No.1
普通の女子高生が猫族の巫女に祭り上げられた。そこで成長していく彼女と、不思議な力を持つ空との出会い。二人の未来はどうなっていくのか。
猫族・・・江戸時代にはあったと言う猫又の村。そこには猫族が住んでいた。特殊な能力を持ち、それぞれがその力を生かして暮らしている。
猫族は基本猫族の伴侶を持ち、その子孫を絶やさぬよう、生きている。
事の始まりは、中学を卒業して、高校も決まり、順風満帆に友人とカフェでおしゃべりを楽しんだその帰りだった。
家の前には黒塗りの見たこともない車。家に入ると、モーニングを着た初老の男性が1人、母親と話し込んでいた。
「お嬢様ですか?」
初老の男性は、優しい顔を見せる。母親は難しい顔をして、どことなく悲しさも見せている。なんとも微妙な雰囲気である。
「お健やかにお育ちで何よりです」
初老の男性はにこやかな笑顔を崩さない。が、なにか抜け目のない視線を由香に向けている。
「道子さま、お日にちがありませんので、お話をさせていただきますよ」
初老の男性は、母親にそう言ってから、由香に向き直った。
「お初にお目にかかります。ワタクシ、御堂義勝と申します。お嬢様をお迎えに参りました」
「えっ?」
当然由香には何のことか分からない。
「なにもご存じなかったのですね。申し訳ありません。最初からお話ししましょう。この世には猫族と犬族がおります。人間と変わらない姿ではありますが、それぞれに得意な力を持ち、その力を種族のために使っています。お嬢様は猫族の巫女を引き継ぐお方です。おばあ様が今まで勤められていましたがお年でお体を悪くされ、はっきり言わせていただきますが、もう長くはありません。それで巫女様を継ぐお嬢様にお帰りになっていただきたく、お迎えに参りました」
由香には何のことかさっぱり分からない。母親の顔を見たが母親は顔を下げたまま何も言わない。
「お日にちがありませんので、出来るだけ早くお支度を整えていただきたいのでございます。できましたらワタクシが迎えに参ります。再度申し上げますが、お日にちがありませんゆえ、お急ぎくださいませ」
有無を言わせず、話を進める男性に由香は、
「いきなり何言ってるの、この人。ママ、意味わかんないんだけど、どーいうこと?」
何も言わない母親の代わりに男性が答えた。
「お母様もお辛いお立場ではあるかと思います。ですが猫族の巫女は既にあなた様しかおらず、決まったことなのでございます。ではワタクシはこれで。お嬢様、お支度お早めにお願いいたしますね」
そう言って、男性は帰って行った。静まり返ったリビングで母親はため息をついた。その手を額に当てて、ぼそりとなにか言った。
「ママ?」
「ごめんなさい、由香。こんなことになるなんて思ってもみなかった」
「なんなの、あの人、私訳わかんないんだけど」
「そうよね、いきなり猫族だの巫女だの言われて、ハイそうですかってはならないわよね」
母親の話では、この世には猫族と犬族がいて、母はその猫族の巫女の子として生まれた。
チェストの上に飾られた写真を持ってきて見せる。
「ママとママの妹さんだよね」
「そう。妹が巫女を継げばと思っていたの。私はパパ、純粋な人間のパパに恋をした。猫族ではなくね。それで駆け落ちをしたのよ。すぐに見つかってはいたけれど、妹がいたから、私たちは静かに暮らせた。でもね、妹が数年前に亡くなったそうなのよ」
「えっ?」
「もともと体が弱かったけれど、頑張ってはいたようなの。それでも持たなかったのね。それで巫女はあなたのおばあ様がなさっていたらしいの。けれどもういい年でね、やはり体が持たないらしいから、そろそろ巫女を継ぐ者が必要になったって。それがあなたしかいないのよ。駆け落ちをした私には出来ないから、あなたしかいなくて・・・ごめんなさい、こんな重荷をあなたに背負わせるつもりはなかったのよ。でも妹が亡くなってしまったのでは、どうしようもないわ」
そこまで聞いても由香は自分が巫女になる道理を理解できなかった。
「あなたには不思議な力があるでしょう? 先読みの魔力がある」
「あっ」
思い当たることはある。先に起こるであろうことが時々わかるのである。そんなにはっきりしたものではないが、自分では不思議に当たるものだと思っていた。
「人間世界にいるから、力が弱いのでしょうね。でも猫又村に戻ればその力は巫女の力として、強力になり、先見の明として使われる。それが巫女の仕事だから」
この未来に起こることがわかってしまうのって、たまたまではなくなにやら不思議な力だったのかと由香は妙に納得した。友達にもよく言われた。由香の予測ってすごく当たるって。
