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十六夜の月  作者: 銀花
一、遠い記憶
8/20

一、遠い記憶 (6)

 空は虚ろな目で彼を見上げた。良明には異変がなく、抜き身の竹光を右手に構えて斑を睨んでいる。そして刀を頭の高さまで上げ、一気に振り下ろす。風が吹き抜けたと思った次の瞬間、喉に空気の塊が入り、空は大きく咳き込んだ。


「ほう」


 良明をまじまじと眺め、斑が感心したように顎を撫でる。そんな彼に円が怒鳴る。


「こら! あの二人はわたしの命の恩人なんだよ! 何てことするの!」


「何ですと!?」


 斑が目をひん剥いた。


「何と何と! そうでありましたか……申し訳ござらん、私が早合点してしまったばかりに」


「お許しくだされ」と斑は慌ててその場に正座し、深々と頭を下げた。

 むせていた空は口を拭って床に額を擦りつける彼を睨んだ。


「とんだ早合点だよ……ゲホッ……いい迷惑だ」


「大丈夫か?」


 良明に顔を覗き込まれ、空は頷きながら座り直した。


「はあ……死ぬかと思った。よっしーは何ともなかったのか?」


「……まあな」


「えー何でうちだけ……」


 また空が小さく咳をしたところに、円が慌てて駆け寄った。


「空、ごめんなさい。大丈夫?」


「死にかけた」


 空は憤然と言って円の後ろで縮こまっている斑に目をやった。身をすくめていてもやはりかなりでかい。


「斑はちゃんと叱っておくから、今回は許して、ね?」


 お願い、と両手を合わせて懇願する円を見て、空は盛大なため息を吐いた。


「叱るだけで早とちりが治るとは思わねえけどな……まあいいよ、今は怒る気力もない」


「ホント? ありがとう」


 円はホッと胸を撫で下ろし、改まって話し始めた。


「わたし、斑に連れて行ってもらうから、二人とはここでお別れするね」


「ああ、わかった」


 空が頷くと、円はニカと無邪気に笑った。


「あと二人を家に招けるように、母上と話しておくね。いつになるかわからないけど……その時は遣いを寄越すから」


「いいのか? まあ円の母親とは一度話したかったから、うちは有難いけど」


「うん、海に関してはわたしも気になるし……このことはまた会った時に話そう」



「お二人は何処まで参られる」


 いつの間にか斑が円のすぐ側まで近寄ってきていて、空は驚き彼を見上げた。


「江戸だけど」


 良明が平然と答え、斑は顎を撫でながらニッと口の端を上げた。


「江戸ならば四半刻もかからん、私が送ろう。さっきの詫びだ」


「四半刻って……どうやって?」


 空は首を傾げた。良明の話だと、江戸まであと一日はかかるようだった。それを四半刻(約三十分)で行くとなると、どれだけの速さで進むのか想像もつかなかった。いや、まずどういう手段を使うのかすら分からない。

 不思議そうに良明に目をやると、彼もこちらに顔を向け首を傾げた。すると斑が大声で笑う。


「案ずるな、そなた達はただ私の背に捕まっていればいい。荷をまとめてついてきて下され」


 むくりと立ち上がった大男は、床板を踏み鳴らしながら外へ出ていく。彼を見送り、空と良明は同時に円へ振り返った。


「大丈夫なんだろうな、あれ」


「あーうん、危険ではないよ。速く移動できることは保証する。でもおすすめはしないかなーあはは」


 ケラケラ笑ってから斑を追う円の背を見て、二人は毎度ながら脱力感を覚えた。そして目配せし合ってから、観念したように荷をまとめ始める。


「なーんかイヤな予感する」


「おれもだ。あの粗さを見てると……色々不安だ」


「でも四半刻で着くのは魅力的だよな」


「……ホントにそうだったらな」


 二人は荷物片手に立ち上がり、堂の外へと向かった。




「よいか、絶対に手を放すでないぞ。男は女を支えてやれ」


「…………」


「あ、こら、毛は引っ張るでない」


「じゃあどこ掴めってんだよ!」


 良明の後ろから顔を出し空は怒鳴った。二人は今、犬のような獣の姿になった斑の背にまたがっている。空と良明、それから円が乗ってもまだ数人は乗れそうな大きな獣だ。全体的に黒い毛並だが、左耳のところに白い毛が円状に点々と生えている。まさに斑模様。

