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積み木の家

凜道都子は覚悟を決めてアントニオ・セレナを連れて東エリアに来ていた。

自分には好きな人がいて、その人と結婚したいとイタリアから来た少年に言うためだ。

極道やマフィアとかいった世界から抜け出したい凜道都子は意気揚々と東エリアにアントニオ・セレナを連れて来て、迷っていた。

今日は付き人もまいてきたので、正真正銘の二人きり。アントニオ・セレナは今回NYRONに来るのが初めて。

そして凜道都子は誰かがいれば迷うことないのだが、自分の意思で進もうとすると必ずと言っていいほど迷う、方向音痴である。

電車の乗り換えで付き人をまいたから、東エリアまでは普通にやって来れた。その後に東エリアで迷っている。

今は知らない民間公園にあるベンチに座ってデバイスを使い、知り合いで一番頼れそうな相手に電話をかけていた。


「さ、聡史くん、助けて下さぁああい…」


相川聡史は電話向こうから聞こえてきた情けない声に溜息つきつつ、大体の目的と目印を聞く。

絶対にその場から動かないように念押ししてから、竜宮健斗と崋山優香に連絡を取り、ついでに瀬戸海里と鞍馬蓮実も呼ぶ。

そうして久しぶりに東エリアでかつてチームを組んでいた五人組で、凜道都子が待っている公園へと向かった。


五人は初めて見る少年の日向が似合う金髪と掘りの深い整った顔立ちに驚く。

日本という島国において外国人は珍しいという場所は多く、明らかな外国人というのは子供達にとって好奇心が疼く対象だった。

凜道都子がアントニオ・セレナを紹介し、本人からも少しずれた日本語が飛び出る。


「どーも、こんにちわんこです!アントニオ・セレナ、都子の将来ダーリン候補ですので、今後もよろしくなのですしおすし!」

「……………流暢な日本語だね」


発音は完璧だったため呆然としている中で瀬戸海里がなんとか思いついた言葉を告げる。

それを褒められたと思ったアントニオ・セレナは明るい笑顔でお礼を言いつつ、日本人には馴染みが薄い握手をしようと手を差し出してくる。

自然な動きだったので五人は順に握手していき、一人だけ、竜宮健斗は手を握った瞬間首を傾げつつも、凜道都子が本題を切り出す。


「実は私のお婿さん予定なんですけど…私が十五までに他の人を見つけたらこの話はなかったことになること知ってますよね…」

「まさかお前…」


凜道都子の本気の目を見て相川聡史が横目で竜宮健斗を見る。しかし本人はなにか考え込むような顔をしている。

鞍馬蓮実が崋山優香の顔を見れば真っ赤と真っ青を繰り返しながら表情の色を何度も変えている。

瀬戸海里は我関せず、というより自分はこれ以上口出しできない空気だと感じ取り傍観している。

アントニオ・セレナだけがなんのことかと笑顔のまま疑問符を浮かべており、耳まで真っ赤にした凜道都子が告白しようとした。

しかしその言葉を遮るに充分な威力を持った言葉が竜宮健斗の口から発せられる。






「セレナがなんで都子の婿?女の子だから嫁だろ?」





時が一瞬止まったのではないかと錯覚するほどの重い沈黙が流れる。

凜道都子は告白しようとして開いた口が塞がらなくなり、相川聡史は何言ったこの馬鹿はという表情で固まっている。

鞍馬蓮実は目を白黒させ、瀬戸海里は思考が中断して頭の中が真っ白になる。崋山優香はもうどう反応していいのかわからなくなった。

アントニオ・セレナは笑顔のまま竜宮健斗を眺めている。しかしその目は笑っていない。


「あれ?俺なんか変なこと…」

「言ったに決まってんだろうがぁあああ!!!この大馬鹿野郎ぅうううううう!!!」


竜宮健斗が急に落ちてきた沈黙に疑問を投げかけたが、全部投げ終わる前に相川聡史から手痛いツッコミの手刀を受ける。

手刀の小指から手首までの細長い部分を後ろ頭に強烈に打ち付けられて、竜宮健斗は涙目で言葉が詰まる。

