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第一夜

※いくつか史料と異なる箇所もございます


※少女向けライトノベル寄りです


※ジャンル上漢字表記が多いですが、和風ファンタジーに慣れている方なら問題なく読める程度かと思います


※時代設定上、少々残酷描写も含みます

規定にひっかかるものではないと思いますが、敏感な方はご注意くださいませ

(違う、あれは…――なんかじゃ――…)

 稽古と実戦は違うと、教えてくれたのはだれだったか。今は出来るだけ遠くへ、遠くへ。どこをどう走ったのかよく分からない。とにかくだれかに伝えなければ。逃げなければとゆうは重くなった体と足を引きずっている。

 梅雨も終わりに近づき、夜とはいえ湿気を含んだ風は纏わりつくようで、気持ち悪い。京特有の蒸し暑さは、重たい体に圧しかかるようで。

(今は、逃げなきゃ。だれかに、だれかに)

 言わなきゃ、伝えなきゃ。あのままにしてちゃ、いけない。

 足がもふらつく。息があがる。首の後ろでまとめている黒髪が揺れ、流れる汗で顔に張りつく。鼓動が早鐘を打つ。杜若かきつばたの花と似た色の衣は、端々がやぶれ薄汚れていた。

 星も月明かりもない夜。風と葉擦れの音、遠くに見える灯りは料亭か、旅籠か。

 鉄が擦れ合う、耳障りな音。あの場から遠く離れたはずなのに、聞こえる怒号と足音がいまだすぐ傍に迫っている気がして。

 だがもう、限界が近い。耳に入るもの、目につくもの、その全てが近くのような、遠くのような。

 視界が揺れて、意識が遠くなるのを必死で押し留める。

 何かがずるりと、己の目の前で落ちた。

 そう頭が理解した時には、目の前で砂が風に舞うように、何かがきらきらと輝き消えていく光景が広がった。夜空の星が落ちては消えていくような、そんな光景だ。

 同時に月が雲の切れ間から顔を出す。働かない頭を持ち上げ、空を見上げた。

 真っ白な月を視界に入れ、ようやく月明かりが出たことに気づく。

 何かが輝き消えた。その向こうに人がいた。

 助かった、そう思った。

 その瞬間、ぐらりと視界が揺れ地面が近づく。

 倒れる。

 だが想像した衝撃は来なかった。そばにある人影に、悠はのろのろと視線を向ける。

 浅葱色の羽織を着た青年に支えられているのだ。

「おっと……まさかこんな時間に、人がいるとは思いませんでしたが」

「総司、だから気ィつけとけってあれほど言ったじゃねぇか!」

「新八さん、そんなこと言ったってこの時間にこんなお嬢さんがいると……て、大丈夫ですか!?」

 意識が遠のく。聞こえる声が遠く、視界が揺らぐ。目の前が真っ暗になる。肩を揺すられている感覚があり、それに応えようとするも体は動かない。

 一瞬、紅い光景が悠の頭に浮かぶ。

 燃え盛る炎、血溜まり、影しか分からないが男がひとり。

 何か言っている。あれはだれだったか。

(……――母様、父様。私は、また――……)

 紅い光景がぐにゃりと歪み、再び別の風景が脳裏に広がる。

 珍しい洋館、幾人かの浪士と血が流れている刀、その下に誰かが倒れていた。

 そうあれは。あの人は、あの場所は。

 そこで悠の意識は途切れた。



「っっ……いやぁぁぁ!!」

 悠は飛び起きた。黒髪が揺れ、嫌な汗で顔に張りつく。

 夢を見た。それが何なのか、どんな夢なのか。自分では判然としない。ただ怖くて、思い出したくなくて。

 汗をかいて、鼓動が早鐘を打つ。息があがって初夏のはずなのに、血の気が引いているのか寒い。

「大丈夫ですよ、怖いことはありませんから。うなされていたようですが、落ち着いて」

 青年が背を擦ってくれた。それでようやく、そばに人がいるのだと気づく。青年は肩につかない程度の髪は癖がなく、黒に近い茶色だ。眦が下がり、色白だがとても柔らかな印象だ。

 肌に触れる柔らかな布団の感触に、そこに寝かされていたのだと思った。深呼吸を繰り返しながら、悠はゆっくりと周囲を見渡す。

 見知らぬ天井、それに押入れに小さな文机、隅にはいくつか座布団が積まれ、その部屋の中心に寝かされていた。開けている障子から青い空が見え、入道雲がもくもくと顔を出している。風はあるものの、湿気を帯びたもので正直心地いいとは言いがたい。庭の池のそばの木が揺れ、深緑がざわざわと音をたてている。

