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十六夜の月  作者: 銀花
一、遠い記憶
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一、遠い記憶 (4)

 武蔵で初めての町に入った時には既に昼を回り、日は傾き始めていた。町と言っても小さな所のようで、民家が軒を連ねてはいるが人通りは至極まばらである。

 大通りから別れた暗い小道に入ったところに三人はいた。空と良明、それから円(つぶら)は家屋の影から、店に入っていく男を覗き見た。足元にしゃがんでいた円が慌てて二人へ振り返る。


「あれ何のお店かなぁ」


「どう考えても質屋だろ」


 空が平然と答えると、円が仰天した声を上げた。


「ぇえっ、売っちゃうってこと?」


「そりゃ盗んだら売るって。うちだってそうする」


「えーっ」


 円が悲鳴のような声を出し、空は思わず耳を塞いだ。


「そんなの困る!」


「お前が盗まれるのが悪い。何ですぐ気付かなかったんだよ」


「だってぶつかっただけだったから……」


 ムスッとして円は両膝を抱えた。


 先程、円の乳白色の石が盗まれた。それはほんの一瞬の出来事で、男とぶつかり、暫くしてやっと首から石がなくなっているのに気付いた。

 あの石は円が円であるための証のようなもので、あれがなければ能力も半減してしまう。それに母から授かった大切な石なのだ。無くしたと分かれば、母はきっと悲しむ。

 拗ねた様子の円を見下ろして空がため息を吐いていると、良明が前方を指差した。


「出てきた」


「え、もう?」


 空はまた店へと目をやった。店から出てきた先程の男が気落ちした様子で店の暖簾をチラと見上げ、そして片手を握り締めて歩き去ろうとしていた。成程、と思いながら空は円に視線を移した。


「よかったな円、売れなかったみてえだ」


「ホントに?」


 円が顔を輝かせて振り返った。空も笑って頷く。


「ああ、うちが取り返してきてやるよ」


 そう言って駆け出した空の背中を、良明はため息混じりに見ていた。安堵しながら彼女を見送っていた円は不思議そうに彼を見上げた。


「どうしたの?」


「いや、空だとガキ扱いされるのがオチなんじゃないかと思って。おれ達もついてこう」


 唐突に歩き出した良明を、円は慌てて追いかけた。




 男は橋の欄干に寄りかかって頬杖をついていた。彼に近付き、空は自身の腰に手を当てた。


「おい、オッサン」


「あ?」


 無気力に振り向く男を、更に睨み上げる。


「あんたが盗んだ石、うちの連れの物なんだけど。返せよ、どうせ売れなかったんだろ」


「ああ、これか」


 男は手にしていた石をプラプラと揺らした。


「綺麗だからいくらか金になるかと思ったが……価値はそこら辺の石ころと大差ないらしい」


「お前みたいなんがそれの価値なんて分かるわけねえだろ」


「……言葉遣いには気をつけろよ、ガキが」


 急に男の声が低くなり、空は内心怯んだ。数年前まで一緒に暮らしていた男が完全に切れた時のことを何故か思い出し、背筋が寒くなった。

 気を取り直して言い返そうと口を開いた時、急に肩を叩かれて空はそちらに顔を向けた。良明が呆れた顔をして立っている。


「こうなると思った」


「どういう意味だ?」


 空は眉を寄せて尋ねたが、良明は何も答えずに男へ視線を移した。


「それ、こいつの親の形見なんだ。返してくれないか」


 良明の腰にしがみついて顔を覗かせる円の頭を、良明はぐいぐいと押さえるように撫でた。男は品定するように良明と円を交互に眺め、暫くしてから口を開いた。


「金にならん物を持ってても仕方ねえしな」


 そう言って、男は良明に石を投げた。それを片手で受け取り、良明は苦笑した。


「悪いな、金にならなくて」


「ふん」と鼻を鳴らし、男は背を向けて去っていった。



(何か同じ匂いがするな)


