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十六夜の月  作者: 銀花
一、遠い記憶
7/20

一、遠い記憶 (5)

「はは……もう力も入らんな……」


 宗佑は長く息を吐き出し、目を閉じた。


「……出陣の前に言ったこと、覚えてるな?」


「はい」と良明が椋れた声で頷くと、宗佑が短く笑った。


「ならいい……お前に言っておけば、安心して死ねる──」




 息を引き取った宗佑の手をゆっくりと外した。


 良明はその場に力なく座り込んだまま、曇った空をずっと眺めていた。




* * * * *




 目を開いた先は真っ暗だった。自分がいる場所が何処なのか一瞬分からなかった。天井を見つめていて、漸く神社の堂の中だと思い出す。

 混乱する頭に手を当て、良明は長く息を吐き出した。動悸が煩い上に、全身から冷や汗が吹き出ている。ここまで鮮明で、感触や匂いまで蘇るような夢は初めてだった。江戸が近いからだろうか。そう考えて、少し自分に嫌気がさした。


(クソ……)


 良明は片手で額を拭い、起き上がって考えを飛ばすように頭を振る。空の声がしたのはその時だった。


「だいぶ唸されていたけど、大丈夫?」


「いや……変な夢見てただけ……だ……」


 返事をしながら、良明は空の声音に違和感を覚えた。振り返ると、姿勢よく正座する空の姿があった。

 空であるはずなのに、全く別の誰かがそこにいるようだ。青白い光をまとい、彼女のいる所だけが仄かに明るい。それによく見れば、彼女の瞳は水をたたえたような青さをしている。

 急に彼女がにこりと笑み、硬直していた良明は自ずと背筋を凍らせた。ただの笑顔が、何故か恐ろしかった。

 良明は数回深呼吸をしてから声をしぼり出した。


「……お前、誰だ」


「あらまあ、一目見ただけで分かってくれるなんて。政長よりは素質があるみたいね」


 そう言って、空の中の誰かは口元を押さえて上品に笑う。姿形は空そのものだから、仕草一つ一つが奇妙に思えた。今まで見ていた夢も相まって、良明の混乱は増していくばかりだ。


「……もしかして……空が言ってたことってこれか」


 彼女の異変を見ていて、唐突に合点が行った。空がひた隠しする理由も何となく分かる気がする。クスクスと笑い続ける彼女が話す。


「隠す必要ないのにね。この子、私のことを相当嫌ってるの」


 そう言って彼女は残念そうに眉を下げる。良明は気を取り直して彼女に向かい合い、どっしりとあぐらをかいた。


「あんた、何なんだ?」


「何、と聞かれてもねぇ……私のことは『うみ』と呼んでちょうだい」


「海?」


「ええ、空の反対で海。勝手に付けられた名前だけど、私気に入ってるの」


 海が嬉しそうにふふと微笑む。


「貴方のことは良明でいいかしら? それとも、よっしー?」


「……何でそれを」


 良明は怪訝そうに眉を寄せた。


「私が何も知らないとでも思って? 空を通して全て見ているわ」


 胸に手を当てて海がにこりと微笑む。


「ふーん」と呟き、良明は膝の上に頬杖をついた。二重人格とは訳が違うように思えた。別の誰かが空の中にいる。そう考えた方がしっくりくるぐらい、海と空はかけ離れている。まず光を身にまとうこと自体、異質だ。人ではない何かがそこにいる。

