二、鎮守の森 (4)
* * * * *
どれぐらい歩いただろう。
足は痛いし腹は減ったし、というか全身が悲鳴を上げている。しかし自分が案内すると豪語してしまった手前、休憩のために立ち止まることは躊躇われた。
空は草木を掻き分けながらため息を吐いた。
江戸を発った空と良明は武蔵の隣、甲斐の国に入っていた。
いくつかの村を転々とした後、山道に入り、今日になってようやく空が住んでいた家の近くまで辿り着いた。近くと言ってもその家は山の中腹にあるため、険しい道のりが更に続く。
しかも案内なしでは行けないような場所に家はあるのだった。何故そんなところで暮らしていたのかと聞かれても空には分からない。
幼い頃、政長に連れられて各地を歩き回った末、ここに住み着いたのだった。
彼がどんな理由でここを選んだのかは勿論聞かされていない。
ただ、久し振りに見た山は、何者も寄せ付けない神聖さと、城を守る城壁のような堅固さがあった。見慣れたはずの山に懐かしさを覚える反面、何故か畏怖の念も抱いた。
山を見た良明も少し驚いたようで、踏み入る際は緊張した様子も見せていた。
そして家を目指して道なき道を歩き続けているのだが、一向に目的地が出てこない。
青々とした葉を付けた木々が伸び、四方を見渡しても似た景色しかなかった。
空は立ち止まって腕を組んだ。道を間違ったつもりはなかった。
うーんと唸っていると、後ろから良明が不審そうに話し掛けてきた。
「なあ、もしかして迷ったりしてないだろうな」
「そんなはずは……そろそろ目印が出てくるはずなのに、見当たらねえんだ」
空は僅かに申し訳なさそうに振り返ると、良明が首を傾げる。
「目印って?」
「吊り橋なんだけど」
「吊り橋? 吊り橋ならさっき通り過ぎたぞ」
「はあー!? 見たんなら言えよ! 歩き損じゃねえか!」
空は良明を睨みながら地団駄した。どれ程疲れたと思ってるんだ、と叫びたくなった。
良明が呆れた表情をする。
「案内するって言ったやつの台詞か、それ。っていうかお前こそ先に教えてろよ。勝手に切れんな」
「はいはいすみませんね! あーもう、疲れた、ちょっと休む」
そう言って空はしゃがみ込み、頬を膨らませた。すると良明の妙に緊迫した声が降ってくる。
「駄目だ、休むな。早く行った方がいい」
「……何で?」
空は彼を見上げ、首を傾げた。良明は顔を上に向け、眉をひそめている。
「山頂が近いからか……とにかく、ここから離れるぞ」
そう言葉を濁して良明は身体の向きを反転させ、歩き出した。
「おい、よっしー」
空は慌てて立ち上がり、彼を追った。何気なく振り返って今いた場所を見ても、特に変わった様子はなかった。
吊り橋が掛けられた谷は深かった。巨大な爪に引き裂かれたような鋭い岩肌。谷底には濁流の川。
落ちれば助かる見込みもなさそうな場所の真上に掛けられた橋は、一歩踏み出す毎にぐらぐら揺れた。
吊り橋を渡り切った二人は、一息入れてからまた歩き出す。
「吊り橋渡ったから、すぐ着く」
もうすぐ住み慣れた家に帰れると思うと声も明るくなり、足取りも軽い。
「もう迷うなよ」
「わかってるよ」
良明の揶揄に空は頬を膨らませた。
吊り橋から家までは一本道だった。谷沿いに下って、少ししてからまた森の中に入るとそれは見えてきた。
そしてもっと近付くと、山中にしては不自然に開けた場所に出た。そこには茅葺き屋根の家があり、立ち上る煙も見えた。更にはざくざくと土を掘る音がする。それだけで人がいると確信できた。
空は浮き足立って、家の表へと走り出した。良明も周りを見渡しながらゆっくりとついていく。
「実知姉!」
小さな畑を耕す女が目に映り、空は満面の笑みで彼女を呼んだ。
実知は手を休め、振り返った。
「まあ、空なの?」
驚いた顔をする実知に、空は駆け寄って飛び付いた。
「たっだいまー」
と言った途端、ゴンッと音がして空の目の前に星が飛び散った。実知に殴られたと分かるまでそうかからなかった。すぐに頭に痛みが走り、両手で頭を押さえて空は叫ぶ。
