集結と喪失
楓と柊はクラカの指示のもと、柊は玄武明良を小脇に抱えて、楓は絵心太夫を呼びに雪道の上を走っていた。
文句を大声で言い続ける玄武明良を抱える柊を追いかけるのはクラカと扇動美鈴。向かうは中央エリアへと向かう電車が出入りする北エリア駅。
なんでこんな状況になっているかわからない扇動美鈴はとりあえずノートパソコンだけをリュックに入れて走っている。薄型の最新式とはいえ、ノートパソコンは重い。
寒さによって吐き出される熱を持った吐息が白くなるのを横目で見ながら、扇動美鈴は視線だけクラカに投げる。
柊と楓はアンロボットいう生まれから基本人の言うことを聞く。優先度としては扇動美鈴、クラカ、その他の順である。そして今、玄武明良の命令を柊は無視している。
命令というよりは罵詈雑言を頭脳明晰な人物があらゆる辞書から引き出したような暴言なのだが、柊は一切聞く耳を持っていない。
つまりは玄武明良より上の命令優先度によって動いていることになる。扇動美鈴に思い当たる節がないなら、残るはクラカだけである。
クラカは扇動美鈴の視線を受けて、少し脳代わりのCPUで思考計算した後に言葉を出す。
「仕組まれていると判断しました」
「ど、どゆ、どういうこと!?」
過呼吸寸前の息継ぎをしながら扇動美鈴はなんとか言葉を出す。玄武明良よりは運動できると言っても限度がある。
柊とクラカの走り方は一定の速度を保ち続けている。体力を微塵も感じさせないアンロボットという機械の体に相応しい速さだ。
それに人間である扇動美鈴はついて行くしかない。置いて行かれないようにするのが精一杯である。
北エリア特有の年中降り積もっている人工雪の道、それに足を取られないように一定の速度で走り続ける機械に追いつく。
そこまで考えて扇動美鈴は駅着く前に見失うかもしれないと思った。矢先、黒で少し胴長のリムジンが四人と並走するように後ろから走ってくる。
スモークガラスを貼られていたが、見た覚えがある高級感溢れる車に玄武明良が止まれと柊の頭を叩きながら指示する。
下手に強く叩かれて強制停止されてはたまらない柊は止まり、後ろから追いついて来たリムジンに目を向ける。
「明良くん、家にいないと思ったらどうしてここ……」
「よし、丁度いいタイミングだ早紀!美鈴、クラカ、柊、車に乗り込め。早紀車を中央エリアに!!」
婚約者にいつも通り会いに来た猪山早紀は一体何事かと目を丸くする。
しかしそれも瞬きの間だけですぐに猪山財閥のお抱え運転手に中央エリアに向かうよう指示する。
後部座席の四角で向かい合うように座れる構造は話し合いをするには十分だった。
玄武明良は白く清潔な座席シートが汚れるのも気にせず音を立てて座り、クラカと柊を睨む。
事前説明もなくいきなり引きこもっていた所を抱えて外に向かって走られたのだ。弁明と謝罪と説明を玄武明良は無言で求めた。
「失礼いたしました。クラカ様に指示されたのでやむなく。しかし少々厄介な事態が起きていまして」
「あん?」
「中央エリアで逃走中の犯人、その潜伏先判明という速報ニュース。明良さんはおかしいと思いませんか?」
クラカの話を聞いて玄武明良はあからさまにおかしくないというのがおかしいだろうという顔をする。
捕まえた速報ニュースならまだしも潜伏先判明などと、そんなのは犯人に逃げてくださいお願いしますと言っているようなものだ。
考えられることはいくつかある。犯人を表におびき出したいか、挑発、もしくはただの報復。
デメリットの方が大きいが、少なからずメリットはある。犯人のアジトの痕跡から犯人像の割り出しや、移動した犯人達が安定しない場所での活動は目につきやすい。
しかし上策とは言えない。正直はったりに近い下策である。どこかの短絡思考がノリと思い付きで行動したのではないかと玄武明良は嫌そうな顔をする。
