準備
放課後にセイロン達と再び会う約束をして竜宮健斗は学校へと向かう。
その足取りは軽やかで隣を歩く崋山優香もつられてスキップしそうになる。
すると背後から羽田光輝が、ランドセルをクッションのように前方向に担いだ白子泰虎と腕を繋ぎながら声をかけてきた。
白子泰虎は隙あらばどこでも眠るので、羽田光輝など周囲にいる人間がフォローしないと遅刻してしまうため、やむなく手を繋いでいるのだ。
見慣れた光景なので竜宮健斗は特に疑問に思わず、振り返って朝の挨拶をする。
そして羽田光輝にセイロンが一時的に帰ってきたことを報告しようとする前に、羽田光輝が別の話題を切り出した。
「瑛太を西エリアで見かけたんだけどさ、あいつ…なんかあったか知っているか?」
懐かしい名前を聞いて竜宮健斗は駿河瑛太を思い出す。隣にいる崋山優香も同じく思い出す。
駿河瑛太という少年は小学校二年まで同じ学校にいた同級生であり、友達として放課後一緒に遊んだ仲でもある。
二年までというのは、三年の最初の始業式前に家の都合で駿河瑛太は引っ越したことにより学校が変わったのだ。
同じNYRONという街の中でもエリアという区分けがされている。駿河瑛太は西エリアの学校に転校して以来連絡を取っていなかった。
一緒に遊ぶ仲ではあったが転校した先でも新しい友達と仲良くやっているだろうという思い込みで、竜宮健斗も含め子供達は誰も駿河瑛太のその後を知らない。
昔から引っ込み思案でどこか臆病、話すときも少しの間を置いてからではないと動揺してしまうような気弱な少年。
そこまで思い出して竜宮健斗は羽田光輝の言葉に引っ掛かりを覚える。なんかあった、というのはどういうことだろうか。
「あいつさ、ニャルカさんのお面つけててよ…そこまではいいんだけど、いきなり透明人間みたいに消えちまったんだよ!」
「透明…?」
「その場に健斗もよく知ってる奴がいたぜ!」
瀬戸海里と鞍馬蓮実、皆川万結と袋桐麻耶という組み合わせに驚きつつ、竜宮健斗は放課後連絡とってみると告げる。
もし駿河瑛太の身に何があったとして、それが能力関係と判断するなら事態は少し変わってくる。
さらにセイロンと共にやって来た問題に対して笹塚未来や時永悠真達も集めなくてはいけなくなるだろう。
のんびりした放課後の予定は当日の朝からいきなり慌ただしい内容へと姿を変えていった。
白子泰虎は欠伸しつつ休み時間に珍しくしっかりとした足取りでトイレに向かう。
個室に入りポケットにこっそり入れていた携帯電話、それも旧式と言われるほどの開閉式の二つ折りの形をした、を取り出す。
唯一暗記している番号を打ち込んで数コール音の後に出た相手に向かい面倒そうに告げる。
「うん、今学校。そう、そうだよ。うん。真琴からも連絡あった?そう、うん」
同じクラスにいる同級生の女子である七園真琴の顔を思い出しつつ、電話向こうの相手と会話を続ける。
主に相手からの質問に対して相槌を打つだけの簡素な会話だ。質疑応答と言ってもいい。
白子泰虎は欠伸をしながらそろそろ休み時間終わるからと通話を終わらせようとした。
しかし相手が急に切り出してきた質問に渋々と答える。
「わかってる。転んで血とか出してないから…真琴は僕よりも上手だから大丈夫。うん、じゃあね」
そこで休み時間終了のチャイムが鳴り、白子泰虎は慌てた様子も見せずにのんびりと歩いて教室へ向かう。
走って転んでしまったら怪我をするかもしれない危険性を回避するため、先生に怒られることを選んだのだ。
怒られると言っても軽い注意程度だろうし、お腹が痛かったからと言えば誤魔化せる。
白子泰虎は欠伸を連発しつつも教室のスライド式扉を開いて予想通りに教師に怒られつつ、何食わぬ顔で席につく。
