痕跡把握
皆川万結は祖母の葉桜哉子と一緒に、ある病室へと足を運ぶ。
静かな風が窓から流れ込んで白いカーテンを揺らしている。少し湿った空気が土の匂いを運んでくる。
そろそろ夏が近いと感じる皆川万結は今日はお気に入りのワンピースに半袖パーカー、そしてプレゼントで貰った桃色のデジタルカメラをネックストラップで首から下げている。
病室には多くの機械で正常な脈拍や脳波を計測する機械が置かれており、ベットの上には眠り続ける人物が一人。
今も健やかな寝息を続けているが、こうやって十年ほど目覚めてない。皆川万結が生まれる前から眠り続けている。
葉桜哉子は病室にある花瓶を手にする。持ってきた花束を生けようとしたが、水が入ってないのに気付いて、皆川万結に病室の留守番を頼んで小走りで出て行く。
暇になった皆川万結は目の前で寝ている人物を眺めるが、途中で飽きたので瞬きして壁の方に目をやる。
すると壁の前に一枚の写真が空中に現れて床に落ちていく。白い壁や床では目立つような写真は好奇心を擽るには十分だった。
皆川万結はすぐさま写真を手にして眺める。未来の日付が刻印された、金色の東洋龍が1と0でできた鱗を剥がれ落としながらも天に昇っていく勇ましい姿だ。
絵心太夫は中央エリアを目的を持って歩いていた。父に頼まれた少女探しは今では二番目の目的だ。
大事にしているゴーグルを優しく触りながら、誰もが通り過ぎていくような裏路地を進んで、猫すら近づかない空き地を通り越す。
そして辿り着くのは人の気配が皆無の売り飛ばされた土地だ。平で露出した地面はビル風が吹いても土埃すらたたない。
当たりだと判断した絵心太夫は何もないはずの土地に向かって歩き出し、そして何かにぶつかる。
腕を伸ばして手の平の感覚で探っていけば不可視の家壁があるようだと推測できた。その壁に軽くノックして挨拶をする。
「こんにちは。魔法使いさんに用があるんだけど、誰かいる?」
返答は帰ってこない。代わりに肌を焼くような熱さを間近に感じ取って、絵心太夫は慌てて後退る。
姿を消していた氷川露木が獲物を見つけたと言わんばかりに嬉々として襲い掛かってきたのだ。
絵心太夫は重力を操れるが、それは自分自身と触れた物限定である。熱を抑えるや葛西神楽のように無効化するような能力ではないので相性どころの騒ぎではない。
しかし絵心太夫は両手を顔横に上げてホールドアップの姿勢をとる。敵意はないと表示した。
氷川露木はお構いなしに攻撃を続けようとした矢先、見えない家の中から毛布にくるまったツインテールの少女が現れる。
ツインテールの少女、神崎伊予は短く氷川露木に制止の声をかけ、動きが止まったのを確認してから絵心太夫を手招く。
不服そうな氷川露木を無視して神崎伊予に誘われるがまま絵心太夫は後をついて行く。ある一定の境界線から目の前に木造建築数十年といった家の内装を視覚として捉えられた。
玄関口に置かれていた靴はそんなに多くなかった。何人か出かけていることは容易にくみ取れ、絵心太夫は好都合だと感じた。
神崎伊予はちゃぶ台の置かれたリビングに案内し終えた後、部屋の隅で丸くなる。明らかに好意的でない視線が絵心太夫に突き刺さる。
試しに密かにヒーローとして練習していたウィンクを飛ばすが、鼻で笑われたので絵心太夫はそれ以上のコミニュケーションを諦めた。
少しの時間経過後、無表情のマーリンと両手にジュース缶を持った不機嫌な氷川露木が現れる。
ちゃぶ台にジュース缶を荒々しく置いて氷川露木は外へと出かけていく。絵心太夫が目の前に置かれた缶を触ればほんのり温かい。
