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十六夜の月  作者: 銀花
一、遠い記憶
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一、遠い記憶 (8)




 無言の時間が長いこと続いていた。

 泣き疲れたのか、話の最中に凛太郎は良明の膝を枕に寝息を立て始め、今も眠っている。彼の頭を撫でながら、良明は内心大きくため息を吐いた。

 菫には包み隠さずに全てを話した。事前に話を聞いていたと言っていたけれど、彼女は衝撃を受けたような表情でこちらを見つめていた。菫の視線が余りに痛く、いたたまれなかった。だが、それは自分がしたことへの仕打ちなのだと全てを受け入れ話し続けた。

 良明の話が終わり、菫も良明がいなかった二年間の江戸の状況を話してくれた。どうやら、良明が行方を眩ましてからしばらく、この松葉屋にも良明の行方を尋ねてくる者が後を絶たなかったようだ。もちろん、一陽に関しても同様である。松葉屋には消えた二人について知る者がいなかったので、皆の生業故に疑われはしたが、使者は一年程で来なくなったとのことだった。

 関ヶ原での合戦が徳川方の勝利で終わった後、西軍の石田や宇喜多等、捕らえられた大名は処刑された。そして西軍についた他大名の処理に追われ、今も徳川はごたついている。

 どちらが勝ったとか誰が死んだとか、良明には興味はなかった。自分はもうどこにも仕官していないただの浪人で、気にする必要はないのだ。だが、自分を捜し回られているということには納得いっていない。

 良明がやれやれとため息を吐いた時、同時に菫もため息を吐いた。目をやると、彼女は申し訳なさそうに苦笑する。


「ごめんね、あんたにとっても辛いことなのに」


「いや……もうだいぶ吹っ切れてはいたから。二年何も考えてなかったわけでもないし」


「……そう」


 菫は小さく呟いてしばらく瞼を伏せた。一陽のことを考えているのだろう。一陽がしでかした事を知っている分、凛太郎よりも菫の方がきつい日々を送ったに違いない。それでも松葉屋に留まって、帰るとも分からない旦那を待ち続けている姿には胸を打たれる。

 少し沈んだ表情の彼女を見つめ良明は尋ねた。どうしても尋ねておかねばならないことだった。


「菫さん……宗佑さんにご新造がいたとか聞いたことあるか?」


 顔を上げた菫が少し驚いた顔をする。


「ご新造? いやぁ、私は聞いたことないわ。ずっと独り身だって思ってたけど、違うの?」


「おれもよくは分からないんだ……ただ、戦の前に宗佑さんがそういうことを匂わせてたから」


「どういう風に」


 菫が首を傾げ、良明は少し記憶を辿った。

 戦の前日、陣内で宗佑が話してくれたことを思い返しては、一人考え続けていた。良明は僅かに躊躇いながら話した。


「何か……おれもいつか誰かを娶るんだろうなって宗佑さんが話し出して。宗佑さんは何で独り身なんですかって聞いたら『愛する女はいるぞ、訳あって一緒にはなれないがな』って」


「へえ……確かに匂うわね」


 顎に手を当て、菫は宙を仰いだ。途端、何か思い至ったのか微かに眉をひそめる。


「そういえば、一陽が前に何か……」


「一陽が?」と、良明が怪訝に首を傾げる。


「……ごめん、今は思い出せないわ」


 菫が肩をすくめる。


「……捜すの、手伝ってもらえないか。本当かどうか分からないし、手掛かりもないけど」


「いいけど、私に頼むと高く付くわよ」


「……金を取るのか」


 良明は不服そうに頬を膨らませ、にやと口の端を上げている菫を睨んだ。すると彼女はケラケラと声にして笑い出した。


「冗談。宗佑さんには私も世話になったし、一陽の弟分の良明の頼みを断る理由はない。ちょっと時間かかるだろうけど、手伝いましょ」


「……ああ、ありがとう」


 良明はホッと胸を撫で下ろした。江戸に戻った理由の一つは宗佑の新造を捜すためだった。予想が本当だったとしたら、宗佑について伝えなければならないと思っていた。だがさっき言った通り、良明には手掛かりもなければ一人で捜し出す能もない。だから菫を頼るしかなかった。その彼女が――からかいはしたが――快諾してくれたため、ひとまずは安心だろう。