「ママは強制はしない。あなたが決めていいわ。でもおばあ様のお体の事もあるから、早めに決めてね。本当にごめんなさいね」
母親は涙を見せながら言うと、キッチンに姿を消した。
さっぱり事態が分からない。そう思いつつ、自分の部屋に入る。さて、どうしたらいいのだろう。高校も決まって、春には晴れて高校生になるのだと浮かれていた。それが一気に訳も分からない猫族だとか巫女だとか言われても、そんな簡単に理解できるわけがない。
それでも母が言うことだから、嘘ではないし、おばあ様に会ってみたかった。
友達には家族がいた。けれど由香には母親しかいない。父親は、由香が小さいとき事故で亡くしている。家族というものが由香には母親しかいなかったのだ。友達が家族でどこに行ったとか、部活の手伝いに来る両親とかがいても、由香には仕事で忙しい母親しかおらず、寂しい思いをしてきたのは事実だった。他に家族がいるとしたら、会ってみたい。そんな思いもあった。そしてなにより猫族とか巫女とかそういうものに興味を惹かれのだった。実はファンタジー好きでもあったのだ。なんだかおもしろいことになってきたという思いも微かにあったのだった。
それから3日後のこと、事情が変わって急ぎ、お迎えに上がりたいと連絡があり、何を考える暇もなく、御堂が迎えに来た。
「申し訳ございません。おばあ様の具合がよろしくありません。早めにいらしてくださらないと間に合わなくなりますので、お迎えに上がりました」
深々と頭を下げる御堂。
「あの、私まだなにも準備してないんですけど」
答えは出ていない。でも行くなら行くで着替えやらいろいろ持って行かなくてはならないだろう。そんな準備もしていない。ただただどうしようかと考えていた数日だったのだ。
「問題はありません。すべて必要なものはあちらに揃っております。何か足りないものがあれば、買い物もできますので」
「でも・・・」
「ママのことは心配ないわ、おばあさ様にあなたの顔を見せてあげて」
涙を浮かべて母親は言った。
「お嬢様、早くっ」
車のドアを開けられて、乗るように促される。
「ママ、すぐに戻って来るから」
由香は言ったが、
「もう戻れません。お嬢様は猫又村でお暮しになることになります。お母様は猫又村には帰れませんので、もう逢うことはできません。ここでサヨナラになります」
「えっ、そんなこと聞いてないよ」
「ごめんなさい、由香。ママは行けないから」
「イヤだ、ママともう会えないなんてそんなの!」
「お嬢様、諦めて下さい。こればかりはどうすることも出来ないことですから」
半分押し込められるように車の後部座席に乗せられた。母親は涙が止まらないのか、下を向いたままだった。これが最後だなんてと由香は信じられない思いだった。
「道中、長いですので、そちらにお弁当を用意しております。お腹が空いたら、お食べ下さい」
ぼーっと窓の外を眺めていた由香に、運転席の御堂が声をかけた。横を見ると風呂敷に包まれた四角いものがある。こんな時にお腹なんか空くわけがないと由香は一瞥してまた窓の外に視線を戻した。
都会を離れてどのくらい経ったのだろう。もう町と呼べるところもあまりない。山の中を走ったり、出たかと思えば家がポツリポツリとある田舎町だったり、もうどこにいるのやら分からない。
ぐぐーっ。
「無理せず、お食べください。まだ着きませんから」
こんな時でさえ、身体は正直でお腹を鳴らす。なんてばかな体と思いつつ、隣に置かれた風呂敷包みを開けてみる。二段の重箱におにぎりと色とりどりのおかずが入っていた。
「好みが分からないのでおにぎりも色んな味にしてみたそうですよ。お好きなものをどうぞ」
海苔巻き、ごま塩、ふりかけ、中が分からないものには、小ささ紙が添えてあって、鮭、梅、昆布などとあった。もう一段のほうはおかずで煮物に卵焼き、魚の焼き物、ウィンナーや唐揚げ、色んなものが入っていた。こんなに一人で食べられるわけないじゃんと思いながら、海苔巻きを取って、食べながら外を眺めて涙がこぼれた。もうママのおにぎりも食べられなくなるんだと泣きじゃくりながらお弁当を食べた。御堂は何も言わずにただ運転をしているのだった。
車に乗ったのが8時頃だった。母親が仕事に行く前だったのでその頃だ。そしてやっと猫又村に着いたのは夕暮れ時だった。
「猫又村に入りましたよ。ここからはお嬢様は姫巫女様ですから、どうかそのようにお振舞いを」
「どうすればいいの、私にはわからないよ」