そしてツッコミをいれた本人も力が強すぎて手首を痛める羽目になった。同じように涙目で反対の手で痛みを和らげようと擦っている。


「だ、だってアントニオが名字で名前がセレナだろ?外国人でセレナといえば女性じゃないのか?」

「えーっと、外国では日本と違って先に名前を言う文化が…」

「それにセレナの手を握った時、女の子の手だったぞ?優香と同じ感触したし」


崋山優香が自分の手を見て、改めてアントニオ・セレナの手を見る。

子供同士の手というのは基本柔らかい上に、竜宮健斗の年代になるとあまり性別の差は見られない。

これで体格が違えばまた違う話になるが、アントニオ・セレナは標準体型、少年でいえば少し細身の体型だ。

だから握手した時もあまり差異を感じなかったが、竜宮健斗だけはその違いを感じ取ったようだ。

よく見れば白スーツを着ていたり、髪型をショートカットにしているが、睫毛は長く、鼻筋も整った顔立ち。

少年、というには男装の麗人が子供になったような印象を受ける姿だ。


「…律音くんの逆バージョン…」


崋山優香は思わずそう口走ってしまう。仁寅律音とは西エリアにいる美少女のような美少年である。

もし竜宮健斗が言ったことが本当なら、アントニオ・セレナというのは美少年のような美少女という話だ。

アントニオ・セレナは一回深呼吸してから、悪戯がばれた子供のような少し苦い笑顔をする。


「ジャポンの名探偵と言えば金田一に江戸川…その末裔がここにいたとは…天晴です…」

「いや、ケンは大馬鹿なのでそんな有名人の末裔にしたら祟られる気がするので止めてください」


思わず真顔でそう答えた崋山優香に、アントニオ・セレナは手厳しいと苦笑する。

そしてアントニオ・セレナは降参として、自分が女性であると凜道都子達に明かしたのであった。



マフィアは血を重んじる。血には血の報復を、由緒正しき血の継続を、頭領たる血を受け継ぐ子供を。

アントニオ・セレナはイタリアマフィアのボスが正妻の間にもうけた女児であった。

産後に母親は急激な血圧低下で死んでしまったので、アントニオ・セレナは母親の顔を知らない。

父親はアントニオ・セレナが生まれた後に受けた銃弾によって精子が生成できない体となった。

兄が二人いたが、どちらも抗争やマフィア同士の策謀の中で父親よりも早く死んでしまった。

マフィアは血を重んじる。そしてその血を残せる男性に重きを置く。

アントニオ・セレナは様々な要因から男として育てられた。父親は苦い顔だったのをよく覚えている。

まるで日本の漫画にある話のようだとアントニオ・セレナは自分自身に向かって嘲笑していた。

それでも不満はなかった。うつけと見せかけて自由気ままに過ごしていた。元々女性らしい振舞いは苦手だったからだ。

しかしいずれはばれてしまうだろうと、日々育っていく女性の体に危機感を覚えていた。父親も同じ心境だった。

血を重んじる、しかし正統性のない後継を、実力のない頭領を、マフィアの部下は認めない。

さらには日本の極道の一人娘と婚約する話まで持ち上がった時、アントニオ・セレナの父親は苦渋の選択を提示した。

かつて裏世界で名を轟かせた火鼠小僧、その人物を見つけて婿養子にいれてしまうという、突飛な内容だった。

火鼠小僧は屈強な者達が闊歩する裏世界において、多くの謎と最強に近い称号を手に入れていた。

一種のカリスマとして崇められており、不可解ながら圧倒的な力は文句を言う部下を黙殺するのに相応しかった。

アントニオ・セレナが日本に来たのは噂で火鼠小僧が日本語を喋ったことから、日本に住んでいるのではないかと推測したからだ。

凜道都子、婚約相手に対して演技をしつつ火鼠小僧を探して捕まえて求婚する。

それがアントニオ・セレナに課せられた最重要課題であった。


そこまで聞いて誰もが開いた口を塞ぐことができなかった。竜宮健斗だけが話の趣旨を理解できておらず、首を傾げている。


