこちらを見やって隙っ歯をニッと見せた。
「コバタだ」
「コバタ?」
謎の果実だ。
彼は「種はそこら辺で拾ってきた。丈夫に育つだろう」と言っていたが、もしかしたら種の正体を何か知らぬまま耕しているのかもしれない。全ての種は遺伝子操作された製品が主流となって出回っていたはずだが、その種はどの社の物だろう。もしも正規の検査プロセスを通してない自然物かまがい物であれば、間違いなく人類の作物を死滅させた瘤病や菌核病、黒星病をすぐに発症させてしまう。まぁ何にしろ、病が猛威を振るって新型へ進化してしまえば、検査など無意味なのだが。
人類の歴史は病との歴史だ。今日も生きながらえて良かった病に打ち勝ちました、と一日に満足して死ぬ。一生の伴侶である様々な病と手を取り合い、折り合いをつけながらも最後は取って食われてしまうのが運命だ。蟷螂のつがいのように。
人類は科学でも戦争でもなく、病に直面して滅びの道を辿った。
しかし、それが人間だ。
源次郎は小さなタオルで自らの顔を拭って、言う。
「まぁ、難しく考えなさんな。こりゃあいわゆる毒物って奴よ」
「毒を作る為に働いているのか?」
「人間は毒物が好きなんだ。機械に言わせると非合理的なんだろうがな」
彼は額の汗を腕で拭いながら、毒を楽しめてこそ人類さ、と告げた。
そしてこちらにクワの木材部分を突き出して、
「で、お前暇なら手伝えっつってんだろ」
と、しかめっ面をする。
僕は肩をすくめて、自分の両手を源次郎に見せるように広げた。
「僕は重い物が持てない」
「ああ?」
冗談と思われたのだろう。
僕は眉をひそめる彼を見やって、そこらに落ちている小石を拾った。手のひらに収まる程度の小石なのだが、それすらも重く感じてしまう。そして僕は耐えきれなくなって、指の隙間から流すように石を落としてしまった。
「腕力は調整されている。握力も10前後あるかどうかだ」
それは全て、人間に対し反乱を起こさぬように仕組まれたプログラムだ。
つまり、ロボット三原則。
「……」
「僕に農業の有用性はない」
と、断言する。
適材適所、という奴だ。僕が活躍する場は他にある――というのに。
彼は訝しむように僕を眺めた後、小さく手招きした。
「ちょっとこっち来い、お前」と言って、いや、と言い直す。
「お前って言い辛いな。まず名前を決めよう」
彼はそう提案した。
「名前なんて無意味だ」
「おいとかお前とか言うのが嫌なんだよ。人間になりたいならまず名前を考えろ」
「でも僕は死ぬんだぞ」
「死んだあとに墓石に名前刻まないと死んだって証拠が残せないだろうが」
源次郎の言葉に、思わず納得してしまう。
少し考えた後、僕は言った。
「……広瀬香美とか」
「ダメだ」
「じゃあ小泉今日子」
「お前は男だろ。女の名前はやめろ」
「小泉純一郎」
「長い」
「小野妹子」
「お前、わざと言っているだろう」
源次郎はこちらを半眼で見やりながら諦めたように嘆息した。
「俺が悪かった。俺がお前の名前を決める」
彼は自らの顎に手を当ててうんうん唸った後、よし、と手を打った。
ぴっ、とこちらに枯れ木じみた細指を突きつける。
「今日からお前は花だ」
「ハナ?」
「そうだ。今日から花びらの花と名乗れ」
彼は腕を組んで、それがいい、と満足げに頷いた。
「じゃあ僕は今日から花だ。源次郎、花を殺してくれ」
「嫌だね」
ぺっ、と源次郎は唾を吐く。
汚い。
彼はズカズカとこちらに近寄ってきて、僕の両肩をぐっと掴んだ。そして無理やり体を反転させられる。
そのまま付近の小岩へと押し付けられた。
老人は僕の背後に立ったようだ。
彼は僕の衣服に手を伸ばした。逃れる気もなく、僕は源次郎の成すがままとなる。そして僕は衣服の襟首を引っ張られて、大きく肩を晒した。日に焼けた手が、僕の髪をすぅっと横へ梳いて流していく。武骨な指先が首筋を診察するように撫でた。それは老獪と言えばいいのだろう。今まで自分に触れてきた者の誰よりも手練れている。と、ぐぅっと親指で判を押すように首の根を押し込まれた。――カチリ、と音が鳴り響く。
彼は僕の首筋から奥へ、その太い指をするりと差しこんで弄り始めた。
「こう見えても俺は昔、技術者として働いていたんだ」
「へえ」