隣に座っている七園真琴が笑いを堪える顔で小さな声で話しかけてくる。
「おじさんに電話?また転んで血出すなとか?」
「そう、だ…よ、むにゃむにゃ」
答えつつ早速寝る準備を始めた白子泰虎に七園真琴は笑う。
瞼を閉じて盛大な音を立てながら机を枕に寝始めた姿のところで、七園真琴は大きな笑い声を上げる。
遠慮のない授業妨害に教師は二人を注意しつつも、いつものことだと通常の授業を開始する。
そんな二人の姿を眺めて竜宮健斗達もいつものことかと小さな笑い声が教室に響いた。
当たり前で普通のことだと七園真琴と白子泰虎は不自然なほどに教室に溶け込んでいた。
放課後に笹塚未来や時永悠真、駿河瑛太を知っている同じクラスの山中七海や浅野弓子が東エリアの公園に集まる。
さらには瀬戸海里が鞍馬蓮実と相川聡史、皆川万結も連れてきたので予想外の大所帯になる。
追加と言わんばかりに御堂霧乃がNYRONに不慣れな豊穣雷冠と求道哲也を連れて来て、時永悠真は改めて二人に挨拶する。
最後にアンロボットで人間の時と同じ姿をしているセイロンとアラリスが揃い、公園は賑やかになっていた。
「えーと、まずはこっちがセイロン。隣はその…なんというか、アダムスが明るくなったアラリス?みたいな…」
しどろもどろに説明をする竜宮健斗だが、時永悠真と笹塚未来には正確に伝わったらしく二人共目をひん剥かんばかりにアラリスを凝視する。
かつては蛙のアンドールに入っていた自己中で破滅の道をたどったアダムスのアニマルデータ、それが変質した新しい存在。
痛い目を味わった時永悠真は顔を青ざめ、笹塚未来は目を合わせられないと言わんばかりに盛大に顔を逸らす。
笹塚未来はアダムスを裏切った。だから目の前に現れたアダムス、今はアラリスに合わせる顔がないのだ。
どうしてアラリスになったのかセイロンが順を追って説明している間に、崋山優香は同級生達と相川聡史達を交えて駿河瑛太の話と皆川万結の写真の話を始める。
駿河瑛太はニャルカさんのお面を被っていた。そして皆川万結の、クラカがクローバーに聞いた能力、で現れた写真の中に関連性の高い一枚。
血が路面に広がってお面が砕け散った写真。記載されている日付はそんなに遠くない未来の時間だ。
「クラカちゃんがマスター経由で聞いてくれたみたいなんだ。万結ちゃんは能力者で、百%の未来を写真として予見できるって」
「万結ね、エスパーなんだって!まほうしょうじょみたいなかんじなんだって!」
無邪気に魔法少女になったと勘違いしている皆川万結は満面な笑みを見せる。
その言葉に瀬戸海里と鞍馬蓮実が対応している横で崋山優香達は深刻そうな顔をする。
特に相川聡史は生々しい赤黒い血の広がりにショックを受けて、今にも貧血を起こしそうな顔である。
羽田光輝は、クラスの委員長でありまた交友関係も広い浅野弓子に駿河瑛太のことについて何か知らないか声をかける。
「私も今日先生に確認取ったら…瑛太くん、転校先でいじめにあったみたい…」
「いじめ?今どきチョーあり得なくない?」
「いやいや。お前達の学校では先生がしっかりしてるだけだろ…俺の学校でも普通にあるぞ」
相川聡史は崋山優香達と学校が違うため、いじめに免疫のある子供だった。
素直になれない相川聡史ではあったがいじめらにはあったことない。ただしいじめがあることを知っている。
子供は大人よりも狭い世界で生きており、少しでも自分と違う物を否定したくなる。
例えばクラスで一人だけ眼鏡をかけている、他の子と違う意見を持つ、それだけで弾き出されるのが子供社会だ。