冷たくて爽やかを売りとするジュース缶を能力を使って温めたらしい。地味な嫌がらせに絵心太夫は顔色一つ変えずにプルトップを開けて一口飲む。
生温い感触に顔を顰めそうになっている絵心太夫のジュース缶とは反対に、マーリンの手の中にあるジュース缶は表面に気温差でできる滴が零れている。
プルトップを開けた時には炭酸特有の音と爽やかな冷気を鼻が感じ取る。どうやら片方を温めつつ、もう片方は能力で冷たくしていたらしい。
その様子から氷川露木はマーリンのことを嫌っていないように見えると絵心太夫は感じた。
マーリンは一口ジュースを口に含んで飲み下す。そして改めて絵心太夫に視線を向けた。
「久しぶりだな、相変わらず馬鹿そうな面だ」
「そちらも相変わらず素っ気ない態度ですね。昔はありがとうございました」
珍しく敬語を使う絵心太夫はマーリンに向かって頭を下げる。相手は命の恩人である。
神崎伊予は目を丸くしているが二人の会話には挟み込まず、寡黙なまま観察をしていた。
「一体何の用だ。俺とお前は今では敵のようなものだろう」
「俺はそう思わないです。俺の周囲は馬鹿が多いから、今だって皆救えないかと奔走している。物語の主人公のように」
「……」
「主人公を探している、という貴方の言葉から俺はヒーローを目指しました。そして本当に主人公のような奴にも出会いました」
「それで?」
絵心太夫の言葉を短く斬ろうとするマーリンの態度にもめげず、絵心太夫は不敵な笑顔で言葉を続ける。
命の恩人である目の前の青年の言葉通り動いて来た。それゆえにわかったことがあり、わからなくなったことがある。
絵心太夫は優秀だ。誰も見つけられなかった魔法使いたちのアジトを自力で探し出すことができるほどに。
行動力も備わり、知識も豊富、少々突飛な言動や行動に目を瞑れば素晴らしい人材だ。それでヒーローにはなれるだろう。
しかしタイミングか、素質か、それとも別の要因か。絵心太夫は主人公にはなれていない。それでも主人公のような少年に出会っている。
そこから発生する不可解なことを追求しに、絵心太夫は単身で魔法使いの元を訪ねた。
「貴方が探している主人公は、どこですか?」
物語の数ほど、事件の数だけ、騒動の多さで、主人公は生まれる。公の主な視点とした人物こそが主人公である。
もちろんそれだけが要因ではないと絵心太夫は理解している。主人公の友や敵といった視点の物語もある。
それでも世の中に主人公は一人ではない。もしかしたら人ではないかもしれないが、それでも単位として一ではない。
ではマーリンはなぜまだ主人公を探し続けているのか。そして弟子達を集めた理由とは。
あらゆる推測と思考を重ねていき、短い出会いの中からマーリンという人間を割り出し、そして辿り着いた答え。
マーリンの求める主人公は特定人物、そして相手は魔法使いの弟子達の力を借りて騒動を起こさなければ近付けない相手。
つまりは危険を冒さなければいけない、騒動を起こして誰かの目をひきつけなければいけない場所に存在している。
そこまでしてしなければ会えない相手は誰か。そしてどこにいるか。その二つを含めた質問を絵心太夫はしたつもりだった。
しかしマーリンは感情の変わらない瞳で冷淡に告げる。
「お前には関係のない話だ」
そこで話は終わったように見えた。絵心太夫が笑みと共に浮かべた言葉がなければ。
「青い血が関与しているから、ですか?」
マーリンは驚きのあまり否定の言葉が咄嗟に出てこなかった。
それは逆を言えば肯定の証。初めて聞く単語に神崎伊予は初めて絵心太夫に興味を示した。
一つの賭けが上手くいったと感じながら絵心太夫は言葉を重ねていく。
「社会を揺るがして誰かの視線を動かしたい。しかもただの事件では意味がない、能力者達を動かさなければいけないほどの揺るぎ」