 良明が探るようにじっと見つめていると、海は小首を傾げた。


「貴方、気味悪がったりしないのね」


「ああ……何でだろうな。おれこういうのに慣れてるんだよ。自分でも不思議に思ってる」


「へえ。でもたまにいるわよね、そういう人間」


「海は人間じゃないのか?」


 核心を突くようなその問いに、海は微笑むだけで答えは返さなかった。代わりに良明に詰め寄り、顔を覗き込む。青い瞳が目前まで迫り、良明は僅かに身を引いた。


「貴方に頼みがあるの」


「頼み?」


「そう、頼まれてくれるかしら」


 更には手を取られ、両手で握り締められる。良明は困ったように一瞬宙を仰いだ。まだ得体の知れぬ相手だ。迂濶に返答すれば自身に何が及ぶか分からない。

 海の期待のこもる視線を受けながら暫く考え、良明はゆっくり口を開いた。


「……内容にもよるけど──」


 そう呟いた時、海の後ろの暗闇から小さな白い手が伸びてきて良明は目を見張った。その小さな手は海の目を覆う。


「引きなさい」


 次いで円の声がした。


 海の目が隠れたことに良明は内心ホッとしていた。あの青い瞳は透き通りすぎていて、気を抜いたら呑み込まれ、逆らうことが出来なくなりそうだった。

 海がため息を吐いて良明の手を離す。


「なーんだ、あなた」


「何をしたいのか知らないけど、わたしの前で悪さはさせない。引きなさい」


 有無を言わさぬ口調で円が再度命じると、海がやれやれと肩をすくめる。


「残念ね。まあ、今日のところは引っ込んであげる」


 その言葉の後すぐ、フッと青白い光が消え、空の身体が前のめりに傾いた。


「わわっ、わっ」


 支えようとした円も空の重みに堪えきれずに引っ張られる。重なって倒れてきた二人を良明は慌てて受け止めた。


「大丈夫か」


「あたたた、ごめんね」


 苦笑しながら返事をしたのは円だった。円は即座に起き上がったものの、空は未だ腕の中でぐったりとしている。良明は不審に思い、彼女を仰向けにして頬を軽く叩いた。


「おい、空」


「大丈夫だよ、寝てるだけだから」


 その場に正座しながら円が言い、良明は顔を上げた。漸く、円の傍らになえが佇んでいるのに気付いた。彼女は不安そうな面持ちで空を見下ろしている。


「あの……空さん、どうしたんですか」


「……さあな……おれにも分からん」


 軽く肩をすくめ、良明は空に目をやった。そしてゆっくり床に横たえてやる。起きる気配はなさそうだ。


「なえの治療……でいいのか分からんが、終わったのか?」


「うん、無事にね」


 そう言って、円がなえに目配せする。急に円と目が合い、なえは戸惑ったようだった。そしておずおずと話し出す。


「あの……私、本当に治ったのでしょうか」


 病気を治してやると夜中に家を連れ出されたのだが、何をしたかと言うと、明け方の今まで外で円と向き合っていただけなのだ。

 そりゃあ疑うだろうな。そう思いながら良明は苦笑した。何せ良明自身も最初は半信半疑だったのだから。


「何か、身体に変わったことはないか?」


「身体に、ですか」


 なえは困惑しながら変化を捉えようとしたが、それらしいのが見付からず首を傾げた。そして暫くうんうん唸ってから、ハッと何かを思い出したのか、急に手で耳の後ろを探る。途端、彼女の目が見開かれた。

 良明は「何かあった?」と優しく笑い、首を傾げた。なえは興奮したように勢いよく何度も頷く。


「あのっ、ここっ、耳の後ろにしこりがあったんです……それが……」


「なくなった」


「は、はい──」


 感極まったのか、彼女は涙ぐんだ。


「これが原因だと言われてました……治ることはないと言われて、諦めるしかなくて……」


 なえは鼻をすすりながら円に目を向ける。つられるように良明もそちらを見ると、いつの間にか円は空に寄り添って寝息を立てていた。夜通し術を使って疲れたのだろう。小さな二人がすやすやと眠る様子はとても無邪気で、少しばかり口元が緩んでしまう。


「何者なんでしょう、この子」


 不意になえが呟き、良明は暫く考え込んだ。


 一日、何も考えなかった訳ではない。円には不思議な能力があり、空に至っては先程少し事のあらましが分かったぐらいで、考えても謎は深まるだけだった。予想の範疇だったが、良明はポツリと呟いた。


「……神の類、かな」


「神様、ですか」


 なえが怪しむような視線を良明に投げる。


「あ、疑ったな。こんなことできるやつなんて、その道に精通してるか、元からできるかのどっちかだろ」


 少しぶっきらぼうになりながら、良明は腰を上げた。自分だって信じ切れている訳ではない。しかし、「神の類」と考えるのはごく自然のことように思えた。それぐらい、円は卓越した存在だった。