 よく耳をすませば、幾人かの男の掛け声のようなものも聞こえた。

 もうひとり縁側でこちらを見る男性がいる。首の後ろでまとめてある髪、切れ長の瞳に薄い唇。野生の獣を思わせる鋭さが残る顔は、人並みに以上に整っている。片目が前髪で隠れているが、それでもなお鋭さが目立つ。黒の着流しに藍色の羽織を着て、三十路に届くか否かといったところだろう。

「――話は決まった。あとは当人次第だ。俺は近藤さんに話てくる」

「分かりました、土方ひじかたさん。お願いします」

 土方と呼ばれた男は頷いて、立ち上がるとその場を後にした。

 入れ替わりのように別の青年が現れる。

 深見草ふかみぐさを刺繍した派手な着流しはとても印象深い。髪は少し撥ねているが、後頭部で僅かに括っているようだ。切れ長の瞳だが、陽気な性格なのか人懐っこい雰囲気があった。

 土方がいると少しばかり緊張感があったが、がらりとその空気が変わった。

「お、気ィついたかい? 怪我もねぇようで何よりだ。総司そうじ、妙な真似しなかったろうな?」

「だから新八さん、いくら遊びまわってるからってそこまで俺も見境ないわけじゃないんですから。って、何回言わせれば気が済むんですか」

「日々の行いがものを言うってっこった」

新八しんぱちさんだって人のこと言えないくせに」

 背をさすってくれた青年が総司、先ほど現れた総司と同い年くらいに見える青年が新八というらしい。

 新八は総司の隣に胡坐をかいて座った。

 すっかり置いてけぼりを食らい、軽い言い合いを続ける二人を交互に見やる。総司は浅葱色の袴に藍色の衣。色白で男にしては華奢に思えるが、それが中性的な印象をる受けた。対して新八は日焼けして体格も青年らしく見えるが、人好きのする笑みと陽気な雰囲気から怖いという感じはしない。

 ニ、三度深呼吸し、ようやく口を開く。

「あの……ここは……どこ? それに、この着物は……?」

 場所もそうだが、着ている物が違う。それは覚えのない真新しいもの。着替えさせられたということだ。

「ああ、ごめんなさい。大丈夫ですよ、着替えは近所の甘味屋の女将に頼んだんです。だれひとり不埒な真似はしてませんから。……ほら、新八さんがあんなこと言うから、戸惑ってるじゃないですか」

「うるせぇ、本当のことだろうが。と、悪ィ。ここは壬生村みぶむらの新選組屯所。昨日、お嬢さんが倒れたところに居合わせてな」

「どうしようかとは思ったんですが、あの状況じゃ家も分からないし、とりあえず屯所までってことになったんですよ」

 実に息の合った二人の説明に目を丸くしつつ、倒れる直前の記憶を辿る。

 ――昨日、夜だ。

(私は何をしていたの)

 大通りの真ん中で半分意識が飛びそうな中、あんな遅い時間にひとりで何をしていたのか。

「そういや、名前は?」

ゆうです。……昨日……っっ!」

 昨夜のことを話そうとした。その前何をしていたのか。その途端、頭が割れそうなほど痛む。

 新選組も、壬生村も、聞き覚えがある。なのに。

 昨日、自分はどうしていたのか。どこから、何から、あんなにも必死に、逃げ――……。

「い……っっ、く……」

 痛みが響いて、割れそうだ。悠は頭を抱えると膝を立て、顔を埋めるようにして痛みが通り過ぎるのを待つ。

 つい昨日のことだ。それなのに靄がかかったように朧で、判然としない。

 鼓動を数十数え、ようやく引いた痛みに悠は深呼吸をした。

(名前は分かる、新選組も壬生村も分かるのに……何で……?)

