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十六夜の月  作者: 銀花
一、遠い記憶
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一、遠い記憶 (9)

「聞いてないんですか? 空ちゃんの懐刀は母親から授かったものらしいです。それから彼女、両親を捜しているそうです。これは聞いてますよね」


「いや、初耳だ。そういや誰かを捜してるって言ってたな」


 忘れてた、と良明は頭を掻く。


「両親か……見つかるといいな」


「そんな他人事みたいに……良明さんも手伝ってくださいよ。それぐらいしたってバチは当たりません」


「……はい」


 栞がぷりぷりと怒り、良明は苦笑を浮かべて頷いた。ちらと空を見てから良明は栞に向き直った。


「一応海のことを教えとく。海ってのはさっき見たやつな。おれがいないときに出てきたら、栞が対応してくれ」


「はい」


 栞は真剣に頷き、空に目を向けた。




「そういえば、昼に一陽に会ったんだろ?」


 海について話し終えた後、良明は唐突に話題を変えた。栞が一瞬目を見開き、慌てた様子で背後の障子へと振り返った。


「いきなりそんなこと聞かないでください。菫さんがいたらどうするんです」


 栞は障子を開き、首だけ部屋の外に出してきょろきょろと廊下を見渡す。誰もいないことを確認してから障子を閉め、また良明の下へ戻る。良明が苦笑しているのを見て、栞は眉を上げた。


「菫さん、気配隠すの私より遥かに上手いんですよ、私でさえ気付けない時があるんですから」


「わかってるよ、おれだって何度も驚かされてんだ。で、一陽は何て?」


「……菫さんには会うつもりはない、って。それより、一陽さん……私たちをつけてた人を斬ったんです」


 重苦しい口調で栞が言う。膝に頬杖をつき、良明は彼女に詳しく話すよう促した。


「松葉屋を出て、すぐに人がつけてきました。男が……武士が二人、知らない人でした。私じゃなくて、たぶん空ちゃんを見張ってたんだと思います。何もしないようだったんで撒かなかったんですが……私が仕事を終わらせて空ちゃんのとこに行ったら、一陽さんがいて――」


 それ以上は言わなくていい、と言うように良明は手を挙げて栞の言葉を遮る。


「つけられたのはおれのせいだろ。ここに着いた時には、菫さん曰く三人はいたらしい。たぶんその内の二人だ」


「何で良明さんが見張られるんですか……?」


「……勝手にくにを抜けたからな、主家を裏切ったと思われててもおかしくない」


 やれやれと良明が頭を振ると、状況を感じ取った栞は急ききったように話した。


「一陽さんが斬ったのは一人だけなんです。もう一人はその場から逃げたらしくて……も、もしその人たちがお城に関係してたら」


「一陽のことも知られたな。菫さんに隠しておくのが難しくなりそうだ」


「どうしましょう?」と栞が不安そうに眉を下げて首を傾げる。良明は少し考えてから口を開いた。


「おれたちが先に一陽を捕まえられたらいいが……とりあえず城に行ったら状況を探ってくるから、栞はまだ黙っておけよ」


「はい」と栞が小さく頷き、良明は微かに笑った。栞のいいところは、菫を心から尊敬して彼女のために尽くしているところだ。栞が素直で純だから出来ることなのだろう。そう言うところは昔から全く変わっていない。


「もう遅いから寝よう、空もお前の部屋に運ぶぞ。ここにこいつがいたらまた菫さんに叩かれる」


 そう言って立ち上がる良明に、栞は笑った。少しも起きる気配のない空を良明が両手で抱え上げ、二人は障子を開け、暗い廊下へと出た。この時ふと、何故空が一陽の側にいたのか二人は疑問に思っていたのだが、近くに菫が寝ている手前、互いにその疑問を口にすることはなかった。




「空ちゃん起きてー!」


 障子を勢いよく開いて栞が大声を発した。


「……んー?」


 布団の中で空はもそと寝返りを打ち、寝ぼけ眼を彼女に向ける。眩しい朝日が差し込んでいる中で栞は腰に手を当てていた。彼女は既に松葉屋指定の群青色の袷に着替え、長い髪も頭の高い位置で一つに結い上げ、いつもの働く格好になっている。