そして子供は加減を知らない。からかいといじめの境界が曖昧で無意識ながら容易に人を傷つける。
竜宮健斗達のようにいじめがないのを当たり前だと思うのが珍しいほどである。
というのも担任が過去の経験と経歴から子供達をしっかりと指導している面も強いためだが。
「それでね、瑛太くん…不登校になったのをお父さんが怒って外に引きずり出そうとしたら…信じられないんだけど消えたんだって」
「消えた?」
「うん。透明になって、お父さんビックリして手を離したらいつの間にかいなくなってて…行方不明なんだって」
「な、そんなの俺達聞いてないぞ!?なぁ泰虎!!」
「むにゅう……」
「寝るなぁあああああああ!!起きろぉおおおおお!!」
話を聞いていない様子でランドセルを抱き枕代わりに立ちながら寝ている白子泰虎に向かい、羽田光輝は大声を出して起こそうとする。
その様子を見て七園真琴は笑いが止まらなくなり、山中七海は呆れた視線で白子泰虎を眺める。
真剣な話をしていたはずなのに空気があっさりと壊れてしまう。相川聡史はそれらを眺めて竜宮健斗のルーツを垣間見た気がした。
苦笑いをしながら崋山優香は浅野弓子に話の続きを促す。
「先生も私達が混乱するといけないから話さなかったんだって。でも捜索願いや貼り紙出してるって」
浅野弓子はそう言って公園近くにある電柱と塀を指差す。
するとそこには雨風に晒されて散り散りになりかけた貼り紙があった。表面のインクは薄くなっている。
長い間貼っていた証だが、誰もその貼り紙の存在に気付いていなかった。
かつての友達を勝手な思い込みで幸せになっていると勘違いしていたことに、崋山優香は恐怖した。
恐怖したのは崋山優香だけではなく羽田光輝や山中七海も同じである。
浅野弓子は顔を俯かせながら段々と小さくなる声で話を続ける。
「先生…見かけたら教えてくれって。もう二年以上行方不明で死亡届は行方不明から七年で出されるから、生きてるのに死んだことにされたら瑛太くん…本当に透明人間に…」
とうとう堪え切れなくなった涙が浅野弓子の瞳から零れる。主観的に状況を感じてしまい辛くなったのだ。
もし自分が誰からも忘れられて生きてるのに死んだことにされたら…それは本当に死にたくなるほど辛いことだと。
山中七海が泣き出した浅野弓子に寄り添うように背中を撫でる。同じように瞳に涙が溜まっている。
二宮吹雪も黙ったまま顔を俯かせ、七園真琴はいつもは笑う口元を一文字に引き結んでいる。
「大丈夫だろう。十年間親から忘れられた奴もいたけど…今は元気にバイオリン弾いてるし」
相川聡史が周囲を落ち着かせるようにある話題を切り出した。
それは仁寅律音という少年が実際に味わった過去。実の親から存在を忘れられて、違う人物像を押し付けられた話。
しかしその話と今の駿河瑛太が置かれている状況は違う。変わらない空気に相川聡史は戸惑うだけだ。
山中七海は慰めてくれたことは感じたが、それでも気持ちは立ち直らない。
するとセイロンの説明が終わった時永悠真と笹塚未来達が崋山優香達の話に参加する。
微妙な顔をしている時永悠真と笹塚未来はアラリスについて気持ちに整理がつかないので、他の話題で気を紛らわすことにしたのだ。
また竜宮健斗も駿河瑛太のことをよく知っているので、放置することができなかった。
「ニャルカさんのお面に透明人間……他に瑛太との繋がりが何かないかな…」
「透明人間……なぁ哲也。俺様達の未来世界であった魔法使いの弟子の事件覚えてるか?俺様忘れたんだけど…」
「覚えてる。音、透明、予言、熱、具象化、様々な能力の子供達が一斉に事件を起こした日がある」
求道哲也が淡々と暗記した内容を話す口調だったが、その内容に誰もが顔を上げる。