 良明は一つため息を吐いて、空の両手を掴み自身の腰に回した。


「離すなよ」


「お、おう……」


 突然のことで僅かにたじろぎながらも、空は彼の着物を握り締めた。


「では、行くぞ」


 斑は地面を確かめるように数回足踏みし、前足を折って姿勢を低くした次の瞬間、天高く飛び上がった。身体を押さえ付けられるような余りの衝撃に、空は悲鳴を上げることさえできなかった。


 目をきつく閉じて良明にしがみついていると、不意に彼が苦笑混じりに口を開いた。


「ここまでぶっ飛んだことされると笑いしか出ないな……空、見てみろ」


「へ?」


 目を開き、良明が指差す方へ視線を向けると、青々とした山並みと細くうねる山道、所々に立つ民家が非常に小さく見えた。そして遠くには紺碧の海。


「すげえ……って、高すぎだろ!」


 真下を眺めた途端下腹を締め付けられる感覚に襲われ、思わず良明に身体を寄せた。良明は短く笑い、斑の背中をぽんぽんと叩いた。


「馬に乗ってる感覚と結構似てるな。でも馬より低いから安定してる」


「ふむ。人間を乗せるのは初めて故、比べられるのも初めてだな。だが馬も神聖な生き物だ、似ていてもおかしくない」


 宙に着地し、そして宙を蹴りながら斑は答えた。人間に不可能な行動を彼ができるその原理は、空達にはこれから先もきっと分からない。

 良明の背後から斑の頭を覗き見、空は尋ねる。


「斑は何の生き物なんだ?」


「生き物と言うか、私は狛犬だ」


「神社にある?」


「そうだ、円様のお家の番人である。いや番犬か」


 そう言って斑は豪快に笑う。


「狛犬って普通対になってるものじゃねえの?」


 良明が質問を継ぎ、斑の代わりに円が答える。


「もう一人いるよ。縞って言ってね、その子は母上に付いてるの。斑のお兄さんなんだよ」


 縞(しま)という名前と斑の兄ということを踏まえ、二人はそれぞれ思うままに縞の想像をした。声にはしないが、考えたことは、大体一致している。たぶん身体のどこかに縞模様があるはずだ。

 すると急に円がクスクスと笑い出す。


「兄弟なのに、全然似てないの」


「うーむ、私は似てると思うんですがね」


 少し拗ねたような声で斑が言い、円は更に笑った。




 眼下の景色を眺め、時折会話をしながら四人は宙を進んだ。四半刻もまだ経たない頃、斑が急に呟いた。


「もうすぐ江戸だ。少し手前でそなた達を下ろす」


 前方には、大きな町並みが見えていた。


「あれが城?」


 町のほぼ中央にある広い敷地を見ながら、空は良明の袖を引っ張った。


「ああ。久しぶりに見るな」


 ぽつりと呟き、良明はため息を吐いた。


「戻るつもりはなかったけど……仕方ないか」


「?」


 独り言を言う良明を背後から見上げ、空は首を傾げた。不意に、江戸が故郷だから寄ると彼が言っていたことを思い出し、視線を外して少し考えを巡らせる。 江戸は寄るだけで、またそこに住み着く訳ではないようだ。多分、何か目的があるのだろう。

 空はもう一度、良明に目を向けた。今思うと、彼も自身のことや考えは余り言葉にしない。良明が何を思って江戸の町を見つめているのか、空には分からない。しかしその表情からは、明るい思考をしている訳ではないことが、はっきりと見て取れた。陽気な良明の中にも暗い影は潜んでいる。


(……ちょっとくらい、話してくれてもいいのに)