「ほらほら、早く。和平さん、待ってるよ」


 近寄ってくるなり、栞は空の掛け布団を剥ぎ取った。

 空たちが松葉屋に来て今日で十日目だ。清宏から未だ返事がないので、空たちは時間を持て余していた。のだが、部屋を貸してやる代わりに働けと菫に命令され、二人は松葉屋の手伝いをやらされていた。空がやることは掃除や洗い物が主で、客が多い時は食事の配膳をすることもある。やることがなかった空にはこれはこれで有り難かったし、また初めてのことに楽しさも見出だしていた。栞と揃いの袷と前掛けも貸してもらい、空はすっかり奉公人の様相になっていた。

 空は身体を起こし、うんと伸びをした。


「着替えたら下りておいでね」


「うん」


 部屋から出ていく栞に、空は目を擦りながら手を振った。一人になってのろのろと寝間着を脱ぎ、群青色の袷に腕を通す。腰紐を結んでいる最中に、空はぼんやりと海のことを考えた。

 良明によると松葉屋に着いた日の夜に海が現れたらしいが、それからは出ていないとのことだった。大したことは聞けなかったと良明は詫びた。

 今までこんなに海について気にしたことはなかったのに、良明が海を知ってからと言うもの、何故か自身も気に掛かり始めたのだ。こんなことなら政長の話をしっかり聞いておけばよかったと、今になって少し後悔していた。

 空は思わずため息を漏らし、布団を畳んで部屋を後にした。




「よおチビスケ、遅い目覚めだな」


 賄い部屋に降りると、側にいた男が真っ先に声をかけた。空は僅かに眉をつり上げた。


「チビって言うな!」


「じゃあマメ」


 ケラケラ笑いながら言い、椀に飯を盛り始める男を空は唇を尖らせながら見つめた。彼は名を和平わへいと言い、黒の作務衣に前掛け、頭には手拭いを巻いている。目が大きく、目元の笑い皺が印象的で、年は聞いていないが空の推測からすると三十そこそこの男だった。彼は松葉屋の料理人であり、客に出すものから使用人の賄いまで料理全てを担っている。ここに来た日から口にしているが、流石と言っていい程、和平の料理には文句のつけようがなかった。

「おら」と彼に椀を差し出され、空はそれを両手で受け取った。飯の上にほぐした魚と切った海苔が掛けられ出汁が並々と注がれており、食欲をそそるように湯気が立っている。その匂いに空は思わず喉を鳴らした。


「そこにチビッ子がいるから一緒に食ってきな」


「チビッ子?」


 和平が指差す方を見ると、賄い部屋の板張りになったところで凛太郎がちまちまと飯を口に運んでいる。空に気付いた彼は嬉しそうに笑った。


「空ちゃん、おはよう」


「おはよう……前から思ってたんだけど何でうちのことは“姉ちゃん”て呼ばないんだ? 栞は栞姉ちゃんて呼んでるのに」


「お前が小さいからだろ」


 和平が即座に言ってぷっと吹き出す。笑い声を上げる彼を空は睨み上げた。


「年も教えてるんだぞ!」


「そんなことにいちいちこだわるなよ、凛は悪気ないんだから。さっさと食って洗い物してろ。そろそろ客の膳が下がってくるぞ」


 厠行ってくるわ、と和平は手を振って裏から出ていった。

 彼を見送り、空は近くの棚から箸を取り出して凛太郎の隣に腰を下ろした。椀に口をつけて出汁をすすると、空っぽの腹に染み渡っていった。簡単な料理をこんなに美味しく出来るなんて、料理人はすごいなとしみじみ思った。ことある毎に揶揄を言うのはどうかと思うが。

