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無限の火花の世界  作者: Rocky Pancakes
第3章:泡の向こうへ
23/25

エピソード21: まだ、息をしている

頭では気にしていなかった。

けれど、心はそうではなかった。

馬の蹄の音が響く。

終わりの見えない、静かな一週間の旅のあと。

醜い土の道は、いつの間にか滑らかな石畳へと変わっていた。


「ハーリン!」


ジューキグが呼ぶ。

ハーリンは顔を上げた。


「前を見てごらん」


彼は微笑みながら言った。


信じられないことに――

言葉でしか知らなかったものが、今、彼女の目の前に広がっていた。


巨大な王国。

遠くから見ても、それは石でできた森のように果てしなく続いている。


***


白く、堅牢な高い城壁。

おそらく、ハーリンの家を六つ重ねたほどの高さがあった。


遠くからは、王国全体を見渡せた。

だが、今やその壁は終わりがないように思えた。


ハーリンは、てっぺんを見るために首を大きく反らさなければならなかった。


馬車は門の前で止まる。

巨大な鉄の柵が、幾重にも編み込まれるようにそびえている。


入口の両脇には、全身を輝く鋼の鎧で包んだ兵士が二人立っていた。


「よし」


ジューキグは振り返る。


「ここで待っていなさい、ハーリン」


自信ありげな笑みを添えて。


ハーリンはかすかに頷いた。


ジューキグは馬から降り、ズボンの埃を払うと、何気ない足取りで門へ向かう。


ハーリンは黙って、その背中を見つめていた。


兵士の前に立つ彼は、ひどく小さく見える。

兵士たちは、彼よりも半身ほど高かった。


ジューキグは鞄から何かを取り出す。

一枚の紙だ。


彼はそれを差し出した。


兵士はそれを受け取り、長い間、目を通す。


突然――

兵士は振り返り、ハーリンの方を指さした。


ハーリンはすぐに馬車の中にしゃがみ込み、

小さな目だけを覗かせて、興味深そうに様子をうかがう。


ジューキグは気まずそうに頭の後ろを掻き、何かを話した。


やがて、兵士の視線がハーリンから離れる。


彼は向かいの兵士に向かって頷いた。


それを見て、もう一人の兵士が城壁の上にいる誰かへ合図を送る。


その瞬間――

ジューキグの肩がふっと落ちた。

一気に息を吐いたようだった。


彼は馬車へ戻ってくる。

顔色は青く、まるで憑き物が落ちたかのようだ。


馬に跨り、深く息を吸ってから、ハーリンに微笑んだ。


「ようこそ――

タルムノール王都へ」


その言葉を聞き、ハーリンも少し力を抜いた。


その名前が、なぜか心に引っかかる。


タルムノール……


重々しい軋み音とともに、門が持ち上がる。

思考に留まる間もなく、引き戻されるように。


馬車は再び動き出した。


分厚い城壁の下には、濃い影が落ちている。

外の世界と、これから待つ新しい世界を分ける境界のように。


再び、まぶしい陽光が差し込む。


悲しいのに。

気にしないつもりなのに。


それでも――

ハーリンの目は、正直だった。


家々が並んでいる。

どれも二階、三階建ては当たり前。


ハーリンは馬車の上から、足元を見下ろした。


道は大きな石板が噛み合うように敷き詰められている。

自分の家の床でさえ、こんなものはなかった。


***


二階建ての家の前で、馬車は止まった。


「ここだ」


ジューキグはそう言って飛び降り、うめき声を上げながら背中を伸ばす。


ハーリンもそのあとに続いた。


……


扉が開く。