「っ……」
「俺の経験では強大な力を持つのは二つの存在。六人の魔女と青い血。魔女は世界を動かせるが社会には興味ないらしい」
「そ、れは」
「ならば世界自体に興味はないが社会が揺らげば注目する強大な存在、それは青い血。確か会話の端々から推測するに十三人の血族という話」
絵心太夫は敬語を忘れて自分でも興奮気味に言葉を連ねていく。
実は小さくハッタリや嘘も混ぜているがそこは勢いで追及を誤魔化していく。
主導権を握った今しかマーリンの弱点を突けない。そう感じていたからこそ止まるわけにはいかなかった。
この会話が魔法使いの弟子達を助けるものでも、マーリンを助けるものでもないことは絵心太夫は最低限理解していた。
絵心太夫は自分の我儘で相手を追い詰めているに過ぎない。しかし反面でお決まりの言葉でいえばフラグを感じ取っていた。
今後に繋がるための目印旗のような、見えないはずだが見えると錯覚するほど強い予感を。
「俺が知っている範囲では二人。青頭千里とジョージ・ブルース、青頭千里は今までの行動から俺達を利と見なしている。ならば不利になることはしない」
「……」
「ならば残るは、俺達を害と見なしていて嘲笑うためなら手段を選ばない、二番目のジョージ・ブルースが関与しているとまでは推理した」
かつて地底遊園地で青い血の騒動が多くの子供達を巻き込んだ。絶望と恐怖で狂わせようと笑う声が今でも耳にこびりついている。
青頭千里に関して絵心太夫はこちらを利用することはあっても、破滅させようや陥れようとは行動していなかった。
むしろ自分の利益に繋がるように行動して好意を見せるような態度も取っている。ただし遥か高みから人間が蟻に情けをかけるような好意だったが。
ジョージ・ブルースはその逆だ。むしろ青頭千里に対抗しようとしてそう行動しているようにも見えるが。
自分にデメリットが発生したとしても相手を地獄の底まで叩き落とせるなら上々と、高笑いして悦に入るような存在だ。
今回の事件には青頭千里は関与していないが、それでも竜宮健斗達が救おうと行動している所を邪魔するようには思えない。
むしろ青頭千里の目的の一つに能力者が関わっているようにも絵心太夫は僅かながら感じ取っていた。
未来世界まで話がこんがらがったアダムスの事件がいい例だ。あの時青頭千里は積極的に竜宮健斗達に接触していた。
そこまでしてくれるのかと思うほどの世話は、絵心太夫が違和感を汲み取る程度には頻繁だった。
だからこそ魔法使いの弟子達の事件に関わってないとはいえ、彼らを損なうような、マーリンが死ぬ前提で動いている目的を持っているようには思えない。
他にも青い血の血族がいたとしても竜宮健斗達に一切触れてない、もしくは近くに存在して知らずに会話をしているかもしれないが、マーリンが社会を揺るがす原因には思えなかった。
ならば残りの十一人の可能性は排除しても構わない。残ったのは最も矮小ながら悪意に満ちた青い血の人外、ジョージ・ブルースだけである。
「ジョージ・ブルースはシステムエッグを持っている。最高に最悪な演算装置を」
消失文明という存在をあらゆる歴史から抹消し、地底世界を滅亡に導いた高度な機械。
六人の魔女が手を加えた世界を揺るがしかねない可能性を持つ、インペリアルエッグのような宝飾品の外見をした悪夢。
それ自体に意思はない。全ては使う者だけが何を望み、何を欲するかだけ。システムエッグはそれに応えるだけだ。
「もう一度聞こう、魔法使い。命の恩人よ。貴殿が探している主人公は、どこにいる?」
いつも通りの聞いている方がうんざりするような口調に、少しだけ刀の斬れ味に似た凄みを入れて絵心太夫は問いかける。