「というわけで僕の目的は火鼠小僧を見つけてプロポーズすることかな。都子、ごめんね」

「あ、は、はぁ……」

「僕自体は結婚には興味ない。でもマフィアの歴史を守らなければいけない。だから相手は誰でもいい、それが悪名高き火鼠小僧でもね」


アントニオ・セレナは言いながら空を見上げる。どうでもいいけど、相手の顔は気になるといった気配を覗かせる。

瀬戸海里や鞍馬蓮実は火鼠小僧ってどこかで聞いたようなと思案しており、相川聡史はついていけないとそっぽを向いている。

崋山優香は二転三転した話にもう頭がついて行ってない。竜宮健斗はマフィアって複雑なんだなとざっくばらんな解釈をしていた。

静かだが他の子供達が遊ぶ公園では相応しくない話であったが、誰もその会話に気をとめてなかった。


「あ、思い出した」


流れていた沈黙を破るように瀬戸海里が声を上げる。

思い出したのは電車を襲った謎の少年、仁寅律音が遭遇した人物が名乗った名前。

手の平で熱を溶かし、さらには熱を操る故に氷も生み出す犯人である火鼠小僧のことを。




直った通信機を大事そうに布で磨いていた楓と柊をクラカは煎餅を食べながら眺めていた。

別にアンロボットの体は食事をとる必要性はないのだが、人間のことをもっと知りたいクラカはよく食事をしていた。

大体がワイドニュースを見ながらのつまみ食いなので、暇な主婦かと玄武明良に密かに思われていることをクラカは知らない。

平日の昼である今の時間帯、扇動岐路は御堂正義の会社に勤務、扇動美鈴は部屋でネットによる大学講義の拝聴、玄武明良は新しい機械構造の研究のためパソコンに向かっている。

先程猪山早紀が玄武明良に会いに訪問し、今は別室で二人きりでいるのだろう。クラカは恋沙汰を気にしつつも邪魔しようとは考えていなかった。

柊と楓はクローバーと唯一連絡が取れる通信機を解体されてから、さらに通信機に執着するようになった。

それはまるで犬が自分の遊び道具を地面に隠しているような雰囲気なのだが、そこもあえてクラカは口にしなかった。

煎餅を頬張りつつ昼間の泥沼のような恋愛ドラマを流しているテレビに目を向ける。ドラマ内容としては食卓に嫁がハンバーグと称した焼かれた携帯電話が出されたところである。

こんなのが人間は好きなのかと疑問に思いつつ画面を眺めていると、上部にニュース速報というテロップが流れる。


NYRONにおいて逃走中の犯人の潜伏先が判明、と。


クラカは煎餅を頬張るのを止めて、柊と楓に通信機でクローバーに連絡を取るように指示する。

ニュースには大きな違和感があったからだ。なぜわざわざ公共電波において潜伏先判明という、犯人に警戒を促すようなニュースを流すのか。

本来なら判明した時点でニュースになる前に警察が包囲して捕縛し、捕まえたというニュースが流れるはずである。

予感とは縁遠いクラカであったが、それでも確かめておきたいと思考計算したのである。


クラカがニュースを知る少し前。地底人のキッキが不貞腐れた顔で足腰に凍傷を治療するための包帯などを巻かれた姿でベットに横たわっていた。

場所は地上の病院ではない。地上だと下手したら日の光を浴びてしまう危険性が高いからだ。自宅療養として地底遊園地の従業員用の仮眠室にいた。

兄であるトットは車椅子の上で苦笑しながらリンゴの皮を器用に向いていた。二人の介護役としてフローゼが付き添っている。

キッキの機嫌が悪いのは火鼠小僧の居場所を知りつつも、怪我のせいで反撃できないことである。

もし怪我が今すぐにでも治るならドリルを片手に潜伏先のビルに特攻して片っ端から柱を壊し、周囲に被害が出ない計算をしつつ倒壊するのに、とまで考えていた。

地底世界という空間で建築技術を発展させた地底人、その文明を受け継ぐキッキだからこそ考える報復方法であり、竜宮健斗達が聞いたらそこまでしなくても、という内容である。