中は真っ暗だった。


「ちょっと待ってて、ハーリン」


ジューキグはそう言って中へ駆け込み、急いでオイルランプに火を灯す。


ハーリンは袋を引きずりながら中へ入り、静かに部屋を見回した。


家は小さい。

自分の家の三分の二ほどの広さしかない。


けれど――

どこか、落ち着く空間だった。


ジューキグは部屋の隅にあるベッドへ駆け寄り、自分の毛布と枕を放り出す。

それから、マットレスの上の埃を丁寧に払って、息で吹き飛ばした。


最後に、腰に手を当てて振り返る。


「ほら。ここがハーリンのベッドだ」


彼は誇らしげに笑った。


「遠慮せず、使っていいからな」


ハーリンはゆっくりと荷物袋をベッドの足元まで引きずる。


毛布と枕を取り出し、慎重にマットレスの上へ広げる。


最後に、魔導書を取り出し、

ベッドに上がって座り込んだ。


身体を丸め、ぎゅっと本を抱きしめたまま。


一言も、口を開かない。


ジューキグは心配そうに頭を掻きながら、その様子を見ていた。


――と、何か思いついたように、近くの本棚へ駆け寄る。


そしてすぐ戻ってきた。


「おお、見てくれ!」


彼は手のひらを開く。


中には、小さな木製の引き馬があった。


ジューキグはそれを差し出す。


ハーリンはそっと触れ、黙ったまま受け取る。

視線は、また遠くへ向いたまま。


手の中で、紐がほどけ、

ベッドの上へ落ちた。


ハーリンはそれを、無言で見下ろす。


ジューキグは固まった。

誇らしげだった笑顔が、顔に貼りついたまま止まる。


何も言わず、彼は再び本棚へ向かった。


今度は、木製のペグ人形を持って戻ってくる。


だが、渡す前に――

じっとそれを点検した。


息を吹きかけ、

シャツで丁寧に拭う。


まるで宝石でも扱うかのように。


「……綺麗だろ?」


前と同じように、

ハーリンは一瞥するだけで、そっと受け取った。


満足できず、ジューキグはまた走る。


――そして、また。


木のおもちゃが、次々と増えていく。


***


やがて、ハーリンの腕では抱えきれないほどの量になった。


彼女はそれらすべてを胸に抱き、

魔導書も一緒に押し込む。


けれど――


姿勢は変わらない。

視線も変わらない。


果てのない空間を見つめるような、遠い目。


「あっ、そうだハーリン!」


ジューキグが急に言った。


「二階に庭があるんだ。すごく綺麗なんだぞ」


「見に行って――」


……


返事はない。


その沈黙に、声がしぼんでいく。


「……よかったら、だけど」


「はは、腹減ったな!」


ジューキグは指を鳴らす。


「ハーリンも、そうだろ?」


答えはない。


それでも彼は、明るく厨房へ向かった。


鍋。

香辛料の袋。


壁の棚に手を伸ばし、開けた瞬間――


ガシャッ! ガラン!


ドンッ。


ジューキグが倒れた。


ハーリンははっと振り向き、目を大きく見開く。


棚は開いたまま、中身が散乱している。


だが――

厨房のカウンターが視界を遮り、

彼女からジューキグの姿は見えなかった。


ハーリンは少しだけ顔を上げ、口を開く。


――息が詰まったように、

音は出なかった。


そのとき、

カウンターの縁に手が現れる。


「くそっ、この棚……!」


ジューキグは起き上がり、

額にできたこぶを押さえた。


一瞬、

ハーリンの瞳に心配の色が走る。


けれど――

ゆっくりと、元の姿勢に戻った。


……


「おい!」


外から鋭い声が飛び込んでくる。


「馬車をちゃんとした場所に停めろ!