ちなみに真実は玄武明良が当たらなければいいなと考えた、どこかの地底人のブラコンがノリと思い付きで行動した結果である。
「で、なんで俺や太夫が必要なんだよ?」
「明良さんなら今後に繋がる結論を導き、太夫さんはその観察眼とあらゆる方面に優秀な行動力で糸口を掴めるかと」
淡々と当たり前のことのように告げたクラカに渋い顔を見せる玄武明良。
確かにある程度の奇行と破天荒さを抜けば絵心太夫は優秀な人材である。悔しいが認めざるを得ない。
それでも頼りにするには気がひける相手であり、出来れば力を借りたくない部類だ。
玄武明良の苦々しい思考に気付かないままクラカは車座席にお行儀よく座りながらこう答える。
「ロボットの私が言うのも変ですが、嫌な予感がするのです」
笹塚雄三はパトカーで包囲された廃ビルを眺めてうんざりする。寄りかかっている白黒車両の無線から確認の無線音声が止むことはない。
廃ビルにいるのは五人の子供、中には捜索届けも出されている子供もいるはず。そして子供達にまじって一人だけ謎の青年。
警察の窓ガラスを割った子供と電車を溶解させた子供の事件を取り扱う捜査本部、その資料を総括するパソコンにウイルスと思われる何かがネット上から侵入。
それが残したデータは笹塚雄三達が調べていることよりも詳細に的確な情報をもたらした。信じるのは難しいが、否定するには惜しい宝石のような内容だった。
なによりテレビで速報として流れたことから、警察達は動くしかなかった。急遽手に入った情報を持ってビルの周囲に集まった次第である。
部下の若い警官は短く刈り込まれた頭を警帽で隠しながら笹塚雄三の憂鬱そうな表情を見て訪ねる。
「まだ娘さんの彼氏騒動引き摺ってるんすか?」
「違う!!いや、その件については日を改めて娘と一緒に家族会議を開きたいとこだが、今は他の件だ、袋桐!!」
「まじっすか。やはり引き摺ってるんすね」
笹塚雄三の答えに見当違いの納得を見せる若い警官、袋桐甲斐。苗字が袋桐麻耶と同じなのは、従妹同士であるためだ。
髪が短く刈り込まれているのは祖父による恫喝と同時に行われるバリカンの髪切りのためだ。
袋桐の血縁は祖父が生きている限り髪が伸ばせないのかもしれない、と袋桐甲斐は少々不安に思っている。
そんな明後日に飛びそうな思考を脳の片隅に追いやって、無線に耳を傾けながら次の指示を待つ。
そこに胴長の黒いリムジンがパトカーが集まる場所の横に止まる。ただでさえ多かった人混みがさらに密度を濃くする。
明らかに一般に普及していない、光沢で輝くその車は事件が起きたら写真を撮ろうとしていた観衆達が携帯のカメラなどを向ける。
警察は捜査の障害になるとリムジンを他の場所に誘導させようと声をかける寸前。
リムジンのドアが開いた直後、目にも止まらない速さで駆け抜ける物体が一つ。それは足音を立ててビルの中に特攻する。
警察達が止めようとして手を伸ばした姿で固まってしまい、数拍の後に無線連絡が飛び交う。
結果として盾と防具をつけた精鋭達が足早にビルの中へと入っていくことになった。
飛び出た影を見届けた後すぐに閉めたドアの裏側、リムジンの車内で玄武明良は無線ビデオカメラの映像をノートパソコンに映し出している玄武明良。
事態が動けばそれに合わせて周囲も動くしかない。警察とて例外ではない。
このまま警察の動きに合わせていてはじれったいと考えた玄武明良が、アンロボットであり人間以上の動きをする柊を特攻させたのだ。
もちろん状況把握できなければ意味はない。そこで玄武明良は美鈴の持ってきたノートパソコンと、デバイスの機能として備え付けられたカメラを作動。
