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無限の火花の世界  作者: Rocky Pancakes
第3章:泡の向こうへ
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エピソード22:希望の灯

痛みはやがて傷跡となり、過去は教訓へと変わった。


ジュウゥゥ……。


温かくて、香ばしい匂いが家の中にゆっくりと広がっていく。


ハーリンが、わずかに身じろぎした。


片方の目がうっすらと開き、もう片方は頑なに閉じたまま。

ゆっくりと瞬きをして、視線が台所へ向く。


「もう起きたのか?」


驚いた声でそう言いながらも、ジュキグの目はフライパンから離れない。


彼が手首をひらりと返す。


シュッ。


食材がふわりと宙に舞い、きれいにフライパンへ戻る。


ハーリンは横になったまま、彼の料理する姿から目を離せなかった。


「どうだ、俺の腕前は?」


にやりと笑いながら、ジュキグがちらりと彼女を見る。


ハーリンの頬が赤くなる。

慌ててくるりと背を向け、壁の方を向いた。


ジュキグが小さく笑う。


「お前の母さんの好物だ。」


壁を見つめたまま、その言葉だけが胸に残る。


お母さん……?


お母さんは、いつもお父さんと私の好きなものを知ってた。


でも……


胸が、きゅっと締めつけられる。


私は、お母さんの好きなものを知らなかった。


ぎゅっと目を閉じる。

何かを堪えるように、顔が歪む。


体を小さく丸め、腕で自分を強く抱きしめた。


***


ジュウゥゥという音が、やがて消える。


足音が近づく。


扉がきぃ、と軋んだ。


「ハーリン、ちゃんと家にいろよ。仕事に行ってくる。」


はっとして、ハーリンは跳ね起きる。


「おじさん、待って!」


閉まりかけた扉の前で、彼の手を掴んだ。


ジュキグが振り向き、目を瞬かせる。


「ん?」


ハーリンの顔が真っ赤になる。


「おじさん……ちょっと、しゃがんでくれる……?」


ほとんど聞こえない声。


ジュキグは首をかしげながらも、しゃがみ込んだ。


「どうした、ハーリン?」


視線を合わせないまま、ハーリンはぎゅっと目を閉じる。

小さな手を伸ばし、彼の額のたんこぶへそっとかざした。


淡い緑色の光が、掌からふわりと咲く。


ジュキグの体が固まる。


「……やっぱり、本当か……」


かすれた声で呟く。


光が消える。

腫れは、すっと引いていた。


ハーリンが手を下ろす。


ジュキグは小さく咳払いをし、気持ちを落ち着ける。


「……あ、ありがとな、ハーリン。」


彼女は小さく頷くだけで、まだ目を合わせない。


ふいに、彼が指を鳴らす。


「あ、そうだ。忘れるところだった。」


ハーリンが顔を上げる。

表情は薄いまま――けれど、その目は待っていた。


ジュキグが一本、指を立てる。


「家から出るな。」


二本目。


「誰も中に入れるな。」


三本目。


「もし兵士が来て、お前が俺の何かと聞かれたら――」


真っ直ぐ、彼女の目を見る。


「ジュキグの妹だと言え。」


「わかったか?」


ハーリンは少し戸惑いながら、こくりと頷く。


「言ってみろ。」


「ジュキグの妹。」


「……私は、ジュキグの妹。」


小さな声で、言い直す。


「よし。」

彼は微笑んだ。

「すぐ帰る。」


扉が閉まる直前、ひょいと顔を覗かせる。


「ちゃんと全部食べろよ。じゃないと、ハエがたかるぞ。」


カチッ。


静寂が戻る。


ハーリンは家の中を振り返る。


しばらくその場に立ち尽くし、ゆっくりと部屋を見回した。


指先が、ワンピースの裾をくしゃりと握る。


……


深く息を吸い、少しずつ力を抜いた。


台所へ歩いていき、フライパンの中の炒め物を見る。


焼く。


煮る。


焼き上げる。


でも……乾いてる?