「とりあえず宮に入るまではワタクシ意外と目を合せずにいただけますか。村の中を見るのは結構ですが、村人の全員が姫巫女様を歓迎しているわけではありません。半分は人間の血を受け継いでおられる。これは事実ですから。中には反感を持つものもおります。その者の力がどういったものか分かりませんので、視線だけは合わせないようお願いいたします」
村の中を見てもいいけど視線を合わせるなと言うのは、なかなか難しいなーと由香は思った。けれど、自分に備わった不思議な力の事もある。どんな力を持った者がいるかわからないのでは、怖い。気をつけないと。
田んぼが広がる中にポツリポツリと家が見え始め、それから家が増えていき、街並みが出来てきた。すると人が集まり出している。そろそろまずいかなと由香は車の中に視線を戻した。皆一様に車の後部座席を見ようとしている。
「大丈夫です、一応、後部座席のガラスは曇りガラスになっています。ただそれでも視線を合わせられる者もいますので、気を付けてください」
特別な力がある者以外は曇りガラスでこちら側は見えないと言うことか。そりゃ、駆け落ちした巫女の娘が後継者として帰ってきたとなれば、誰でも気になるよなーとチラチラと外を見ながら思った。人々は必死に車の中に視線を送っている。その視線に合わないように、出来るだけ建物の方に視線をやっていた。
気が気じゃないと思っているうちに、車は大きな門の前で停まった。御堂がクラクションを2回鳴らすと、大きな木の扉が開き、車は中に入っていった。中もまた建物が一杯あって、小さな1つの町のような感じである。ただ違うのは、人々が通る車に深々と頭を下げているということだけ。この中は大丈夫なんだとホッとした。
ひときわ大きい建物の前で、車は停まった。3人の女官が立っている。
「お帰りなさいませ」
3人合わせて、そう言った。由香は御堂の方に視線を移した。なんと答えればいいのやら。
「ただいまでいいのですよ、姫巫女様」
「ただいま」
「まずはおばあ様にお会いいただくのに着替えていただかなくてはなりませんね。皆さん、よろしくお願いしますよ」
御堂がそう言うと3人の女官は、「こちらにどうぞ」と促した。由香は言われるままに皆に着いていった。屋敷の廊下を歩き、渡り廊下を渡って、部屋に入ると衣装がかかっていて、「こちらに着換えていただきます」と女官の一人が言った。
白い着物に朱色の袴、足袋の履き方なんて分からないからそれも掃かせてもらう。それから髪をとかして、化粧をされた。言われるがままにしていると、目を開けた鏡に映る自分は別人になっていた。前髪に隠れてはいるが、額には3つの赤い印がされていた。
「姫巫女様のお印です」
「さあ、参りましょう」
「大巫女様がお待ちですよ」
また来た廊下を歩いていく。すると御堂が待っていた。
「お似合いですね。さすがに巫女様になるお方です。さあ。こちらですよ」
御堂が言って、「姫巫女様がお着きになりました」と障子の向こうに声をかける。しばらくすると、障子が開いて、その向こうにまた部屋があり、その奥にカーテンのかかった大きなベッドがあった。
手前の部屋に3人と一緒に座るとベッドの横にいた一人の年老いた女官が何か言われてこちらに来る。
「姫巫女様、こちらへどうぞ」
後ろに並んで座った三人を振り返ると、言われたようするようにと言っているように見えた。年老いた女官についてベッドの横に来る。
思っていた以上にほっそりした白髪のおばあ様だった。手を出されて、思わず両手で包んでしまったが、やつれた手は震えていた。
「帰ってきたのだな、姫巫女」
「はい、あの・・・」なんて呼べばいいのだ。分からない。
「婆で良い。お前の婆よ。長く会えなんだ。寂しい思いをしたぞ」
「すみません」
「お前が謝ることはない。帰ってきたのだからもうよい。お前に巫女を託す。わたしゃもう踊れんでな。そなたが継いでくれれば何の問題もない。これをお前に託す」
そう言って、年老いた女官に指示し、木箱を渡された。
「それは肌身離さずつけるように。これでそなたが次の巫女じゃ。精進して励むように」
「は、はい」
おばあ様は、その答えを聞いて、頷くように瞼を閉じ、それからはもう何も言わなかった。「こちらへ」女官に伴われて、3人の元に戻ると「お下がりなさい」と言われ、部屋を後にした。
簡単な謁見であった。それだけもう体が持たないということなのだろう。
「食事の時間までまだありますね」
「屋敷の中を案内いたしますね」
「それがいいですわ」