柊に常に前方を映すように命令させ、持っていかせた。本人はアンロボットの視界カメラを使っての無線を使えばいいと話したが、それでは柊の動作が停止したら意味ないと却下した。
玄武明良は柊に一大事が起こる可能性が大きいと考えているようだ。今もパソコンに映し出された映像を真剣な目で眺めている。
右からは猪山早紀、左からは扇動美鈴、そして集中していることをいいことにクラカは玄武明良の膝に乗っている。
その姿を見て警察の動きを警戒している運転手は、夫婦と娘息子の二人、合わせて計四人家族が小さな画面に映し出されている映画に見入っているようだと感じていた。
階段を一足飛びで駆け上がり、躊躇いもなく目の前にある鍵の閉ざされた扉を蹴破る。
室内に砲弾のごとく飛び込んだ扉であった板は、耳に聞こえない程度の音、だが重い物体を跳ね返す程の音による力によって改めて柊の方に向かう。
長袖にどのような仕組みかわからないが、柊はしまっているトンファーを左手だけに出して、片手の力だけで跳ね返ってきた板を部屋の壁に向かって横凪に飛ばす。
窓のない部屋で壁に突き刺さった板は勢いが余り過ぎて外壁の向こう側に顔を出す。外では携帯電話のカメラのシャッター音が洪水のように響く。
そこへ電車を使って楓の指示で連れてこられた絵心太夫と、その二人に偶然会ってしまったがゆえに引きずられてきた時永悠真。
時永悠真は壁から突き出ている元は扉だった板に驚いていた。自分の手には負えないと青い顔をする。
しかしそんなことはお構いなしに絵心太夫は自分のデバイスを操作しつつ、時永悠真に友達二人を呼ぶように指示する。
「二人……ま、まさか雷冠と哲也!?」
「そうだ。これはまさにスぺクタル大長編ヒーロー映画の主役を集めたお祭り映画のごとく、能力者大集結対戦の始まりだ!!」
嬉しそうに高揚する絵心太夫とは反対に時永悠真は街が壊れると青かった顔をさらに青ざめる。
豊穣雷冠は未来では人間兵器として育てられた存在だ。知能は高くないが、戦闘における運動能力や状況判断は群を抜く。
そして周囲を顧みずに相手の制圧のために全力で能力を使う。市街地がいくら壊れても兵隊を倒すために動き続ける。
確かに時永悠真よりも冷静な判断ができる求道哲也がいれば制止できるかもしれないが、保証がない。爆弾に湿った爆弾をぶつけるようなものだ。
だがビルの内部から聞こえる戦闘音に渋々時永悠真はデバイスで二人の身柄を預かっている御堂霧乃に連絡をするのだった。
壁に扉であった板が突き刺さった後、柊は右手に持っていたデバイスをカメラ部分だけが出るように胸ポケットに入れる。
目の前には音を操る能力者、音波千紘が自信満々な仁王立ちで柊が襲い掛かってくるのを待っている。
油断しているようにも見える偉そうな姿だが、柊は迂闊に近付けない。あらゆる音に関係する能力とは、音速行動による近接攻撃から音波を出しての遠距離まで可能である。
なにより扉を蹴破った時に音波千紘は待ち構えていたように飛んできた板を音で吹き飛ばした。耳では捉えられない音で。
襲撃者が来るのは階段を駆け上がった音で理解していたのだろ。ならば扉ごと相手を戦闘不能にする音波を出せばいい。
それが出せなかったということは、目標を選別できない音波で傷つく仲間がいる、ということだ。
柊が考えた通り、右手側から今まで姿を消していた仲間、氷川露木が熱を操る手の平を柊の顔面に向かって伸ばしてくる。
右腕の長袖からもう一本のトンファーを取り出して握り手を軸に敵を攻撃する部分の棒を円状に回す。高速回転するトンファーは一種の盾だ。
伸ばしていた手の平をぶつかる寸前で止め、弾けるように一歩二歩と下がった氷川露木はまた消えてしまう。
おそらく近くに姿を消してしまう能力の駿河瑛太がいると柊は計算し、その間に音速で接近した音波千紘の蹴りをトンファーで受け止める。