 新選組、京の治安維持を任された江戸から来た浪士の集団。彼らの屯所があるのが、京の洛西らくせい、二条城から少し南下したあたりの壬生村だ。

 総司が心配そうに悠の肩に手を添える。

「悠? 大丈夫ですか?」

「大丈夫……ちょっと頭が痛くて……もう治まったから」

 悠は深呼吸をすれば、姿勢を元に戻す。頬を湿気を帯びた風が横ぎった。

 新八と目が合うと、心配そうな顔で覗き込んでくる

「本当か? 医者呼んでもいいんだぜ?」

「本当に大丈夫です。少し思い出せないことがあって」

「思い出せないこと?」

 総司は聞き返せば、僅かに首を傾げ新八と顔を見合わせた。

「その……気を失う以前のことが、はっきりしなくて。名前は分かるし、壬生村とか新選組とか、そういうのも分かるんだけど」

 今も思い出そうとしても、さっきほどではないが頭痛がする。

 総司と新八は再び目を合わせた。すこし考えるような仕草をしたかと思えば、二人は再び悠へと視線を向ける。

「記憶喪失ってやつですか」

「今の様子じゃ嘘でもなさそうだしなぁ……身元の確認がとれねぇってのは、ちっと厳しいがこればっかりは仕方ねぇしな」

 総司は眉を寄せ、新八は顎に片手をあてる。

「……私、どうなるの?」

「貴女のような人に乱暴な真似はしませんよ。ただしばらく屯所で身柄を預かることにはなるんで、不自由があるかもしれませんが」

「女の格好で屯所にいさせるわけにゃいかねぇから、男装してもらうが……」

「平隊士への説明も面倒くさいので、だれかの小姓ってことで少し雑用をお手伝いしてもらうようになるかと。その辺りは大丈夫ですか?」

 着る物にそれほど執着はないように思う。お手伝い程度なら、多分できる。

 そんな心配を見越したかのように、新八が続ける。片手を伸ばしぽんぽんと頭を撫でられた。

「雑用ってもあれだ。人数分の茶淹れたり、廊下や庭の掃除とか。皿洗いとか。悠ひとりじゃ手が足りねぇ時は、俺や他の連中も手伝うからよ」

 選択肢は最初から与えられたものしかない。当てがない以上、悠自身にはどうすることもできないからだ。それにさっきの様子を見ていれば、浪士の集団といっても怖い人ばかりじゃないのもかもしれない。命の危険もなさそうだ。

(今までの話からすると、身元がはっきりするまで……ってこと、よね)

 心中で聞いた話をまとめれば、悠は一度深呼吸し告げる。

「――はい、宜しくお願いします」



 悠が目を覚まして数刻、正午も過ぎたが夕方にはまだは早い。

 総司や新八はまだ休んでいて構わないと言ってくれたが、体を動かしていたほうが気が紛れるからと、屯所内を案内してもらった。ちゃんと名前を聞いていなかったので、二人の名前も聞いた。

 沖田総司おきたそうじ永倉新八ながくらしんぱち、それに他の事情を知っている幹部隊士も何人か紹介してもらった。

 時折強風がふくが、出歩けないほどでもない。晴れているものの、雲が所々顔を出している。

 屯所の周囲には岡崎、肥後などの邸もある。屯所から戌亥いぬいの方角には高瀬川の船入場もあり、屯所前を行き交う人も様々だ。町娘、奉公人、行商人、侍。屯所には蔑んだような視線を向ける者、見ようとすらしない者もいた。

「――よし、上出来。向かって左から……土方さん、私、沖田さん、永倉さんでいいのよね」

 悠の私室として使っていいと言われた部屋は、最初に寝かされていたあの部屋だ。そのすぐ目の前の縁側を雑巾掛けし、水を張った桶で雑巾を洗いながら、部屋順を復習する。

 悠は土方の小姓という立場になった。そして部屋も他の隊士が近寄らないところがいいだろうとなり、そのまま土方の隣となったのだ。

 格好も青墨色あおずみいろの袴と薄藍の小袖。それに髪を結い直してある。胸は一応晒しを巻いているが、あってもなくても変わらない気がすると悠自身は思っていた。今は雑巾掛けのため、ひもをかけ袖をまとめている。

 着替えた時に小さな鏡台で自分の姿を確認した。丸い瞳に白い肌、長い黒髪は括ってもなお腰のあたりまである。大人の女性の体躯かと言われれば、どちらかというと子どもっぽいと思う。こうして着替えてみたらみたで、一応少年に見えるのには正直、少しだけ傷ついた。

(……今、考えててもしょうがないよね)

「終わったかい?」

 ふいにかけられた声に顔をあげると、角を曲がって現れたのは新八だ。相変わらず派手な着流しだが、それが嫌味に映らないのは新八が持つ雰囲気のためだろうか。粋な江戸っ子というが、まさにそんな雰囲気だ。