 ほう、と息を吐き、しばらく無言で料理を口に運ぶ。先に凛太郎が食べ終え、椀を置いて手を合わせた。


「ごちそうさまでした」


「そうだ凛、お前よっしー見たか?」


 空が尋ねると、立ち上がりかけていた凛太郎は振り返って首を振った。


「ううん。あんちゃん、おそとに出ていったみたいだよ」


「外か。よっしーたまに何の仕事させられてるのか分かんない時があるんだよな」


 そう独り言を言って、残りの飯を一気に口に流し込む。流し台に碗を運ぶ凛太郎を見送り、空はぼんやりと考え込んだ。

 良明は昼どころか夜にも仕事を回されているようだった。それにここのところろくに話もしていない気がする。覚えている限りでは、最後に話をしたのは三日前の晩だ。床の支度をしていた時、良明が清宏からの返事がないかひょっこり栞に尋ねてきた。その時に二三言葉を交わしたぐらいだ。

 良明の仕事について栞に尋ねてもいいのだが、何となくはぐらかされそうな気がして口には出来なかった。和平に聞いても「知らねえな」と言われるだけだろう。仕事内容に関して松葉屋の者たちの口の固さは承知済みである。

 空はため息と共に立ち上がり、流し台へと向かう途中でハッとした。最近ため息ばかり吐いていないか。自分で考えても答えが出ないときは、特にため息が出ている気がする。それに気付いて急におかしくなった。シケたことは好きじゃない。元気なことが取り柄だろ、と良明も言っていた。

 悩んでばかりいるのも自分らしくないなと思い直した。そう考えると急に気分が軽くなり、空は手早く襷を掛けて洗い物を始めるのだった。


 客の膳まで洗い終わり、和平と共に昼餉の簡単な下拵えを始めたとき、玄関が何やら騒がしくなって空は顔を上げた。


「何だぁ? うるさい客でも来たのか」


 和平が怪訝そうに呟く。二人して何事かと思っていると、ドタバタとやかましい足音と共に栞が顔を見せた。彼女の様子に空はギョッとした。何故か眉がつり上がっている。


「空ちゃん、手は空いてない?」


「えっ、えっと今下拵えしてんだけど」


 空がおどおど答えると、和平がぶっきらぼうに手を振る。


「あーあー、いい、お前がいなくても手は足りてる。行ってこい」


「すみません和平さん、ちょっと空ちゃんお借りしますね」


 栞が軽く頭を下げ、空の腕を掴むなり足早に賄い部屋を出て廊下を突き進んだ。空は訳が分からず、栞について行くほかなかった。

 二人は階段を上り、良明がいつも寝ている部屋の前で立ち止まった。良明が帰ってきたのだろうか、と空は首を捻った。栞が無言のまま障子を開け、部屋に足を踏み入れる。中を伺うと、そこには丁度座ったばかりという体勢の男が一人いた。

 良明と同じく総髪だが、良明程長くはないし綺麗に整えている。ただなるがままに伸ばしただけではないようだ。黒の羽織袴によれは一つもなく、育ちの良さが窺える。傍らには二本の差し料もあり、武家の者だとすぐに気付いた。

