凱旋
純平が梓に対する本音を他人に打ち明けたのは、大学受験が終わり、征司が家に訪ねて来たとき以来のことだった。
しかも、よりにもよってまた梓の身内だ。
「花純先生は、飯倉真純のコンサートには行かれないんですか?」
2時間ほど食事をして店を出た後、純平は花純に聞く。
「あー・・・、お姉ちゃんからは誘われたんだけど、その日は教室を休めなくてさ。ぐちぐち文句言われたけど、こればっかりはしょうがないよねぇ・・・こっちだって生活かかってるんだからさ」
「ははっ・・・」
純平はこの姉妹が揃ったらどんなことになるんだろうと、怖いもの見たさで興味が湧いたが、もしそこに巻き込まれたら無事では済まないという危機感がすぐに芽生えたため、これで良かったんだと自分に言い聞かせた。
「せっかくお義兄さんからチケットを譲って貰ったんだから、楽しんでおいで。そうそう、私の代わりにお姉ちゃんに挨拶してきてよ」
「えぇ⁉ 俺一人でですか⁉」
「なんでよ、会ったことあるでしょ? それにどうせ、ライナーさんが絶対席に来るだろうし、会っておいでよ」
「いやぁ・・・」
渋る純平に花純は最後にひと押しする。
「それに梓がいま、どこで、何をしているか聞けるかもしれないよ?」
「うっ・・・・・・はい、わかりました・・・・・・」
純平は正直、一人で真純に会うことに不安を感じていたが、征司からとはいえチケットを貰ったため、そのお礼も兼ねて楽屋挨拶に行くことにした。
そして迎えた週末。純平はこの日、午前中のレッスンを終わらせると、午後のレッスンは全て休講としていた。
午前中最後のレッスンが終わったあと、一旦自宅に戻り、着替えを済ませコンサートホールへと向かう。
会場となるホールには、飯倉真純が12年ぶりに日本での凱旋コンサートを開催するとあって、多くのクラシックファンが詰めかけているせいか、12月下旬というのに異様な熱気に包まれており、ここだけ熱く感じた。
ホールの入り口には入場を待つ人の波が出来ており、そこに並ぼうとする。しかし、正面入り口の左側には別の入り口が用意されており、そこには『招待者受付』と書かれていた。
(あれ・・・? そういえば、今日のチケットに・・・)
純平はふと思い出し、自分のチケットを確認する。するとそこには、invitationと英語の赤文字で表記されていた。
前回はそんなことなかったのだが、システムが変わったらしく、恐る恐るその入口へと向かう。
「あの・・・このチケットはこちらでよかったですか?」
純平が受付にチケットを差し出すと、それを受け取ったスタッフがなにやら名簿らしきものを調べている。
「夏見純平様ですね」
「はい、そうです」
「お待ちしておりました。係りの者が案内に参りますので、しばらくお待ちください」
「ありがとうございます」
無事ホールの中に入れた純平は、入ってすぐのところで待つことにする。
すると、遠くの方から見覚えのある、長身の金髪の男性がやってきた。
「ジュンペイ!」
「あ・・・ライナーさん」
約12年ぶりに会ったライナーは、少し渋さが増したものの相変わらずイケメンで若々しかった。純平の前に来ると、ライナーはすかさず右手を出して握手を求めてきたので、純平もそれに応える。
「ジュンペイ! 久しぶりだね!」
「ライナーさんもお元気そうで」
「ハッハッハッ! 僕は毎日マスミからたくさん刺激をもらっているからね! ジュンペイはバイオリン今でもやってる?」
ライナーはそう言って、バイオリンを弾くジェスチャーをする。
「はい。真純さんの妹の花純先生からバイオリン教室をひとつ任されていて、そこで講師をしています。あと、フリーランスでもちょこちょこと」
「そう、ジュンペイも頑張っているんだね。よかった。終わったらマスミのところにおいで。きっとマスミも喜ぶよ」
「ぜひ、ご挨拶に伺おうと思っていたんです。チケットのお礼もしたかったですし」
「OK! それじゃあ、コンサートが終わったら僕がまた案内するから、ジュンペイは席で待ってて」
「わかりました。よろしくお願いします」