 新八は竹皮の包みを片手に、こちらへ歩み寄ってくる。悠はぎゅっと洗った雑巾を絞って、桶の淵に掛けながら頷いた。

「はい、永倉さん」

「あー、新八でいいって。んな気ィ使わなくたって、普通に話してくれて構わねぇよ。ほら、土産」

 立ち上がれば竹皮の包みを差し出され、それを両手で受け取った。

「えーっと……新八、さん。これ、何?」

「大福。近所の甘味屋の。悠の着替え手伝ってくれたのが、そこの女将さんさ。甘いもの苦手じゃねぇなら、好きに食えよ」

「え、でも、いいの?」

 来たばかりだというのにいいのだろうか。

 悠は何度か瞬きをし若干ぎこちないながらも、新八へと視線を戻す。すると新八は人好きのする笑みを浮かべて、ぽんぽんと頭を撫でてくる。

「昨日の今日なうえ、屯所へ来たばっかじゃねぇか。そこまで俺らも土方さんたちも鬼じゃねぇしな」

「ちょっと新八さん、それは俺が渡すって約束じゃ……って、抜け駆けですか!?」

 再び廊下を歩く軽い足音ともに聞こえたのは総司の声だ。そちらへ顔を向ければ、総司は新八の腕をとって悠から引き離すようにぐいっと引いた。

「だれが抜け駆けだ! だいたいこれ払ったのは俺じゃねぇか!」

「それならだれのおかげで早く巡察終わったと思ってるんですか!」

 やいやいと言い合う二人の間で、悠はおろおろと交互に二人を見やる。

(多分、仲はいいのよね。……喧嘩するほど仲がいいっていうし)

 言い合いはするものの、険悪な雰囲気にならないところを見ると、おそらく仲がいいんだと想像できる。そうはいっても、慣れない間はやはり戸惑う。

「おめぇはそこら中で遊びまわってるじゃねぇか! ちったぁ年上にいいとこ譲れ。それに自重しろ、自重!」

「遊びまわってるのは新八さんだって俺と変わらないじゃないですか! 年上だっていうならそれらしいとこ、普段から見せてくださいよ」

 喧嘩友達、そんなところだろうか。

(あ、新八さんのほうが年上だったんだ。総司さんと同い年くらいかと思ってたけど)

 新八は少し童顔なのかとつらつらと考えながら、どこで止めればいいんだろうと悠は二人の様子を伺う。

「あっちこっちで煙が立つような遊び方はしてねぇっての!」

「そんなの関係ないでしょう。島原じゃあれこれ引っ張りだこのくせに!」

 ――なんとなく、聞いてはいけないような気がする。機密でもなんでもないのは明らかだが、こういった話だと悠もなんとなく居たたまれないような気分になる。

 藪を突いたら蛇がいそうな、近道のつもりで脇道にそれたら思わぬ遠回りになってしまいそうな、そんな感じだ。

 悠はニ、三度深呼吸し、意を決して声をかける。

「……あの……」

「ほら、また悠が困ってるじゃないですか。そうだ、悠、今度甘味屋行きましょう」

「なんだ、その俺のせいみてぇな言い分! 総司が言い出したんだろうが。つか、何さりげなく誘ってんだよ」

 交互に二人を見やれば、もう少し続きそうな予感がした。悠はもう一度深呼吸すれば、できるだけ大きな声で告げる。

「……よければ、皆でお茶にしませんか!?」



 月が昇り、青白く輝きを増した頃。京のとある料亭、添水そうずのからんとした音が響く。灯篭には灯りが点され、料亭の庭を美しく照らし出していた。

 障子に映る影は二人、酒を注ぐ様子が見えた。

 男のものだが透き通るような声はあきらかに不安を顕わにしている。

「……少し性急すぎやしませんか?」

「では聞くが、他に策があると申されるか?」

 幾分か年かさに聞こえる声は、刺さるように冷ややかだ。

「そう言われれば黙るほかないが、ここで短気を起こしては全て水の泡。今は何があっても耐える時ではありませんか?」

 六月二十日頃、風の強い日を選び御所に火をつけ混乱に乗じて、京都守護職、松平容保まつだいらかたもりと幕府方の公家を襲撃。

 無謀すぎる計画だ。新選組の力は決して甘く見てはならないものだ。勢いにのり、剣腕も一流の者が揃っている。内部で揉めていた時期もあったようだが、それも今は落ち着いているようだ。