子供の蹴りにしては少し重い衝撃が来たが、柊の体勢は崩すことはできない。舌打ちして音波千紘は素直に引き下がる。
「音速攻撃と言っても子供の力。僕には効きません。例え百発、貴方が僕を蹴っても壊れることはないですよ」
柊は冷静にそう告げると両手にあるトンファーを回す。風を切る音が部屋の中に木霊する。
音波千紘が壊れるという単語に疑問を持った瞬間、柊は部屋の一部分に向かって右手にあるトンファーを投げ槍として飛ばした。
壁に勢いよく突き刺さったトンファーに驚いた駿河瑛太が姿を現す。駿河瑛太の目の前に人を殺す勢いの武器が突き刺さったのだから無理はない。
同時に氷川露木が姿を現し、柊を一目見て面白くなってきたと勇ましい笑顔を向ける。
なんでわかったのかと音波千紘は訝しく思い、そしていまだ左腕で回り続けるトンファーの風切音に目を丸くする。
風切音が壁に反射するのを感じ取って、姿を消していた二人の位置を特定したのだ。駿河瑛太は視覚的に消えることができても、存在的に消すことはできない。
反響する音で敵の位置を探る、なんて無茶苦茶で人間離れした技だと音波千紘は驚く。柊を人間だと思い込んでいる点でも驚きを深くしていく。
しかし敵の動揺を柊は見逃さない。まず音波千紘に近づいて腹にトンファーの先端で一発衝撃を与え、行動不能にする。
意識までは奪わないまま駿河瑛太に向かって跳ぶように走る。駿河瑛太はニャルカさんのお面で顔を隠れているが、落ち着きのない手足の動きから動揺して動けないことは明白だった。
そんな駿河瑛太の服の首元を掴んで後ろに引き倒し、壁に突き刺さったトンファーを引っこ抜いて柊に投げ返す氷川露木。
投げられたトンファーは回転していたが、戸惑いも迷いも見せずに柊は握り手を正確に掴んで勢いを殺す。そのせいで動きが止まってしまう。
作った隙を逃さずに氷川露木は柊に接近するが、トンファーを錘代わりに腕の勢いで体を回転させた柊に対して警戒する。
そして鼻先をかすった、目に捉えきれなかった攻撃を感じ取り、またもや距離を置く。動きを止めた柊の袖から重量のある鉄の鎖が垂れ下がっている。
遠心力で増幅されれば紐だって十分な武器だ、鞭がいい例だろう。体を回転させながら鎖を出していた柊に氷川露木は囃し立てるような口笛を吹く。
「すっげー、いいぜぇ、アンタ最高だな!ゾクゾクする!!」
「恐れ入ります」
腰が抜けた駿河瑛太は目の前で起きている戦闘に涙目になっていた。子供の戦いじゃない、と半ば自棄になっている。
音波千紘は正体もわからない謎の強敵に警戒の目を向けていたが、しかし階下から伝わってくる集団の足音を捉えて氷川露木に告げる。
「潮時だよ、露木は瑛太を連れて逃げて」
「ちっ、しゃーねーな」
柊は眉根を少し寄せる。氷川露木の能力は熱を起点に高温や氷点下まで操れる。
しかし万能ではない。操れるのは手の平で触れた部分だけ、リーチが短いことは明らかだ。
もう一つは操れると言っても瞬間的にも限度がある、ということだ。例えば小石をマグマのように溶かすことは瞬時にできてしまうだろう。
だが迫りくる岩石、もしくは壁だとしたら。氷川露木の手の平が触れている部分から徐々に溶け広がっていくが、勢いを殺しきることはできない。
おそらく熱で溶けた岩石や壁に押し潰されてしまうだろう。つまり今から向かってくる盾を装備した警官などは天敵のようなものだ。
空気中の水分を凍らせて壁を作ると言っても、おそらく薄い氷壁で突進すれば呆気なく砕けてしまう。
キッキの時のように足止めとして足の部分だけ氷漬けもできるだろうが、なにせ人数が多い上に防護服を着ている。やはり氷川露木は抑えきれないはず。
だから逃げると言っても氷川露木の能力は飛べる類のものでも体を強化するものでもない。駿河瑛太や音波千紘も同様である。
