エピソード11:間違った選択だ、ヘイル。間違っていた……
すべての決断には代償がある。だがこの代償は……背負うにはあまりにも過酷すぎた。
ハーリンは、悪夢から飛び起きたかのように、息を荒くしてベッドの上で体を起こした。
……けれど、これは夢じゃない。
外から、耳を裂くような悲鳴が響き、
木が砕ける音、
家を引き裂くような混沌の轟音が押し寄せてくる。
「ヘイル――やめて!お願いだから!」
メリルは床に膝をつき、
必死にヘイルの手を掴み、泣き叫んでいた。
ヘイルの顔は、怒りに歪んでいる。
「放せ!」
「ゴブリン・キング――今度こそ、終わらせる!」
メリルは、さらに強く手を握りしめた。
「だめよ、ヘイル!」
まるで鎖に繋がれた獣のように。
怒りに縛られた彼は、力任せに腕を振り払った。
その反動で、メリルは床へと叩きつけられる。
――しまった。
そう思った一瞬、
彼の呼吸が詰まる。
だが、怒りは消えなかった。
その時だった。
彼の視線が――彼女を捉えた。
ハーリンが、少し離れた場所に立っていた。
「……パパ?」
かすかな声。
ヘイルには聞こえなかった。
それでも――わかってしまった。
彼女が、自分を呼んでいることを。
ほんの一瞬、
後悔が彼の瞳をよぎる。
だが、それもすぐに消えた。
剣を握る手に、力がこもる。
彼はメリルを指さし、震える声で言った。
「家にいろ」
「ハーリンを守れ」
そう言い残し、
彼は扉へ向かって歩き出す。
バンッ!
扉が、激しく閉められた。
メリルは、その場に崩れ落ち、頭を抱えた。
「……いや……いや……」
「ママ……?」
ハーリンの声が、霧のような空気を切り裂く。
メリルは振り向いた。
ハーリンの目に映ったのは――
床に崩れ落ちた母の姿。
まるで、
何か大切なものを引き裂かれたかのように。
メリルは慌てて立ち上がり、ハーリンを抱きしめた。
泣きながら、彼女を食卓へ連れていく。
何度も、何度も、娘の髪を撫でながら。
「大丈夫……」
「パパは、すぐに帰ってくるわ」
それは、ハーリンを慰める言葉。
そして――
自分自身についた、嘘だった。
***
外では――
ゴブリン・キングが、巨大な棍棒を握りしめ、村を蹂躙していた。
筋骨隆々の巨体。
それはまるで、歩く災害。
甲高い叫び声が、奴の注意を引く。
「こっちだ!」
「俺は、ここにいるぞ!」
怪物が、振り向く。
「探しているのは――俺だろう!」
ヘイルが叫ぶ。
「お前の巣穴を焼いたのも!」
「お前の子供たちを、皆殺しにしたのも――俺だ!」
ヘイルは剣を振るった。
ゴブリン・キングは、盲目的な怒りの咆哮を上げ、突進する。
ヘイルもまた、剣を強く握りしめ、叫んだ。
「うおおおっ!」
***
家の中では――
メリルとハーリンが、テーブルの下に身を潜め、息を殺していた。
悲鳴。
咆哮。
激しくぶつかり合う音。
ハーリンは、耳を塞ぐ。
……
時間が、止まったかのようだった。
ドォン――!
次の瞬間。
目の前で――
壁が内側から爆散した。
ヘイルの体が吹き飛ばされ、
石を砕いて、台所の床に叩きつけられる。
「ヘイル!!」
二人は叫びながら駆け寄った。
メリルは膝をつき、
彼の体を壁に寄りかからせる。
そして――
口元を押さえた。
陽の光が、ヘイルの体を照らしている。
血が、シャツを真っ赤に染めていた。
虚ろな瞳。
「……いや……いや……」
ハーリンは首を振り、震える声で呟く。
「パパ……!」
彼の手を握る。
震えながら、緑の光が溢れ出す。
――癒そうとする。
……何も、変わらない。
ヘイルは、かすかに微笑んだ。
残された、最後の力で――
ゆっくりと手を持ち上げ、
娘の髪を、やさしく撫でる。
「……すま……ない……」
息が、途切れた。
ドサッ。
手が、力なく落ちる。
「……パパ……」
ハーリンの顔から、血の気が引いた。
世界が、遠のいていく。
メリルは彼女を強く抱きしめ、
声を上げて泣き崩れた。
***
ヘイルの墓石の前で。
母と娘は、静かに手を繋いで立っていた。
***
人々が、次々と訪れた。
弔意を伝え、
花を置き、
小さな贈り物を残していく。
囁き声が、空気を満たす。
***
どれほどの時間が経ったのか、わからない。
空が重くなり、
雲が集まり、
雨が降り始めた。
残っていたのは――
ハーリンと、母だけ。
メリルは、一粒の涙も流さなかった。
ただ――
ハーリンの手を、強く握りしめている。
ハーリンも、黙っていた。
頭の中で、光景が何度も繰り返される。
母の叫び声。
父の顔。
あの時、言うことを聞かなければよかった……
外に、飛び出していれば……
魔法を、覚えたのに……
助けられたんじゃないか……
――パパを、救えたんじゃないか……?
幼い彼女には、
あまりにも重すぎる問い。
胸の奥で、何かが渦巻いていた。
締め付けられるようで、
息が詰まる。
理由は、わからない。
ただ――
痛かった。
***
メリルは、料理をしていた。
すべてが……静かだった。
静かすぎるほどに。
鍋の湯が沸く音。
スプーンが、ゆっくりと回る音。
家の中は――空っぽだった。
沈黙を破ったのは、メリルの声。
「ハーリン」
やさしく、そう呼びかける。
「ママが、何を作ってるか分かる?」
振り向いた彼女は、
明るく――作られた笑顔を浮かべていた。
「あなたと、パパの大好きなものよ」
ハーリンは、わかっていた。
その笑顔が、
何かを必死に押し殺していることを。
***
食事は、静かに終わった。
誰も、何も言わない。
言えなかった。
料理には、匂いも、味もなかった。
その時――
ハーリンの目から、涙が零れ落ちた。
理由は、わからない。
拭う。
また、拭う。
けれど――
拭えば拭うほど、溢れてくる。
メリルは慌てて側に駆け寄り、膝をついた。
やさしく、娘の頬に触れる。
「大丈夫……」
「ママは、ここにいるわ。一人じゃない……」
その瞬間――
ハーリンは、崩れ落ちた。
母の胸に顔を埋め、
強く、しがみつく。
「ママ……」
声が震える。
「私……助けられた……」
「パパを……助けられたの……」
「……全部、私のせい……」
メリルの息が、詰まった。
彼女は娘を強く抱きしめ、
ついに、涙を零した。
「違う……」
「悪いのは、ママよ……」
「あなたのパパを、止められなかった……」
さらに、強く抱きしめる。
「ごめん……」
「ごめんなさい……ハーリン……」
その夜――
その夜……
彼女たちの“家”の一部が、確かに失われた。
そして――
それは、二度と戻らなかった。
— 作者より —
エピソード11を読んでくださってありがとうございます!
読者なら、この結末を予想していたかもしれない。だが、ハーリンは違った……メリルも同じだ。
読者の皆さんの感想をいただけると、とても嬉しいです。