 昨年の禁門の政変では、会津、薩摩が孝明天皇の意志で攘夷倒幕派を排除することを目的とした。邪魔が入らないよう、御所の門を全て閉じ行われた朝議は、目的通りの結果となったのだ。九つある御所の門のひとつを警護していたのが新選組である。孝明天皇自身も攘夷派のなかでも、公武合体こうぶがったいを目指していた節もあり、倒幕派の第一とされていた長州はあえなく御所から、更には京から追い出されたのだ。勢いに乗っていた長州勢が一掃され、禁裏守護きんりしゅごの役目を解かれた。それによって倒幕派の勢いは失速した。

 あれからまだ一年も経っていない。近頃は新選組の監視の目も厳しくなっており、少々の小競り合いは毎度のこととなりつつある。

 隊士数はそう多くないと聞くが、今ははっきり言って状況が悪い。ごり押しして、勝てる状況ではない。

「桂殿、冷静なそなたのような考えをもてる者は数少ない。まして血の気の多い若い連中を説き伏せるのは容易ではないでしょう」

 長州浪士、桂小五郎かつらこごろう。攘夷派のなかでも倒幕派に見られている節があるが、その実穏健派だ。

 三十を過ぎた頃ばかりだ。優しい顔立ちで、結い上げている髪は肩につく程度だ。優男と感じないのは相応の風格と威厳にあるのだろう。決して華奢なほうではない。

「ともあれ、拙者と議論したところで前に進むはずもない。詳しいことは六日の会合にて」

 桂と話していた壮年の男性は一礼すると席を立った。彼と入れ替わるように、青年が部屋へと訪れ上座に座っている桂の向かいに腰をおろす。

 深山修助みやましゅうすけ。桂の側近の一人である。短髪で一見すると柔らかな印象を受ける。二十代前半、適度に焼けた肌は健康的で、髪が長ければどこかの一座の女形と言われても真に受けてしまいそうな美丈夫だ。細身で着流しを纏い、刀を持っていない。

「遅かったじゃないか、修助」

「少し調べものを。それから幾つかご報告があります」

 最近神隠しが市中で噂になっている。行方知れずになった者の身分は様々で、百姓、町人が多いが、役人や公家の中にも僅かにいる。ついには倒幕派の間でも出始めた。数日後に着衣だけ見つかることもあるそうだ。幕府側の被害も出ているようだが、傷は浅いという報告だった。

 桂は腕を組み、眉を寄せた。互いに犯人は相手側だと決めつけ、日々の小競り合いに油を注ぐようでは、無駄な血が流されることとなる。不安定な時代だからか、何の罪もない民が巻き込まれることも珍しくない。

「……余計な勘ぐりする連中が出なければいいんだが」

 桂はしばし思考を巡らせたものの、ここで考えても答えが出るはずはないと頭をふった。

 元治元年げんじがんねん皐月さつき半ば。かの池田屋事変まで後十日余りとなっていた。



 月明かりに白い肌が反射して、白銀の髪が光を持ったように輝く。空高く浮かぶその影は、地に足がついているかのように一定の間隔で空中を飛ぶ。時折立ち止まっては白い九つの大きな尾が揺れ、青い瞳が紅く染まる。異国の衣を纏い、裾が風になびいては揺らめく。

 ある料亭の屋根に飛び移った人ならぬそれは止まった。しばしその料亭や周囲を探る。微かな霊力の軌跡でも残っていればと感覚を研ぎ澄ませるが、軌跡すら辿れない。

「――何かあった、それは間違いない。あれは確実に妖の手によるもの、ならば、我があるじは」

 長らく封じられていた自分が呼び覚まされた。それはつまり主に何か危機が迫ったということだ。そのはずなのに、当の主の姿が見当たらない。霊力すら追えない。

 神隠しが起こっているという。それに巻き込まれたのか、それとも別の事故か事件か。

 この世にいないなら、伝わるものがあるはずだ。主従であればこそどれだけ離れていようと、どこにいようと伝わる衝撃。だがそれは感じない。ゆえに、生きてはいるはずなのに。

「……新選組、何か掴めるか」

 聞こえた話に出ていた組織、そういった所なら何か手掛かりくらいは入ってくるかもしれない。

 再び空へと人ならぬそれは消えていった。

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