 遠ざかる男の背中を見ながら、良明はこそりと思った。彼も元は武士なのではなかろうか。何があって町人になったのかは知らないが、身のこなしも仕官当時の癖が抜けきれていないように思えた。それに気付く自分も、抜けきれていないのだな、と良明は内心ため息を吐いた。故郷を出て二年、その年月は人を変えるには長いようで短いものだ。

 男を見送り、良明は円の手に石を載せてやった。円は嬉しそうにそれを握り締めた。


「ありがと────あ」


 急に、円は眉をひそめ、暫く考え込んだ。空も良明も、不思議に思いながら円を見つめた。


「さっきの人、追いかけてきます」


 やはり唐突に円が言い、男が向かった先へ駆けて行った。


「あ、おい」


 良明が呼び止めたが、円は振り向きもせずにずんずんと突き進んでいく。傍らで空が呆然と呟いた。


「何なんだあいつ」


「さあ」


 二人は首を傾げ合い、円の後を追った。




 六間先にある裏店への小道を見つけ、空と良明はそこに踏み入った。円の緋の袴がこの辺りで最後に見えたので、ここに入ったのだろうと推測した。

 その裏店は古びてはいるものの人は多く、井戸端会議をする数人の女房の周りを小さな子供が遊び回り、にぎやかだった。少しの懐かしさと居心地悪さを感じながら空がきょろきょろ見渡していると、良明が隣から離れ女房達に近寄っていった。

 彼女達に話しかける良明の背を、ポツンと佇んだまま空は眺めていた。何かを尋ねている彼を待っている間、手持無沙汰なままぼんやりしていると急に袖を引っ張られ、空は驚き振り返った。そこには円よりももっと幼い少女の姿があった。彼女は不思議そうな表情で空を見上げている。

 空は少し困惑しながら腰を折り、少女と目の高さを合わせた。


「お前ここの子か?」


「るり」


 小さな声で彼女が答え、それが名前なのだと空は解釈した。


「おねえちゃん、だあれ?」


 るりに尋ねられ、空は腰を伸ばしてから答える。


「うちは空だよ。るり、赤い袴着た子、見てない?」


 空が首を傾げると、るりは「あっち」と言って空の後ろを指差した。るりの言う方向へ振り返ると、ちょうど良明がこちらへ戻ってくるところだった。


「円ここに来たって。さっきの男のことも少し聞いた……って何だその子」


 良明がおかしそうに、空の袖を掴んでいるるりを見下ろした。空も戸惑いながらるりを見つめた。


「いや、何故か離してくれなくて」


「気に入られたわけか……空が小さいから、何か通じるものを感じたんだろ」


「小さい言うな!」


 ケラケラ笑う良明を、空は睨み上げた。


「それでっ、円は」


「ああ、とりあえず行ってみよう」


 良明は空を促して歩き始めた。彼の後を、るりに袖を掴まれたままの空が追った。




 格子窓から、円は家の中を覗いていた。そこら辺にあった桶を踏み台にしてはいるが、背伸びをして漸く目が格子の高さに届く。

 家の中には、先程の男と他にもう一人、部屋に敷いた布団に座る少女がいた。誰だろうと思いながらうーんと唸っていると、急に身体が浮き、桶から足が離れた。


「わあっ」


「円、一人で突っ走るのやめろ」


 振り返ると、良明の顔がすぐ側にあった。彼が円の身体を持ち上げている。


「なんだ、良明かあ。どうしたの」


 円がにこにこと笑いかける。


「どうしたの、じゃねえよ。何見てたんだ」


 良明の隣で空は怒ったように言った。彼女とその傍らのるりを見下ろし、円が少し首を傾げる。


「その子は?」


「知らん」


 空がそっけなく返した時、急に円が覗いていた家の戸がするすると開いた。もしや先程の男が出てくるのではと三人三様に慌てたが、隙間から顔を覗かせたのは少女だった。淡い鶯色の寝着のような薄手の着物を着て、肌は青ざめて見える程に白い。