「それじゃあ、コンサート楽しんでね!」
ライナーはそう言うと、手を振りまた別の場所へと行ってしまった。
開演時間が迫り、指定された席に座りその時を待つ。
純平だけでなく観客全員が、期待を胸に今か今かと待ち望んでいると、開演前のブザーが鳴り響く。アナウンスが流れ照明が落とされると、観客のボルテージは一気に高まった。
薄暗いステージにはグランドピアノが1台と、ステージの真ん中には、ワインレッドのベアトップドレスを身に纏い、スポットライトに照らされバイオリンを弾く飯倉真純の姿があった。
オープニングはジュール・マスネ作曲「タイスの瞑想曲」で静かに始まった。
飯倉真純の奏でる美しい旋律と、静かで瞑想的な音楽が心に響いてくる。
その音を聴いた瞬間、純平は鳥肌が止まらなかった。それどころか、心を鷲掴みにされて離さない。そんな感覚に陥った。
まだ始まって3分しか経っていないのに、純平の目には涙が浮かぶ。
純平には、ステージで演奏する飯倉真純に、梓の姿が重なって見えていた。
これまでどんなに可愛い子が寄ってきても、どんなにバイオリンが上手い子がいても、純平の心を掴んで離さないのは、飯倉真純の娘・梓だけだった。
それからもどんどんプログラムは進行していく。
ソロだけではなく、バイオリン2本・ヴィオラ・チェロの弦楽四重奏を演奏したり、オペラ歌手をゲストに迎え共演したりと、様々な角度から観客を魅了していく飯倉真澄は、やはり天才と言わざるをえなかった。
飯倉真純ほど、人を惹きつけ魅了するバイオリニストを純平は知らない。
それと同時に、梓がもし世界で活動するようになったら、飯倉真純のようになるかもしれない。そうなるともう二度と、自分と会うことはなくなるだろう。
純平は今日のコンサートを見て、まざまざと感じさせられた。
2時間のコンサートはあっという間に終わり、今はアンコールで再びステージに飯倉真純が登場してきた。
そしてアンコールで演奏したのは、純平もよく知る「チャルダッシュ」だった。
往年のクラシックファンは、その出だしでどんな曲かわかるので、すでに観客は大盛り上がりだ。そしてチャルダッシュの一番の見せ場である、超絶技巧の部分になると、バイオリンもピアノも観客も一体となり、大きな拍手と歓声に包まれてコンサートは終わりを告げた。
「ジュンペイ! お待たせしたね、行こうか」
コンサート終了後、約束通りライナーが純平の元へやってきた。
ライナーに連れられて、関係者専用の出入り口から入り、楽屋へと向かう。
「ジュンペイ、ちょっとここで待ってて」
「あ・・・はい」
ライナーは純平にそう言うと、ドアをコンコンとノックして一人で先に入ってしまう。しかしその直後、すぐに呼ばれ、ドアを開けて中に入る。
「失礼します・・・・・・」
ゆっくり部屋に入った純平の目の前には、先ほどまでステージの上でチャルダッシュを演奏していた飯倉真純が優雅にソファーに座っていた。
「Oh・・・あなた、あの純平くん?」
「え・・・あの、はい。お久しぶりです。夏見純平です。12年前のコンサートでもご挨拶した・・・・・・」
そこまで言うと、真純はまた以前のように純平に抱きついてきた。前回会った時も同じようなことをされたとはいえ、だいぶ忘れかけていたので、純平はやっぱり驚いてしまう。
「きゃーっ! 久しぶりっ純平!」
「マスミ! ジュンペイがびっくりしているよ!」
「だってしょうがないじゃないっ、ライナー! まさか純平がこんないい男になっているなんて!」
「いい男ならここにいるじゃないかっ!」
「あらヤダ、嫉妬?」
「当たり前だよ。僕にはマスミだけなんだから・・・」
「ライナー・・・・・・」
「あっ、あのっ! 真純さん、とりあえず離してください」
「まあ、ごめんなさい」
真純は純平に抱きつきながら、ライナーとも見つめ合うというとんでもない荒技を出してきたので、とりあえず純平は真純に離れてもらい、漸く一息つく。
12年ぶりに会った飯倉真純は、いろんな意味で益々パワーアップしていた。




