自惚れ一目惚れ勘違いラブ
ウィルスAliceは万能である。ありとあらゆる状況に対応し、操作する者の意向に従う。
対ワクチンソフトを作っても、それを一瞬にして上回る性能を持つ。
ウィルスAliceを保有しているマスターはそれを使って一つの実験をすることにした。
そのためにまず会議場と名付けたスーパーコンピュータ内にアクセスし、そこに存在しているアニマルデータ達に交信を試みる。
最初に反応したのはおそらく会議場の中心的存在として行動しているデータ、セイロンだった。
<こちら会議場のセイロン。マスターだな。進展が聞きたいのか?>
「いーや、どうせ融合が進んでいて、それをわずかに押しとどめている程度だろ」
マスターの確定したと言わんばかりの予想に、スピーカーの向こう側から苦々しい息のつまったような音がした。
ような、というのはセイロン達会議場にいるアニマルデータ達に今は肉体どころが機械の体さえない。
コンピュータ内部のデータの収容所で、データ変換された魂単位という存在として活動しているからだ。
消失文明という高度な古代文明が、滅亡から逃れるために施した技術が魂をデータに変換するというものだ。
だからこそ何千年も先の未来でセイロン達は永い眠りから目覚めて動いている。
その消失したはずの文明では幼い少女が女王として統括していた。下には年端もいかない弟がいた。
二人はそれぞれ希望ある未来のために、今あるものを犠牲にしようとした。自分の望む未来のために。
一人は死んでしまった。黒焦げになったCPUにデータがあって、焼けて消えてしまった。
もう一人はかろうじて残っていた姉のデータと統合して人格崩壊を起こしかけた。
せめて弟だけは救おうとセイロン達は、竜宮健斗に関わったアニマルデータ達全員は一時の別れをした。
弟であるアダムスのデータに、姉のクラリスのデータが混じっている状況。アニマルデータ達は各自が知っている情報を集めて、アダムスのデータだけを残そうとしている。
クラリスのデータはクラカという人工知能の中に残っていた、記憶や一部の思い出であって、本人ではない。
しかし作業は難航している。というのもアダムスとクラリスを良く知るかつての従者であったリズリスでさえ知らないことをアダムスは抱えている。
それも当たり前の話かもしれない。他人の全てを知ることなど、どんなに親交が深くとも不可能に近い。
これでは数年どころではなく、百年単位かけてもアダムスを救えないかもしれない。セイロン達は行き詰っていた。
さらに最悪なことが起こっている。アダムスとクラリスのデータ融合深度が深まっている。
このままではわずかに保っているアダムスという個人は消えてしまう。そしてクラリスでもない、誰でもないデータだけが残ってしまう。
焦ってもしアダムス自体のデータを消失させては意味がない。それでも融合は止まらない。
まずアダムス自身が酷く心に傷を負っており、クラリスの思い出データを心の底から受け入れていた。
大切で大好きな姉のデータを、離さないと必死になっている子供のように。
「シスコンってのは大変だな。そこで私の実験に付き合わないか?」
<…どういう実験だ>
「ウィルスAliceを使った、新しい次元のデータ構築さ」
かつて地底遊園地を襲った脅威である絶望は、セイロン達の希望に変身していく。
竜宮健斗と崋山優香は中央エリア駅で起きた事件を掻い摘んだ内容のメールを受け取った。
なので今は徒歩で東エリアの自宅に帰る途中である。籠鳥那岐や葛西神楽達は他のエリアのため帰り道が違う。
豊穣雷冠と求道哲也は御堂霧乃が預かっておくと決まった。御堂霧乃の家は社長邸宅で父親と二人暮らしのため部屋が余っているという。
客室も兼ね備えた屋敷なので問題はない、と御堂霧乃は当たり前のように言っていた。
また異変が起きたらすぐに警備員も駆けつけられる防犯システムもあるらしい。だからこそ豊穣雷冠達は御堂霧のが預かるのが一番いいという結論になった。
何故なら仁寅律音のメールでは地上に出てきたキッキを倒し、音波千紘を倒した相手を探している能力者の少年がいるという話だ。
一般家屋で能力者が、しかも明らかな敵意を持った相手が暴れ出したらひとたまりもない。
ちなみに別れ際に聞かれてもないのに御堂霧乃は籠鳥那岐に意味ありげな視線を向けつつこう言う。
「乙女の貞操を心配してくれてもいいんだぜ、なっちゃん☆」
「黙れ人生最大汚点」
そんなやり取りの後、御堂霧乃の隠れ家から抜け出して解散の流れとなった。
すっかりと雨は止んで夜空が茜空を侵食して星を煌めかせている。
しかし地上の電灯や家屋の明かりに負けてほとんどの星が姿を消えてしまう。
月はまだ輝きが弱くて、少しずつ真上に昇ろうと移動し始めた。
竜宮健斗と崋山優香は口少ないまま歩いていた。どこか距離が空いたような空気が二人の間にはあった。
幼馴染で昔から気兼ねなく一緒にいれたはずなのに、成長したのか年頃の問題なのか、それとも別の問題か。