 良明は肩の力を抜いて、少し座り直した。凛太郎がうーんと寝返りを打った。


「ねえ。あんたもしかして城に戻るつもりなの?」


 不意に菫が尋ね、良明は内心ギクリとした。


「……戻るつもりはないけど、一度でいいから中に入りたいと思ってる。刀置いてあるんだ」


「え? それは?」


 良明の傍らにある刀を指差し、菫は首を傾げる。


「これは竹光。城の中にあるのは宗佑さんからもらったものだから、取りに行きたくてさ」


「……あんた、前に殿様から刀拝領してたわよね。ずっとそれ差してたじゃない、どうしたの」


 菫の表情に険しさが増す。良明は気まずそうに視線をそらし、言いにくそうに口を開いた。


「……う……売った」


「はあ!? 売ったって、それ仮にも主君から頂いたものでしょう」


「いや、だって金がなかったから……」


 苦笑する良明に、菫が詰め寄る。彼女の形相に良明は思わず身を引いた。


「この馬鹿! それがあればまだ城に入りやすかったかもしれないのに」


「だって持っていたくもなかったし……でもそうなんだよな、ちょっと失敗したかな」


「ちょっとどころなもんですか、大失態よ」


 菫が眉をつり上げ、良明は苦笑したまま視線をそらした。


「刀なくても、清宏に話が通れば何とかなると思うんだけど……」


「ん? 誰がそいつに話つけに行くのかしら。二年も戻らなかったあんたに行けるの、ん?」


 菫に冷め切った笑顔で首を傾げられ、良明は背筋が寒くなった。だが、負けじと首を傾げ返す。


「菫さんに、頼んでも、いいかな」


「まったく。この放浪者。感謝なさい」


 ぴしゃりと言い、菫は唐突に文机に向かって硯と筆を取り出した。無言で墨をすり始める彼女を良明は不思議に思いながら見つめた。


「私が動き回るわけにもいかないから、あんたのことは栞に任せる。用があったら栞に言いなさい。私に用がある時もね」


「だけど栞にも勤めがあるだろ」


「私が調整する、気にしなくていいわ。ああ、店主にも言わないとだわ」


 紙にすらすらと筆を走らせ、菫は息を吐いた。


 松葉屋の店主は普通の――とは言っても良明より城に顔のきく――人で、菫たちのように二つ目の顔がある訳ではない。数年前に還暦を迎えた、好好爺だ。城や菫たちのために松葉屋を切り盛りしている。良明も何度か会ったことがあるが、関わりが深い訳ではなかった。宗佑とはよく話していたようだが。


「帰ってきた」


 不意に菫が呟き、良明はすぐにはその意味が分からず彼女を見つめ続けた。途端、障子が勢いよく開き二人の少女が雪崩れ込むように入ってきた。


「あー疲れた!」


「菫さん、ただいま戻りました!」


 空と栞だ。


「どうしたの、そんな慌てて」


 筆を動かしながら菫が尋ねた。菫は文机に視線を落としていたが、良明は空と栞が表情を強張らせたのを見ていた。栞が何かを言いたそうに良明に目配せし、動揺を押さえた口調で言う。


「いえ、ちょっと人につけられていたので、走ってきたんです」


「そう。何ともなかったのよね」


「はい」


 栞が大きく頷いた。良明は二人の少女の様子を眺めていた。空の顔がどこか暗く、それに先程の栞の表情からして、何もなかった訳ではないことが明らかだった。菫に悟らせてはならないことなのだろうが、空までもが浮かない顔をしているのは何故だろう。