 不意に彼が顔を上げ、未だ廊下に立ちすくむ空と目が合った。途端にパッと表情を明るくする彼に、空はたじろぐ。


「君が、良明が連れてるって女の子?」


「は、はあ」


 男にニコニコと尋ねられ、空は曖昧に返事をした。もしやこの人懐っこそうな人が清宏という人物なのだろうか。この疑問は栞の言葉で確定となる。


「清宏さんが頼むから連れてきたんですよ、空ちゃんに何かしたら承知しませんからね。私も良明さんも!」


 最後は妙に力強く付け足したように空には聞こえた。すると清宏きよひろが口を尖らす。


「俺はお話をしてみたかっただけなのに。そこまで言わなくてもよくない?」


「信じませんから! あと、もちろん触るのも禁止ですよ!」


 何を触るんだろうと思っていると、栞が勢いよく振り返り、空は驚いた。


「空ちゃん、これ、苦無渡しておくわ」


 懐から取り出した苦無を空に手渡し、栞はずいっと顔を近付けた。


「何かされそうになったら、これで刺していいからね」


「栞物騒すぎ。何もしないよ、失礼だな」


 清宏が心外そうに頬を膨らませると、栞は彼の顔を見るなり眉を上げた。


「信じませんから!」


「……俺、栞になんかしたかなぁ。記憶にないんだけど」


 がっくりと肩を落とす清宏を無視して、栞は空へと向き直る。


「私、良明さんを呼んでくるわ。空ちゃん、申し訳ないけど、この人の相手兼見張りしててね」


「え、相手って……」


 何したらいいんだ、と空が聞けないまま、栞は部屋を出て二人を閉じ込めるように障子を閉めてしまった。彼女の袖を掴もうとしていた空の手は、むなしく宙を漂った後に下ろされる。


「ねえねえ、名前何て言うの? 俺は清宏って言うの、よろしく」


 愛想いい笑顔で清宏が尋ね、空は思わず身を固くした。栞から聞いた彼に関する悪い話が頭の中でぐるぐると回っている。女の子を見ると見境がないだとか騙してるだとか、知り合った女の子は必ずと言っていいほど寝取るとか。空はゾッとして無意識に障子まで後退っていた。すると清宏は、おかしそうに眉を歪めた。


「栞が何か吹き込んだんだな、まったく。そんなに警戒してると、ホントに栞が言ってるようなことやっちゃうぞ。 ……あ、嘘嘘、本気にしないでよー」


 空が素早く苦無を両手で握り締めると、彼はケラケラと笑い出した。そして空を手招き、前に座るよう薦める。

 空はしばらく躊躇った後に、彼から十分に、すぐに逃げられるであろう距離を置いて腰を下ろした。清宏は膝に頬杖をついて興味深げにこちらを見ている。彼に目を向け、おずおずと空は尋ねた。


「あ……あんたは、よ、良明の何なんだ?」


「うん、俺が答える前に君の名前を教えて?」


 ニコニコと切り返され空は一瞬口をつぐんだ。


「……空」


「空か、いい名前だね」


 一層にっこりとして清宏は続ける。


「俺は良明の何かと聞かれたら、うーん、同僚であって友でもある。ああ、今じゃ元同僚、だな。聞いたことない? 良明が家康様の小姓だったってこと。俺もなんだよ」


「あ、うん、前よっしーが言ってた……」


 良明が頼み事を出来るくらいなのだから、彼は良明にも家康にも近しいのだろうと予想していたため、もうどんな役柄だったとしても驚きはしなかった。ただ何となく良明がまた少し遠くにいったような感覚を覚えた。

 僅かに俯いていると、清宏がキョトンとした表情を浮かべているのにすぐには気付かなかった。


「何々、よっしーて何? 空はあいつをそう呼んでんの? あいつも許してるの? 何それ俺もよっしーって呼びたい!」


 清宏はその場に突っ伏し、何故か悔しそうに畳を拳で叩いた。空が呆気に取られていると、彼が勢いよく起き上がり顔を寄せた。すかさず空は身を引いた。


「空はいつから良明と一緒にいるんだ? あいつ、他人とつるむようなやつじゃないのに」


「あ……やっぱりそうなのか。うち勝手についてきたから、迷惑だったんだろうなってちょっと思っててさ」


 そう言って空は肩をすくめる。清宏は何やら面白いものを見るかのような目で空を眺め、しばらくしてから首を傾げた。


「勝手にねぇ。あいつの口から迷惑だとか聞いたことある?」


「んー、初めて会ったときはついてくんなって言われたけど……それからはない……かな」


 考え込みながら空は話した。すると清宏は笑い声を上げた。


「じゃあ迷惑とは思ってないはずだよ。それに本気で嫌だったら空を置いて消えるだろうし。良明って相変わらず好みが分かりにくいのな」


「そうだといいけど……城にいたときのよっしーって、どんなだった?」


 ずっと浮かんでいた疑問を空は呟いた。良明本人や栞たちには聞きづらかったことも、この人になら聞いてもいいような気がした。予想通り、清宏は軽い口調で話し出す。


「そうだな。ちょっと尖ってたけど真面目だし笑いもするし、普通にいいやつだったよ。目配り気配りが細やかでさ、男のくせに。小姓に向いてんのかもな。でもあいつ関心が薄くて、女にもなかなか興味持たないからつまんなかったんだよな」