「あのう……うちに何か用でしょうか」


 少女はおどおどとした様子で首を傾げ、三人の顔を見つめた後、るりの姿を捉えた途端目を丸くした。


「るり、どこ行ってたの」


「じんじゃ」


 るりが空の傍らを離れ、少女の腰にしがみついた。


「神社……そっか」


 少女は優しく微笑み、しゃがんでるりの目の高さに合わせた。


「お姉ちゃんは大丈夫。父さんがご飯作ってるから、るり手伝ってあげて」


 そう言って、頭を撫でてやると、るりは頷いて家の中へ駆けて行った。彼女を見送ってから空が訊いた。


「あんた、るりの姉ちゃんか」


「はい、なえと言います」


 なえと名乗った齢十四、五ぐらいの少女は、不意に眉を曇らせる。


「……るりか父が、何かしたのですか」


「ううん、良いんだ、被害はなかったから。それよりなえさん」


 答えたのは円だった。空も良明も内心驚き、怪訝に思っていた。さっきから円の言動が唐突で、それに何を考えているのか二人には分からない。

円はなえの前に立ち、両手を差し出した。なえは不思議そうに瞬きを繰り返し、円を見つめる。


「ちょっと手を貸してください」


「手を?」


 首を傾げながらなえは円の手に自分の手を重ねた。彼女の手を掴み、円は目を閉じる。途端、突風が吹き抜け、戸をガタガタ鳴らし、円が載っていた桶を吹き飛ばした。円以外の三人は思わず声を上げた。