 そう考えて、良明はハッとした。栞と良明はもう一度目配せし合う。


「栞、戻ってきてすぐで悪いんだけど、城に遣いに行ってきてくれない?」


「城に、ですか」


 突然のことに栞はきょとんとする。菫は頷きながら何かを書いた紙を丁寧に折り始めた。


「そこの阿呆のために、これを届けてきてほしいの」


「阿呆って、ああ、良明さんのことですね」


 紙を受け取り、栞がこくりと頷く。良明が心外そうな顔をしているのにも構わず栞は尋ねた。


「誰に届ければいいんですか?」


「清宏」


「えー、あの人ですかー?」


 心底嫌がる声で栞が呟き、良明は吹き出した。


「その反応変わらねえな。あいつも相変わらずなのか」


「相変わらずですよ、もう。あの女たらし」


 口を尖らせながら栞が立ち上がった。


「さっさと行ってすぐ戻ってきます」


「頼むわね」


 菫が軽く手を振り、部屋を出た栞は軽快に階段を下りて行った。彼女の足音が聞こえなくなってから、菫も腰を上げる。


「じゃあ私は店主のとこに行ってくるから。ゆっくりしてなさい」


 にこりと微笑みを浮かべて言い、菫も部屋を後にした。




 残された空と良明の間に沈黙が流れた。空は俯いて息を吐き出した。菫が席を外し、ようやく息苦しさが取れたような気がした。一陽と再び出会ったことで少し気分が悪く、喋る気力もあまりわかなかった。彼のことは誰にも話さないと栞と約束した。だが、このことを一人で抱えるには空には荷が重すぎる。せめて良明には伝えておけないかと、ちらと窺うと、彼は膝の上で寝ていた少年を床にゆっくり横たえている最中だった。

 空の視線に気付き、良明は肩をすくめて見せた。


「こいつが膝を枕にしてたせいでずっと同じ体勢だったからさ、足が痺れた」


「あはは、そいつは?」


「凛太郎。菫さんの息子」


 と言うことは一陽の息子でもあるのか。そう考えながら空は凛太郎の無邪気な寝顔を見つめた。目元は菫に似ているように思う。


「一陽に会ったろ」


 良明の低い呟きに空は弾かれたように顔を上げた。良明はまだ凛太郎に目を向けている。自分の中の緊張が急にほぐれたのに空は気付いた。良明の勘のよさには舌を巻く。空は大きく息を吸い込み静かに尋ねた。


「どうして……わかったんだ」


「何となくだ。菫さんの前では言うなよ」


 良明がそっけなく返した。


「栞にもそう言われた。さすがにうちは何も言えないよ」


「……あいつは、何をやってんだかな、帰ってもこないつもりかよ」


 あぐらに頬杖をつき、良明はため息をついた。顔をしかめている彼を見つめ、空は一陽が言ったことを思い返した。


『お前を殺したら――』


 一陽の言葉が何故かずっと頭でこだましている。自分が死んだら良明に何か影響を及ぼすことがあるのだろうか。良明にとって自分の立場はやはりただの旅仲間だと空自身が思っているため、影響がどうこう等とは考えたことがなかった。

 だが江戸に入って菫たちと出会い、良明と彼女たちのやりとりを見ている内に、良明が何だか離れてしまったような感覚を覚えていた。出会って数日しか経っていないため繋がりは当然小さいのだが、良明と昔馴染みの人たちと接する度、その小ささが身に染みてしまうのだった。

 自身が彼に影響を与えているどころか、これでは自身が影響を受けすぎているではないか。今も良明は側にいるのに、寂しさが残っている。

 先が見えないということも不安要因の一つだった。なにしろ、江戸で空がやることは何もないのだ。空は内心ため息を吐き、小さく尋ねた。


「よっしーは、これから何をするつもりなんだ?」


「ん? 近いうち城に行くけど」


「城?」と空は思わず顔を輝かせた。それを見た良明が一瞬ポカンとし、ぷっと吹き出した。


「ああ、空も行くか?」


「行く!」


 城など、入れる機会なんて滅多にない。こんな面白そうなこと断る訳がないではないか。自然と声が弾んだ。


「でもおれ、くにを抜けた身だから案内はできないぞ」


「くにを抜けたって……城に仕えてたのか」


 空が首を傾げると、良明は「あー」と気の抜けた声を発した。あまり話したくないことであることが空にははっきり見てとれた。頭を掻きながら良明が告げる。


「仕えてたのは否定しないけど、城じゃなくて個人にだよ。と、おれは思ってる」


「誰に。って聞いても支障ないか?」


 空は急いで付け足した。人から何かを聞き出すことは難しいと、初めて思った。


「まあ、お前も城に行くんならどうせ会うしな。家康様だよ」


 良明があまりにさらりと答えたため、ことの重大さに気付くのにしばらくかかった。空は目を見開き良明を凝視した。その名前は聞いたことがある。


「家康って……」


「徳川家康。城の殿様だ、おれは小姓やってたんだ」


「う……うそ」


 良明が一国の頂点の小姓。ということはそれなりにいい所の武家生まれなのだろう。予想外のことに空は目が眩んだ。それに今までかなり失礼な言動をしてきてしまった。それはもう怒られても仕方ない程にだ。