「まぁ解体屋だったんだがな」
視界は緊急のアラートが鳴り響いて真っ赤に染まるが、それもすぐに収まってしまう。ロボット三原則、人を傷つけてはいけない。自分がどうなろうと、それらは適応されてしまうのだ。
こちらの気が遠くなろうが、源次郎は楽しげな口調で続けていく。
「俺が花の有用性を高めてやろうじゃないか。どうせ取り締まる奴ももういねえんだ」
「僕は死ぬのにか?」
どうしても反応は鈍くなる。
抵抗できない――する気もない僕の体を、老人は的確に解体して、また別の何かを組み上げているようだった。
「死ぬからって何もしないんじゃ意味がない。死ぬにもそれなりに準備するのが人間だ」
――と、老人の言葉尻が弱々しくなって消えていく。
そのピアノでも弾くような柔らかな指の音も止まって、代わりに小さな舌打ちが聞こえた。
「お前、セクサロイドじゃねえか」
今頃気付いたのだろう。
欲求を満たす事を目的に製作された、性交渉機能を有した男性体。それが僕だ。
「だからこんな女みてーなオカッパ髪して、機械の癖に下ネタばかり言っていたんだな」
合点がいったのか、彼の指は再び僕を弄り出した。
そして彼の指は僕の奥へ、さらに奥へと深く沈んでいく。
「でも僕は童貞だ」
「はあ?」
「でも僕は童貞だ」
「いや、だから聞こえてるっつってんだろうが。なんでセクサロイドの癖に未経験なんだよ」
少しの間の後、僕は小さく嘆息した。
端的に答える。
「ご主人は僕を子供扱いした。子供はそういう真似をするべきじゃないと」
「ンだそりゃ。なら普通のアンドロイドを買えばいいのにな」
ご主人の顔を思い出す。
彼女はいつも朗らかに笑っていたが、そういう話題を持ちかける時だけいつも、少しだけ眉をひそめていた。
その横顔もまた、美しかったものだが。
「そう思って、聞いたこともあった。ご主人はいつもはぐらかしていたけれど、一度だけ性交渉が出来ないのは人間じゃないと言っていた」
「なんだ、ご主人ってーのは子供が欲しかったのか?」
「ご主人は話してくれなかったが、そうだと思う。ご主人は子供が出来なかった。そして結局、ご主人は僕に手をつけないまま死んだ」
そうか、と源次郎は言った。
「僕はセクサロイドとして生まれた癖に、有用性を示せないままご主人を死なせてしまったんだ」
一番近くに僕を置いていたというのに、一度も僕を必要としてくれなかった。
そんなご主人の遺言だ。せめて、人間らしく。
「だから、せめて人らしく死ぬのが有用性を示すことに繋がる」
「生まれてから死ぬまで性交渉が出来ない人間だっているのに、考え過ぎじゃないかね」
「源次郎はしたことあるのか」
「当たり前だ」
「今は?」
「とっくに枯れたよ」
「僕が相手してやろうか。男でも大丈夫なように出来ている」
輝かしい提案だと思ったのだが、彼は軽く僕の頭を叩いて強い口調で言ってきた。
「ぶっ飛ばすぞ」
「そのまま殺してくれ」
「殺したら仕事出来ないだろうが」
首筋に冷ややかな感触があった。
彼の指が離れていく。作業を終えたのだ。
「よし、これである程度は力を出せるようになったはずだ」
僕はずれた衣服を整えて、彼に向き直る。
流れた髪を指で掻き揚げて、黒髪の隙間から彼を見やる。
源次郎はそこらの手頃な石や枯れ木に向かって、ひょいっと親指で指した。
「少し試してみろ」
言われるがまま、僕は転がっている石を掴んでみる。
先ほどの重さはどこへやら。僕は石を軽々と持ち上げてしまった。
その羽のような重さに驚愕して物は試しだと、ちょっと力を加えてみる。がごん、と石はそのまま砂へと変貌させてしまった。その様子を見やっていた源次郎は頭を掻いて、ううん、と小さく咳払いした。
「……あー、まぁ小型バイクに戦車の機能を付け加えた感じだな」
「そうか?」
「まぁ、ともかく仕事を手伝えるようになったろう」
ほれ、と源次郎は僕に何かを投げつけた。
反射的に手を翳して取ってみれば、それはクワだった。
初めての手触りと重さに、しばし呆然としてしまう。
「今からお前も仕事しろ。働かざる者食うべからずだったか? それだよ」
彼は短くそう告げると、昼休憩も終わりだと言って畑へと舞い戻っていった。
僕には食料なんて必要ないのだが。