削り合い
キッキにとって地上は動きやすい。地底世界よりもわずかに重力が軽いからだ。
地上よりも重みが増すドリルを片手に歩き回っていたキッキにとって、今は月面を跳ねる兎の気持ちだった。
真っ赤な目と白い髪、そして恐ろしいほど白い肌が兎という要素を強くしていく。
倒れてきた柱を足場に跳ね上がり、体の半分を火傷におおわれた少年に向かって突撃していく。
少年、氷川露木は足元にある小石を片手で掴める分だけ掴み、キッキに向かって投げていく。
石は全て真っ赤に熱されており、わずかに固体と液体の中間のような柔らかさでキッキに触れようとする。
スイッチを入れて回転させたドリルで溶岩のような小石を弾き、体を回転させて靴底を氷川露木に向ける。
空中キックをしてくるキッキの靴底を手の平で受け止めて氷川露木はニヤリと笑う。
しかしすぐに手放すことになる。もう片方の足が回し蹴りのように迫って氷川露木の顔面を陥没させようとしたからだ。
地面に着地したキッキは掴まれた靴底を地面に叩いて確認する。少しの熱と仕込んでいた鉄板が溶けているような感覚。
氷川露木の実力を確認しようとキッキはさらに距離を詰め始める。氷川露木は挑んてくる相手の闘志に反応して笑みを深くしていく。
駅のホームでいきなり繰り広げられる少年バトルに、仁寅律音は冷たい目をして眺めていた。
まずはどうして地底人で地上に出られないはずのキッキが地上に出てきているのかということ。
そして謎の少年が駅崩壊の原因なのはわかるが、その理由や経緯が全くつかめないこと。
地底遊園地のロボット達がなぜか仁寅律音にバトルを眺めていてほしいと頼んできたこと。
全てが不可解だった。仁寅律音としては利益のない事件には付き合いたくないのだ。
それを無視するかのように紅茶をこぼしまくっている帽子屋が近づいて、声をかけてくる。
<あの少年のこと、どう思います?>
「…どうでもいい。というか、なんでキッキくんがここにいるの?雨とはいえ紫外線は雲を突き抜けてくるよ」
キッキの白い髪や赤い目は染色体の欠損による遺伝体質である。そのため日の光を浴びると通常なら防げる紫外線を防げない体質なのだ。
夜や夕方ではまだ地上に出られるとはいえ、視力も弱い上にあまり長居しては体にもよくないはず。
だからこそ地底人としていつもは地底遊園地を切り盛りしている。今は兄と一緒に幸せに活動しているはずである。
<実は線路が謎の溶解により補充部品が欲しいと中央エリア駅管理室から相談受けまして、オーナーは部品交渉や修繕のために地上へ>
「…ふーん」
<とりあえず紫外線も防ぐ雨具をつけてはおりますが、貴方が思う通り長居はできないでしょう。なので貴方に解決策を導き出してほしいのです!!!>
「は?」
<貴方の策略や観察眼は地底遊園地で実証済みですから☆恨むなら過去の自分の有能さを恨んでくださいな、ぶっはははは!!>
通気口から風を吹き出してついでに紅茶も吹き出す帽子屋から少し距離を取る仁寅律音。
確かに過去において地底遊園地、仕掛けられた嘘をいくつか看破した覚えがある。
Dルームの謎や火山の映像を流す床の装置、他にもいくつかあったと仁寅律音は思い出すのが億劫になった。
それで事件に巻き込まれるとは思わず、確かに過去の行いを恨みたい気持ちで一杯だ。
なので一刻も早く解放されるために仁寅律音は火傷の少年を見つめる。
まずは手の平で触れた物質を溶かすことができるということだ。
本人は火鼠小僧とかなんとか言っていたが、単純に炎の仕業とは思えなかった。
ならば石をも溶かす能力とは何だろうか。仁寅律音が辿り着くのは熱という単語だ。