 空の考えを見抜いたかのように、良明がため息を吐く。


「一応もう一度言っておくが、おれはくにを抜けた。もうただの浪人、戻る気もない」


 そう言った彼の声や表情には断固とした雰囲気が出ていた。空は口をつぐみ、良明を見つめた。良明の考えていることは、こうやって向き合っていても分からなかった。




 この日は菫の薦めから、空と良明、それから栞も一緒になって近くの湯屋へ行った。湯殿に浸かるのが久しぶり故に、身体は温まり心もほぐれて気分がよかった。それから松葉屋で夕餉を取り、空は栞の部屋で、良明は貸してもらった部屋でそれぞれ休むことになった。

 今まで二人で一つの部屋に泊まっていたと告げたら、菫が良明の頭をはたいた。金がなかったんだ、と良明が言い返していたが、菫はしばらく怒っていた。「いい年した男女が」とか「信じられない」とか彼女はぶつぶつ呟いていたように思う。

 空と栞は布団に入ってからも喋り続け――清宏のことを聞いてみたら栞は次から次に愚痴を言った――いつの間にか夜は更けていた。栞が行灯の火を吹き消して部屋が暗くなったとき、空はようやく海の存在を思い出し焦りを覚えた。良明ならまだしも、今隣に眠るのは栞なのだ。

 海のことを言うか言うまいか迷っている内に、栞の小さな寝息を聞こえ始め、空はとうとう諦めた。今夜は出てこないことを祈るしかない。そう考えながら枕に頭を埋め、目を閉じた。




 どこからか唄が聞こえ良明は急激に現実へ引き戻された。しかし目を開けて暗闇の中で耳をすましても何も聞こえない。夢だったのだろうかと思ったが、先程まで見ていた夢はまた宗佑たちのことだった。その証拠に、額にじわりと冷や汗が浮かんでいる。

 手で汗を拭いながらふと横に目を向けると、そこには正座して窓から差し込む月明かりを見上げる空の姿があった。いや、これは海だ。そう即座に感じた。彼女がまとう青白い光と月明かりが混じり合い、妖しさが増している。良明は自ずと鳥肌を立てた。

 不意に海の青い瞳がこちらを向き、良明を見てにこりと微笑んだ。


「貴方の馴染みの人たち、面白い人ばかりね」


「……それはどうも」


 良明は呟きながら身体を起こし、彼女に向き合った。


「何か唄ってたか?」


「ええ、故郷の唄を思い出したから」


「へえ……海の故郷ってどこなんだ?」


 そう尋ねると、海は一瞬険しい表情を浮かべた。


「……南だったような、北だったような。はっきりとは覚えてないの。でも、私にはそんなこと思い出す必要ないわ」


 きっぱりと言い、海もこちらに身体を向けた。


「貴方、城に行くのかしら」


「そうだよ」


 良明が頷くと、彼女は一層笑顔を深め、膝を寄せる。


「この子も連れていってくれるのでしょう?」


 自身の胸に手を当てて言う海の声には期待の色が溢れていた。良明は急に不安を覚え、眉をひそめる。


「空は行くって言ってたけど……海も城に用があるのか」


「あら、私も興味からよ?」


 にこにこと笑い続ける彼女の言葉が何故か意味深に思えた。一度疑ってしまうと簡単には信じられない。何故なら海の正体が何なのか全く掴めていないのだ。良明は深呼吸をしてから口を開いた。