「……瑛太」
魔法使いの青年、マーリンから返ってきた言葉は誰かに指示するような名指し。
絵心太夫がその名前の意味に気付く前に透明な姿で待機していた駿河瑛太が、絵心太夫の服の首元を掴む。
驚きで抵抗することを忘れた絵心太夫を子供の腕力でなんとか引き摺り、玄関口から追い出す。
見えない扉が閉まった音が耳に届き、道路の上に座って放心していた絵心太夫は肩から力を抜いて呟く。
「うむ、やはり誤魔化されたか」
追い出されるだろうと予想していた絵心太夫は思いの外優しい閉め出しに驚いていただけで、マーリンに拒絶されたことは驚いていない。
むしろマーリンは誰も受け入れているようには見えなかった。本当に必要な要素だけを集めて継ぎ接ぎする作業に似た荒業。
魔法使いが鍋に怪しい薬草や蜥蜴の干物を入れて魔法薬を作るようだと絵心太夫は相変わらず不思議な脳内変換を行っていた。
透明な家は絵心太夫には見えていない。目の前には空き地が広がっている。そして先程の駿河瑛太の能力。
絵心太夫はそこまで体験して、駿河瑛太の能力の範囲の広さを確認する。自分の姿や仲間だけでなく、建物一つ視界から消してしまう力。
もう一つは火鼠小僧と呼ばれる氷川露木の能力。そちらに関してはほぼ予想通りで変わらない。
最後に接触した神崎伊予は残念ながら警戒された上に、求道哲也の話では予知ということで想像に任せるしかない。
そして弟子は他に二人。音波千紘に関しては竜宮健斗達が体験している。最後は絵心太夫が父親に頼まれて探している彩筆晶子。
彩筆晶子は実際に目の前で竜が具現化したのを確認、さらに捨てた両親から事情や能力の範囲も聞き及んでいる。
道路の上で尻餅突きながら絵心太夫はそこまで魔法使いの弟子達の能力を把握した。ほぼ正確な弟子達の実力を理解した。
「あとは遊園地で才能を開花させた少女の写真を頼りに、作戦を練り上げる、か」
ヒーローは時には一人で戦い、時には仲間を頼る。それが絵心太夫が修得したヒーローの項目。
主人公になろうとして、なれなかった少年はそこで諦めたりはしなかった。
仲間ができた、友達ができた、助けたい少女ができた、倒さなければいけない悪を見つけた。
途方もない状況の中で絵心太夫は不敵に微笑む。映画のヒーローが危機的場面の中でも笑うような力強い表情。
「俺の知っている主人公は、全部救うらしいからな。ヒーローはそれに応えるべきだろう」
透明な家の中の二階。畳だけの簡素な部屋の中。彩筆晶子はひたすら色鉛筆を紙の上に走らせている。
主に水色を使い、透明感を出すために光の色となる黄色や橙色も使って何十枚にも繋がる巨大な城を描いていく。
水晶の城が強固な壁となって押し寄せてくる兵隊を拒み、尖塔の上には同じく水晶の体を持った西洋竜が敵を睨みつけている。
城の門はどう足掻いても開かないかのように頑丈に閉まっている。外部だけではなく内部の人間も出れないほど固い。
畳は広げられた画用紙によって姿を隠しており、そのわずかな隙間の上に音波千紘は座って眺めていた。
一心不乱に絵を描いていく彩筆晶子は盲目的に没頭していく。集中しすぎて音すら聞こえていないようだ。
と言っても普通の状態でいても、先程までの一階で繰り広げられていた会話は聞こえていないだろう。音波千紘は能力を使って盗み聞きはしていたが。
マーリンが本当に救いたい正体。主人公、しかも特定の人物を示すであろうキーワード。そのために集められた子供達。
自分達が事件を起こしてマーリンが死ぬ覚悟で挑む作戦のキーマン、それは一体どんな人物であろうかと、音波千紘の好奇心が疼く。
