NO.2
翌日、朝食をとった後、御堂が姿を現した。
「姫巫女様、大巫女様がお呼びです」
いつもの落ち着きを見せているようで、言葉になにか感じるものがあった。
大巫女様のご寝所に行くと、息が荒く苦しそうなおばあ様がいる。由香の胸騒ぎが当ったのだ。
昨日と同じ女官が寝所にいて、すぐに姫巫女を呼んだ。
「こちらへ」
由香はためらうことなくそれに従った。
「そなたの名前は鈴じゃ。昨夜宣託を受けた。これが最後の宣託じゃ。あとはそなたに託す。昨日渡した腕輪と足環を常につけるのじゃぞ。あれはそなたを守る大切なものじゃ。・・・そなたも戸惑うておる・・・じゃろうが・・・そなたには今までにない巫女の力が・・・ある。心配は・・・いらぬ・・・春の神事には・・・間に合・・・う・・・よう・・・踊りだけは・・・練習に・・・励みなさい・・・鈴、もうあなたは巫女なの・・・ですよ」
そこまでいうとおばあ様は、酷くむせた。
「大巫女様、ご無理はいけません」
女官が慌てて水を飲ませる。
「大丈夫じゃ。鈴、頼んだぞ・・・そなたは自身の力を・・・信じてさえいれば・・・よい」
「おばあ様・・・」
女官に言われ、すぐにご寝所を後にした。心配ではあったが、ここではいうことを聞く以外にない。
その日の午後には既に由香の名前は、鈴と皆の知るところとなり、姫巫女から鈴姫様と呼ばれるようになっていた。
鈴姫は、部屋に戻った後、おばあ様に言われた通り、いただいたヒスイのリングを手首と足首に通した。ひんやりして冷たいかと思うとあっという間に体の血が巡るように流れているのがわかる。不思議な感覚になった。これは大切なもので必ずつけていなくてはならないもの。そう思って見つめた。
それから数日はおばあ様に会うこともなく、早速舞の稽古が始まった。高校で習う勉強もやるのだけれど、今は春の大祭に向けて急ぎ舞を覚えなくてはならない。勉強はあとにして、舞の稽古をすることになった。
舞の先生はかなり年のいった女性だった。古いビデオデッキにビデオテープを入れて、見せてくれたのは鈴姫の母の若かりし頃の舞である。それを見て真似るようにと先生からは言われた。
はじめはその舞の美しさに言葉もなくただただ見入ってしまった。見終わって全身から力が抜けて言葉も出ない。私がこんな風に踊れるんだろうか、不安が押し寄せた。
「春の大祭まで日がありませんから、早く覚えて自分のものにしてくださいませ」
ビデオと手に持つ鈴と玉ぐしは置いていくので、何度見てもいい、とにかく動きを覚えるようにと言って、先生は帰って行った。鈴姫はため息を漏らした。今まで知っている母は、パートに明け暮れる母である。こうして巫女の姿をした母を始めて見るし、こんな美しい舞を踊るのも初めて見た。心が震えた。
「私にできるかどうか分からないけど、見ててママ。私やってみせる。ここまできたんだもん。こんなことで負けてたまるもんですか」
鈴姫になった由香は、その日から猛練習を始めた。ビデオを見ながら足の運び、手の動きを真似てとにかく舞を踊ることに集中した。それは三人の女官が心配するほどで、休みなく続けられた。
そんな日々が1週間ほど続いた夜だった。食事を終えてお茶を縁側で飲んでいるときである。
ガサガサドスッ。
えっ?
目の前に三毛猫が落ちてきた。慌てて走り、猫を見ると傷だらけである。
「大変。どうしよう」
鈴姫は、猫を抱き上げて、部屋に入った。座布団の上にそっと寝かせると、そこに丁度、樹里がお膳を下げに来た。
「鈴姫様、これはどうしたことですか?」
「樹里、獣医さんを、早く獣医さんを呼んで!」
「は、はい」
樹里は慌てて部屋を出て、獣医を呼びに出て行った。
「猫さん、大丈夫よ、今すぐに獣医さんが来るから、頑張って」
鈴姫は猫の背をさすりながら言った。
獣医はまもなく駆けつけて、猫の診察をしてくれた。
「大丈夫じゃ。浅い傷は負っているが他に酷い怪我はない。男の子じゃのー。数日経てば動けるじゃろ。問題ない」
そう言って、痛み止めの薬だけはと置いて帰って行った。
「よかったー、大丈夫だって」
ホッとした鈴姫を三人の女官が見つめる。
「鈴姫様、よかったですね」
「それでは、猫さんのお布団を用意しなくては」
「お名前も付けて差し上げたらいかがですか」
矢継ぎ早に言われて、鈴姫は何度も頷く。明日には猫に必要なものはすべて揃えるということなので、とりあえず先生がくれた注射器で痛み止めを飲ませる。
なんとか猫はゴクゴクとそれを飲んでくれた。
「あなたに名前を付けなくてはね。空から降ってきたから、空ってどうかなー」
「いいんじゃありませんか、鈴姫様」
布団を敷いていた真潮がにっこり微笑みながら答えた。
「空くんね。でもどうしてこんなに傷だらけになってしまったのかしら」
心配顔で空をのぞき込む鈴姫に真潮が言った。
「この村は猫族の村ですから、猫は大切にされます。こんな傷を負ったのだとすれば、村の外かと思いますよ」
