死にたがりの機械人形と老人源次郎
僕は機械人形である。
名前はない。形式番号ならあるが、四十年前、ご主人が死に際に僕のあらゆるデータを消去してしまったのだ。
そして彼女は今際の際に、こう言い残した。
「せめて、人間らしく」
機械人形である僕には難しい話だ。
そう反論するけども、彼女は二度と口を開くことはなかった。
栄枯盛衰とはよくいったもので、人類が衰退して五十年ほどになる。あちこちで都市の残骸は墓標のようにそびえ立っているものの、人の姿はどこにもなかった。時折、野犬か野鳥かの遠吠えが過ぎ去っていくのみである。
人間たちは死に絶えた。
機械人形である僕は生き延びている。
では、人間らしく、とは何か。
それは死ぬことじゃないか。
僕はまだ、それを達成することは叶っていない。
僕が住むビルは超々高層ビルの百七十五階、屋上。大昔は巨大カジノビルのひとつとして栄えた建造物だ。今や巨大なネオンも半壊して、ビルも蔦や埃、瓦礫に埋もれた長物となっているが。
そして真っ赤に燃えた朝焼けを眺めながら、今日もいつも通りに口にする。
「ああ、死にたい」
僕にとっては、おはよう、と同義。
吹きすさぶ風。
照りつける陽光。
健康的に両手を横に大きく広げ、両足を揃えたまま跳躍し、ダイブする。
僕はいつものように自由落下する。鼓膜を塞ぐ荒風と重力の波に乗ったまま、僕はぐんぐん加速度をあげて地上を目指していく。ご主人との約束を叶える為に。
ロボット三原則というものがある。
大昔のSF作家が記した物らしい。
・第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
・第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
・第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
つまり、ロボットは死ぬことを許されていないのである。
まことに勝手な人類の判断のせいで、彼らが消滅した今も僕は生きながらえ続けている。
機体に損傷はなく、至って健全。
飛び降りるという虚しい五千四百三回目の行為も無駄に終わってしまった。それもそうだ。ロボット三原則の第三条。僕は自らが死なないと判断したうえで飛び降りている。
このままでは死ぬことは出来ぬ。どうすれば死ねるというのだろうか、僕の中に答えはない。
と、僕の前に一羽の青い渡り鳥がやってきた。
どうも地面に大の字に転がっている僕を餌と思っているようだ。何度もくちばしで僕の頬を突っついている。
「お前は、どこから来たんだ」
僕はそう訊ねるけれど、渡り鳥は小気味よく首を傾げるだけだ。
「お前は、どこに行くんだ」
続いて僕の瞳を突き始める。柔らかい部分を狙ったのだろうが、人工の瞳は彼のくちばしをカキンと跳ね返すばかりだ。
僕は餌ではないと理解したのだろう。渡り鳥は大きく翼を広げて、ばさっ、ばさっ、と空へ羽ばたいた。
彼は糞を振り落した。べちゃ、と奇妙な音を立てて粘液が僕の鼻にへばりつく。
それでも、じっと渡り鳥が飛び立つ様を眺めていた。
どこに行くのだろう。
彼らは自由と、昔誰かが歌っていた。きっと、そうなのだろう、自由に疲れれば枯れ木や枝を宿にして羽を休め、自分の好きな場所で死に絶える。
もしかしたら、彼らは自らの死に場所を探して飛んでいるのかもしれない。
「……探すのもいいなぁ」
と言うのはわざとで、僕は既に旅に出ることを決意していた。
約七十年ぶりとなるだろう。僕はこの日、久しぶりに朽ちた名もなき都市を後にしたのだった。
名もなき都市から旅をして一年半となる。その間にも色々な物に出会った。延々と竜巻のように渦を描く機械虫たち、人もいないのに音楽を掻き鳴らし続けるアイドルロボット、人がいないのに人に恋したいと願うお掃除ロボット。そんな機械たちやゴミの山々を超えて干ばつした湖の先に、とある家々のど真ん中に小屋を見つけた。
