エピソード16:ママ? ここにいるよ!
あなたまで……
今夜の月明かりは、いつもより明るかった。
けれど、ハーリンの孤独は
毎晩と変わらないままだった。
同じろうそく。
同じ窓。
同じ、満たされない想い。
小さな身体は、もう限界だった。
ハーリンはテディベアを強く抱きしめたまま、窓辺でうとうとと眠りに落ちる。
庭から入ってくる、聞き慣れた足音に気づくこともなく。
――ゴンッ。
その音に、ハーリンははっと目を覚ました。
外を見る。
そこにあったのは、冷たい地面にうつ伏せで倒れているメリルの姿だった。
ハーリンは考えるより先に、外へ飛び出した。
膝をつき、母の身体をそっと揺らす。
「ママ、
ママ……?」
血が、メリルの髪に絡みついている。
ハーリンは凍りついた――だが、迷う暇はなかった。
そっと目を閉じる。
小さな手が震えながら、母の頭に触れる。
かすかな緑の光が、慎重に、にじみ出る。
それを感じて、ハーリンは少しだけ息をついた――
生きている。
けれど、メリルは目を覚まさない。
ハーリンは母の手をつかみ、力いっぱい引いた。
「ママ……
お願い……耐えて……」
腕が焼けるように痛む。
ほとんど……無駄だった。
本能が、叫ばせた。
「パパ、助け――」
言葉は喉で途切れ、返事はなかった。
応えたのは、冷たい夜だけ。
ハーリンははっとして、家の中へ駆け戻る。
重い掛け布団を引きずり出す。
枕も。
そして――もちろん、テディベア。
母の頭を慎重に持ち上げ、枕を差し込む。
布団をゆっくり、丁寧に広げ――
隙間ができないように。
最後に、潜り込む。
母の腕に、頭を預ける。
二人の間には、テディベア。
凍える夜の中で、母と娘は身を寄せ合った。
そばで、月だけが静かに見下ろしている。
他の誰もが、家の中で眠っていた。
安全な、眠りの中で。
***
そよ風が、ハーリンの頬をなでた。
彼女は顔をしかめ、布団に手を伸ばす。
動かない。
半分眠ったまま、目を開ける。
メリルが起き上がっていた。
庭の上に広がる青空を、じっと見つめている。
ハーリンの心臓が跳ねた。
身体を起こし、母に抱きつく。
「ママ!」
――待った。
いつもの、
髪を撫でる、やさしい手を。
来ない。
何かがおかしい。
ハーリンは回り込んで、母の前に立つ。
朝の光が、メリルの顔を照らす。
目は開いている。
けれど――空っぽだ。
ぬくもりがない。
認識も、ない。
それでも、ハーリンは笑った。
「ママ。」
返事はない。
「……ママ?」
笑顔が、揺らぐ。
私、間違えた?
ちゃんと、治せなかったの?
ハーリンは母の手を強く握り、ぎゅっと目を閉じた。
再び、緑の光が咲く――
指と指の間を、ゆっくりと編むように。
***
ハーリンは、果てしない闇の中に立っていた。
「ママ……?」
声が、反響する。
返事はない。
――そのとき。
かすかな光。
ハーリンは一目散に走り出す。
メリルが、ゆっくりと現れた。
だが、何かがおかしい。
周囲の空間が歪み、ねじれている。
メリルは俯いたまま、動かない。
四肢は、冷たく重い枷に縛られていた。
「ママ……ここにいるよ……」
動かない。
ハーリンは近づく。
歪みが激しくなる。
音が、鋭く――耐えがたい。
それでも、止まらない。
「ママ……?」
突然――
メリルが顔を上げた。
口は、縫い閉じられている。
涙を流し、もがく。
「ん――んんん――!」
ハーリンはよろめき、後ずさる。
「っ……!」
光が、消えた。
***
ハーリンは、はっと目を覚ました。
魔法が、弾けるように途切れる。
呼吸が荒く、整わない。
メリルは、動いていない。
表情も、変わらない。
空っぽのまま。
ママ……どうしちゃったの……?
ハーリンは唾を飲み込む。
再び、母の手を取る。
ゆっくり――慎重に――
立ち上がらせる。
片手で、メリルの手を引き。
もう片方で、布団を引きずる。
一歩ずつ。
ハーリンは母を、家の中へ導いた。
***
メリルは、食卓の椅子に座っていた。
ハーリンは、じっと見つめる。
沈黙が、家を押し潰す。
もしかして……
ハーリンの目が見開かれる。
ママ、お腹すいてるんだ!
私も、お腹すくと……動けなくなるもん。
「ママ、待って!」
ハーリンは急いで言った。
台所へ駆け込む。
袋をあさる。
じゃがいも、二つ。
それから――にんじん。
手に持って、台所を振り返る。
他には……
近くに置かれた鍋が、目に入った。
彼女は一人で頷く。
スープ。
家の前の井戸へ駆け出す。
バケツいっぱいの水を汲む……多すぎる……重い。
半分までにして、手ですくって足す。
薪小屋のほうを見る。
一瞬――
ヘイルが立っていた。
明るく笑い、腕いっぱいに薪を抱えて。
パパ……?
ハーリンは頭を振る。
幻は消えた。
そうだ……薪がいる。
ありがとう、パパ。
水汲みを中断し、薪小屋へ急ぐ。
「んんっ……!」
唸る。
丸太は重すぎた。
だから、小さな枝を集める。
何度も、何度も、出入りして。
石窯がいっぱいになるまで。
***
家の中で、
ハーリンは膝に手をつき、前かがみになる。
胸が焼けるように苦しく、息を荒げる。
深く、息を吸って。
背筋を伸ばし、胸を張る。
戦士みたいに――
彼女は、再び庭へ踏み出した。
***
その前に立ちはだかる、
これまでで最大の敵。
満杯の、水のバケツ。
— 作者より —
エピソード16を読んでくださってありがとうございます!
これから、ハーリンはどうやって生きていくのだろう。
そして、何を乗り越えなければならないのか。
読者の皆さんの感想をいただけると、とても嬉しいです。