「なあ、海は何で空の中にいるんだ?」


 そう尋ねた途端、海は笑みを消し、つまらなそうに宙を仰ぐ。


「貴方といい政長といい……この身体は私のもので、空が入ってきた。とは考えないのかしら」


「……昨日の内に一通り考えたつもりだ。でもこうやって改めて海と向き合ってわかる、あんたは異質だ。それに空の言ってることの方が真実味がある。小さい頃の記憶とか」


 トンとこめかみに指を当てながら良明は話した。すると海がまた微笑んだ。急にその大人びた笑みが目前まで迫り、良明は息を飲んだ。

 彼女は空の顔をした別の誰かだと、はっきり分かった気がした。空は絶対にしないであろう表情を彼女は容易く浮かべる。そのせいか、視線を外せなくなった。


「勘のいい子は嫌いじゃないわ。そうだ、一つ教えてあげる」


 青く潤んだ瞳を見つめるあまり、良明の思考はゆるゆると止まっていった。海は良明の膝に触れ、更に顔を寄せる。


「あなたがあの女たちと話してると、空はとても寂しがってるの。話しに入る余地がないんですもの」


 既に海に呑み込まれて始めていた。頭には彼女の声しか響いてこない。目の前で微笑む少女が誰なのか、もう知る必要はない気がした。海の顔は、今や吐く息が届きそうなところまで迫っている。


「あなたは空の深いところまで関わり、私のことも知ってしまった。ねえ、今更離れたりしないわよね。そして私の望みを叶えてちょうだい」


 海の手が自身の手に触れたとき、良明は僅かに意識が戻り、頷きそうになっていた頭を慌てて止めた。

 ぼうっとする頭を動かして、必死に逃げ道を探す。昨夜海と話したときはどうやって凌いだのだったろう。あの時は誰かがいた。小さくて、でも大きく全てを包み込む、無邪気な……。

 そうだ、円だ。円はどうやって海を引かせていた?


 良明は歯を食い縛り、自身の股を力一杯抓った。鋭い痛みを感じると共に、ようやく意識が隅々まで冴え渡っていった。曇りと入れ替わるようにやるべきことが頭に浮かび、良明は瞬時に動いた。さっと片手を上げ、海の両目を覆い隠す。


「ごめん」


 良明は彼女の鳩尾に拳を当て、グッと押し込んだ。海は一瞬低く唸り、ドサッと良明の腕に崩れ落ちて動かなくなった。

 そっと彼女を仰向けにして空が寝息を立てているのを確認し、良明はホッと息を吐いた。

 また海は現れたが、結局彼女が何者なのかは分からず仕舞いだった。収穫あることすら聞けない程余裕のなかった自分にため息が出る。

 声がしたのはその時だった。


「……良明さん、今の空ちゃんなんですか」


 驚き振り返ると、少し開かれた障子の向こうに立ちすくむ栞の姿があった。彼女の気配に今まで全く気付かなかった。これだから忍は、と良明は思わず眉をひそめる。


「盗み見してたのか」


「空ちゃんが部屋から出てってここに入った気配がしたから……見られたらまずいものでしたか」


 申し訳なさそうに視線を落とす栞を手招き、部屋に入れて座らせた。彼女の手に忍道具である苦無が握り締められており、良明はギョッとした。警戒するほど栞には怖く見えたのだろうか。


「見たもんはしょうがない。おれもまだ理解できてないんだ。ただ、思った以上に深刻なかもしれないな」


 城に関係しているのやも、とは言えなかった。栞が怪しむように首を傾げる。


「……術か何か?」


「いや、術だったら空自身にも違和感を覚えるはずだ。今は無害そのものだよ」


 そう言って、良明は抱えたままだった空を見下ろし、畳の上に横たえた。眠る空を、二人はしばらく見つめた。


「昼間、空ちゃんの懐刀見せてもらいました。良明さんも見たことあるのでしょう? あれには術が?」


「ああ、あれは術と言うよりまじないに近いな。護りのまじない、って言えばいいか。空のために掛けられたものだと思う。だから空以外が持つと反発するんだよ」


「……術とまじないの区別がつかないんですけど」


 栞は眉をひそめ、唇を尖らせた。訳が分からないと言わんばかりの彼女の表情を見、良明は軽く肩をすくめる。


「術は意図的に、もしくは故意に掛けるもの。まじないは、祈りみたいなもんだ。っておれは教わった」


「じゃあ、あれには空ちゃんの母親のまじないが」


「母親?」


 今度は良明が眉をひそめた。

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