しかし疼いたところでマーリンはこれ以上説明をする気はなさそうだし、気にしている暇もなくなるだろうと諦める。
音波千紘は他の子供達よりも少し冷静な目で物事を眺めていた。他の子供達にとってマーリンは一番かもしれないが、ナルシストの音波千紘にとって一番は自分だ。
そんな一番の自分を必要としてくれるマーリンを気に入っており、二番ではなく一番に近い存在としては見ている。
いなくなったら衝撃は受けるだろう。でも母親が死んだ時よりはショックを受けない気がしていた。
問題は他の子供達だ。能力で繋がった家族や兄弟によく似た関係の弟子達。一丸となって事件を起こそうとしている。
連携というよりは連帯。死なば諸共、という空気を音波千紘は感じ取っていた。そしてそれは間違ってないという確信もあった。
しかし死ぬなら一緒でも悪くないかと音波千紘は考えている。一緒に母親と死ぬはずが、一人生き残って偶然に魔法使いに拾われた。
そんな人生だった。なら誰かと死ぬのも悪くない、むしろ寂しくないかもしれない。一人死ぬより、全員で死ぬ。
自分を一番愛している音波千紘は、一人で寂しく死ぬのが嫌でそんな馬鹿なことを真剣に考えていた。
「とりあえず写真は三枚、つまり三つの出来事が確定しているわけ」
瀬戸海里はいまだに事情把握できていない竜宮健斗のために一から説明をしていた。
最初の異変は皆川万結の百%の未来を映し出す四枚の写真。その内三枚が同じ日付である。
もう一枚は少し先の時間、なぜか崋山優香がバットを振りかざしている凶悪な写真で、崋山優香がその写真を信じられないといった面持ちで眺めている。
瀬戸海里はとりあえずその写真は後回しにした。崋山優香がバットを振りかざす事態、というのはあまり深刻そうに捉えられなかったからだ。
いざとなれば自分達で振りかざした先にバットが当たる前に止めればいい。残るは三枚の写真。
コンクリートの道路がマグマのように赤く溶ける風景。
結晶の城が街中に建造され、竜が咆哮を上げる事件現場。
ニャルカさんのお面が砕け散って、血が広がる地面の上に転がる。
相川聡史はこの三枚の写真を見た時、なにこの絶望感と思わずツッコミをいれてしまっている。
なので目の前で写真を眺めている竜宮健斗にも同じ感想を抱いてほしいと密かに願っている。
「まー、地底遊園地とかでも巨大ロボットとかあったし、なんとかなるだろうな」
「だよな、ばかやろぉおおおおおおおお!!!」
残念ながら竜宮健斗の人生経験値は相川聡史より多めに蓄えられえていたらしい。
あっさりと解決できるだろうと見込みを入れた言葉に、相川聡史は同意か曖昧な叫びを口から発していた。
ちなみに巨大ロボットことシルバーメタリックドラゴンに関しては瀬戸海里や鞍馬蓮実、崋山優香も経験済みだが竜宮健斗のように楽観視はしていない。
なので内心は相川聡史と同意見なのだが、表向きのツッコミは相川聡史が無意識ながら率先的に行ってくれるので、それでほぼ満たされていた。
今はとにかく竜宮健斗の脳内に状況を把握させ、どのように対策をしていくのが優先である。
「コンクリートが溶ける能力っていうと…」
「多分律音くんが会ったという火鼠小僧の氷川露木って子かな……熱を操るから氷も作れるらしいよ」
「結晶の城って……」
「太夫が探してる女の子だろ。絵が具現化するとかなんとか…先日の中央エリアの竜もそいつの仕業みたいだし」
「ニャルカさんはきっと……瑛太だ」
最後の一つだけ確信を持って呟く。かつての友人が今身に着けているニャルカさんというキャラクターのお面。
その写真は血が広がっている。ニャルカさんのお面は砕けていて、誰の血かわからない上に何が起こったのかもわからない。