「いったぁぁ!」
「……家飛び出したっきり長いこと帰らないで? そんでいきなり帰ってきて何が『たっだいまー』よ。人に心配かけておいて、今まで何やってたの」
目をつり上げた実知が空の耳をつまみ、ギリギリと力一杯引っ張る。
余りの痛さに耳が千切れるんじゃないかと、空は悲鳴を上げて何度も謝った。
「ごめんなさいごめんなさい、遊んでました」
「何日遊んでんのよ、まったく」
また実知に叩かれ、空は「あいてっ」と声を上げた。しかし先程の拳骨よりは痛くなかった。
「まあ、元気そうでよかったわ。おかえり」
そう言って、実知は空を抱き締めた。空も嬉しそうに彼女にしがみついた。息を吸えば、森と陽の優しい匂いがした。
しばらくそうした後に実知が顔を上げ、少し離れた所に佇んでいた良明と目が合い、彼女は驚いた顔を浮かべた。
「あら、男の子がいる。何々? 誰? どういうこと?」
首を捻り続ける実知から離れ、空は良明に目を向けた。
「うちの旅仲間だよ。ちょっと用があって連れてきたんだ。名前はよっ――」
「良明です、初めまして」
空の紹介を遮るように良明が名乗り、軽く頭を下げた。不服に思ってむうと頬を膨らませると、彼に一瞬睨まれた。
その二人の様子を見ていた実知は少し安堵したようで、肩の力を抜いた。
「まあまあ、礼儀正しいこと。お武家さまかしら?」
実知がにこにこしながら問い、良明は首を横に振る。
「いえ、ただの流れ者です」
「ふぅん? 貴方、空と旅してるの? 大変でしょ、この子の相手するの」
「ははは、否定はできません。でももう慣れました」
そう言って良明は肩をすくめた。一方で空が「どういう意味だ!」と怒鳴ったが、二人は軽く受け流した。
「政長という人がここにいると聞いて来ました。話がしたいんですが、今は……」
「あら、あの人ちょっと前から出てるのよ」
「えー、政長いないの?」
横から空が残念そうな声を上げた。少し肩を落としそうになったが、良明は気を取り直して尋ねる。
「いつ戻るか分かりませんか」
「そうね……二、三日したら戻ってくると思うけど。何せあの人気まぐれだからねぇ。確かなことは分からないわ」
ごめんなさい、と実知が謝る。
「そうですか」
「……どうする?」
良明を見上げ、空は首を傾げた。
顎に手を当てて考える彼に、実知が両手を合わせて笑いかける。
「立ち話も何だし、上がりなさい。お腹すいてるんじゃない? お昼の残りあるわよ」
「あっ、すいてるすいてる! やった」
空が嬉しそうに万歳する傍ら、良明は密かにため息を吐いた。
家に上がるかもう少し考えたかったが、飲まず食わずで山登りをしたせいで腹はかなり減っていた。食べ物の誘惑に勝てるはずがない。
「じゃあ……お言葉に甘えて」
「はい、どうぞ上がって」
実知がにこやかに二人を促した。
足を踏み入れ、意外としっかりした造りの家であることに気付き良明は驚いた。
玄関らしいものはなく土間より入ったが、そこから続く囲炉裏の間は広く、奥にももう一つ部屋があるようだった。
山奥でどうやって建てたのだろう。そう良明が感心していると、土間から実知が戻ってきた。
「ご飯少ししかないから、雑炊にしちゃうけど、いいかしら」
そう言って彼女は飯櫃を手に囲炉裏の回りに腰を下ろした。良明も彼女の向かい側に座りながら答えた。
「お構い無く」
「実知姉のご飯久し振りだなー」
間に座った空が膝を抱えてにこにこと実知に笑いかける。
空が実知に懐いているのは良明の目で見ても明らかだった。
母親のような人なのだろうが、母親と呼ぶには若い気がする。年は三十手前ぐらいだろうか。
鈍色の着物は継ぎ接ぎもあってとても質素だが、日に焼けた健康的な肌は張りがあり、一つにまとめ上げている黒髪も艶がある。磨けばそんじょそこらの女には負けないだろうに、何故こんなところで暮らしているのだろう。