実はキッキは凍傷でレムに治療室に運ばれている間に、チェシャ猫とドードー鳥に通信で氷川露木の後を追うように指示していた。

その後は定期的に二体を交互に逃げた先を見張らせ、潜伏先として確定するまで待っていたのだ。そして昨日、確定したと判断した。

しかし白い肌に広がった赤い火傷のような怪我は治っていない。逃げられる前に仕留めたいのに、と怒りを滾らせている。


「あー、もう!!お仕置きしてやりたいのに―!!」

<オーナー、傷が治るまでは駄目ですよ>

「そうだよ、キッキ」

「うう、兄さんまで…」


穏やかに静止してくるトットとフローゼにキッキはしかめっ面する。

それでも大好きな二人に言われては、それ以上我儘を言うことはできず黙ってしまう。

ただしトットが少し冷酷な目で林檎をの皮を剥く手を止めて、小さく呟いた。




「でも大事なキッキを怪我させたのは許せないから…兄さんに任せて」





耳に届いた背筋を凍らせるような静かで冷ややかな声に、キッキは兄に不安そうな目を向ける。

しかし兄はキッキと視線を合わせるといつもの穏やかな笑顔で、ウサギカットした林檎を差し出す。

差し出された林檎を食べつつも、キッキは背中で流れ始めた冷や汗が止まらないのを感じていた。


「フローゼ、少し僕の体見ててね」

<はい?>


そう言った直後にトットは糸が切れた人形のように体から力を抜いていた。

力を抜いた、というよりは魂が抜けた肉体に近い状態だった。それだけでキッキとフローゼはまさかあの方法をと疑った。

トットはかつて弟を見守るために体から意識だけを抜き出してネットワークを移動して画面に影響を与える方法を手に入れていた。

そのせいで一度ウィルスAliceに取り込まれたこともあり、また体がある程度動かせるようになってからはする必要がなかった。

だがトット曰く、Aliceに取り込まれた際に少しだけできる幅が広がったと苦笑していた。

簡単に言えば本当にウィルスのように機械に影響を与えたり、意図的にデータを残せるようになったということだ。

キッキとフローゼは顔を見合わせて、嫌な予感と共にテレビのチャンネルをつける。

すると明らかに兄の仕業であろう違和感満載のあり得ない速報ニュースのテロップが流れていた。

おそらくまずはテレビ番組のハッキング、その次に警察の捜査情報を統括する機械に忍び込むつもりなのだろう。

光の速さでネットワークを駆け巡ったトットは、わずか五分で体に戻って起き上がっていた。


「さ、キッキは治療に専念しようね!」

「う、うん……」

<い、いいことなのかしら…>


悪いことだと言及できないが、良いこととは断言できない所業にフローゼは困惑した。

しかし当の本人であるトットは何食わぬ顔で笑顔のまま林檎の皮むきを再開したのであった。




窓のないビルの一室で氷川露木は盛大なくしゃみをした。あまりにも反動と声が大きく、飛び散った唾が音波千紘に当たる。

音波千紘は不快そうな顔をして氷川露木を見るが、どこ吹く風で誰かが噂しているのかと鼻を啜る。

しかし自分で吐き出した言葉に違和感を覚え、反芻した後に鼻で笑う。

どこか悲しそうな笑い方に駿河瑛太は首を傾げた。表情はニャルカさんのお面で隠れているので雰囲気しか伝わらない。


「噂する奴なんかいないのに…何言ってんだろうな」

「……家族は?」

「行方不明から何年経ってると思う?今頃もう…」


そこまで告げて、はたと気付くように氷川露木は思い出す。

幼い頃にいつも当たり前に帰るべき場所だと思っていた家。帰れば幼い弟と母親がいて、夜には父親が帰ってきた。