さもないと没収するぞ!」


兵士の低く、威圧的な声が家の中に響いた。


「すぐ動かします!」


ジューキグはそう叫び返す。


そしてハーリンを振り返る。


「ここで待ってて、ハーリン。すぐ戻る」


***


外はすっかり暗くなっていた。

家の中を照らすのは、ひとつのオイルランプだけ。

その灯りは、温かな料理の匂いと混じり合っている。


二人は床に並んで座り、夕食をとっていた。

スプーンが触れる音と、かすかな咀嚼音だけが響く。


――沈黙。


***


外では虫の声が鳴き、月は高く昇っていた。

ジューキグは床に大の字になり、いつの間にか眠り込んでいる。


オイルランプは消されずに残されていた。

――ハーリンのために。


木のおもちゃの山と魔導書は、きちんとまとめられ、ベッドの上に置かれている。


夜は、異様なほど静かだった。


それでもハーリンは、

身体を丸めたまま、目を閉じずに座っていた。


そして――


決めてしまったかのように。

ゆっくりと、ベッドから降りる。


風が通り抜けるようにジューキグの横を通り、

足音を立てず、台所へ入った。


カウンターの中を探る。

何かを――探している。


引き出しが、開く。


灯りを受けて、刃が光った。


ハーリンはそれを握る。


ゆっくりと、胸の方へ向ける。


指先が震え、

息が、乱れる。


一度、

大きく息を吸った。


――震えが、少しずつ、止まる。


胸からわずかに離した位置で、刃を構える。


覚悟、というより――

止まれなくなっただけのように。


かすかに、笑った。


前へ。


ヴロォシュ。


……


カラン。


ナイフは弾き飛ばされ、床を転がった。


ハーリンは息を詰まらせ、振り返る。


すぐ隣に、ジューキグが立っていた。

息を切らし、目を大きく見開いて――


不安。

恐怖。

どうして、という顔。


すべてが、そのまま出ていた。


「ハーリン……!」


「――何してるんだ……!」


ハーリンの力が、抜けた。


「……ママに……会いたい……」

「……パパに……会いたい……!」


その言葉が、

ジューキグの胸を、強く打った。


彼は何も言わず、彼女を引き寄せる。

きつく、抱きしめた。


「……大丈夫だ……」


「会いたい……!」

ハーリンは声を上げて泣いた。


ジューキグは目を閉じ、

顔を歪める。


長く息を吐き、

しがみつく彼女を抱えたまま、そっと持ち上げる。


嗚咽。


床のナイフを見ると、

迷いなく蹴り飛ばした。


汚れたものを遠ざけるように――

台所の隅へ。


ゆっくりと、

ハーリンをベッドに戻す。


ジューキグは膝をつき、

彼女と同じ高さまで身を低くした。


ハーリンは、顔を背ける。


「……ハーリン」


「……お前には、俺がいる」


声は、低く、震えていた。


彼の手が、彼女の肩を掴む。


「……生きてるか……?」


揺らすというより、

確かめるように。


ハーリンは、小さく首を振る。


「……生きてない……」


肩の手に、力がこもる。


「……違う……」


……言い聞かせるように。


「……考えてる」

「……話してる」

「……俺の腕、感じてる……」


声は優しいまま、

けれど、必死だった。


「――お前には、もう一度やり直す機会がある!」


……


ハーリンは、ゆっくりと顔を上げる。

涙が、瞳に残ったまま。


「……じゃあ……」

「……どうして……パパとママは……?」


ジューキグは、一瞬だけ俯く。


答えを探すように。

それから、顔を上げた。


「……お前が――」


彼は、もう一度、彼女を軽く揺らす。


言葉が、止まる。


「……きっと……」

「……あの二人は……お前に、生きてほしい……」


視線が、少し逸れた。


……


「……俺も、そう思う……」

「……前に進んでほしい……ハーリン……」


そう言って、

彼女の目を見る。


手のひらで、そっと頬を包む。


「……お前には……まだ、先がある……」


囁くように。


「……待ってるものが、ある……」


手が、離れる。


「……考えてみてくれ……」


ジューキグは、再び床に横になる。


ハーリンは、その背中を黙って見ていた。


そして、その場に残り――

考えの中に、沈んでいった。

— 作者より —

エピソード21を読んでくださってありがとうございます!

彼女は、ユキグが差し出し続けていた温もりを求めていた。

それを受け取れない理由は、自分でも分からなかった。

読者の皆さんの感想をいただけると、とても嬉しいです。

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