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無限の火花の世界  作者: Rocky Pancakes
第2章:ママ……?パパ……?
20/25

エピソード19: 母の愛(ソングスペシャル)

そこにいないはずの彼女が、

それでもなお、ハーリンを守り続けていた。

挿絵(By みてみん)

静かな夜。

フクロウの鳴き声だけが、闇を破っていた。


ユキグは、台所の近くの床で眠っていた。

冷たい土の床を、軽い足音が滑るように進む。

一つの影が、彼のそばを通り過ぎた。


扉が、かすかに軋みながら開く。

細い隙間から月明かりが差し込んだ。

その青白い光に、ユキグは寝返りを打ったが――

目を覚ますことはなかった。


***


やさしい朝日が、温かな手のようにハーリンの部屋へ差し込み、そっと彼女を起こした。

彼女はゆっくりと目を開け、体を起こす。


「はぁ……〜」


小さく、眠たげなあくびがこぼれる。

ひとしきり伸びをすると、ハーリンはベッドを降り、ぱたぱたと部屋を出た。


居間では、ユキグが妙な格好でいびきをかいていた。

毛布は蹴飛ばされ、枕は頭の下ではなく、腕の下に挟まれ――

まるで絞め殺されかけているようだった。


ハーリンは小さくくすっと笑い、母の部屋へ向かう。

そっと――慎重に――扉を開けた。


「ママ、朝だよ――」


言葉が、途中で途切れた。


ベッドは空だった。

羊毛の毛布は乱れ、枕には――

頭が乗っていた痕跡すらない。


母が、いない。


……そんなはず、ない……


ハーリンは慌ててベッドへ駆け寄る。

毛布を跳ねのけ、枕をひっくり返す。


空っぽ。


……なに……?


呼吸が速くなる。

彼女は振り返り、そのまま居間へ走った。


「ユキグおじさん!」


その切羽詰まった声に、ユキグは飛び起きた。

体を起こし、目をこすりながら言う。


「どうした、ハーリン……?」


「ママが――ママがいないの!」

震える声で、彼女は叫んだ。


「はぁ? なに言って――?!」


「一緒に探して、お願い!」


ハーリンの顔に浮かぶ恐怖を見て、

ユキグは一瞬で立ち上がった。


***


二人は家中をひっくり返した。

声が、家の隅々まで響く。


「メリル!?」


……


「ママ!?」


……


***


ユキグは浴室を探し、次にメリルのベッドの下を覗いた。

ハーリンは台所の戸棚を開け、食卓の下にもぐり込む。


混乱の中――

ユキグとハーリンがぶつかり、二人ともよろめいた。


「す、すま――!」


ユキグが慌てて支える。


「大丈夫!」


ハーリンは即座に答え、彼の手をすり抜けて、また走り出した。


***


母を呼ぶハーリンの声は、次第にかすれていく。

再び家の中を駆け回ったそのとき――

やさしい風が、ユキグの頬をなでた。


彼は、凍りついた。


ゆっくりと、振り返る――


扉が……

庭へ通じる扉が、わずかに開いている。


目を見開き、その場から動けずに見つめる。


「……ま、まさか……」


ユキグは庭へ飛び出した。


「メリル!? メリル!」


それを見て、ハーリンも後を追う。


彼女は必死に探した。

物置を荒らし、木片が小さな手に突き刺さる。

近くの井戸へ駆け寄り、身を乗り出し――

暗闇へ顔を近づけ、覗き込む。


水面は、沈黙で応えた。


深く、底のない闇。


その静けさが、彼女を引き込む。


……ママ……どうして……?

……どうして、隠れてるの……?

……もっと、ちゃんと守ってあげればよかった……

……ごめんね……


ユキグは苛立ちをぶつけるように地面を踏みつけた。

だが、その怒りは、顔に刻まれた不安を隠せない。


「どうしてだ……!?

 俺のすぐそばを、通り過ぎたっていうのか……!?」


ハーリンは、なおも井戸の闇を見つめていた。


……ママ……どこにいるの……?