 風が止んだ頃には円は手を離して身体の後ろに組み、にこりと笑っていた。


「へへ、ありがとう。それじゃあ、わたし達、行くね」


「う、うん」


 なえはきょとんとして、円の勢いに合わせて頷いた。踵を返す円の後を、空と良明は再び怪訝に思いながらついて行った。




 裏店の小道から大通りへ出た三人は一斉に一息入れた。そして空が円へと振り返る。


「で、何だったんだ」


「あー、ごめんなさい。説明しなくて」


 円が申し訳なさそうにちろと舌をだす。空はやれやれと腰に手を当てた。


「ホントにな。説明よりまず行動、ってのどうかと思うぞ」


「それはお前もじゃないか。考えもなしに即行動、円より悪い」


「うるせぇ」


 呆れたように言う良明の腕を空は殴った。傍らで円が笑い声を上げ、そして浮いた涙を拭いながら話し始めた。


「あのね、石が返ってきた時、あの男の人の感情が流れてきたんだ」


「感情が?」


 また意味の分からないことを言い始めた、と空が眉をひそめる。


「感情というか、わたしが感じられるのは人の病だから、あの人の心の病、って表現の方が合ってるかな」


「心の病……なえって娘のことか」


 良明が考え込みながら答え、円はまた頷いた。訳が分からず、空は怪訝そうに首を傾げて二人を見つめた。


「どういうことだ?」


「あの人、六郎って言うんだけど……娘のなえが大病らしいんだ。医者もお手上げの、不治の病。このままいくと死ぬらしい」


「うそ」


 空は驚愕した。

 確かになえは顔色が悪かった。だが立って話も出来たし、優しく笑ってもいた。その彼女が死に向かっているとは予想だにしなかった。


「なえさんを治してやりたくて、六郎さんは悩んでた。心が病んでしまうくらい」


 円が深刻そうに付け足す。


「このままなえさんが亡くなったら、六郎さんも、きっと危うくなる。そしたらるりちゃんが危ない」


「……母親はいないのか」


「るりを産んで亡くなった、って」


 良明が声をひそめて言い、空は僅かに顔をしかめた。


「わたし、なえさんを治す」


 胸の前で両手を握り締め、円が言った。それを聞いた空は眉を上げ、少し声を大きくした。


「何で円がそんなことしなきゃならねえんだ。その六郎ってやつは、お前から石を盗んだんだぞ」


「ちゃんと返ってきたもん。それに六郎さんが石を盗んだのは、なえさんの治療代が欲しかったからだって、空にも分かってるでしょう」


 円も負けじと空を睨んだ。空は額に手を当て、首を振った。


「やめとけって。お前の力は人に見せるものじゃない。うちにそう言ったのは円だろ」


「そうだけど……」


 円は一瞬言葉を詰まらせ、それでもなお口を開く。


「さっきなえさんの手を触って、病気の具合が分かったの。今なら少しの時間で治せると思うんだ」


「あのな」


「空はわたしが治せるのを知ってて、なえさん見放すの」


 円の挑むような視線に、今度は空が言葉を詰まらせる番だった。すると急に隣で良明が笑い声を上げた。


「そこまで言われたら、空が引くしかねえと思うけど」


「はあー?」


 空は不服そうに良明を見上げた。


「おれは円の意見に賛成。円が六郎に石を盗まれたことも、六郎の娘が病気なのも、偶然だけど偶然じゃない気がする」


「んんー?」


 良明の言っていることは解釈できるのだが、何かが胸につっかえているようで上手く飲み込めない。それに簡単に言いくるめられた気がして、空は片手でぐしゃぐしゃと頭を掻いた。

 一方で円は顔を輝かせ、有難そうに良明を見上げた。


「二対一で空の負けだね」


「負けって何だ、負けって」


 空が憤然と言うのにも構わず、円は良明の袖を引っ張る。


「どうやって治すか考えよう。わたし町の中じゃあまり力発揮できないから」


「ああ、森の中とかがいいんだっけ」


 自然の力を引き出して人間に与える、だったか。朝の話を思い返しながら良明が言うと、円が頷いた。


「神社があるみたいだから、とりあえずそこに行こう」


「神社? どこにあるんだ」


「神社は大体、山の麓に建てられるの。だから、たぶんあっち」


 円が遠くに見える山並みを指差した。それを眺め、良明は頭を掻く。


「じゃあ今日はそこに寝泊まりさせてもらうか、宿代も浮くし。空もそれでいい……ってめちゃくちゃ拗ねてんな」


 振り返ると、最大限まで頬を膨らませた空の顔があり、良明は思わず苦笑した。


「お前の言い分はわからないでもねえよ。何のために治してやるのか、とか。初対面でそこまでする必要があるのか、とか。でも考え出すときりがない」


 そう言いながら良明は腕組みする。


「おれと空だけだったら、なえにも会わなかっただろうな。そんでなえは病で死ぬだけだ。だから円がここにいるのも、運命なんだと思う」


「運命とか……くせぇ話」


 空が呆れたように言うと良明は愉快そうに笑った。


「ははは、おれもそう思う」


 彼の気楽な様子に脱力感を覚えた空は、大袈裟に肩を落とした。そして観念したように口を開いた。


「……わかった、協力するよ。ま、うちも宿じゃない方が少しありがたいからな、今日は」


「ああ……」


 またも今朝のことを思い返しながら、良明は中途半端に頷いた。空に何があるのか未だ知らないため、何と返せばいいのか分からない。暫く彼女を見つめた後、良明は右手を伸ばして彼女の頭をぽんぽんと撫でた。


「……何だよ」


 空が眉をつり上げたのを見て、良明は肩をすくめるだけで特に何も言わなかった。そして円に視線を移す。


「円、神社の場所、分かるんだろ?」


「うん、こっちだよ」


 円が意気揚々と頷き、良明の袖を引っ張って歩き出した。




 二人の少し後ろを歩きながら、空は浅くため息を吐いた。さっき良明に頭を撫でられたのは、気遣ってくれての行為なのだろう。何も訊かれないのは有難かった。空自身、訊かれてもどう説明すればいいのか分からなかった。説明できたところで良明が信じてくれるかさえ分からない。だから実際に見てもらう方が早いのだ。

 気味悪がられてもしょうがないことだとは承知している。拒絶されたその時は連れ立って行動するのを止めるだけだ。だけど、良明は円を受け入れられたのだから、もしかすると自分も受け入れてもらえるかもしれない。

 空は独りよがりな淡い期待を抱いていた。




* * * * *



──チリン、と鈴が鳴った。


 発砲音が絶えず鳴り響き、怒号が乱れ飛ぶ。戦の口火は切られ、戦場は一進一退を繰り返していた。騒然とした中で、その小さな鈴の音はやけに耳に響いた。良明は足を止めて振り返り、濃い霧の中で目を凝らす。