空と楽しそうに話す実知を見つめ、良明は先程のことを思い返した。
実知と目が合った時、柔和に笑う彼女の瞳の奥に、誰もが怖じ気づいてしまいそうな鋭さを見た。多分、あの数瞬の間に自分は見定められていた。危険かどうか、また排除するべきかどうかを。
実知もただ者ではない。だから家に上がるか躊躇ったのだった。
悶々と考え込んでいると、急に目の前に椀が突き出され、良明は顔を上げた。
「何ボーッとしてんだ? ほら、よっしーの分」
そう言って空は差し出した椀を軽く揺らした。
「ああ……悪い」
良明が椀を受け取るのと、実知が面白そうに目を光らせるのはほぼ同時だった。
「よっしー?」
「……良明です」
良明があからさまに不満そうな表情をすると、実知がクスクスと笑い出す。
「嫌そうね、かわいいのに」
「でしょー? さすが実知姉、よく分かってる」
へへん、と空は誇らしげに鼻の下を擦った。
雑炊が煮たってきて鍋を掻き回す手を止めた実知は、空の椀に出来た雑炊をよそる。
「どうせ空が勝手に呼んでるだけなんでしょ。良明も嫌なら嫌って、言ってやったらいいのに」
「いや、散々言ってきたんですが」
実知に椀を手渡しながら良明がぼやくと、彼女は声にして笑った。
「そうなの? 空ってば相変わらず頑固ね、誰に似たんだか」
雑炊をよそって椀を良明に戻し、実知は叱るように空の頭を小突いた。
「だってよっしーはよっしーだもん」
そう拗ねたように呟き、空は椀に口を付けて汁をすすった。良明もやれやれとため息を吐いてから、箸を動かし始めた。
空がおかわりをしようとした時、不意に良明が口を開いた。
「あの、聞いてもいいですか」
彼の視線は実知へ向けられている。空は怪訝に思いながら二人を見つめた。
実知が微笑みながら首を傾げる。
「いいわよ、何かしら」
良明は椀の上に箸を載せ、それを静かに床に置いた。
「この山って、霊山ですよね」
霊山。空には馴染みのない言葉だった。実知に目をやると、彼女は感心したような顔で頷いた。
「間違いではないわ。山頂一帯はほとんどが神木なの」
「山頂一帯……じゃああの時はもう近付きすぎてたのか」
「……もしかして山頂まで行ったの?」
「いえ。ただその域には入ったのかもしれません、違う空気の中にいるようだったから。すぐに出ましたが」
「そう……危ない場所ではないのだけど、空気にあてられる時もあるのよ」
二人の会話をぼんやりと聞いていた空は、訳が分からなくなってきたので勝手に雑炊をよそってまた食べ始めた。
この山に神さまがいると、空も幼い頃から聞かされている。
しかし空にとってはこの山は住み処だし、遊び場でもあった。山頂だって何度も行った。その度に実知には怒られ、政長には「大した度胸だ」と褒められたりもした。
だから良明と実知が話すような仰々しい印象など空には全くないのだ。
まだ続く二人の会話を、箸を動かしながら流すように聞いていた。
「実知さんはここにいて影響ないんですか?」
「まあ……そうね。ないわ」
良明の問いに実知は一瞬、躊躇いをみせた。
「私より、空が一番影響を受けそうなのに、小さい頃からどこ行ってもけろっとしてるのよね。神木に登ったって聞いた時はさすがに肝を冷やしたけど」
実知に恨めしそうな視線を向けられ、空は誤魔化すように笑った。やっぱり覚えていたのか、と内心ため息を吐いた。
「まあそれも神木と似た性質のせいかもね」
「性質って、海のことですか?」
「ええ」と実知が平然と頷いた。
海の名が出たというのに空はキョトンとしていた。あまりに唐突だったため反応を示す機会を逃してしまった。
「神木は神を宿すでしょう。空も似たようなものよ」
「……海って何なんですか」
良明が尋ねるのに合わせ、空も実知を見つめた。
彼女は品定めするかのように二人の視線を受け止める。
しばらく沈黙が流れ、それでも根気よく答えを待っていると急に実知が目の力を和らげた。