 こちらを見上げ、なえが首を傾げる。


「……それが正しいのか、私にはわかりません。病気が本当に治ったかも、まだ信じられていませんから」


「じゃあ、朝飯食ったら、医者にでも診てもらうんだな」


 そう言って、良明は僅かに苦笑する。「家まで送るよ」と言い、戸口へ振り返って漸く、堂の中に朝日が差し込んでいるのに気付いた。


 また一日が始まる。


 良明は吸い寄せられるように戸へ近付いた。なえの病気はきっと完治していると、妙に確信していた。しかし、なえの病気を治したことは果たしてよかったことなのか。良明達がなえとその家族の人生を変えてしまったのだ。ただならぬ事をしてしまった気がする。そう考えて良明は僅かに息を詰まらせた。

 悪い事をした訳じゃない、と自分に言い聞かせながら、良明は戸を開け朝日の降り注ぐ中へ身を投じた。




 重い瞼を上げ、空はきょろと目を動かした。


(……あれ)


 光が差し込む堂の中に良明の姿が見えず、空は頭を持ち上げた。円が隣で寝息を立てている。


(どこ行ったんだろ)


 そう考えながら身体を起こして大きく伸びをする。


「んんーっ……っいって……っ」


 急に刺すような鋭い痛みが頭に走り、顔をしかめた。


「……くっそ、やっぱり出てきたな」


 頭を押さえて低く呟き、無意識に歯を食い縛る。海が出た日の朝、目覚めると必ずと言っていいほど頭痛や腹痛が起こる。しかも激痛なのだ。数ある海が嫌いな理由の一つにこれが入る。しばらく我慢すれば治まるけれど、やはり厄介なものであることに変わりはなかった。

 痛む頭で、空は良明のことを考えた。海が出てきたということは、良明も彼女を見たはずだ。

 海についてどう思ったのだろう。気味悪がったりしただろうか。何故今ここにいないのだろう。とりとめなく疑問を浮かべたが、答えは返ってこない。

 ため息を吐いて目を閉じた時、急に頭を撫でられ空は顔を上げた。円が心配そうな顔で空の頭に小さな手を添えている。


(いつの間に)


 内心空が驚いていると、円が口を開く。



「──水の守、風の守、あめつち渡りて」



 大きな声ではないはずが、円の声は耳の奥、いや身体中で大きく反響するようだった。



「よの玉、ひの玉、流るるままに」



 円の胸元にある石が、淡い柔らかな光を放っている。惹かれるようにそれを見つめていると、急に身体の緊張がほぐれ、頭痛が和らいだ。空はふっと力を抜いた。


 石が光るのを止めるのと同時に、円は手を下ろして穏やかに微笑む。


「大丈夫?」


「へ? ……あ、ああ。大丈夫」


 静まり返った石を名残惜しむように見つめていた空は、慌てて頷いた。不思議と身体が温かい。


「……今度は何やったんだ」


 ぬくもった手を揉みながら尋ねると、円は無邪気に笑って言った。


「脈を整えただけだよ。頭痛くなるのはしょっちゅうなの?」


「ああ……子供のときからずっとだ。それで昔はよく泣いてたな」


 空は疲れたように肩をすくめる。


「そっか……でも血の巡りがよくなったから、しばらくは大丈夫だと思うよ」


「え……海が出てきても?」


「うん」


 円が頷いた時、戸が大きく開き、堂の中が眩しくなった。空は目を細めてそちらを見、良明の姿を捉えた途端、ほっと息を吐いた。彼は戸を開けたままこちらに近寄ってくる。


「起きてたのか。なえが握り飯作ってくれたぞ」


 ほら、と竹の皮の包みを投げて渡す。そして二人の前に腰を下ろしてあぐらをかいた。何も言わずに包みを開ける良明を、空は静かに眺めていた。空の視線に気付いた彼は、握り飯を頬張りながら眉をひそめる。


「何だよ」


「……別に。なえは帰ったのか?」


 尋ねながら空も包みを開き、綺麗に握られた三角を一つ掴む。


「ああ。病気も治ったみたいだしな」


「ふーん」と呟いて空が握り飯を一口食べた頃には、良明は既に一つを食べ終わっていた。その速さに内心呆気に取られながら、円に目をやった。円は包みを開かずに、膝の上に置いたまま良明を興味深そうに眺めている。