 二人の男の影があり、互いに向き合っているようだった。霧が深くて何をしているのかよく見えない。良明は怪訝に思いながら、霧をかいくぐるように彼らに近寄る。


「宗佑さん? ……一陽────」


 彼らまであと数歩というところで良明は足を止めた。状況をすぐには理解できなかった。


 一陽(かずひ)の刀が、宗佑(そうすけ)の胸を貫いている。


 どういうことだ。何が起こっているのだ。


 答えのない問いが頭の中で渦を巻く。


 愕然と二人を見つめていると、宗佑の震える手が一陽の肩を掴み、小さく何かを呟いたようだった。すると一陽が身を引き、宗佑から刀を抜いた。血を吐きながら宗佑がその場にドッと崩れ落ちる。血に濡れた抜き身の刀を身体の横で握り締め、一陽は横たわる宗佑を見下ろしていた。


 何故こんなことになった。


 良明は既に考える余裕すらなくなっていた。


 呆然としていると、突然一陽が振り返り目が合った。彼の黒い瞳と冷たい表情に、背筋が寒くなる。良明は咄嗟に、自身の腰の刀に手を伸ばしていた。

 自分が最も慕う人を、この男は殺した。許せなかった。だが、この刀を抜いて彼を斬る覚悟も、良明には備わっていなかった。一陽もまた、良明が幼き頃から面倒を見てくれた、慕っている人だったから。戸惑いと躊躇にさいなまれ、微かに手が震える。


 刀を抜こうか抜かまいか迷っていると、突然小さな声がした。


「良明」


 宗佑の声だった。慌てて目を向けると、彼はうつ伏せのままこちらを手招いている。宗佑はまだ息をしていたのだ。何故既に死んだと勘違いしていたのだろう。手当てをすれば助かるかもしれない。

 良明は駆け寄って宗佑の傍らに膝をつき、彼を仰向けにして顔を覗き込んだ。


「宗佑さん」


「……何だその顔。戦はまだ続いてるんだぞ」


 宗佑が渇いた笑い声を上げる。良明はかぶりを振り、急ききったように話した。


「一旦陣に戻りましょう、早く手当てを──」


「いや、いい」


 ゆっくり首を振って、宗佑は未だ傍らに立っている一陽に目を向けた。一陽は相変わらず無表情だった。


「……悪いな、一陽。お前には迷惑をかけた」


 何故宗佑が詫びているのか良明には理解できず、一陽を見上げるしかなかった。一陽は暫く目を閉じてから、良明に睨むような視線をやった。


「良明、恨むなら俺を恨めよ。相手なら、いつでもしてやる」


「……どういうことだ」


 良明が尋ねたにも関わらず、一陽は身体の向きを変えるなり足早に去っていった。


「一陽!」


 大声で呼び止めても、彼は一度も振り返ることなく霧の中に姿を消した。


「……良明、いいから」


 仰向けになったままの宗佑に腕を掴まれ、良明は驚き振り返ってハッとした。宗佑の顔は青ざめ、口端からは血が垂れ、今にも目を閉じてしまいそうだった。

 宗佑が死んでしまう。そう考えるだけで全身の血がざっと音を立てて引いていく。


「宗佑さん、戻りましょう。手当てしなきゃ──」


 再度促したが宗佑は首を左右に振るだけだった。


「何で」と叫びそうになった時、宗佑が良明の頭を掴んで胸に引き寄せた。鎧と血の匂いが混じり、鼻を突く。


「……一度しか言わないからよく聞けよ」


 荒い呼吸をしながら宗佑が話し出す。良明はギリと歯を喰い縛り、かぶりを振った。何も聞きたくなかった。


「いいから聞けって……一陽のことは恨むなよ。恨むのは筋違いだ」


「どういう意味……」


 良明は顔を上げようとしたが、宗佑の手に阻まれ、彼の胸に額を付けたまま次の言葉を待った。


「良明はもう徳川に戻るな……俺も一陽もいないんじゃ、お前の身の保証はできない」


「……でも……おれは──」


 良明が話し出そうとするのを、宗佑は軽く彼の頭を叩いて制した。

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