それならば第三者がいるはずだと柊が瞬時に計算したところで、部屋の片隅、ゴミ袋と布が放置されて山積みになった場所が動いた。
「晶子!頼むよ」
「あいよ!ワッチにお任せ☆」
場にそぐわない明るく軽い返事の後、窓のない部屋の中に一枚の紙が舞う。
描かれているのは翼を生やした西洋竜、それが床に落ちる前に紙の中から抜け出して実体化する。
彩筆晶子、描いたものを具現化する能力の少女、彼女に不可能なことはほぼ無いと言えるだろう。
具現化した竜は巨大化して、壁を突き破るために振るった尻尾を柊に向けた。
両腕のトンファーを交差して即席で簡易な盾を作ったが、呆気なく尻尾に打ち付けられ、壁と板挟みになり、強大な衝撃と共に壁を突き破って外に放り出された。
胸と頭同時に衝撃を受けて強制停止した柊は受け身も取れないまま地上に落下していく。しかし絵心太夫が重力を軽くした跳躍で落下していた柊を受け止める。
受け止める際にも重力を軽くしたので体勢が崩れることなく、直立のまま落ちていく。これもまた重力軽減しているので問題ない。
そして絵心太夫が落ちてくる先に楓が片手を頭上に向けて伸ばしており、その手の平に絵心太夫は着地する。
一種の曲芸のような姿にカメラのシャッター音とフラッシュが脳にダメージを与えるほど発生した。
「これが可憐で麗し女子だったらヒーロー大活躍と明日の新聞一面を豪華に飾る所なのに……無念!!」
「……アンロボットはモデル体型として男性女性と形を取っていますが、基本性別の境はないですよ」
「オカマな予感?」
「……」
アンロボットの性別説明をしただけなのに時永悠真からの予想外の爆弾に楓は黙ってしまう。
そして楓と絵心太夫に向けられていたカメラのレンズ焦点は、いまやビルの最上階から飛び立とうとしている竜に集まっていた。
リムジンのドアにつけられている窓を開けて扇動美鈴とクラカはその竜を眺めていた。
対となる骨組みに皮を張り付けた翼、太く短い四肢を持つ威厳ある蜥蜴のような姿、煌めく黒い鱗。
紛れもない童話に出てくるような竜の姿に人々は騒めき、ファンタジーを認めたくない玄武明良は鳥肌を通り越して蕁麻疹が発生していた。
気分も悪くしている玄武明良の介抱を猪山早紀がしているため、二人は聞こえてくる音や声だけ捉えている。
竜は少しずつ翼を動かしていき、大空へと飛び立つ。背に二人の子供を乗せて雲の向こう側へと消えていった。
警察や観衆、全てが上を見上げて開いた口が閉じなくなっている最中、飛んでいった竜とその背中を見ていた絵心太夫は二つの思い出を引きずり出す。
幼い頃命の危機にあった自分を助けてくれた人物が乗っていた、本物のように見える竜
うっかりぶつかってスケッチブックを落とさせてしまったため弁償して、意気投合した少女。
子供達は魔法使いの弟子。では魔法使いとは子供以外の誰か。
弟子達以外姿を目撃したことがない魔法使い、その姿を昔見たことがあったのは絵心太夫だけだった。
体中から赤いオイルを流す柊の姿は正体を知らない一般人からすれば血を流している人間である。
警察が大急ぎで病院手配と救急車を呼びよせている最中、笹塚雄三が絵心太夫に柊を地面に横たえるように指示する。
まずは呼吸の確認、すると普段聞く呼吸音とは違う音。これを肺や呼吸器官に甚大なダメージ受けていると判断。
次は心音の確認。せわしなく動いているが尋常ではない音に違和感を覚えつつ、危険な状態だと錯覚して人工呼吸と心臓マッサージに移ろうとした。
手際の良い人命救助活動なので楓や絵心太夫が言葉を挟みこめないまま、笹塚雄三は呼気を送ろうと柊の唇に口づけようとした。
寸前、柊の瞼が突如目が覚めた人間のような動きを見せた。明確に開いた眼で捉えたのは今にも人工呼吸しようとしている男性。