 つらつらと述べていく彼を見つめたまま、空はポカンとしていた。どうやら清宏には、人の事情を話すことに躊躇いというものはないらしい。遠慮はいらない相手なのだと段々分かってきて空は力が抜けた気分だった。


「あと宗佑さんにはべったりだったなぁ、一番懐いてる人だったからな」


「あ、なあ、その宗佑さんってどういう人なんだ? よっしーは師匠みたいな人だって言ってたけど」


 空が尋ねると、清宏は一瞬険しい表情を浮かべた。


「……宗佑さんは良明の親代わり、って言うか義父だよ。確か。俺も詳しくはないんだよね」


「義父?」


 養子にも出されたのだろうか、と空は首を傾げた。


「ああ。良明、二親ともいないからさ。宗佑さんに育ててもらってたらし――」


「何喋ってんだ、人のことを勝手にべらべらと」


 背後からの声に空は飛び上がった。振り返れば、呆れた表情の良明が立っている。

 帰りが予想外に早く空が呆気に取られていると、突然、いつの間にか腰を上げた清宏が空の横を通り過ぎ、良明の前に立ちはだかった。何が始まるのだろうと空はハラハラしながら二人を見上げていた。先程、ちらと見えた清宏の横顔が怒っているように見えたのだ。


「……殴られる覚悟はある?」


 清宏が冷やかに言い、良明は怖じ気づいた様子も見せずに首を振った。


「あるわけねえじゃん。もう菫さんに殴られたんだ、それだけで十分」


「……はははっ、何だよ変わってないな。俺だって怒ってんだぞ、勝手にいなくなりやがって」


 清宏は笑いながら良明の肩を小突いた。良明も小突き返しながら話す。


「清宏も全然変わってねえな。その調子じゃまだ女できてないだろ」


「うっ、うるせー! その通りだよ!」


 わっと泣き真似をする清宏を一瞥し、良明は空へ近寄った。


「こいつに何かされたか?」


「え? ううん、話してただけ」


 急に尋ねられ、空は驚きながら答えた。良明が傍らに腰を下ろし、次いで清宏も二人の前に座った。清宏の顔を見ながら良明はニヤと笑う。


「ま、こいつにそんな度胸はねえよ」


「おい、お前、俺の武勇伝を忘れたのか。もう何人の女の子を泣かせてきたことやら」


「逆だ逆。何人の女の子に泣かされてきたか、だろ」


「そ、そんなことないもん……」


 図星を突かれ、清宏は両手をついて沈み込んだ。怒ったり落ち込んだり忙しいやつだと空は半ば呆れたが、逆に妙な親近感も覚えていた。それは清宏の性格がどことなく空と似通っているせいでもだった。

 あぐらに頬杖をついて良明が呟く。


「そうか、お前まだ栞狙ってんだな」


「……そうだったの?」


 空は仰天して良明に顔を向けた。彼は視線を合わせて頷く。


「十歳から八年間ずっとだ。なのに本人を前にするとてんでダメで。女遊びが祟ったな」


「十歳からかぁ、長いな。でもさ、栞って清宏のことかなり嫌ってない?」


「そう、それが問題なんだ。おれにも理由が分からないからどうしようもなくてさ」


「うちが聞いてみようか」


 空と良明が面白そうに話す一方で、清宏は顔を赤らめ、鯉のように口をパクパクさせている。それを無視して二人は直も続けた。


「今まで栞から何も聞いてないのか?」


「うーん、悪口しか聞いてない」


「ちょっと待って! それ以上聞いたら俺泣きそう……!」


 清宏が涙目になりながら二人の会話に割り込んだ。


「ていうか、栞が来たらどうすんの!」


「私がどうかしました?」


 湯呑みの載った盆を持つ栞が障子を開いた。途端、清宏が奇声を発した。その声に三人はそれぞれ顔をしかめた。栞が眉を上げて清宏を睨む。


「何なんですか、もう。どうせまた変なこと喋ってたんでしょう」


「違う違う俺じゃない! 良明が変なこと言ったんだよ!」


「どっちでもいいです。それより、お城に行く話はしてるんですか?」


 栞が怪訝そうに尋ねると、他の三人は「そうだった」という表情を浮かべ、慌てて姿勢を正した。その様子を見た栞は呆れたようにため息を吐き、茶の入った湯呑みを配り始める。先に口を開いたのは清宏だった。