のどかな田んぼが広がる、公道で馬が歩くような少し田舎くさくも懐かしい場所。

それは歩いていける場所にある。ただし今更帰っても意味はないのかもしれない。

だが好奇心が疼きだした氷川露木は音波千紘と駿河瑛太の顔を見て悪巧みするような笑顔をする。

鮮やかなほど憎たらしい笑顔に駿河瑛太は寒気を、音波千紘は諦観を覚えた。

悪戯大好きニーチャンとナルシストなニーチャンとそれに巻き込まれた弱気な弟が出て行ったと彩筆晶子は横目で見ていた。


NYRON東エリアの田園広がる風景は昔と変わらないように見えた。

それでも少しずつ農家は減っており、中に売地となって土をならされた場所もある。

子供達は公園や車の通りが少ない公道で遊び、時には小学校のグラウンドでサッカーに興じる。

移動手段は自転車や自分の足。マウンテンバイクを持っていたら一躍ヒーロー、もしくは時の人となるのが子供社会。

西エリアの次に懐かしさを味わえると評判の東エリア、その中でも比較的住宅地が集まっている場所。

そこに氷川露木は二人のお供を連れて立っていた。なにせ体半分の火傷と刺青をしている氷川露木は熱を操ることができても姿を消すことはできない。

姿を消し、なおかつ足音も消すには透明の能力を持つ駿河瑛太と音の能力を持つ音波千紘が一緒ではないと駄目なのだ。

住宅地が密集すると自然と住人だけが使う道ができる。その道を慣れた足取りで氷川露木は進む。

右に曲がって真っ直ぐのところ、白い外壁と赤い屋根の庭付き一戸建て。庭には補助輪を外したばかりの小さな自転車。

氷川露木は思わず笑顔で家に向かおうとした。しかし洗濯物が干されてないのに気付く。

よく見れば庭も雑草だらけで手入れが全くされていない。家も家族三人住んでるはずなのにいやに静かだった。

表札は氷川のままなので誰かへと売り渡したということはない。氷川露木はこれ以上は見ない方がいいと思いつつも家の扉を開ける。

玄関には鍵がかかっておらず、簡単に開いてしまう。靴置き場には革靴と小さな子供用の靴、二足だけが残っている。

昼間なのにどこか薄暗い廊下を歩いてリビングへと入る。するとそこには身なりを整えてないサラリーマン風の男と小さな子供がいた。

子供は男の子で、おそらく皆川万結と同い年ほどの年齢に見えた。氷川露木が弟の成長した姿に感動を覚えたのもつかの間だった。


「おとうさん、おかあさんがこれいじょうあうなって」

「そうか…仕方ない。情けない私が悪かったのだから…」

「ううん。おとうさんのせいでもおにいちゃんのせいでも……だれのせいでもないと、おもう」

「一、新しいお父さんと仲良くやりなさい。誰のせいでもないなら、それがお前が……幸せになる道だから」


一と呼んだ少年の頭を優しくなでる無骨な手の上に、一粒二粒と涙が落ちていく。

本当は悔しいのだろう、辛いのだろう。それでも頭を撫でる手は優しく、温かい。

氷川露木はそれをただ眺めていた。音波千紘と駿河瑛太の能力により、目の前の親子は氷川露木に気付かない。

失った家族に気付かない。そして氷川露木は目の前で自分がいつか帰れるかもしれなかった場所が崩壊していたのに気付いた。

思わず視線を逸らした先には仏壇。まだ死亡が確定するほどの時間が経ってないはずなのに、そこには幼い氷川露木が笑っている写真が黒い額縁に。

大好きだったお菓子の箱が一つだけ放置されている。うっすらと埃が被っていることに気付いてしまう。

待つことと信じ続けることはきっと難しい。そして続けれない人間は必ずいる。