体温、気温、溶解温度、沸騰、あらゆる物には熱が宿り、熱によって液体や固体といった変化を見せるのが物質だ。
しかし熱というのは熱いだけではない。冷たい、氷、零度以下も一種の熱である。
つまりは熱を物質に与える能力、今は溶かすという高温しか操ってないが、もしかしたら低温も操れるかもしれない。
そこまで考えて仁寅律音は一つの危険性が思い浮かんだ。それはテレビでよくやる実験番組で見た現象も引き出してくる。
氷漬けになった物は壊れやすい、薔薇が凍って砕け散るという現象だ。
キッキの持ってるドリルは地底火山にも耐えうる強度があるのだろう。
だからこそ相手にも果敢に近付いて攻撃をしている。だけど氷にはどうだろうか。
「キッキくん!一旦離れ…」
「え?」
「火鼠小僧なんて…氷川露木という名前には似合わないけど、能力的には合っているということだ!!」
氷川露木は地面に手の平をくっつける。するとそこから線路に敷き詰められていた砂利が凍り始める。
砂利を伝って川が流れるように氷が広がっていく。それはあらゆる物を氷漬けにしていく。
キッキが一歩後ずさるが、タイミングが遅かったせいで氷に足を絡め取られる。
靴底に触れた氷はキッキの体を這い上がってくる。そして腰までを氷漬けにしてしまう。
あまりの冷たさに腰から下の感覚が消失する。痛みすらも凍りついたかのように麻痺する。
白い息がキッキの口から零れ出る。ドリルで氷を砕こうにも指先も冷たさで痺れて感覚が鈍っている。
氷から抜け出そうと動かそうとした矢先、仁寅律音がきつい口調で動くなと言う。
「皮膚を氷漬けにするなんて、壊死している可能性がある!!下手に動くと簡単に千切れて体が真っ二つだよ!」
キッキはその言葉で顔を青ざめていく。火や岩の扱い方は熟知していても、氷の扱い方はあまり知らないのだ。
もちろん仁寅律音も氷漬けにされたからといって、そう簡単に体が千切れるとは思えない。壊死も可能性の一部だ。
それでも最悪を回避するには、最悪を知る必要がある。でなければ取り返しがつかないからだ。
氷川露木は肩を上下させつつも立ち上がってキッキを見据える。額から零れ落ちる汗を拭うため手の甲で落ちてくる滴を拭う。
拭った後は手の平で頭を押さえる。まるでひどい頭痛が襲ってくる人の格好に似ていた。
「っ…ここまでか。せっかく千紘を倒した野郎を探そうと大暴れしたってのによぉ」
「…!?」
「ま、楽しかったから氷くらいは溶かしてやるよ」
仁寅律音は千紘という名前を知らないが、倒した野郎という単語で一人該当する人物が思い当たる。
音の能力者を倒したという、雷を扱う未来から来た人間兵器の豊穣雷冠。
つまり目的は豊穣雷冠を探し出すことだったのだ。それだけのために氷川露木は交通網を乱した上に多大な被害を出したのだ。
氷川露木は凍り付いた地面に改めて触れる。すると急速に氷が溶けて蒸発し、白い気体となって辺り一面を見えなくする。
蒸気が消えて周囲を確認できる頃には氷川露木の姿は消えていた。キッキは走ろうとしてその場に倒れる。
氷は溶けていたが凍傷によって皮膚は真っ赤に染まり、火傷のような熱さと痛みが襲っていた。
まともに動ける状態ではない。ゴーレムのレムが急いでキッキを抱えてピエロの指示に従って医療室へと運んでいく。
フローゼは眺めていた利用客に事情説明などをして別の運行機関を案内している。
ドードー鳥とチェシャ猫はいつの間にか姿を消しており、帽子屋だけが暢気に茶をこぼし続けていた。
仁寅律音は少し考える仕草をしたが、もう疲れたからとバスを使って西エリアの自宅に帰ると決断した。