「そうよね。なんにしても小さな猫にこんな傷を負わせるなんて、許せない」
「鈴姫様、私たちが見ていますから、湯殿のほう、先にお済ませになってください」
「空も元気になったら綺麗に洗ってあげるからね」
そう言って鈴姫は湯殿に向かった。湯につかりながら目をつむる。空はなぜここに逃げ込んだんだろう。知らなかったのかな、ここが巫女の部屋だって。知るわけないか、猫だもんね。でも何かもやっとするなー。なんだろう、この気持ち。
空は知っていてここに来たような気がしてならないんだけど、違うかな。そんなことをぼんやり考えながら、鈴姫は湯殿から出た。
その日までは食後も舞の練習をしていたが、空の出現でバタバタとなり、もう寝る時間である。
「鈴姫様、今夜はこのままお休みなさいませ。毎日舞のお稽古で遅くなっていましたし、今夜くらいはゆっくりしてください」
朝風がそういうと鈴姫は頷いた。空のことが心配だし、見ていたい。一緒に寝るからと言って、空の寝ている座布団をそっと引きずって布団の傍に持ってくると布団に入った。
「今夜はこうして寝るわ」
「わかりました。明日早くに必要なものは揃えてまいります。では、おやすみなさいませ」
朝風は実はホッとしていた。毎日深夜まで舞の稽古をしている鈴姫を心配していたのである。これで今夜は早くに休んでもらえると安心したのであった。
それから3日間は、昼間は官女たちが交代で空を見て、その間は安心して進姫は舞の稽古をしていた。舞の先生からは、もう舞は完璧ですねと言われるまでになった。
「もうワタクシから教えることはありません。あとは鈴姫様次第ですよ」
そう言って、舞の先生は帰って行った。入れ違いに侍従長の御堂が入ってきて、
「舞の稽古は終わったようですね。お疲れ様です。ですが、これからがほんばんですよ」
「え?」
「舞を踊ればいいというものではありません。舞を踊って宣託を受けなければなりません。人々はその宣託を待っているのです」
「宣託?」
「そうです。春には春の宣託があり、今年は豊穣になるかなど、人々はその年の春からの出来事を鈴姫様の宣託から読み取ります。どのような宣託が下るか、あなた次第なのですよ」
そう言われて、鈴姫は怖くなった。そんなことを言われても宣託など自分にできるわけがない。どうしたらいいのだ。
「鈴姫様には、既に先見の明があると聞きました。それを説きすまして磨けばいいだけのことです」
「あっ」
そういえば先のことがぼんやりではあるけど、わかる力は持っている。でもこれが御堂の言う先見の明などという物々しいものなのだろうか。
「大丈夫です。鈴姫様にならできますよ」
御堂は、これまでに見せたことがないほど、易しい笑顔を見せた。それが鈴姫を落ち着かせるものなのか、本心なのかは分からないが、鈴姫の不安は少なからず軽くはなった。
その翌朝だった。
目が覚めると、隣に寝ているはずの空がいない。慌てて、寝所を出ると縁側に人がいた。
「誰?」
構えて鈴姫はその背中に声をかけた。
「・・・空ですよ」
「えっ?」
「君が助けてくれた空です」
そう言って振り返った彼の髪が、朝陽に輝いでふわりと揺れて、端正な顔立ちの男性だった。
「そら・・・」
「はい」
猫が人間に化けたーーーっと鈴姫は震えあがった。
「ね、ねこ、が、ね、ねこが・・・」
「いや、元は人間ですよ。猫の姿になっていたまでです」
「えっ、そんなことできるの?」
「僕も猫族ですからね。そんな数多くはありませんが、猫の姿になれる者もいますよ」
す、すごい。鈴姫は驚くばかりで立ちすくんでいた。
「こっちへ来て、座らないかい?」
そう手を出されて、鈴姫は震える足を一歩踏み出すと、静かに隣に座った。
「ありがとう、助けてくれて。君が巫女になる鈴姫なんだね」
「はい。あ、あの、あなたは?」
「空でいいよ。君が名付けてくれた名前で。君が助けてくれなかったら、僕は困っただろうな」
いや、傷だらけの猫を放ってはおけないでしょって思いつつ、横に座る彼を見た。白地に刺繍の入った着物に濃紺の袴を履いている。町の人たちは普通の格好をしていたから、この人は違うのかなと感じた。
「どうしてあんな怪我をしたの?」
「うん、ちょっとね。村の外に出ていたものだから」
「猫の姿で? そんなこと危ないわ。もうやらないで」
「うん、そうだね」
上の空の返事ではあったが、頷いた空だった。
「さて、家に戻らなくちゃ。数日家を空けてしまって、家族も心配してる。戻らないと」
「そ、そうよね。心配してるわ。怪我はもう大丈夫なの?」
「すっかり元気になったよ。君には癒しの力もあるようだね。ありがとう。それじゃまた」
「また来てくれるのよね」
「そうだね、また時間のある時に」
そう言って、目の前で猫の姿に戻ると、垣根を通り抜けて、空は消えてしまった。鈴姫は空が消えていった垣根から目が離せなかった。