 少し口を尖らせ、空は良明の背中に頭を載せた。斑が口を開いたのはその時だった。


「よし、ここで下ろす」


「へ?」と空がポカンとした途端、斑がぐるりと一回転した。天地が逆になり、何も知らされていない空と良明は当然のごとく振り落とされる。


「へっ!? ちょっ……」


 斑の毛を掴もうと手を伸ばしたが、宙を切るだけだった。落ちていく二人に、斑が大声で告げる。


「着地は任せるぞー。では円様、お願い致します」


「はいはい」


 揚揚と頷き、円は懐から乳白色の石を取り出し、両手で握り締めた。



「あまの守、あめつちの御空に、きよめの御風を吹きおこしたまえ」



 円はそれだけを呟き、空達が地に到達するのさえ見届けずに、二人はそのまま風のように去っていった。


 落下しながら、良明は彼等が消えるのを見ていた。円が石を取り出したのも確認している。


(大丈夫そうだな)


 落とすだけ落として何もしないということはないだろう。そう考えながら、瞼をきつく閉じて風圧に耐えている空に目をやった。斑に振り落とされた時、良明は咄嗟に彼女の腕を掴んでいた。


 そういえば、初めて会った時も空は上から降ってきた。空という名前故に、彼女は天に好かれるのだろうか。


 良明は短く笑い、腕を引き寄せて空の身体を肩に抱えた。下に目をやると、地面はすぐそこまで迫っている。


「空」


「はっ? なっ、なに!?」


 空が余りにもせっぱ詰まった声をしていたため、良明は更に笑い声を上げた。


「このまま死んだりしてな」


「ちょっ、それ洒落になってねえから……っ!」


 未だ笑う良明を空は涙目で睨む。彼女の身体を抱え直し、良明は着地する体勢を取った。


「掴んでろよ」


 言われるまでもなく、空は良明の着物を握り締めている。


 地面まであと少し、となったところで不意に風の様子が変わった。急に身体が浮いたような感覚がしたが、それは落下の速さが落ちたからだった。二人の周りを温かで柔かい風が包んでいる。そのままゆっくりと下り続け、短い草の生える野原に良明は足を付けた。途端、空の重みが肩にのしかかる。

 地面に下り立った空は、噛み締めるように土の感触を確かめ、そして盛大にため息を吐いた。


「だから嫌な予感がするって言ったんだ」


「随分高いとこから落ちてきたな」


 宙を仰ぎながら、良明は呟いた。空も顔を上に向けた。浅葱色が眩しく、目を細めて遠くまで眺めた。円達の姿は完全に見えなくなっていた。


「生きてたからよかったものを……斑……次会ったらただじゃおかねえ」


「同感だ」


 良明は頷き、空を促して町の方へと歩き始めた。




 宙を駆けながら、斑は背に乗る円に話しかけた。


「先程の、女の方は何やら危険なものを抱えていましたな。焔に似ている気がしたのですが……彼女が乗っている間、背の毛が逆立っていました」


「そうだねえ……わたしの力じゃどうしようもなかったから、母上に相談しようと思ってるんだ」


「ええ、それが最善策でしょう。そういえば男の方も、普通に見えて面白い者でしたな」


「うん、良明もちょっと稀な体質かな。やり方は独特だったけど、術を解くなんて誰でもできるわけじゃないし。どこで教わったんだろう」


 円の声が弾んでいるのに気付き、斑は耳をぴくぴくと動かした。


「……円様、あの二人を気に入っていらっしゃるので?」


「うふふ、どうでしょう」


 意味深な笑みを浮かべ、円は斑の頭を優しく撫でた。




 江戸の町は人が多く、皆がいきいきとして見えた。

 すれ違う人の中には、道具を持って仕事に向かう者、魚を売って歩く者、それに腰に刀を二本差して歩く武士の姿もある。そして撫子色の着物を着た大店の娘らしき若い女が、従者を連れてにこやかに歩いて行く。その華やかな様子に空が見惚れていると、良明はいつの間にか大分先に進んでいた。

 慌てて彼を追い、隣に並んでまた辺りを見渡す。落ち着きない彼女を見下ろして良明は尋ねた。


「そんなに珍しいのか?」


「うちこんな人が多い町に入るのは初めてなんだ」


 少し興奮しながら空が言った。


「それで、どこに行くんだ? よっしーの家か?」


 空が首を傾げると、良明は「いや」と軽く頭を振った。


「帰る場所はないんだ。知り合いのとこに行く」


「知り合いって?」


「もう見えてる」


 良明が前方を指差し、その先を追って空は視線を動かした。そこにある建物に思わず目を丸くする。

 町中にも関わらずその一角を白壁の塀がぐるりと囲っており、異質な威厳を放っていた。表から見ただけではその敷地の広さは計り知れないが、それはかなりのものと思われた。よく見ると、広い門の横に松葉屋と書かれた大きな提灯がぶら下がっている。それがこの店の名なのだろう。余りの存在感に口があんぐりと開いてしまう。