「遅くなってごめんな。色々立て込んでて、家康様も一昨日伏見から戻られたんだ」


「何だ、こっちにいなかったのか。入れ違いとかにならなくてよかった。で、いつなら城に入れそう?」


 良明が首を傾げると、清宏はにこりと笑う。


「今日、今から」


「……はあ?」


 頓狂な声を出す良明の隣で空はポカンとしていた。この清宏という男、何もかもが突発すぎやしないか。


「家康様と話をしたいって言ったのはそっちだろう。家康様、昼から暇を取られるんだ。話通してあるからすぐ行くぞ」


「だけど急すぎ……あーもう、いいよ、分かった。空もそれでいいだろ」


 諦めた良明に同意を求められ、空は目を見開いた。


「へっ? うちも会うの? 殿様に?」


「……城をうろつくつもりだったのか」


 良明があからさまに呆れた表情をする。


「言っただろ、城の中は自由に動けない。それが不満なら置いてくからな」


「えっ、イヤだ、絶対行く!」


「じゃあ勝手に動き回るなよ」


 良明の言葉に空が頷くと、少し離れた所に座っていた栞が腰を浮かせた。


「空ちゃん、もしかしてその格好で行くんじゃないでしょうね」


「え、そのつもりだけど」


 空がキョトンとして振り返ると栞が怒鳴った。


「あかーーん!! お城に行くんだよ! 綺麗にしなきゃ!」


「ええーいいよ、うちが着てたやつより遥かに綺麗だし」


「駄目! 私の貸してあげるから、着替えるよ!」


 栞は立ち上がって空の腕を掴み、空を引きずるように部屋を出ていった。静まり返った部屋で、良明と清宏は呆気に取られた表情のまま顔を見合わせた。


「栞のやつ、前にも増して菫さんに似てきてないか」


「あかーん、てねぇ。訛りってうつるものなのかな」


 それぞれ呟いて同時に吹き出した。一頻り笑った後、清宏が浮いた涙を拭いながら尋ねた。


「なあ、空って良明の何なの?」


「は? な、何って……」


 唐突な問いに一瞬たじろいだ良明は、それを悟らせないように視線を背けて考え込む素振りをする。


「旅仲間」


「ふーん、旅仲間ね。お前、最近空と余り喋ってないだろ」


 清宏が何故そのようなことを言うのか分からず、良明は眉をひそめた。


「菫さんから頼まれた仕事で忙しかったんだよ。それがどうした」


 そう言うと、清宏はやれやれと首を振る。


「あのな、あの子ちょっと寂しそうだったよ。お前についてきたの迷惑だったんじゃないかって。女の子を不安がらせるなんてなってないぞ」


「寂しそう……か。前にもそんなこと言われた気がするな」


 良明は考えを巡らせ、海が言ったことを思い返した。自分が菫たちと話していると、空は寂しがっているらしい。そういうことは空も顔に出さないため、良明は気付いていなかったのだ。いや、顔に出ていてもたぶん気付けていなかっただろうが。


「……まあ、江戸が初めてだって言ってたし、寂しくなるのもしょうがな――」


「馬鹿」


 急に清宏に言葉を遮られ、良明は閉口した。清宏がため息混じりに更に続ける。


「馬鹿だし鈍感だ……ま、俺も勘だから多くは言わないけど。あんまり関わろうとしないでいると、お前自身も駄目になるよ」


 彼の言葉の真意が読み取れず、良明はただ首を捻るだけだった。

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