バスは長蛇の列ができるであろうが、好都合だ。待ち時間の間にメールで各エリアの知り合いに連絡と確認をとる。
厄介事に自分だけが巻き込まれるのは嫌だという、利己的な考えの元で仁寅律音は報告、連絡、相談、のホウレンソウをするのだった。
能力というのは脳力だと氷川露木は聞いた覚えがある。
脳には電子信号や空間把握能力に体温操作などあらゆることを管轄しているコンピュータである。
例えば体温以上の熱が操れるとしたら、空間把握能力を混乱させて移動できたら、電子信号を増幅させて電流が出せるとしたら。
そうやって脳の研究をしていた場所がある。違法で人身売買も行うような怪しい場所だ。
しかし脳の酷使は人格や体力を削っていく。最終的に心が崩壊を起こすのが殆どである。
氷川露木の火傷は心が崩壊寸前で起きた事故による産物である。生きたくなくて、手の平からしか出せない熱で皮膚を焼いた。
大量の水分消失と痛みによるショックで死ねると思ったが、思いの外自分の体は頑丈で死ぬことはなかった。
体半分を焼いても死ねず、真っ白な四角い部屋で、同じくらい真っ白な椅子と拘束具で自由さえ奪われた。
確か家族と一緒に海で遊んでいただけなのに、気付いたら不審な研究所の中で能力者研究という題目による実験の材料にされていた。
最初は泣いていた気がする。途中からは死にたくて死にたくてたまらなかった。けど最終的に薄ら笑いを浮かべていた。
それが余裕の笑みなのか、壊れた笑みなのか、氷川露木には判別できる理性はなかった。
研究所の実験で熱操作であらゆる物を、者を、壊して盗んで溶かして凍らせて殺して死なせて…飽きていた。
氷川露木はある程度育って自分の能力が自由に操れる時点で、研究に付き合うことに飽きていた。
誰も自分の前に立ち塞がる力がなく、誰も自分の隣に立つ気概がない。誰も自分に能力以上のことを求めない。
家族が自分を見つけてくれるという希望なんてとうに諦めていて、どうすれば自由になれるかという欲望だけが渦巻いていた。
そんな時に氷川露木を連れ出そうと研究所を壊した青年がいた。青年はスケッチブックを持った少女と一緒に竜に乗っていた。
絵本に出てくるような、四足で翼もある西洋竜。ふざけた話だと氷川露木は思ったが、目の前で見たことを否定する言葉は出てこなかった。
気まぐれと自由が手に入るということから、氷川露木は青年について行くことを決めた。
青年はどこから来たかも、どんな目的で能力者の子供を集めているか、一切を話さなかった。
しかし青年の元では自由だった。制限するものなど何もなく、氷川露木は気侭に過ごすことができた。
子供は増えて、予言する少女、音を操る少年、姿を透明にする少年がやってきた。
氷川露木にとって彼らは仲間ではない。青年に連れてこられた知り合い程度だ。
そして不服だった。同じ能力者なのに、誰も氷川露木に勝てそうにない貧弱ばかりだった。
音波千紘なら少しは手応えあるかもしれないと考えていたが、性格が気に食わなかったし、音波千紘はなぜか氷川露木達を家族と公言していた。
家族は殺せないと言うもんだから、氷川露木の闘志は燻って煙が立ち上り続けていた。
でもその音波千紘を倒した奴がいる。そいつなら燻った闘志を燃え上がらせてくれるかもしれない。
氷川露木はただ自分のためだけに行動していた。自分と向かい合って戦えるような相手を見つけるために。
とりあえず今日は帰ろうと秘密のホームである、中央エリアにある廃ビルの中に入る。
能力の使いすぎて頭が痛かった氷川露木は注意力散漫だった。だからミスを犯した。
空中から氷川露木を追いかけていた鳥のロボットと、堂々と真後ろを追尾していた透明になった猫のことを。