ゴミに囲まれた家々が果てなく連なる中に、綺麗に円形に縁どられた開けた空間。そのど真ん中に鎮座する、ずうずうしい小屋だ。
その小屋から、奇怪な音楽が聞こえてくる。もう古臭くセピア色になってしまった音楽だ。ロック、というのだろう。静けさを打ち払うように激しい音楽と男の絶叫が乱舞している。
僕は小屋へ近寄り、ガチャリと扉を開けてみた。
「うわっ」と声がする。
寂れた中を見やれば、朽ちた女性のポスターや音声器を前にして、ひとりのみすぼらしい姿をした小汚い老人が立っていた。年齢は七十から八十前後だろう。彼は踊っていたのだろうか、上半身裸のまま、両手を天井にあげたポーズで固まっていた。
ご主人が死んでから、久しぶりに対面する人間である。彼は驚愕した表情のまま、口をぽかんと開けている。
「お、お、おい」
老人が声を震わせる。
「お邪魔します」
僕は丁寧に頭を下げた。
「お邪魔しますじゃねえだろ。人の家に入る前にはノックぐらいしろ。何なんだ、お前」
老人は引いていた感情が舞い戻ってきたように、徐々に怒りを現してきた。
「ちょっと僕を殺してくれる人を探していて」
「はあ?」
「ちょっと僕を殺してくれる人を探していて」
「二度も言うな、聞こえている。そこまで老いぼれちゃいねえよ」
と、ここで老人は洋服を羽織りながら片眉をあげた。
じろじろといやらしく僕を見やる。変態だろうか。半裸でひとり踊るなんて変態には違いないだろうが。
「お前、人間じゃねえな」
彼の問いに頷いて「機械人形」と言う。
「少年型のアンドロイドか。また趣味の悪い骨董品が出てきたもんだな。おい、名前は?」
名前がないのでだんまりを決め込んでいると、彼は小さく咳払いした。
「ああ、まず俺が先に名乗るべきか。俺は伊集院源次郎だ。で、お前は?」
「ない」
「は?」
「ない」
「二度も言うな、聞こえている。お前、名前ないのかよ。先に言えよ」
老人は頭を掻きながら、壁際にあるベッドに腰を下ろした。
「随分と久しぶりに人が訊ねてきたと思ったらロボットか」
残念至極、という風に彼はため息を吐いた。
「源次郎は人間か?」
「当たり前だ。心臓も自前だ。所々は付け加えたりしているがな。血も白じゃなくて赤だぞ」
と、彼は自慢げに自分の胸を叩いた。
「で、何でお前は死にたがっているんだ?」
「人間は死ぬものだ」
「いやいや、お前は機械人形だろう」
「違う」
僕は彼の言葉に否定して、これまでの経緯を話した。
約四十年前に死んだご主人の遺言や、生活。そして人として生きるならば、死ななければならないという結論が出たこと。
しかしロボット三原則が邪魔して、それも不可能になっているということ。
「お前のご主人とやらは面倒な言葉を残したな」
源次郎はあくびをしながら、ごろんとベッドに転がった。
「でも俺はお前を殺すなんてしないぞ」
「どうして?」
「人間だからだ。痛いのは嫌だしな」
「でも源次郎は死ぬだろう」
「いずれな」
「……そうか」
と、僕は継いだ。
「なら、僕もここでいずれを待とう」
「そうか。達者で」老人は一度だけこちらに背を向けた後、慌てて振り返った「って、なんでそうなるんだ」
「ここ一年半、殺してくれる者を探していた。でも全部ロボットばかりで僕を殺してくれそうなのはいなかった。自由な人間は、源次郎しか見つからなかったんだ」
自由になるのは、人だけだ。
古来より人を破壊処理してくれるのは、いつだって人なのである。
「僕を殺してくれ、源次郎」
「嫌だね」
「殺してくれたら、どうしてもいい」
「殺したら無意味じゃねえか!」
「そう言うな、源次郎」
「うるさい、俺は忙しいんだ。出ていけ!」
「オ○ニーでもするのか?」
「ジジイに変なこと言うんじゃねえ!」
いきり立つ老人の横に座り、僕は彼が僕を殺してくれるのを待つ。
こうして、僕と老人の生活は始まったのだった。
短く終わらそうと思うのでよろしくお願いします