いつもだったら他愛ない会話をして、明日の予定を話しては、セイロンも入れて三人で…
そこまで考えて崋山優香は溜息をつきたくなる。もうセイロンはいない。愛しい人の弟を救うために手の届かないところに行ってしまった。
竜宮健斗の望みを叶えるために、竜宮健斗が望まない結果を受け入れた。
未来を救うため、過去に決着をつけるため、現在を最大に使っての決断。
「…」
「…」
一番の親友を失い、フラッグウォーズというアンドールを使った試合に参加もできなくなった。
もう東エリアのボスという肩書も譲ってしまった竜宮健斗は、自分に何が残っているのかと自問自答する。
勉強はできない、馬鹿だから。運動はできるけど人並み。芸術は担任に個性的だなと苦笑いをされる程度。
夢はいつかセイロンと一緒に世界中を巡ること。今となっては叶うのかどうかすら怪しい。
喪失感で埋め尽くされたはずの心は、逆に空虚が大きくなっていく。
きっと明日にはいつもと変わらず学校に登校して、授業を受けて、放課後には友達と遊んで、家に帰って一日の終わりまでのんびりしているだろう。
望んでいたはずの当たり前で平和と幸せが混じった日常。でも竜宮健斗にはそれだけでは足りなかった。
一年も一緒に過ごしてないはずなのに、セイロンという存在がないだけで竜宮健斗は寂しさで眠れなくなる。
「…セイロン、今頃何してんのかな…」
「ケン…」
「なにって…お前の後ろにいるぞ?」
突如聞こえてきた、でも聞き慣れた機械音声に似た肉声。
でも肉体の声にしてはどこか違和感があった。それでも竜宮健斗と崋山優香が振り向くには十分な声だった。
後ろで立っていたのは二十代前半の青年で、藍色の髪に真っ青な目が特徴的な、かつての青い西洋竜のアンドールを彷彿とさせる容姿。
それとよく似た姿を竜宮健斗は見たことがある。クロスシンクロでセイロンの過去を見た際に見続けていた青年。
セイロンがかつて人間でいた時とほぼ同じ姿の青年が立っていた。
片腕に金髪の美少年を侍らせながら。
「セ………………イロン?」
「…ホモ?」
「違うぞ!!?優香、危ないことを言うな!!!」
慌てたように青年の姿をしたセイロンは金髪の美少年がへばりついている片腕を振る。
しかし美少年は離れずにさらに抱きついてくる。それだけでセイロンはうんざりしたような顔をする。
竜宮健斗はいまいち喜んでいいのかわからず、崋山優香は不審者を見る目でセイロンを眺める。
「アダムス様!!今すぐ離れてください!!!!」
「アダムス!?」
「違うよー!僕はアダムスとクラリスとAliceが混じった…アラリスだよ!」
金髪の美少年アラリスはそう言うと、笑顔で竜宮健斗と崋山優香に挨拶した。
それはまるで初めて会う人にするような他人行儀の挨拶だった。
混乱する竜宮健斗達にセイロンは苦々しい顔で説明をしていく。
マスターが提案した新次元データ構築というのは、ウィルスAliceとアダムスのデータを合わせるという内容だった。
Aliceは第三者の意思で形を変えることも容易で、またどんな状況にも対応できる。
だからこそアダムスのデータの中に入り込み、融合。Alice自身にあらかじめデータ離別内容を刷り込んでの上だ。
そしてアダムスの意思と融合したAliceが内部からクラリスのデータを排除していくという結果になるはずだった。
マスターが進化過程であるアダムスという意思を持ったウィルスAliceになることを黙っていなければ。
つまりは愉快優先したマスターの思惑に気付かなかったセイロン達はその提案を安易に受け入れてしまった。
進まない事態と竜宮健斗達に早く再開したいという願いのせいで焦った失策である。
そして人格を取り戻したと思われたアダムスは、以前とは全く別の性格で爆誕してしまった。
と言っても記憶や思考はアダムスなのだが、明らかに性格やセイロンに対する対応が真逆なのだ。
自己中心的なところは変わらないのだが、セイロンに懐くわ明るい性格で冗談言うわでセイロンはド肝を抜かれた。
<……………………………マスタァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!?>
「あっひゃひゃひゃ!!!まじかよ王子様!!!」
<いっえーす★アダムス王子再誕だよ!!>
なんの冗談というか悪夢なのかと誰かに文句を言いたくてセイロンはとりあえずマスターの名前を呼んだ。
しかし大爆笑を続けるマスターは一切取り合うことせず、アダムスはアダムスで勝手に説明を始める。
<僕、アダムスという個人はちゃんと独立してるよ。ただ姉さんの記憶や感情もAliceが有効活用してちょっと新生活デビュー★みたいな>
アダムスという個人は取り戻した。しかし内部に入り込んだAliceはクラリスのデータをただ排除したわけではなかった。
