エピソード13: どういうこと……?
短い時間の中で、本当にたくさんのことが起きた。
戸惑いと新しい出来事が、ハーリンをあちこちへと振り回していく。
その朝は、いつもと変わらないように見えた。
いつものように、ハーリンは細い道をとぼとぼと歩いていた。
擦り切れた分厚い本と、ふわふわのテディベアを、腕に大事そうに抱えながら。
けれど――
何かが違った。
周囲から向けられる視線に、もう静かな同情はなかった。
そこにあったのは、燃えるような――
嫌悪。
憎悪。
低く、鋭い囁き声が、棘のように彼女の耳をかすめる。
「ハーリンだ……子どもを近づけるなよ」
「メリルは、あの子に悪い影響を与えたんじゃないか」
聞こえてはいた。
けれど、理解できなかった。
足が重くなる。
腕に抱えたテディベアを、ぎゅっと抱きしめる。
視線は地面に縫い止められ、声だけが何度も頭の中で反響する。
***
――囁きが途切れ、
――森の入り口が見えた、その時。
胸に、ほっとしたものが広がった。
ハーリンは走り出した。
雲間から日差しが差し込むように、彼女の表情がぱっと明るくなる――
ブォン。
どこからともなく飛んできた石が、彼女のこめかみを直撃した。
痛みが弾ける。
温かい血が流れ落ち、彼女は地面に崩れ落ちた。
本とテディベアが、腕から転がり落ちる。
笑い声が響いた。
「うわっ!」
「ハーリンじゃん!」
近くで、三人の子どもが彼女を指差し、露骨な嫌悪を浮かべていた。
「気持ち悪い」
「なんで外に出ていいんだよ?」
世界が回る。
音が遠のく。
ほとんど、何も聞こえなかった。
どうでもよかった。
彼女は這うように前へ進み、残った力のすべてを使って、本へと手を伸ばす。
――指先が、触れそうになった、その瞬間。
足が伸びてきて、本を蹴り飛ばした。
三人の少年が、彼女の前に立ちはだかる。
逆光の影が、彼女をすっぽりと飲み込んだ。
一人が、指で彼女の頭を押さえつけ、土に押し付ける。
「汚いな」
「お前の居場所じゃない」
「そうだそうだ」
「元いた汚れた場所に這って帰れよ」
ハーリンは頭を抱え、震えた。
何をすればいいのかわからない。
自分が何をしたのかも、わからない。
どうして……
どうして、こんなことをするの……。
ママ……。
涙が、頬を伝い始める。
抵抗しないのを見て、少年たちはさらに調子づいた。
手が伸び、突き飛ばされ、笑い声が続く。
「おい!」
鋭い声が空気を切り裂いた。
少年たちの動きが止まる。
少し離れた場所に、もう一人の子どもが立っていた。
年はハーリンと同じくらい。
宝石のように赤い髪。
この村には似つかわしくない、気品ある雰囲気。
深紅のベルベットの外套が肩にかかり、白い羽毛の襟と金の刺繍が淡く輝いている。
まるで――
物語から抜け出してきた王子様のようだった。
彼は堂々と歩み寄り、ハーリンと少年たちの前で足を止める。
「無抵抗の女の子をいじめるのか?」
ハーリンは、ゆっくりと顔を上げた。
これが……王子様……?
私を守ってる……? でも、どうして……?