「食べないのか?」


 空が尋ねると、円はううんと首を振った。


「これはここにお供えしようと思って。それにわたし、食べ物には制限があるから」


「えっ、米も?」


 空も良明も驚いた顔をする。


「あ、違うよ、何でも食べられるんだけど、お供え物しか食べちゃダメって決まりがあってね」


 円がわたわたと両手を振って説明する一方で、空と良明は互いに顔を見合わせた。そして二人は怪訝そうに円へと振り向く。


「……それってただの盗み食いじゃん」


「ぇえっ?」


 思ってもいなかった返答だったのか、円は仰天した。


「そうじゃなくてぇ……わたし、家に奉納されたものしか食べられないの」


「奉納とか、城の子供じゃあるまい……身体が弱いのか? そんな風には見えないけど」


 空は一層不思議そうに首を捻る。


「そういうのでもないんだけどなぁ」


 弱り果て、円は身体をすくめた。


「まあわたしは食べなくても大丈夫だから」


「何で」


「何ででも」


「お前今説明放棄したろ」


 空はムッと眉を上げた。


「だって空質問ばっかりなんだもん」


「あーわかるわかる、たまに面倒臭くなるんだよなぁ、疲れてる時とか」


 円の返答に良明が相槌を打ち、空は唇を尖らした。


「何だよ、別にいいだろ質問の一つや二つ。心の狭いやつらだな」


「一つや二つで利いた例しがないけどな」


 良明がやれやれと首を振る。そして急に何かを思い出したように顔を上げた。


「そうだ、お前の盗んだ金半分以上なえ達に渡したって言ったら切れ──」


「はぁぁぁぁ!?」


 良明が言い切らぬ内に空は叫んでいた。


「ますよね」


 ごもっとも、と良明が頷く。怒りの余り腰を浮かせ、空は訳がわからないと、信じられないと言わんばかりの視線を彼に投げつけた。


「お、おおお前バカだろ! 何で金まで置いてくんだよ!」


「何でと聞かれてもなぁ、何ででも?」


「……うがーっ! 腹立つ!」


 良明の飄々とした様子を見て空は叫びながら自身の髪を掻きむしった。


「人が苦労して手に入れた金を!」


「どうせ綺麗な金じゃねえんだからいいじゃん」


「そういう問題じゃねえ!」


 ダンッと床を踏み鳴らすと埃が舞い上がった。良明も円も、握り飯を包みごとサッと持ち上げて埃から離す。


「金を渡した理由を聞かせてもらおう」


 良明をギッと睨みながら、空は唸るように問いただした。何事もなかったかのようにのんびり握り飯を口に運んでいる彼が、怪訝そうに尋ね返す。


「逆にこっちが聞きてえよ、何でそんなに金に厳しいのか」


「そういう風に育てられたからだ。悪いか」


 空はぶっきらぼうに言ってフンと鼻を鳴らす。


「ふーん、政長ってやつに?」


 良明の言葉に空はうろたえて一瞬閉口し、慌てて尋ねる。


「その名前、何で知って……」


 良明は少し考えを巡らせ、肩をすくめながら口を開いた。


「海が言ってたからな、何となく覚えてたんだ」


 背筋が寒くなったような気がした。良明の口から「海」という言葉が出ただけだと言うのに。やはり彼は海に会っていたのだ。

 空は俯き、座り直した。急に静かになった空を、良明は見つめていた。


 暫く宙を睨んでから、空は重い口を開く。


「……どう思った」


「海のこと?」


 空が小さく頷くと、良明は頭を掻いた。


「どう思ったかねえ、少ししか話してないしな……まあ妙な感覚がしたぐらいかな」


 うーん、と首を捻りながらも淡々と話す彼を、空はポカンとした表情で見つめ続けた。予想していた反応と全く違う。

 不意に良明と視線が重なり、空はたじろいだ。


「厄介そうなの抱えてるなお前。いつからだ?」


「……それは……七つの時から」


 視線を外して、空はぽつりぽつりと話し始める。


「育ての親が死んで、その……政長って人と行動始めてから出てきたんだ。それより前は出てなかったと思う……聞いたことなかったし」


「毎日?」


「いや、海が出てくるのには条件がある」


「へえ、どんな条件」


 良明が真剣に聞いてくれるため、少し話しやすかった。何も喋らないが円が傍らにいることも心強い。膝の上で手を握り締め、一呼吸入れてから更に続ける。