予想するなら駿河瑛太の身に何かしらの不幸が襲い掛かった拍子にお面が砕け、血が広がったというのが有力だ。
しかし写真の上からではその血が誰のものかすらわからない。もしかしたら他の弟子かもしれない。
「確か他にも二人いるんよ?一人は誰も見たことない予言の弟子なはずなんよ」
「そうだね。あと健斗くん達が出会ったていう音の子も気になるよね…」
瀬戸海里と鞍馬蓮実は竜宮健斗が把握している最中も推理を進めていく。
三枚の写真で能力の気配は知ることができる。だが正確にそこに当人がいることまでは把握できていない。
写真には人物が一切映っていないのだ。風景写真や事故写真のように痕跡だけを残している。
さらに言うなら事件の痕跡だけが見えて、場所の特定ができないのだ。
NYRONで起きると仮定したとしても、五つのエリアを電車で行き来する構造の街である。全てを二十人弱の子供でくまなく見張るのは難しい。
大人の力も借りれば少し楽になるかもしれないが、事が大きすぎて大人達では理解し切れてもらえない可能性が肥大している。
結局はこんな異常事態に慣れた自分たちで解決するしかないと、腹を括るしか結果は残ってなかった。
「ケン、全部救いたいの?」
「応。じゃなきゃ俺は、今までの俺を否定しなきゃいけないからな」
全部救おうとして行動してきた過去。大切な友人であるセイロンと別れたのもその意思があったからだ。
もし今ここで全部救わないといえば、セイロンと離別した過去を蔑ろにしたことになる。それだけは馬鹿な竜宮健斗でもわかった。
間違えない、間違いたくない、そうやって竜宮健斗は生きてきた。だから今回のことも無茶でもいいから叶えたかった。
しかし正解ばかりは選べない。もし竜宮健斗が本当に間違えない人間だったら、あり得ない仮定だとしても、心に傷は負わない。
竜宮健斗の心は傷だらけだ。クラリスの死、セイロンとの別れ、他にもどうしようもなかった話が沢山ある。
それでも走ってきたのだ。そして走り続けなければいけない。
崋山優香はそんな竜宮健斗を見守り続けてきた。その度に思うのは非力な自分。
アニマルデータも能力もなにもない、普通の少女でしかない自分。なにもかもがどこにでも転がっている要素しかない。
だけど竜宮健斗の幼馴染という位置は自分しか持っていない。だからこそ力になりたい。
崋山優香はそこまで考えてなにか打開策がないかと思案するが、残念ながら思い浮かばなかった。
「とりあえず怪我人確定のニャルカお面のとこだけでも場所の確定と人員決めたらいいんじゃねぇか?」
「聡史……でも誰が良いのか……」
「いるだろ、便利な能力持ちで医者志望の奴」
そこで思い浮かぶのはかつては敵、今は味方の美少女。ただし性格はややガサツ。
細胞に直接命令を叩きこむことで、起きる兆しのなかった病人を目覚めさせることができる能力を持つ。
昔病弱だったことから医者になって同じように苦しむ人々を救おうと勉強をしている者が近くにいた。
「じゃあ悠真くんも同行させよう。きっと張り切ってくれると思うから」
「そうなんよー。太郎も和み要員としていれるのはどうなんよ?」
「そういえば…この血が広がっている場所って道路……だよね?って、あれ……」
崋山優香は血が怖くて細かいところまで見ていなかった写真の違和感に気付く。
血が広がっているせいか光の反射か、液体鏡のように僅かに血の表面に映る風景。
色までは判別できなかったが、特徴的な花が映っている。瓶に刺さるカーネーションの束。それも花束と言えそうなほど大量の。
おそらく事故があったために飾った花なのだろうが、それにしても一種類でこれだけの量は目立つに違いない。
