狂億年十戒
山田は生涯孤独であった。
狂億年十戒に縛られた彼は、そういう運命であった。山田は生まれた時から狂億年十戒によって殺されたも同然の暮らしを強制されていた。
苛まされては殺されもしない醒めない悪夢に、どれほど山田は苦しんだのだろうか。
狂信的になり、狂者となり、だがそれでも死にはしない。
地底のマグマか天国のイカリかのどちらかにしがみついたり溶けたりすることでようやく楽になると、山田にはそれ以外には方法がなかったのだ。
狂億年十戒とは、生という縛りだ。
孤独でなければならないし、誰かと出会ってもならない。他の人を信じてはならないし、他の人を裏切ってはならない。誰かを殺してはならないし、殺されてはならない。誰かを狂わせてはならないし、自分を飲み込もうとする恐怖には、抗って生きなければならない。
狂うというならばそれは、自分でなければならない。
そして最後に、幸せになってはならないという縛りで終わる。
生きるとは縛りなのだ。山田はもう生まれた時から幸せではなかったし、それは死ぬ時までも同じだった。
生とは、生きるとは、考えて考えて狂っていく。
何億年と続くような感覚に襲われて、自分が壊されていこうとも、しがみつく当てもない。だからただ生きる。
山田の孤独な生涯がようやく終わった時、狂億年十戒も役目を閉じる。生が死に変わった時に、十戒は解けて消える。何もなかったように、泡沫ほどの小さいモノになって、消える。
生とは縛りだ。一生の縛りなのだ。
幸せになろうとしても幸せにはなれない。罪を犯そうとしても罪は犯すことが出来ない。誰かに助けてもらおうと、しがみつこうとしても、人は最後の最後まで助けてくれようとするような導きであるとは限らないのだ。
そんなものだ。狂億年十戒なぞは最初から存在してなどいないが、強いていうならば、それは人生。そして、自分自身であるということのみである。