「ここ何」


「旅籠屋。金があるやつとか……城のやつらも使う」


「へえー」


 空は感心しながら良明について行き、彼の背中越しに門を見やった。同時に、群青色の袷に藍染めの前掛けを付けた少女が門から出てきた。そして手水桶から杓で店先に打ち水を始める。


「栞」


 少女に近寄り良明が小さく声をかけると、彼女は手を休めて顔を上げる。良明の姿を捉えた途端、少女は瞠目した。


「……良明さん」


「どうも。菫さんいるか」


「ま、待っててください。呼んできます」


 桶も置いたまま、栞(しおり)は杓片手にバタバタと旅籠屋へ引き返していった。彼女を見送ってから、空は良明を見上げた。


「菫さん?」


「ここで働いてる人だ。店主の次に偉い人」


「……女将みたいなもんか」


「ああ」


 良明が短く頷いた時、店の中から騒々しい足音が二つ聞こえ始めた。その足音は次第に近付き、すぐ藤紫の袷を着た女が表へ飛び出してきた。

 振り返った彼女の容姿に、空は目を見張った。

 女将と聞いて想像していたのは、年のいった厳しそうな女だった。だが出てきた彼女は予想よりはるかに若く、丁寧に化粧を施した目元も紅を引いた唇も凛としていた。花の香りがしそうな姿に、空は知らず知らずにため息を漏らす。