「笹塚さん。目覚めたみたいっす」
そう言いつつ年頃の少年に人工呼吸しようとしている男性という光景を携帯電話のカメラで写真にする袋桐甲斐。
シャッター音を聞いて業務中だこの若造がぁ、と笹塚雄三は剣道で鍛えられた強靭な二の腕でラリアットする。
笹塚雄三が部下の失敗に気を取られている間に柊は起き上がって猪山早紀達が乗っているリムジンに逃げ込む。
絵心太夫と時永悠真に楓は人混みにまぎれて姿を消す。リムジンは警察に追及されないように急いで発車し、現場から法定速度内で移動した。
事件現場に駆け付けた北エリアメンバーは来た時と同じように散り散りに去ったのである。
車内で赤いオイルを流し続ける柊は座席を汚しつつも止血に似た手法をとっていた。
アンロボットは限りなく人間に近づけた機械の体であり、非常時でも人間と同じ方法で対応ができる。
しかし輸血や手術などはできないので、下手に病院に運ばれて医者を混乱させては問題なのだ。
同じアンロボットの体であるクラカと、構造を理解している扇動美鈴と玄武明良が柊の手当てを手伝っていた。
猪山早紀は眺めつつ、先程の信じられない光景を思い出して溜息をついた。
「今度はあんなのを相手にするのかぁ…で、明良くん蕁麻疹大丈夫?病院行く?」
「行かん。家にさっさと帰って研究した方が治まる」
柊の手当てに没頭していても猪山早紀の声に反応して振り向いて応える玄武明良。
実際に先程まで肌を覆っていたものは柊の機械構造を理解しながら手を入れていく最中で消えていきつつあった。
そして意地でも家に引きこもろうとする姿勢に猪山早紀は仕方ないなといった苦笑いをする。
扇動美鈴は玄武明良の調整を確認しつつ、柊の体の構造に息を呑む。
人間ではない、しかし限界に近いほど人間を再現した、妄執にも思えるほどの精緻さ。
いつかはこの技術をクローバーとして生み出さなければいけないという、目に見えないプレッシャーが扇動美鈴に圧し掛かる。
そのことに気付いた柊は感情の籠らない肉声に近い機械音声で自分の意見を言う。
「貴方はまだ美鈴さんです。そして扇動美鈴という一個人で進む未来も貴方には選択肢として用意されてます」
「そうだ、美鈴。お前が無理して長生きする理由としてクローバーが延長線上にいることは、回避できる事柄だ」
「……ありがとうございます。それでも僕は……少しだけクローバー博士という選択に興味があります」
圧し掛かるプレッシャーに勝る、未来の技術に対する好奇心。タイムマシンを完成させた将来の自分。
遊園地で誰かを救うきっかけを作り、未来世界で苦しむ子供に選択肢を与え、柊や楓といった精巧なロボットを造り上げた科学者。
その卵である扇動美鈴にとって、未来の自分であるクローバーは乗り越えたい、乗り越えるべき挑戦状を叩きつけてきたライバルである。
大人しい少年には似合わない、獰猛で貪欲である獣のような笑みを浮かべて宣言する。
「マスターさんすら凌駕する知識、喉から手が出るほど欲しいです」
扇動美鈴には不釣り合いな好戦的にとれる発言に玄武明良は肌が泡立つのを感じる。
自分の先に向かおうと凄い速度で走ってくる存在を感じ取って味わうような昂揚感。天才である玄武明良が今まで感じたことない未知の歓喜。
玄武明良は真正面から迎え撃つ覚悟で扇動美鈴に壁を用意する。凡人では確実に超えられない壁を。
「ならまずは、俺を超えろよ」
「もちろんです」
お互いに食らい合うような笑みを見せて、天才達は柊の手当てに再度集中し始めた。
その横で柊は未来のクローバーを思い出す。掃除も片付けもまともに出来ない知識だけはある駄目人間。
なんで扇動美鈴がああなるのかわからないほどの生活力皆無の要保護対象。
