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これはたぶん、ふつうの恋の話。  作者: AYANO


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「もう、すっかり寒くなりましたねぇー」

「そうですね。町田さんは、九州のご出身でしたっけ?」

「そうですよ。でもね先生、どこ行ったって寒いもんは寒いんですよ」

「ははっ、これは失礼しました」


 音大について聞いてきた小林くんのおかげで、すっかり回想モードだった純平だが、気が付けばこの日のレッスンはすべて終了し、事務のパートの町田さんは後片付けと戸締りをしながら教室内を回っていた。


 今日は日曜日なので、明日も午前中から普通にレッスンがある。そのため純平も、今日の仕事をさっさと終わらせるべく帰宅の準備をしていた。


 音大入学後はとにかく日々、勉強とバイオリン漬けの毎日だった。それに加えて苦手な副科ピアノが必修だったり、英語だけではなく、ドイツ語やフランス語の授業など、高校生までとはまるで違う生活になり、最初の1年は気がつくと、あっという間に過ぎていった。


 親の仕送りもあったが、純平はそれだけに頼らないようにするため、居酒屋でアルバイトを始めた。

 居酒屋といっても、高級志向の落ち着いた居酒屋で、雰囲気的に純平に合っていた。そして一番の決め手は、まかないがあることだった。


 純平の大学時代の食生活を支えたのは、この居酒屋のまかないであるといっても過言ではない。

 そのおかげで純平は、この居酒屋で卒業までアルバイトを続け、いまでは行きつけの店になっている。


 大学時代の純平の恋愛は、それはそれはしょっぱいものだった。

 告白されて付き合って1週間で別れた子は手も繋がずに終わり、1か月も持たなかった子は、いつまで経っても何もしてこない純平に、業を煮やした彼女がかなり強引にキスをしてきて、それが理由で別れてしまった。


 結局純平は梓を吹っ切ることが出来ないまま、大学を卒業した。

 音大卒業後は、先輩の紹介で音楽事務所に運よく入所することになり、アーティストのレコーディングやツアーのストリングスに参加するなどしていたが、それでも不安定なことに変わりはなく、地に足つけて仕事をしたいと考えていた時に、花純からバイオリン教室を任されて今に至る。


 町田が寒い寒いと言いながら戻ってくると、受付の下に置いていたカバンを取り、


「それじゃあ夏見先生、お先に失礼します」


 手短に挨拶してそのまま教室を出ていく。

 そのあまりの素早さに、純平は「お疲れさま」を言いそびれてしまった。

 高校1年生と中学2年生の息子の母でもある町田は、パワフルな肝っ玉母ちゃんでもあった。


 カレンダーは12月に変わっていて、クリスマスの直前に飯倉真純のコンサートがある。

 征司は、梓が母親である飯倉真純の元にいると言っていたが、あれからもう10年になる。10年もあれば環境も人間関係も全て変わっていくものだ。今も一緒にいるとは限らないし、場合によっては梓に恋人や結婚相手がいてもおかしくない。

 

 二人が離れてから、それだけの年数が経過していた。


 純平がいつものコンビニで買い物を済ませ、マンションへ向かっていると、スマホの着信音が鳴った。また泉水か? と思いながら画面を見ると、そこに表示されていたのは花純の名前だった。


「花純先生、お待たせしました」

「おっ、純平。お疲れ」


 花純から電話を貰った翌日の月曜日。

 純平は仕事終わりに、大学時代にアルバイトしていた居酒屋で花純と待ち合わせをしていた。


 黒で統一された店内は高級感があり、照明もほのかに明るいくらいでとても落ち着ける。4人掛けのテーブルが6席あるなか、8席ほどのカウンターに花純が座っており、くびれのあるビールグラスで美味しそうにビールを飲んでいた。