崋山優香は花に詳しいであろう筋金太郎に、最近カーネーションを大量に買った人がいないか電話で尋ねることにした。
その間に他の二枚の内、結晶の城の写真を相川聡史は眺める。ライトアップで輝いていることと、空の色から夜のようではある。
先程の血のように結晶の表面に風景が映ってないかと注視したが、何も映っていない。ただしわずかに結晶の構造でおかしいところを見つける。
城壁の一部が不自然に突き出ているのだ。まるで板が壁から生えているかのように。そこまで思考を進めて、引っ掛かりを感じる。
板が壁から生えることはない。では板が壁に刺さっている事態だとしたらどうだろうか。内部から外部に中途半端に飛び出たとしたら。
そういえば最近の派手な事件のニュースで観衆が携帯カメラに収めていた画像で似たようなのがあったはずだ、と思い出すことに集中する。
竜が出てきて崩壊したビル、その一部に崩壊する前にドアらしき板が突き出ていたはずだと。
「よし!わかったぁ!!」
相川聡史は写真の場所が判明したことに、一人ガッツポーズをした。
その横では道路の跡形すら残ってないマグマが流れる写真を見ている瀬戸海里と鞍馬蓮実。
背景は暗く、街灯も電気がついていないが、マグマの熱による明るさでわずかに光源が確保できている惨状。
空の色は暗いことからこちらも夜だということは理解できていた。しかしそれにしても暗すぎるほどである。
「これって…停電していると思うんよ」
「あ、そうか。でも電柱は少し溶けてるくらいで電線は無事そうに……」
瀬戸海里は電柱の貼り紙を見る。と言っても年月が経ちすぎてぼろぼろになった紙である。
この紙を瀬戸海里はつい最近見ている。今までは意識していなかったが、意識せざるを得ない事態があった。
それくらいありふれた貼り紙だ。行方不明の子供の写真を載せた、捜索願いのチラシだ。
電柱が熱で溶けて光源となっていたのが幸いした。かすかに見えた貼り紙は小さな手かがりだった。
しかしこの貼り紙はNYRON中に貼られていたはず。他になにかないかと目を凝らして眺める。
「雪がないから北じゃないと思うんよ!溶けたとしても痕跡がなさすぎるんよ」
「確かに。溶けたら蒸気として残りそうだけど、ないからね。あと四つ……」
「これ東エリアだと思う。ほら、ここ」
横から写真を覗いて来た竜宮健斗はある一点を指差す。それは遠くの停電していない場所。
学校の時計がライトアップされている。それは通い慣れた竜宮健斗からすれば間違いようのない、母校の小学校の姿。
写真の時間とずれている時計の姿を見て、竜宮健斗はおかしそうに吹き出す。
「うちの学校の時計さ、近くで停電があるたびに狂うんだよ」
それは通い慣れている生徒しかわからない情報。瀬戸海里達では掴み切れなかった証拠。
東エリアの竜宮健斗が通う小学校が見える範囲、貼り紙がある電柱を探せばこの写真の場所も特定できる。
三枚目の場所把握できたと同時に崋山優香が筋金太郎との電話で血が広がる写真の場所もわかったと告げた。
「南エリアの事故で親子が巻き込まれて以来、大量の白いカーネーションを買うお客様がいるって…」
「これで全部わかった。あとはどう配置していくかだけど…」
「健斗さーん」
少し遠くから聞こえた声は布動俊介が呼びかけたものだった。
いつも通りの六人で少し慌てたように竜宮健斗に近づいてくる。大切なことを告げるために。
それはもう一人、皆川万結よりも広い未来を見ることができる少女が布動俊介に託したお願い。
最後の重要な、魔法使いの計画を壊す、と同時に魔法使いを生存させるために必要な情報が舞い込んできたのだ。