今なら変えられるかもしれないと扇動美鈴を説得したが、効果は皆無だと柊は人知れず肩を落とした。
竜の背に乗った音波千紘と彩筆晶子、に似た違う何かは雲の中に突入した途端に水分の塊でふやけて紙になって散り散りになった。
駿河瑛太の能力で四人は騒めく警察と野次馬達の横を堂々と歩いていき、マーリンと神崎伊予が待つ新しい秘密の家に向かう。
作戦大成功とはしゃぐ四人の子供達に気付く者はいない。誰も通り過ぎていく少年少女に興味を向けない。
例え姿を消していなかったとしても、誰一人振り向かないほど四人の存在は希薄で頼りなかった。
成功した未来、選んだ予知、その内容を映し続けていた画面が一つ消える。
同時に目の前に無数の未来が映し出されるのを神崎伊予は感情のない瞳で眺めていた。
毛布を体に巻き付けて、青年の体に寄りかかって静かに大小溢れる画面を判別していた。
パソコンでいくつものウィンドウが開いているようなものだ。必要な物は選択して大きくすればいい。
ただ神崎伊予には選択はできても捨てることはできなかった。特に実現される可能性が高い未来は嫌でも見るしかない。
視界に入るのは最も大きい可能性の未来。マーリンが死んでしまう、単純な内容だ。
そしてマーリン自身もその未来を望んでいるように神崎伊予には見えた。
しかし自分を救って抱きしめてくれた青年を、見殺すことはしたくなかった。
もしマーリンを失ったら自分は発狂する自信があった。そしておそらくそれは間違っていない。
神崎伊予がマーリンの死後の未来を眺めようにも全ての画面が深夜のテレビ画面のように砂嵐のモザイクで見えない。
予知で見る未来と言っても神崎伊予が見れるのは自分が正気を保っている未来だけなのだと、無意識に理解していた。
だからマーリンが死ぬ未来の先は何も見えない。生きている未来は先日布動俊介に出会った際に現れた極小の画面だけ。
しかし日々大きくなっているマーリンが生存した未来、それはマーリンの計画が失敗するのと同義の内容だった。
神崎伊予はそのためマーリンにこの未来については告げていない。マーリンは死んでもいいと考えるほど自分の計画を成功させたいからだ。
マーリンの体に寄りかかって静かに眠る振りをする神崎伊予。マーリンは何も言わずに神崎伊予の体を支えている。
未来も過去も神崎伊予はいらなかった。ただ今みたいな青年が傍にいて、彩筆晶子達がただいまと嬉しそうに声をかけてくる時間が永遠に止まればいいと思っていた。
中央エリアに辿り着いた竜宮健斗達は連絡を寄越した絵心太夫達と合流した。
その次に豊穣雷冠達を連れてきた御堂霧乃も大勢集まったなと声をかけつつ駆け寄ってきた。
絵心太夫は密かに竜宮健斗達をデバイスのメール機能で呼んでいたのだ。なにかしらの予感を感じ取っての行動だった。
相変わらず変なところで優秀だよなぁと時永悠真は絵心太夫について心の中で評していた。
楓はとりあえず沈黙を選んだらしく、子供達の話し合いに耳を傾けている。
「……という流れだ!俺の大活躍ヒーロー活劇を世界中に知らしめるチャンスではなかったようで大層遺憾であり……」
「火鼠小僧がいたのですね!?ウェディングロードを用意しとけばそのままゴールインのレッドカーペット街道大爆走できたというのにぃいい!!」
「病人とイタリア人混じるとうるさいな、おい!?」
「うーん、やっぱり万結ちゃんの写真の日付を用心した方がいいみたいだね、蓮実」
「そうなんよー。これだと…あと一週間ほどなんよ」
「なぁ、なぁ、悠真、強い奴いたんだろ!?なんで俺様と戦わせてくれないんだよー!」
「戦う前に彼らが逃げちゃったからだよ」
「しかしアンロボットの柊だとかを倒すってことは……本気で雷冠の兵器並の強さが必要なんじゃないか?」
「喧嘩の話は霧乃ちゃん興味ねーわ」