未来からやって来た求道哲也は移動する時間点が魔法使いの弟子の事件で時永悠真が殺されるという内容だった。
だからこそ詳細とまではいかないものの事件の概要程度は頭に詰めて、タイムマシンを使ったのだ。
ちなみに時永悠真の場合アダムスの始末という内容だったため、魔法使いの弟子という事件について一切知らない。
豊穣雷冠の場合は忘れると自覚していたので、あえて調べなかったという背景である。
「魔法使いの弟子達による自由運動だったか…ただ俺が知っている内容と少し違うみたいなんだ」
「それって…哲也の未来とこの過去、というか現在が変わってきているという予感?」
「そうだな。良いことなのか悪いことなのか…判断はつかないが、俺が知っていることは話そう」
魔法使いの弟子達、という名称は事件を起こした犯人の子供達が口を揃えて告げたのだ。自分達は弟子だと。
子供達は様々な理由から集まり、その中心にいた人物を魔法使いと仰いで暮らしていた。
そして魔法使いの頼みで同じ日に行動したのだと。しかし行動の内容に魔法使いは一切関わっていない。
子供達は起こした事件の内容は全て自分達の責任であり、強要でも懇願でも命令もされていない。
まずは音の弟子が散歩がてらにガラスを手当たり次第に割ったのが始まり。次に熱の弟子が電車を襲う。
そこで事件は途切れたかのように見せて、ある日熱と音と透明、具象化の子供達がさらに大規模な問題を起こす。
残念ながら予言の弟子は魔法使いと一緒に一時行方不明だったが、のちに警察に保護される。
錯乱した様子で泣き叫ぶ予言の弟子はただひたすら助けを請うた。魔法使いは警察の必死の捜索にも関わらず消えた。
そして弟子達は少年院に護送される最中に熱の弟子による暴動で全員が命を落とす。能力者の表立った歴史の中で最初の最悪な事件。
求道哲也が知っているのはそれだけである。
「全員…死ぬ?」
「そうだ。どうやら弟子達は魔法使いがいないことを受け止めきれずに集団自殺を図ったというのが有力説だ」
「有力説って…」
「弟子達は捕まった後もひたすら警察に魔法使いの行方を尋ねたり、全てを敵とみなすような発言が公言文書として残っている。そこから推察される説だな」
求道哲也は手の中にある哲学書を読みながら、淡々とした口調で答える。
他人事のように話すその様子は不気味と言えるほどだった。まるで人の死など飽きるほど見てきた表情をしている。
そして実際に求道哲也は嫌になるほど死を見てきた。試験管から生まれた子供達が奇病で死んでいく光景を。
豊穣雷冠も同じように戦争が頻発する時代を見てきた。だから魔法使いの弟子達の話を聞いても平然としている。
だが竜宮健斗達は違う。戦争も奇病も流行らない平和な時代で、変な事件に巻き込まれつつも、生き抜いてきた。
そして変えられないと思っていた未来を変えてきた。全てが成功したわけではないが、全て失敗したわけではない。
強い力がこもった光が瞳の中できらめき、竜宮健斗は心に思ったことを言葉にする。
「今なら…今なら全部変えられるんだよな?」
「ケン…」
「今なら……瑛太も、魔法使いとかも全員生きてるんだよな…?」
なら、答えは決まっている。全員救おう、無茶な話でも無理じゃないから。
竜宮健斗の出した答えはいつも通りの内容だ。
全部救う。悲しいことが起きるかもしれないけど見過ごせない。
その言葉に散々付き合わされてきた面々は任せろと言わんばかりの笑顔を見せる。
子供達は全部救う準備のために手元にある手掛かりに目を向ける。百%起こる光景を写した写真。
時間も日付も記載された、新しい能力者の皆川万結が差し出したチャンスを掴む。