「それを政長に聞きにきたんでしょう? じゃあ私の口からは言いません。政長が帰ってくるのを待ちなさい」
期待とは全く違う返答で、空も良明も拍子抜けしてしまった。
「あの人が帰ってくるまでここにいていいわよ。ちょうど男手が欲しかったとこなの、食べたら手を貸してちょうだい」
「はあ」
急な申し出に良明は間の抜けた返事をした。そんな彼に空はこそりと言う。
「働かざる者食うべからず、が実知姉の格言なんだ。怠けると本当に食えなくなるよ」
「……経験者みたいな言い方だな」
助言をしたつもりが逆に図星をつかれ、空は思わず視線を泳がせた。
良明が呆れた表情を見せる。
「心得とくよ」
「ふふ、ありがたいわ。やって欲しいことが山程あるの」
実知が両手を合わせてにこにこと言う。
「とりあえず、食べたら水汲みに行ってね。空もついでに行ってきなさい」
「えっ、うちも?」
「そうよ。どこで汲んだらいいのか良明は分からないでしょう、だから貴女が案内しなさい。そして空も水を汲んでくること、いいわね」
空が返事せずにぶーと口を尖らせると、実知は眉を上げた。
「夕餉、抜いてもいいの」
「行きます、行きます」
空は慌てて頷き、雑炊を口に掻き込んだ。
それを横目に見ながら、良明も二杯目を貰い、再び食べ始めるのだった。
手桶を空は一つ、良明は二つ持ち、二人は水を汲みに家を離れた。
谷沿いに少し山を下った所で空が立ち止まる。
「これを使うんだ」
そう言って空が拾い上げたのは長い縄がくくりつけられた手桶だった。縄のもう一端は近くの木に結び付けられている。
「それを川に投げるってことか」
「そういうこと」
空が頷くと、良明は谷を覗き込んで感心したように呟いた。
「下の川、流れ速いのに……引っ張られたりしないのか」
「コツを掴めばそんなに難しくないって」
笑って言い、空は縄のついた手桶をぽーんと谷に放った。
川に落ちたのを確認してからすぐに引き上げる。確かに流れに持っていかれる感覚はあるが、慣れているため、どうということはない。後はここまで引っ張るだけ。
縄を手繰り寄せていると急に、隣に立つ良明が話した。
「実知さんって、何か菫さんに似てるな」
「おお、よっしーもそう思った?」
空が嬉しく思いながら良明に目をやると、彼は微かに頷いた。
「パッと見ただけじゃ全然違うのに。雰囲気がそっくり」
「うんうん」
声にして笑い、引っ張り上げた手桶から水を移し変える。そして縄のついた手桶を良明に差し出した。
「よっしーもやってみる?」
「ああ」
良明は手桶を受け取り、谷に投げた。しゅるしゅると縄が伸びていくのを、空は隣に立って眺めた。
手桶がまた川に落ちたのを見届け、ちらと良明の横顔を見やった。
「政長いなくて残念だったな」
「……拍子抜けはした。でも待つぐらいなら出来るさ」
縄を手繰り寄せながら、良明は直も続ける。
「その人も実知さんも、お前のことよく理解してくれてるんだな。海にも慣れてるみたいだし、おれまだ慣れてねえや」
「それは……一緒にいる日数が違うし……」
少し気落ちしながら空は呟いた。
良明が海と面と向かったのも城でのことを含めてまだ三回だ。慣れていなくて普通だし、おかしなことではない。
それに慣れることなんてきっとない、と空は思っていた。でも海が表に出ている間の記憶は自分にはないし、彼らに海について尋ねたこともない。だから彼らの本心は空には分からなかった。
いや、単に本心を聞くのが怖かったのだ。慕っている人たちだから余計に。
不意に良明が訝しげに話しかけた。
「また何か考え込んでる。顔に出てるぞ」
「……出てない」
唇を尖らせてツンとそっぽを向くと、良明のため息が聞こえた。
彼は引き上げた水を移しながら言った。
「お前が一人で考えても答えなんて出ないんだから、誰かに聞くぐらいしろよ。誰に聞けばいいか分からないんなら、おれに聞け」
「……よっしーだって、いっつも一人で考えて何も言わねえじゃん」
「おれは答えが出るからいいんだよ」