セイロンへの好意や誰かを思いやる優しさ、平等に国民を愛する器やちょっと女の子らしい生活をしたいという願望。
それらをプラス要素としてアダムスの中に吸収させたのだ。なぜならクラリスのデータと分離させるにはアダムスの悪意やひねくれた原因を取り除かなければいけなかった。
姉を奪ったセイロンが許せない、姉を見殺しにした奴らが許せない、自分の未来を邪魔する奴は殺したい、姉の理想を叶えるために犠牲はいくらでも払う。
それらがクラリスのデータと融合を深めていた原因で、切り離すにはその思考データを削除せずに変えるしかなかった。
だからウィルスAliceは最善の手を打ったわけなのだが、それはセイロンにとって新たな悩みの種として芽吹いたのだった。
<まぁ、前の思考データもバックアップしてもいいよ?ただし今すぐ時永悠真や笹塚未来に復讐しに行くかもしれないけど☆>
<…>
<今の僕はちょっと最強だよ。なにせ地底遊園地を混乱の渦に陥れた最強ウィルスAlice自体でもあるわけだし…公共機関のハッキングも楽勝★>
<…………>
<さて問題です!今の過去を流し去った明るい僕と、前みたいな悪意の塊で自己中暴走野郎な僕、どっちがセイロンのお好みかな★>
究極二択を前にしてセイロンは急遽スーパーコンピュータである会議場で決議を始める。
内容はどちらのアダムスがいいかということ。そして内容はあっさりと決まった。
シュモンは問題が起きないならそれが一番で、早く籠鳥那岐に会いたいから我慢しろ。
シラハはお前一人の犠牲ですむものだし、アダムス殿下が新しい個性を手に入れたのならそれはそれで祝福するものだし、早く仁寅律音を見守りたい。
おそらく最年長であるガトでさえ玄武明良と猪山早紀の子供誕生までには戻りたいから、このままでという始末。
そして多くのアニマルデータが導き出した答えは、セイロンお前が我慢すれば万事解決だということ。
「モテる男はつらいな、セ・イ・ロ・ン」
セイロンは涙を流したかったが、データの状態では涙を流すことすらできなかった。
そして会議場で決めた多数決という流れの中でセイロンは我慢することにした。
アダムス王子が幸せならそれでいいですよこんちくしょう、と心の中ではやけくそになっていた。
セイロンの答えを聞いて満足したアダムスはまず会議場というスーパーコンピュータに保存されているデータ内部の構造を変えた。
今までは意識だけの存在で暗闇にいるかどうかすらわからないような曖昧な空間で漂うように意識を流していた、とセイロンはそう認識していた。
しかし今ではデータなのに人間であった頃の体が視覚化され、聴覚や触覚という感覚の再現や、ネットを視覚化したような空間が浮かび上がる。
白を基調に青のケーブルのようなラインに、黄色などの立方体の積み重なった箱や丸い球が空中に浮かんでいる。
その中でセイロンは自分の体が無重力空間の中で浮いているように感知していた。まるでデータ世界と言わんばかりの新世界創生を目の当たりにした気分だった。
「言っただろう?新次元データ構築実験だって…意思を持ったAliceはその世界じゃ神様みたいなもんさ」
これがマスターのやりたかったことかとセイロンは目を丸くした。ガトやシュモン、あらゆるアニマルデータ達もその空間でかつての人間の姿で浮いている。
近くにいる相手の元に泳いでいくように移動して触れ合ったり、自分の口で言葉を出して耳で聴きとるということが可能になった世界。
生きている時とほぼ変わらない、あらゆる物事の再現はセイロンの常識を粉砕して超越するほどの衝撃だった。
そしてアダムス自身は昔の幼い姿が気に食わないらしい。金髪の美少年なのだが、それでも不貞腐れた顔をしている。
<今の僕って男と女が混じっている感覚だしなー。どうせならネットから最近の流行を取り入れてくるねー!!>
そう言ってアダムスは造り上げたデータ世界会議場からウェブの海であるインターネット空間に一瞬で移動する。
あらゆるファイアーウォールを乗り越えて、全てのウィルスセキュリティソフトを無効化し、縦横無尽に駆け巡る。
ウィルスAliceによって進化したアダムスは、過去の自分がいかに小さくて惨めだったかを思い知る。
そして生まれ変わったのだから、新しく手に入れたデータ世界を作れるほどの力を活用して望みの情報を手に入れた。
男の娘、ツインテール、ミニスカニーハイソックスによる絶対領域、おそらく手に入れてはいけない知識も手に入れながら望む姿を構築していく。
そして会議場に帰って来た時には、その姿は見違えるように変わっていた。
太陽に光輝く金髪のツインテールにぶかぶかパーカーに、ミニスカニーハイブーツ、絶対領域を作るのを忘れていない。
少年と少女のような中間の顔立ちに性別がわからない体型、そして不敵な笑みを浮かべてこう告げる。
<絶対無敵のデータアイドル、アダムス改めアラリスちゃんだよ☆>
もう何も言うまいと、セイロンは諦めから悟りの境地である扉を叩き始めた。