三人の女官は先ほどまでの緊張が解けたように笑顔になっていた。
「あの、皆さんのお名前は?」
由香は自分と大して年齢の違いがなさそうな三人の女官のことが気になった。
「あっ、そうですね。自己紹介もしておかないと。私は朝風。20歳です。姫巫女様付きの女官長です」
一番背の高い女官が優しい笑顔で答えた。
「私は真潮、19歳です。主にお着替えのお手伝いなどをさせていただきます」
「私は樹里、18歳です。主にお化粧のお手伝いをさせていただきます」
「三人とも姫巫女様のための教育を受けていますから、安心してくださいね」
朝風がにっこりとほほ笑んだ。
「先ほど大巫女様にお会いした棟が大巫女様のお住まいになります。大巫女様に呼ばれた時以外は入ってはなりません」
ひとつ渡り廊下を渡ると、
「ここからが姫巫女様のお屋敷になります」
そう言って、障子を開けると12畳くらいの広間だった。
「ここは人と会う時に使う応接間よ」
真潮が答えた。
「その奥に巫女様は座るのよ」
そう言ってもうひとつ障子を開けると、一段高くなっていて、御簾がかかり、中は見えないようになっていた。
色とりどりの布が下がっていて、どこかの宮廷貴族かなにかがいるような感じである。
「姫巫女様は、人と直接お会いすることはないわ。御簾越しにお話をするだけよ」
なんかとても仰々しい。
「あっ、それから姫巫女様にはお勉強の先生がつきますから、その時は、こちらの応接間を使っていただきます。お勉強のときは、先生と顔を会わせられますよ」
「あのー、巫女ってなにするんですか?」
もうド直球な質問をした。とにかく由香にとってはこの世界は訳の分からないものばかりなのだ。
「なにも知らされていないのですね」
朝風が困ったような顔を見せた。
「これは私たちが話すことではないから、あとで侍従長に話していただきましょう」
「そ、そうですね。お姉様」
「えっ、真潮さんは朝風さんの妹さんなんですか?」
「いえ、そうではありませんよ。序列でそうお呼びしているだけです」
「私たちは、猫又の高校で成績優秀だったので選ばれたんですよ。姫巫女様が帰られるということで、女官長が朝風お姉様、お着替え係が真潮お姉様、お化粧係が私、樹里、ね? 適任でしょ」
なるほど、そういうことかと由香は納得した。
「それからこの渡り廊下を渡ったら、姫巫女様のお住まいになります。ここからは誰も入れません。私たち三人はお支度のお手伝いなどさせていただきますので、入れますが、それ以外のものはどなたも入れません」
先ほど着替えをしたのは、そちらの棟だった。
「入ってすぐがお着替えのお部屋になります。その奥がお勉強などなさるお部屋で、その奥がご寝所です」
そう言われながら、障子を開けて進む。ご寝所と言われた左奥にも扉があった。
「あれは?」
今までと違って障子ではなく木の扉だった。
「湯殿とお不浄殿です」
湯殿はなんとなくお風呂と分かったが、お不浄殿とは?
「お姉さま、それでは姫巫女様にはわかりませんよ。お風呂場とおトイレですよ」
「あ、なるほど」
また理解の難しい言葉を使うものだと思った。
「夜着は湯殿の前の間にご用意してございます。脱いだ巫女服はその箱に入れてください。私たちが毎日変えますから。朝は私たちがお着替えをお手伝いします。食事もこちらにご用意いたします」
「基本、勉強の時間以外はこの屋敷の中だけになります。窮屈だけど、我慢してくださいよ」
樹里が少し可哀そうって顔をする。
「樹里、言い方に気をつけなさい」
「すみません」
朝風にたしなめられて、樹里はしゅんとする。
「それから大巫女様にお会いになったお屋敷の先には、大きな扉があります。そこから先には行けませんので、くれぐれもご注意ください」
「帝のお屋敷になるから、あちらはまったく別なのよ」
樹里が言って、帝とはっと思う。現代に、帝って。
「ここは二制なんですよ。もちろん村長もいます。けれど、帝もいるのです。帝のお言葉を聞いて村長は色んなことを決めています。その帝も巫女様の宣託によって政策をなさっておいでです」
「だからこの村で一番偉いのは姫巫女さまですよ」
「樹里、あなたはまたっ!」
「あっ、すみません」
朝風に叱られて、樹里は舌をぺろりと出した。
樹里が一番親近感があるかもしれない。朝風はやはりお姉さん的タイプだし、真潮はあまり口数は多くない。二人のやりとりを見て微笑んでいる感じである。
「さあさあ、そろそろ夕餉のお時間です。支度ができましたらお持ちしますので、姫巫女様は、お部屋でゆっくりしていてくださいませ」