続けられる人間と続けられない人間、その二人はきっと視線と意見が噛みあわないだろう。

視線を合わせられない二人は心が通じない、意見が合わない二人は傍にいられない。


「おにいちゃん、今はどこにいるのかな?」

「きっと私達の……手が届かないところで幸せにしてるだろう。それが天上であっても、笑っていれば私は……」


氷川露木は思わず声を出しそうになった。すぐ傍にいるのだと。

手を伸ばせば二人を抱きしめられる距離にいるのだと。そして伸ばした腕の火傷を見て正気に戻る。

醜い火傷の跡、手の平は血と悪と罪に汚れて、白い肌なはずなのに真っ黒に見えた。

もし大切な家族を抱きしめたとして、望まずに手に入れた能力で、二人を焼いてしまうかもしれない。

なにより今更二人に触れたところで崩壊した家庭も、過去も、全て元に戻らない。

帰ろうと思えばいつでも帰れたはずなのに、帰らないまま魔法使いの弟子として幸せとはいかずとも、充足した日々を送っていた。

そのツケが、判断のミスが、過ちが、目の前に現れただけの簡単な事象。

少年が何度も振り返りながら扉を出た後、独りになった男は泣いていた。声もなく、泣いていた。

泣き続けて信じ続けて待ち続けた男に背を向けて、氷川露木は荒れ果てた家から出た。

足取りは不気味なほど静かで、音波千紘と駿河瑛太は何も言わないまま付き従う。


「あ、は、はは、はははっ!!」


壊れたラジオのように途切れ途切れに笑い始める氷川露木。

その目には涙も浮かんでいない。ただ完璧に作った積み木が崩れて愉悦に浸る子供のように笑い続けた。

笑い声は周囲に聞こえないように音波千紘が消している。高笑いする姿も駿河瑛太が消している。


「あー、スッキリした。これで俺の居場所は……魔法使いの下だけだ」


覚悟を決めたのか、逃げ場所が無くなったのか、氷川露木に残された場所は一つだけだった。




アントニオ・セレナは瀬戸海里の両手を握りしめて上下に振り回す。

火鼠小僧が日本にいることが確定、しかも滞在しているNYRONの街に潜伏中。

それだけでも嬉しいことばかりなのに、竜宮健斗の元に届いたメールでは中央エリアにアジトがある様子。


「つまりは善は急げのプロポーズ大作戦特攻野郎Bチームっつーことですし!!」

「え、ええええ!?いくんですかぁあああ?」

「というか作戦名!!お前実は日本語堪能だろう、イタリア人!!」


中央エリアがある方向に指を向けるアントニオ・セレナにツッコミをいれる相川聡史。

凜道都子はついて行くの面倒だと考え、瀬戸海里は別の方面で心配事が起き始める。

百%の未来を映し出す能力の皆川万結が出した写真。四枚の内の三枚。

それらは同じ日付に違う時間という内容だ。しかしその日付は今日ではない。

つまり今日は確定された未来ではない。だが事件が起こり始めている。

一体それが何を意味するのか瀬戸海里では把握できなかった。


今にも崩れそうな危機を抱えている魔法使いとその弟子である神崎伊予は平然としている。

まるで積み木遊びのようだと毛布にくるまりながら神崎伊予は大好きな青年の顔を眺める。

青年はいつもと変わらない様子で窓のない部屋の中にあるソファの上に座っている。


「過去が未来に影響を及ぼすように、未来は過去を変えられる」


それは昔の偉い哲学者が告げた言葉で、かつて少年少女が味わった現実で、今まさに青年の傍にいる少女の能力によって叶えられる事柄であった。


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