「情けないな」
若き王子は、冷たい視線で吐き捨てる。
「三人もいて、その程度か?」
中央にいた少年――どうやらリーダー格が、一歩前に出た。
「お前、何様だよ?」
王子は胸を張る。
「我が名はレアンドレル」
「タルムノール王国、第二王子だ」
彼は少年たちを指差した。
「俺がこの道に立つ限り、貴様らは大人しくしていろ」
後ろの二人が、ひそひそと囁く。
「王国の……?」
「殴ったら牢屋行きじゃ……?」
引くに引けなくなったのか、リーダーが唸り声を上げ、レアンドレルの首飾りを掴んだ。
レアンドレルの目が鋭く光る。
彼は鋭い蹴りを腹に叩き込み、少年を吹き飛ばした。
鎖が引きちぎれる。
襟を正し、見下ろす。
「それだけか?」
横から、別の少年が叫びながら突っ込んできた。
レアンドレルは振り向き――
一瞬で腰の木剣を抜く。
カン。
一撃が綺麗に決まり、少年は頭を押さえて崩れ落ちた。
ブォン。
石が一直線に飛んでくる。
カン。
彼は一振りで弾き飛ばした。
最後の一人が、石を握ったまま凍りつく。
レアンドレルは笑った。
「ほら、来いよ」
少年は悲鳴を上げ、石を落として逃げ出した。
「後ろ――!」とハーリンが叫ぶ。
遅かった。
リーダーが背後から飛びかかり、レアンドレルの耳に噛みついた。
「汚ねぇな!」
レアンドレルは肘を叩き込み、少年を倒す。
動く前に、木剣が鼻先に突きつけられていた。
「逃げろ」
「三人まとめて牢屋に放り込まれる前にな、虫けら」
恐怖が弾けた。
少年たちは泣き叫びながら逃げ去った。
静寂が戻る。
風に揺れる赤い髪と外套。
レアンドレルは振り返り、手を差し出した。
「大丈夫か?」
「だいじょ――」
けれど、ハーリンは手を取らなかった。
急いで物を拾い、丁寧に土を払う。
レアンドレルの視線が、魔導書に落ちる。
「魔法?」
「そんな無駄なもの、よくやるな」
ハーリンの体が強張る。
「無駄じゃない!」
彼女は睨みつけた。
レアンドレルは舌打ちし、視線を逸らす。
「魔法は守れなかった」
「大切な人をな」
再び、彼女を見る。
「お前を守れなかったのと同じだ」
息が詰まる。
「それは……」
言葉が続かなかった。
彼は肩をすくめる。
「価値はない」
「いつか、わかる日が来るといいな」
遠くから声が響く。
「レアンドレル! 行くぞ!」
全身を黒鋼に包んだ騎士が、丘の上に立っていた。
その存在感は、距離があっても重い。
「今行く!」
レアンドレルは最後に一度だけ振り返る。
「もう話すことはない」
「せいぜい頑張れ」
そう言って、彼は去った。
ハーリンは立ち尽くし、本を抱きしめる。
魔法は弱くない……。
それなのに、どうしてパパを救えなかったの……。
私が……弱いの……?
足元で、光が瞬いた。
見下ろすと、黄金の首飾りが落ちている。
獰猛で不気味な獣の意匠。
彼女はそれを拾い、道の先を見る。
「レアンドレル――!」
もう、姿はなかった。
ハーリンの視線は、しばらくの間、首飾りに釘付けになっていた――
そして、彼女はそれをぎゅっと握りしめた。
約束する……。
次は、地面に這いつくばってなんかいない。
***
村の別の場所。
人目の届かない、主要道の外れ。
いくつもの天幕が静かに並んでいた。
騎士や作業員が絶え間なく出入りし、低い声は布に吸い込まれていく。
その端で、一人の男――
いや、王が、冷たい大地に膝をついていた。
黒い外套が背後に広がり、肩には同じ獣の紋章が金に輝く。
手にしているのは、しおれた花。
静かに見つめるその表情は、冷静で、厳しく――
そして、守れなかったものを悼んでいるかのようだった。
背後から、柔らかな声。
「陛下……」
淡い法衣をまとったエルフの少女。
胸に銀の聖印を宿したその姿は――
ハーリンの魔導書に描かれていた、あの聖職者そのものだった。
「調査した地域では……」
一瞬、言葉を切る。
「これは、エル=グリの地全域で発生しています」
王は振り向かない。
「ここまでにしよう」
彼は立ち上がり、花を差し出した。
「これと、すべての標本を持ち帰れ」
「王国へ」
エルフは深く一礼した。
「はい、陛下」
— 作者より —
エピソード13を読んでくださってありがとうございます!
でもきっと……
私たちの先には、何か新しくて、大きなものが待っている。
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