そう言って、三人は下がって行った。
肩の力が抜けた由香は、とりあえずトイレでもと入ってみると、ちゃんと今式のトイレでウォシュレットもついている。ついでなのでお風呂場も覗いてみると、ヒノキのお風呂でシャワーがついていた。この辺は意外と今どきに出来ているのだなーと感心する。真新しい感じでもあるからもしかすると由香が来るということで新しくしたのかもしれない。
しばらく外を眺めていた。小さな池があり、松の木が植えられていて、その周りには名前も分からない花が咲いていた。
庭には松灯が灯されてゆらゆらと火が揺れている。竹で出来た柵が丁度渡り廊下の中ほどにある。これでそれぞれの庭が仕切られているのだ。情緒があるといえばそうなのだろう。けれど少し淋しさがあった。
『ママは今頃どうしているだろう。本当にもう会えないのだろうか』
そう思うと視線は自然と下を向いてしまう。母一人子一人で励ましあい今まで生きてきたのである。それがこんな形で別れ別れになっていいんだろうか。しんと静まり返った中に松明のはじける音だけが聞こえていた。
しかし物思いにふけっている間はそんなになかった。間もなくして、朝風が夕食を運んできた。お膳に乗ったお料理はまあまあ今どきのものである。
「姫巫女様、お嫌いなものはありますか?」
座布団を置いて、お膳の前に座るように促されて、座ると聞かれた。
「好き嫌いはありません」
「そうでか。それは良かったですわ。健康のことも考えて、料理長が作っていますので、残さず食べてくださいね」
「はい」
お昼は車の中でおにぎりひとつしか食べていなかったので、お腹は空いていた。お膳に乗っていたものは、全て美味しく食べられた。お腹は一杯である。
「一休みしてから、お風呂のご用意に参りますので、またゆっくりなさっていてくださいね」
そう言って、朝風はお膳を下げて行った。
今まで料理は早く帰れた方が作っていた。ママも仕事で遅くなる時は、由香が作ることもあった。それが普通で何一つ疑問には思わなかったが、ここではなにも作る必要がないのだ。楽だけれど、寂しい。
そして一時が過ぎると今度は、真潮がやってきた。
「湯殿の用意をいたしますね」
そう言って奥の部屋の扉の中に消えて行った。
間もなくして真潮が戻ってきて、用意が出来たので暖かいうちに入ってくださいと言う。
随分早いなと思った。
「私には湯を沸かす力があります。水を張ったらすぐに湯に出来ます。シャワーはそのままお使いになれますから」
なんとそんな力もあるのかと驚いた。
お風呂にゆったり浸かると薬草のいい香りがした。小さな袋に入った薬草は、リラックス効果があるのか、ふわふわと気持ちがよくなる。眠ってしまいそうになり、慌てて出た。木製の箱に夜着が用意されていた。それに着替えて、脱いだ巫女服は綺麗に畳んでその箱の中に入れた。
温まった体を冷まそうとまた外を眺めながら座っていると、今度は樹里がやってきた。
「お床はこちらに用意しましたので、ゆっくり休んでくださいね。他になにかございますか?」
「ううん、もういいです」
「では、巫女服をいただいていきますね」
そういうと木箱が浮かんできて、樹里の手に乗った。さすがにこれには驚いた。目を丸くしている由香に樹里はおもしろそうに言った。
「皆、それぞれ力があって、私はこれ。木を操ることが出来るんですよ。木製のものなら大抵動かせます」
「朝風さんは、どんな力を持っているんですか?」
「そうですねー、お姉様は、色々ありますけど、透視とか、他にもできることありますけど」
「透視って、遠くのものが見えるとか?」
「遠くというか、壁の向こうというか、まあ普通は見えないものを見ることができます」
「じゃ、もしかして今も私を見て監視しているかもしれないってこと?」
「そんなことはしません。そんなことをしなくてもこの宮から出ることは、そんな簡単ではありませんよ」
「そ、そうなの・・・」
「逃げ出そうと思っても無理ですからね」
樹里はウィンクしてそう言った。
「しませんよ」
「それじゃ、おやすみなさいませ」
そう言って、樹里は出て行った。
それぞれがそれぞれ得意な力を持っていて、使っているんだ。私は巫女として祭り上げられたけど、一体どうすればいいんだろう。たいした力もないって知られたら、どうなるんだろう。私の先が見える力なんて偶然に近いようなものだもん。どうしよう。
そんなことを考えて、布団に入ってもなかなか寝付けなかったが、夜が更け、松明の灯りが消えるころには眠りについた。