――そのとき。


一つの記憶が、浮かび上がる。


ハーリンは勢いよく顔を上げ、水から離れ、振り返って走り出した。


それを見て、ユキグが叫ぶ。


「ハーリン!? どこへ行くんだ!」


彼女は止まらない。

振り返らない。

答えない。


ユキグは、その場に立ち尽くした。


空が少しずつ明るくなり、

朝の光が、庭をはっきりと照らし出す。


メリルが、時間と愛情を注いできた庭。


――今は。


枯れ果てていた。


もう、時間がない。


ユキグは眉をひそめ、歯を食いしばり、走り出した。


***


土の道を、二人は駆ける。

先を行くのはハーリン。


背後から、ユキグの声が何度も響く――

朝の空気を引き裂くように。


***


鳥がさえずる。

木々が、そよ風に揺れる。

小川が、丸い石の上を静かに流れる。


すべてが……


異様なほど、静かだった。


***


二人は、立ち止まった。


――ドサッ。


ユキグは、小川のそばの砂利に膝をついた。


「……いや……いやだ……」


涙が、頬を伝い落ちる。


そこにいたのは、メリルだった。

水辺に横たわり、微動だにしない。


生気のない顔。

それでも――

死の直前に浮かべたかのような、かすかな微笑み。


胸の上には、テディベア。

冷たくなった両手で、そっと抱かれていた。


大切に――

大切に、抱かれて。


「ごめん……!」


ユキグは泣き叫び、深く頭を下げた。


「もっと……ちゃんと……!」

「俺は……役立たずだ……!」


その隣で、ハーリンは立ち尽くしていた。

顔は青ざめ、頭の中は真っ白。


唇が動く。

けれど、声は出ない。


小さな手が、服を掴み、

何度も、何度も、くしゃくしゃに握りしめる。


ゆっくりと――

彼女の意識は、遠のいていった。


――あのときへ。


***


ハーリンは、両親の部屋の前に立っていた。

喉の奥から嗚咽がこぼれ、涙で視界がにじむ。


テディベアを、胸に強く抱きしめている。


「かわいそうなハーリン……」


メリルの声はやさしかった。

「また、怖い夢に悩まされたの?」


ハーリンは、くすんと鼻を鳴らしながら、軽く首を振る。


「くそっ、悪い夢め!」


扉の向こうから、ヘイルの怒鳴り声が響いた。

天井を指さすようにして、叫ぶ。


「うちの娘に、ちょっかい出すんじゃない!」


メリルは、静かにため息をついた。


「文句ばっかり言ってないで、こっちに来て慰めてあげたら?」


「はぁぁ……」


ヘイルは苛立ったように顔をこすり、

まだ眠そうなままベッドを出て、ハーリンの方へと歩いてきた。


メリルは腰に手を当て、

そのだらしない姿に、明らかに呆れている。


ハーリンは、急いで父の元へ駆け寄った。


「んん……」


ヘイルはハーリンを抱き上げ、

自分の脇に引き寄せる。


「まったく、嫌な夢だな……」

ぼそりと呟く。

「また、ハーリンを困らせたのか?」


ハーリンは、唇を尖らせながら頷いた。


「今、まさにそれを聞いたんだけど」


メリルが、頬をふくらませて小声で言う。


突然、ヘイルはハーリンの腕からテディベアを取り上げた。


目の高さまで持ち上げ、

そのまま叱りつける。


「お前はな、一つの役目のために作られたんだ」


「それすら、まともにできないのか!?」


言いながら、テディベアを前後に振る。


ハーリンは慌てて、小さな手で父の手を押さえた。


「パパ、テディベアを怒らないで」


「この子のせいじゃないよ……」


ヘイルは動きを止め――

やがて、力の抜けた小さな笑いを漏らした。


「結局……」

彼は静かに言う。

「守られてるのは、そっちじゃなくて――

 お前の方なんだな」


そう言って、テディベアを返す。


ハーリンはすぐに、それを胸に抱き戻した。


「……うん」


メリルは、夫の肩にそっと手を置いた。


「ハーリンを寝かせてあげて。もう遅いわ」


それを思い出したかのように、

ヘイルは大きくあくびをした。


「……ああ、そうだな……」


やがて、三人は

小さくて窮屈なベッドに、寄り添って横になった。


「ほら、泣かないで……ママはここよ……」


メリルのやさしい歌声が、部屋を満たす。

綿のように、甘く、柔らかく。


ハーリンは母に腕を回し、

メリルの胸に顔をうずめた。


「あなたは、ママの腕の中で――」


メリルは、娘の髪をなでる。

「そして、たとえ――」


ハーリンが顔を上げ、

小さな声で、母の歌に重ねる。


「――お日さまが沈んでも」


メリルは微笑んだ。


「ママは、そばにいるわ。あなたを導くために」


二人の声が重なり、

あたたかく、安心する旋律となる。


「ぐぅ……」


すぐ横から、大きないびきが聞こえた。


ハーリンはくすっと笑い、母を見上げる。


「ママ、パパが歌で寝ちゃったよ!」


メリルは微笑み、

ハーリンの額にキスをした。


「でも――

 小さなハーリンは、まだ眠れないの?」


ハーリンは、すぐに目をぎゅっと閉じる。


「すぅ……」


わざとらしい、小さないびき。


メリルはくすっと笑い、

娘をそっと引き寄せた。


***


メリルの墓石は、ヘイルの隣に並んでいた。

陽の光が、強く降り注いでいる。


ハーリンは、その前に立ち、目を伏せていた。


隣には、ジュキグが硬く立ち尽くし、

腹の前で両手を組んでいる。


少し離れた場所から、

女の胸を引き裂くような泣き声が響いた。


「どうして……どうして、こんなに早く逝ってしまったの……!」


女は、息子の墓石にすがりつき、

嗚咽を漏らしながら泣き崩れている。


……


「チッ」


墓掘り人が、鼻で笑った。


ハーリンは、顔を上げた。


「あのハーリンって子は、まるで呪いだな」


「父親も、母親も――」


その呟きは、

ジュキグの鋭い視線によって遮られた。


男は一瞬、体を強張らせ、

それ以上何も言わずに背を向けて立ち去った。


言葉だけが、残る。


それは、

真っ直ぐにハーリンの胸を突き刺した。


……私のせい?


私は……呪い……


ジュキグは、彼女の前に膝をつき、

そっと肩に手を置いた。


「気にするな」


低く、静かな声だった。


「そんなこと、考えなくていい」


「俺がいる」


ハーリンは、ゆっくりと顔を上げ、

叔父を見つめた。


「さあ、帰って荷物をまとめよう、ハーリン」


ジュキグは、姪の手を取る。


二人は並んで、墓地を後にした――

背後には、

なおも消えぬ、女の慟哭を残したまま。

— 作者より —

エピソード19を読んでくださってありがとうございます!

この章でメリルがハーリンに歌った歌は、物語の外にも存在しています。

子守歌としてフルで制作しました。もし聴いてみたい方がいれば:

https://youtu.be/KEbXFzzaNp4

読者の皆さんの感想をいただけると、とても嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
ああ、そうそう。心が痛めつけられる展開、大好きだよ
このエピソードから読み始めたんですが……もしかして出遅れましたか?
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