「えーと、魔法使いの弟子達はとりあえず全員無事でいいんだよな、優香」
「ケンはまずそこからの理解なのね……」
賑やかな子供達を横目に眺めている柊は近づいてくる足音を聞き取り、警戒の目を向けた。
そこには息を荒げた警帽を被り直している若い警官がいた。やる気が満ちているようには見えない、どこか脱力する雰囲気だ。
警官は子供達の近くに行くまで気づかれないように歩いてから、警察手帳を胸ポケットから取り出す。
袋桐甲斐と書かれたその名前に楓と豊穣雷冠と求道哲也以外の子供達が反応した。
「麻耶に兄貴いたのか!?確かに髪型そっくり……」
「いやー、これはじーちゃんのバリカンのせいっす……と、そうじゃなくて」
子供達を見回して時永悠真と絵心太夫、楓の順に指をさして署までの同行を願い出る。
さすがに事件現場で大暴れした人物を野放しにしなかったかと、時永悠真はこの後の事情聴取を考えて溜息つく。
しかし下手に反抗すれば公務執行妨害となって厳しい追及が待っているのは明白であり、三人は竜宮健斗達と一旦別れることになる。
袋桐甲斐は明らかに嫌そうな顔をしている時永悠真に携帯電話に入れていたSDカードを渡す。
「なんですか、これ?」
「馬鹿親対策というか、まぁ自分からの手向けっす。笹塚雄三さんに追い詰められたらその中にある写真を見せるといいっすよ」
聞いた覚えのある名前に時永悠真はさらに面倒そうな空気を感じ取り、歩く足が重くなるのを感じた。
しかし一体なんの写真が入っているのだろうと興味も湧き、とりあえず言われたとおりにするかと腹を括った。
そしてこの約数時間後、予想通り笹塚雄三に何故か娘との関係まで追及され始めていた時永悠真はSDカードの中にある写真を見せた。
さらに数分後には少年を人命救助、下手したら意識のない少年にキスしようとも取れる写真を撮った若い部下を探して署を駆け巡る笹塚雄三の姿が見られた。
この十分後、般若の顔をした笹塚雄三に犯人を取り押さえるために修得した関節技をくらう袋桐甲斐の姿に、絵心太夫は無茶しやがってと涙を流すのであった。
マーリンは目の前にいる子供達に計画を実行するのは一週間後と宣告した。
そして自分の正体と計画の全貌を初めて話し始めた。その内容は駿河瑛太達からすれば信じられない内容だった。
まず目の前にいるマーリンが人間ではないことに驚きを隠せなかった。だがマーリンはその動揺を無視して話を続けた。
「俺は死んでも望みを叶える。しかしお前達は好きなようにやれ」
話を素っ気ない言葉で締めくくって、それ以上の追及をマーリンは受け付けなかった。
一番ショックを受けていたのは彩筆晶子だった。次に駿河瑛太、音波千紘はそういうことかと納得していた。
なんで自分達を的確に集められたのか、それが音波千紘には謎だったが、今のマーリンの話で理解することができたのだ。
表面上は愉快そうに好きにするぜと笑う氷川露木だが、誰も本心を知ることはできなかった。
一番動揺が少ない、むしろ皆無なのは神崎伊予だった。予知能力があるからあらかじめほぼ全て知っていた。
彩筆晶子はショックで放心しながらも頭の片隅に残る冷静な部分で思考を続けていた。
マーリンという存在で集まった自分達は、マーリンがいなくなったらどうなるのという不安。
変わらず一緒にいられるのか。いいやきっと無理だろうと彩筆晶子はそう結論して恐怖に押し潰されそうになる。
青年がいなければ今の自分はいなかった。青年が死ねば今の自分ではいられなくなる。青年が彩筆晶子の全てに近い。
それならば青年を失わない方法をとるしかない。マーリンは好きなようにやれと言った。ならば言葉通りに行動する。
暗い輝きを目に宿らせて、彩筆晶子は描き途中であった絵を一週間後までに今までにないほどの完成度で仕上げると決意した。