「満月の次の日から新月までの、うちが寝てる間だけ」


「月が欠けていく間、か」


 空は頷き、何か考え込んでいる良明にチラと視線をやった。


「その間も、出てくるのは海の気分次第らしい。毎日だったり、そうでなかったり」


「……わかった。次に海が出てきたら色々聞いてみる」


 良明が頷いてみせ、空はキョトンとして首を傾げた。


「その様子だと、海が出てる間の記憶はないんだろ? 後から聞かされたって話し方だったからな。それなら海に直接聞いた方がよさそうだ」


「なるほど」と空は思わず呟いた。


 良明の言う通り、海が表に出ている間の記憶はなかった。以前の連れだった政長は海のことを度々話してくれたが、自身が毛嫌いしているせいもあって余り気に留めずにいた。だから今良明に何か海について尋ねられても答えられないのだ。


「さっさと食って行こう。今日たくさん歩いておけば、明日には江戸に着くだろ」


 そう言って良明は握り飯に添えられていた漬物を口に放り込んだ。


 海のことを気味悪く思った様子は彼には見られなかった。嫌われていない。それだけで心底ホッとしてしまう。空は嬉しさを噛み締めるように、握り飯を頬張った。




 握り飯を食べ終え、竹筒の水を飲もうとした時、堂の外で岩でも落ちたようなけたたましい音が鳴り響いた。空は身体を震わせ、良明は刀を取って素早く振り返り鯉口を切る。


「円様はここにいらっしゃいますか!?」


 開けっぱなしだった戸から大声と共に足を踏み入れたのは、黒の袷と袴を身に付け頭を剃り上げた山のような大男だった。神社にいるせいか、住職を思わせるその風貌に違和感を覚えた。何より彼の天井につかんとする身体の大きさに威圧される。

 空が唖然として座り込んでいると、良明が背を向けたまま空の前までやって来た。そして少し緊張した声で話す。


「円の知り合いみたいだが……でけぇな」


「あ、ああ……」


 空は上擦った声で頷いた。


「斑!」


 立ち上がった円が嬉しそうにぴょんと跳ね、斑(まだら)と呼ぶ大男に飛び付いた。


「よかったぁ迎えにきてくれたの? よくここがわかったね」


「ええ、ええ。ご無事で安心いたしました」


 円の前に両膝をつき、斑は目を潤ませて直も続ける。


「数日前、崖から川に落ちそのまま流されていく円様を追いかけるも見失い、私川沿いを走って海まで出てしまいました。かろうじて円様の術の痕跡を見つけそこから北上して参ったのであります」


「ああ、そうなの? ごめんね、手間かけちゃったね」


 円がオロオロしながらなだめるように言うが、斑の口は止まらない。


「円様も術を使わなければならぬ事態になっていたと言うのに、何という失態でありましょうか円様を見失ってしまうとは…… この斑、日輪様に合わす顔がありませぬ……! ここは腹を切って詫びるしか」


「わーわー! 斑待って!」


 どこからともなく刀を取り出す斑の腕を円は全力で押さえた。それでもこの体格差、敵う訳がない。


「斑は武士じゃなくてわたしのお付きでしょう! 腹なんて切ったらわたしが許さないんだからね!」


 小さな身体で大男を必死に押さえ込む円と、それに聞く耳持たずな斑を見つめていた空は、思わず呟いた。


「何だこれ」


 会話を聞いて二人が主従のような関係だということは分かったのだが、何だか主従とは程遠いような、まさに「何だこれ」の状態にしか見えない。

 空の呟きが聞こえたのか、斑が動きを止めて振り返った。目が合った瞬間、彼が鬼のような形相になり、ゆらりと立ち上がる。空も良明も息を飲んだ。


「何故ここに人間がおるのだ……貴様等、円様に何かしたのではないだろうな」


 斑が怒鳴った途端、首を絞められたかのように息ができなくなった。


「……っ!?」


 首を押さえ息を吸おうとするも、苦しさが増すだけだった。円が斑を戒める声が聞こえるが、空には何と言っているのか分からない。一瞬にして感覚全てが遠くなったかのようだ。冷や汗と涙が浮き出る。

 床に両手を付いて苦しさを耐えていると、不意に良明が抱えるように肩を引き寄せた。

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