「それが嫌だって言ってんだ。何でもかんでも一人で解決しようとすんじゃねえ」
空は眉を上げ、閉口する良明を睨んだ。
「うち、ずっと思ってた。よっしーって何考えてんのか全然分かんないし、いつもどこ見てんのかも分かんないし。そんで色んなこと勝手に決めてさ。海のことも、ホントに関わらせていいのかって、こっちは不安なのに、よっしー何も言ってくれないんだもん。色々聞きたいのに、聞かせない雰囲気作ってたのはよっしーの方だろ」
一気にまくし立てた空は、息切れして少し喘いだ。
一方、ポカンとこちらを見ていた良明は、急に顔を背け、肩を震わせ始めた。
何事かと首を傾げかけたが、彼から笑いを堪える声がして空は半眼で顔を反らした。
「……何笑ってんだ」
「いやいや、笑ってない笑ってない」
そう言って振り返った彼の顔は当然にやついていて、腹が立った空は思わず怒鳴った。
「笑う話じゃねえだろ!」
「あはは、悪い。そういうこと、昔清宏にも言われたなと思ってさ」
直も笑い、彼は二度目の水汲みに取りかかる。その横顔が昔を懐かしんでいるように見えた。
「隠したい訳じゃない、考えすぎてどう言葉にすればいいのか分からないだけだ。だから言葉足らずなんだよな、おれは」
「……言ってくれなきゃ分かんないことだってあるんだからな」
「そうだな、それはもう経験済みだ」
良明が短く笑い声を上げた。
経験って何だろう、と思いながら空は彼を見上げていた。
水汲みも終わり、二人はそれぞれ重くなった手桶を持って歩き出した。
数歩前を歩く良明が唐突に振り返り、空はたじろいで足を止めた。
「さっきの、不安だって話、本心か?」
彼が何を言っているのか空は一瞬分からなかったが、そういえばそのことも口走ったなと思い出す。
「まあ……本心っちゃ本心」
答えるのに何故か照れが入り、思わず口ごもった。
「そうか。不安がらせるつもりはなかったけどな。おれが勝手に首突っ込んだんだ、気楽に構えてろよ」
「でも、うちがついて行かなかったら……怪我なんかしなかったのに」
「あのな、もう怪我のことは忘れろ。ていうか、海を見て嫌だと思ったら、その時点でおれはお前の前から消えてる」
その言葉に空は「あれ」と目をぱちくりさせ「清宏も似たようなこと言ってたな」と呟いた。
「……あいつと何を話したんだ」
良明の眉間に皺が寄り、空はハッとして口を押さえた。
「清宏の言うことはあまり信じるなよ、大体が勘で成り立ってるからな」
そう言って良明はまた歩き出す。清宏の勘が結構な確率で当たるということは、告げなくてもいいだろう。
「あ、もう一つ聞きたいことがあった」
良明が再度振り返ったとき、空は既に隣に並んでいた。
「政長ってやつと実知さんはどんな関係なんだ? 夫婦か?」
「え、違うよ」
空はキョトンとして首を横に振る。
「じゃあ兄妹とか」
「ううん、はっきり言えば赤の他人。あの家は元々実知姉の家で、うちらは後から上がり込んだんだ」
「実知さんは一人で暮らしてたのか」
「そうみたいだけど……うちもよくは知らない。改めて考えると妙だな」
うーんと唸りながら空は宙を仰いだ。
政長と実知。空にとってはどちらもいて当たり前の存在であるため、どういった関係なのか別に知る必要はないと思っていた。
昔は夫婦だろうかと考えたこともあったが、二人の間にそういった雰囲気は微塵にも感じられなかった。何せ共に暮らして幾年過ぎても、子が一人もできないのだから。
前を向いた良明が口を開く。
「まあ夫婦だったら子がいてもおかしくない年だろ、実知さんは」
同じことを良明が考えていて、空は何だかおかしくなった。
「実知姉、何歳だと思う?」
「……二十七ぐらい」
「惜しい、二十八」
「へえ、政長は?」
「えっと……三十代ってことは分かる」
「要は分からないってことだろ」
「そうとも言う」
空は頭を掻いて、へへと笑った。
それから家に着くまで二人は他愛ない話を続けていた。