お母さんの好物は、特別。


フライパンとスプーンを持ち、床へ座り込む。


***


フライパンは空っぽだった。

ひとかけらも残っていない。


背後の本棚へと視線を向ける。


木のおもちゃが、きれいに並んでいる。


昨日ジュキグにもらった分は、その半分だけ……


ふと、目に留まるものがあった。


木枠に丁寧に収められた、一枚の絵。


ヘイルがジュキグを脇に抱え込み、拳で頭をぐりぐりしている。

抗議するように顔をしかめながらも、確かに笑っているジュキグ。


そして、メリル――


大きくなったお腹を優しく抱え、静かな温もりをたたえた笑み。


お母さん……お父さん……


ハーリンはそっと額縁を持ち上げる。


涙が、じわりと滲んだ。


***


午後の陽射しが二階のバルコニーに降り注ぎ、やわらかな橙色に染めていた。


木々と花々がその周りを囲んでいる。


かつてメリルが故郷で育てていた植物は、ここにもすべて揃っていた。


ハーリンは小さな木のブランコに座り、ゆらり、ゆらりと揺れている。

胸にはあの絵を抱いたまま。


二匹の蝶が、近くでひらひらと舞っていた。


やがてふわりと近づき、彼女の膝にそっととまる。


ハーリンはそっと手を伸ばし、その羽に触れようとする――


けれど蝶は、また空へと舞い上がった。


彼女は何も言わず、その姿を見送る。


***


一つだけ灯された油ランプが、かすかに揺れている。


夜空には星が散りばめられていた。


ハーリンはベッドに座り、額縁を抱きしめている。


……


カチッ。


「ただいま。」


疲れた声のジュキグ。


それでも、彼は笑ってみせた。


あの、疲れた顔……


あの、作り慣れた笑顔……


ハーリンは突然泣き出し、駆け寄って彼の足にしがみつく。


「おじさん!」


「うわっ?」


驚きながら、彼は彼女を抱き上げる。


「ど、どうした?」


ハーリンは一瞬だけ顔を上げ――


そして、さらに強く泣き出した。


ジュキグが固まる。


慌てて彼女を床に下ろす。


ハーリンはもう一度、彼の足にぎゅっと抱きついた。


「な、何があった?」


「今日は兵士が来たのか!?」


「それとも……ど、泥棒でも入ったのか!?」


彼女は首を横に振る。

顔は彼のズボンに埋めたまま。


ジュキグはほっと息をつき、彼女を抱き上げてベッドへ座らせる。

その隣に腰を下ろした。


ハーリンは彼の腕にしがみつき、涙で袖を濡らす。


「じゃあ、何が――」


視線が、額縁へ落ちる。


「……なんだ。」


声が静かに途切れる。


口元に、小さな笑みが浮かんだ。


絵を持ち上げ、二人の前に掲げる。


「ハーリン、知ってるか?」


「俺、あの日死ぬかと思ったんだぞ!」


「な、なにが……?」

ジュキグの袖越しに、くぐもった声。


「お前の父さんの脇、めちゃくちゃ臭くてな。」


ハーリンの口から、震える笑いが漏れる。


「描かれてる最中に、吐きそうになった。」


涙を流しながら、彼女は笑った。


ジュキグも笑う。


「その後のお前の母さんの怒りよう、知らないだろ。」


「絵師が帰った瞬間、父さんの後頭部を思いっきり叩いたんだ。」


ジュキグは声を低くして、メリルの不機嫌な声を真似る。


「家族写真のときくらい、ふざけないでちょうだい!」


「いつもいつも、弟をいじめて――」


ハーリンの嗚咽は、静かな笑いへと変わっていく。


その瞬間。


いたずらっぽい顔で、ジュキグはそっと彼女の頭をくしゃりと撫でた。


……


「ハーリン。」


優しい声。


彼女が見上げる。


「もっと笑え。」


「お前の母さんと父さんが見たら、きっと喜ぶ。」


彼は天井を指差した。


「もしかしたら、今も見てるかもしれないぞ。」


ハーリンの目が、その先を追う。


「鳥になってるかもしれないし……」


「それか、蝶とか。」


「お前の道を、見守るためにな。」


……


「よし!」


ぱん、と一度手を叩いて立ち上がる。


「さあ、晩飯の時間だ!」


ハーリンは勢いよく立ち上がった。


「はーい!」

— 作者より —

エピソード22を読んでくださってありがとうございます!

新しい世界が、待っている。

読者の皆さんの感想をいただけると、とても嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
ジュキグとハーリンの関係性は可愛すぎる!(≧▽≦)
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