 純平は花純の隣に座ると、カウンターの中にいる大将に注文をする。


「大将、お久しぶりです。ビール、お願いします」

「おっ、純平。今日はデートか?」

「ははっ、そうだと良かったんですが、残念ながら違いますよ。この方は僕の師匠なんです」

「どうもー。いつも弟子がお世話になってます」


 純平が大将に花純のことを「師匠」と紹介したことに花純も合わせてくれた。


「なんだよ、純平。相変わらずしょっぺえなぁ」

「いいじゃないですか」

「よかねえよ。お前、いい男なのにもったいねえぞ。若い時に遊ばねえでどうすんだ。結婚したら遊べねえぞ。なあ、お師匠さん」

「そうですねー。私もこの子のことを小学生の時から見ているんですが、なんとも不器用というか、鈍感というか・・・・・・」

「もう、二人ともいいじゃないですかっ。はい、花純先生乾杯しましょ」


 純平は強引に花純と大将の話を終わらせ、ビールグラスを合わせる。


 苦い炭酸が喉を刺激する。初めて飲んだ時は、こんな苦いもの飲めるかと思っていたのに、今はこの苦さを美味しいと感じる。純平は自分も年を重ねたんだなあと実感していた。


「ところで、どうしたんですか? 定期で来るのは来週だったと思うんですが」


 花純は月に1回、純平が管理するバイオリン教室に来て、特別レッスンをしたり、問題がないか確認をしていた。それ以外で東京に来るのはあまりない。

 その花純に上京してきた理由を尋ねると、少し言い淀んだ後口を開いた。


「もう10年経ったし、そろそろ純平の気持ちを聞いておこうと思ってね」

「俺の・・・気持ちですか・・・?」

「そう・・・・・・純平、まだ梓のことは好き?」


 花純は単刀直入に純平に聞いてきた。その言葉に純平はすぐに返事が出来ない。それに構わず花純は話を続ける。


「純平と梓が付き合っていたのはお義兄さんから聞いていたし、あの頃二人がお互いに好きだったのは誰の目から見ても明らかだったよ。おかげで、どんだけやきもきしたことか」

「そう・・・ですか・・・・・・」

「だけど、梓がいなくなって、二人とも離れ離れになって・・・。それから純平は全然女っ気がないし、どうしたもんかなってさ。これでも弟子のことを心配しているんだよ?」


 そう言ってニコッと笑った。

 純平は花純のこの笑顔に弱い。この笑顔を見せられると、どうしても逆らえず、素直に胸の内をさらけ出してしまう。だからいつまで経っても、花純には頭が上がらないのだ。


「わかった、ちょっと質問を変える。純平、今でも梓に会いたい? それとも会いたくない?」


 花純にそう問われて、純平は少し悩んで答えた。


「俺は・・・・・・梓に会いたいです。とにかく会って話がしたい。手紙だけ残した梓にさよならも言われず、それどころか、手紙には大好きって書かれてて・・・それを見て残された俺の気持ちをぶつけたい・・・です」

「・・・・・・そう」

「花純先生、俺、ここ最近ずっと、梓とのことを思い出していたんです。高校1年の時に会ってから、梓がいなくなった日までのことを。梓のことが好きなのに、なかなか言えずにいたこととか、お互いに好きだってわかった時の気持ちとか、梓がいなくなった時の絶望感とか・・・・・・それを思い出すと、今でも胸の奥が痛くなるんです」


 そこまで言うと純平は、ゴクっとビールを飲む。そして再び話を続けた。


「大学2、3年の頃に彼女が出来たんですが、すぐ別れました。そのあとに付き合った子とも上手くいかなくて、1か月くらいで別れて・・・今の教室を始める前に付き合っていた子は、3か月くらいしか続かなかった。それで思ったんです。梓への思いを断ち切れていないのに、他の子と付き合うなんて無理だって。3人には本当に悪いことをしたと思っているんです。それくらい俺はまだ、梓に未練タラタラなんです。情けない話ですが・・・・・・」


 自分の気持ちを自分で口に出したことでみじめな気持ちになり、純平は思わず顔を俯けてしまった。

 すると、その頭を花純が子供をあやすように撫でてきた。


「わかった。純平は今でも梓のことが好きで、苦しんでいるんだね」


 口で慰めながら、花純は純平の頭をずっと撫で続ける。

 純平はそれを振り払うことも出来ず、素直に受け入れていた。


「花純先生、俺もうだいぶいい大人なんですが・・・」

「そうだね。でも、私と純平の差はずっと変わらないよ。私にとって純平は、いつまでも可愛い弟子だからね」

 

 それからもしばらく、純平は師匠からの頭なでなでを受け続け、大将からは可哀想な奴・・・という目で見られていた。

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