 彼女は良明の姿を認めて、整った眉をつり上げた。その表情のまま良明に近寄るなり、右手を振り上げる。パシン、と妙に小気味いい音が鳴り響いた。

 突然のことに空は呆気に取られてポカンと口を開いた。良明を殴った女は怒りの余り肩で息をしながら口を開く。


「……何やねん、そのしんきくさい面。わざわざ見せに来よったんか? そらご苦労なこっちゃ。このドアホ」


「……菫さん、くに訛り出てますよ」


 叩かれた頬を擦り、良明は少し拗ねたように言った。


「やかましわ。アンタの面見て苛ついてんねや」


 そう言って、菫(すみれ)は叩いた方とは逆の頬を抓った。良明のしかめっ面を覗き込み、ため息を吐く。


「二年もふらふらしよって……まあええわ。部屋貸したるさかい、中入り。説教はそれからや」


「えー……いてて」


 良明が不満そうな声を上げると、菫は頬を抓る手に更に力を入れた。


「えーて何や、えーて。アンタらおらん間、どんだけ……ん? 女の子がおるやないの、良明の連れ?」


 良明の背後に立ちすくむ空に気付き、菫が朗らかに笑う。


「良明が誰か連れてるなんて、珍しい」


 唐突に訛りが消え、空は面食らった。空が僅かに頬を引き吊らせているのにも構わず、菫は空の高さに合わせるように腰を折り、柔らかく話す。


「可愛らしいお嬢ちゃんね。お名前は?」


 ニコニコと笑いかける菫を見上げ、空も歪んだ笑みを浮かべる。


「空だけど……すっげーガキ扱いされた気分」


 空の呟きに、頬を抓られたままの良明が吹き出す。菫は怪訝に思い彼を睨んだ。


「何がおかしいのよ」


「いや、そいつ十六だよ」


 良明の言葉に菫は一瞬ポカンとし、そして笑い出した。


「こんな小さいのに十六とか聞いたこともないわ。それだと栞と同い年じゃない、ねえ」


 菫が振り返り、背後に佇んでいた栞は頷いて良明へ怪訝そうに視線を投げる。


「良明さんの妹でしょう、年の離れた」


「いやちょっと待て、おれ妹がいるとか言ったことあるか?」


「あら、生き別れた妹を捜し回ってたとばかり」


 うふふ、と口元を押さえて笑う栞を見て、良明はげんなりとする。


「何勝手に想像膨らませてんだよ。てかこんな妹こっちが願い下げだ」


「どういう意味だそれ!」


 聞き捨てならんとばかりに空が怒鳴る。


「それにお前らも何で信じねえんだよ! うち十六だっての!」


「嘘ね」


「うーん、大きく見てもせいぜい十二ぐらいじゃないの」


 菫と栞が次々と言い、「何で!?」と空は驚いた。この背丈のせいで幼く見られることはしょっちゅうだったが、年齢を言えば驚きはしても大体の人が理解してくれた。だが、この二人ははなから疑ってかかっている。こちらだって、好きで小さく生まれたんじゃない。

 良明の頬を放し、菫はまた空に笑いかけた。


「空ちゃん、江戸は初めて?」


「え、うん」


 急に話題が変わり、空は思わずたじろいだ。


「そう。それじゃあ町中見ておいでよ、栞に案内させるから」


「えー私がですかー?」


 栞が面倒くさそうな顔をし、菫はやれやれと肩をすくめた。


「あんた、今日は外に出る用があったでしょ。そのついでよ」


「いいですけどー、なら私、今日は暇もらいますからね」


「はいはい」


 苦笑しながら菫が頷き、栞は「やった」と心底嬉しそうに万歳した。


「空ちゃん待ってて、ちょっと準備してくるわ」


 空に満面の笑みを見せ、栞は喜々と前掛けを外し門をくぐっていく。彼女を見送り、空は傍らの良明を見上げた。


「よっしーは?」


「おれはいい。ずっと住んでたとこだし、今更見て回ろうとは思わない」


「それに今から説教が待ってるしね」


 ニヤニヤと言う菫に、良明は恨めしそうな視線を向ける。

 その様子を見たことで自分が少し気落ちしているのに、空は気付かなかった。




 二人の少女を見送り、良明は菫に促されて松葉屋の門をくぐった。

 丁寧に手入れされた庭を横目に、玄関へと足を踏み入れる。忙しく働いているのか、広い玄関に使用人は一人もいなかった。ちらと下足棚に目をやると、数人分の下駄や草履があるだけで団体の客はいないことが窺える。使用人の多く他の仕事に出ているのだろう。そう考えながら框に腰を下ろし、水を張った桶で足を洗いつつ小さく尋ねる。


「菫さん、何人ぐらいいた」


「せやなぁ……三人ぐらいやろか」


 くに訛りで菫が答え、良明はギョッとした。


「そんなに? 一人しかわからなかった……感覚鈍ってんのかな」


 はあと短くため息を吐き立ち上がる良明を、菫はケラケラ笑いながら見上げた。


「うちもアンタとしゃべってると地が出てしゃあないわ。よし、ここからはちゃんとする」


 一呼吸入れ、菫は声を抑えた。


「あんたらがいなかった間、ここも大変だったのよ」


「……部屋入ってから聞く。こっちのことも全部話すから」


「そ、私の話は高いわよ。と言いたいとこだけど、そっちとこっちの話の質は同等そうね。一陽のことでもあるし」


 廊下を歩きながら疲れたように肩をすくめる菫から目をそらして、良明は僅かに目を伏せた。


「ごめん」


「謝るのは話を済ませてから。いい? 話しの最中は謝罪抜きよ、煩わしいから」


「わかった……あ、そういやあいつら大丈夫か。三人もいたなら、一人ぐらいあっちに行きそうだけど」


「大丈夫でしょ」


 そう言って、菫は不安などみじんにも感じさせない笑顔を見せる。まるで母親のような、全てを包み込む笑顔だ。


「栞だって、立派な忍。女の子一人ぐらいなら守れるわよ。あんただって栞に投げ飛ばされたことあるでしょ」


「……記憶にない」


 良明がつっけんどんに言い、菫は呆れてため息を吐いた。


「はあー、男はこれだから。都合悪いとそうやってごまかして」


「……凛は?」


 唐突に話を変える良明に、菫は不満そうな視線を向ける。


「いるわよ。あんたのこと、覚えてるかわからないけど」


「えー、あんなにかわいがってやったのに?」

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