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これはたぶん、ふつうの恋の話。  作者: AYANO


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喪失

 試験があった2日間はこの冬一番の冷え込みとなり、東京でも雪がちらついていた。

 そのため、実技試験や副科ピアノの試験の際には、指先がかじかんでしまわないように、常にカイロを手に指先を暖める。


 こんな時に思い出すのは、梓の手の温もりだ。

 カイロではなく梓の手で温めて欲しい、試験中にもかかわらず、純平はそんなことを考えてしまう。


 そんな梓とは、受験番号が離れていたため、実技試験の会場で顔を合わすことがなかった。


 そして2日間の試験を無事に終えた純平は、コンビニで適当に買い物を済ませ、ホテルへと戻る。


 部屋に入り買ってきたものをテーブルに置くと、両足を床につけたままベッドに仰向けになって寝転んだ。

 やっと終わった安心感と、合格できるかという不安感、これまでやり切った疲労感。いろんな感情が純平を包み、今日はもう何も考えたくなかった。


 梓はどうだっただろうか・・・と一瞬頭に過ったが、もともと今日まではお互い連絡を取らない約束だったし、梓も自分と同じように疲れ果てているだろうから、今日は休ませてあげようと思い、連絡するのはやめておいた。


 明日、東京駅で待ち合わせをしているから、会った時にたくさん話そう、純平は自分でそう結論付けて、シャワーに入りご飯を食べた後、その日は早めに就寝した。


 翌朝、チェックアウトのためにスーツケースをゴロゴロと引きながら、フロントにカードキーを渡す。


「少々お待ちください」


 フロントスタッフはカードキーを受け取り、手元のパソコンでカチャカチャと操作する。それから一度裏へ行き、何かを手にして戻ってきた。


「夏見様、チェックアウトのご精算は以上ですが、お預かり物が1点ございます」

「預かり物?」


 フロントのスタッフは純平の目の前に、1通の手紙を置く。

 その封筒は真っ白な封筒で、ハガキを横にした洋2サイズの封筒だ。

 その表には「夏見純平様」と、キレイな文字でしっかりと純平の名前が書かれていた。


 純平はその封筒を受け取り裏に返すと、そこには「遠山梓」と名前が書いていた。


 フロントスタッフから手紙を受け取った純平は、そのままロビーのソファに座り手紙を読むことにする。

 いま、お互いスマホを持っているのに、なんでわざわざ手紙なんだろう? と純平は不思議に思いながらも、封筒の中から四つ折りになっている便箋を取り出しそれを開く。


『純平くんへ


 突然こんな手紙を書いて驚かせてしまって、ごめんなさい。

 ただ、純平くんに直接言う勇気がなかったので、手紙を書くことにしました。


 私は今回、音大を受験しませんでした。

 最初はもちろん、純平くんと一緒に音大へ行くつもりだった。だから、勉強も一緒に頑張ったし、苦手なことにも取り組んだ。


 そして純平くんはいつも、私を守ると言ってくれたよね。私はそれが嬉しかったのと同時に、いつの間にか純平くんに甘えてしまっていることに気が付いたの。


 そんな私でも純平くんはいつも手を差し伸べてくれた。悩んだり、困ったことがあれば頼って欲しいとも。

 その言葉は本当に嬉しかったし、私も純平くんのそばにずっといたいと思った。


 でも、私は目の難病を抱えていて、ただでさえ純平くんの負担になっているのにそれでいいのかとずっと悩んでいた。

 いつ見えなくなるかわからない恐怖でいっぱいだった。


 純平くん、私は守られるだけではなく、純平くんと一緒に支え合っていきたい。だけど、今の私では到底無理なの。

 こんな弱い私では、純平くんと一緒に支え合うことなんて出来ない。

 そして、純平くんの負担になることが、私にはとても苦しい。


 だから私は、強くなるために純平くんの元を離れようと思ったの。

 勝手なことをした私を、純平くんは怒って当然だし、許さないと思う。

 もう二度と顔も見たくないと思う。だから、待ってて欲しいとは言わない。


 これから純平くんに、他に恋人が出来ても、結婚して家庭を持っても、それは私がそうさせたことだから恨んだりしない。

 

 ただ一つ約束してほしいのは、趣味の範囲でもいいからバイオリンは続けて欲しいの。純平くんの音は、純平くんにしか出せない音だから。


 私もどういう形ででもバイオリンは続ける。たとえ目が見えなくなっても。

 約束を破った私との約束なんて、と思うかもしれないけれど、私は一方的にでも約束を守るわ。


 純平くんがこの手紙を読む頃には私は日本にいないけど、ずっと純平くんのことを応援しているよ。

 

 純平くん、今まで本当にありがとう。そして、今でも本当に大好き。

 そして、ごめんなさい。


                       遠山 梓』



 純平はその手紙を何度も何度も読み返した。

 何度読み返しても、その手紙には別れの言葉は一切なく、ただただ、純平のことを思う事しか書かれていない。


 だけど梓はもういない。東京どころか、この日本からいなくなってしまった。


 純平の目から涙が溢れて止まらない。男なのにとか、高校3年なのにとか、そういう考えは全くなかった。

 ただ、梓が自分の目の前からいなくなった現実を受け入れられず、どうやって歩けばいいのか、どうやって息を吸えばいいのかわからないくらいに混乱していた。


「お客様・・・・・・大丈夫ですか?」


 男が一人で号泣しているのを見かけ、ホテルのスタッフがポケットティッシュを差し出し、心配して声を掛けてきた。


 純平は鼻を啜りながらそれを受け取り、


「・・・・・・すみません、大丈夫です・・・・・・」


 と一言だけ言い、とりあえず迷惑になるからと思いホテルから出る。


 外の冷たい空気に触れ、涙で濡れた頬が乾いていく。

 純平はスマホを取り出し、発信履歴の一番上にある梓のスマホに電話を掛ける。しかし、少しの間をあけ聞こえてきたのは、


「お掛けになった電話番号は現在使われておりません。番号をお確かめになってもう一度お掛け直しください」


 そんな感情も何もない機械音声だった。


 思い返せば、試験前日に突然ホテルを訪ねてきた梓は、少し様子がおかしかった。

 純平は、受験前の不安から来るものかと思っていたが、手紙を読んでそうではないことが分かる。


 梓はあの日、純平に最後の別れを言いに来たのだ。それを知らなかった自分が情けなくて、みじめで、できることなら3日前のあの日に戻りたい。ホテルの廊下を歩いていく梓の後ろ姿を追いかけたい。


 あの時は確かに自分の腕の中にいて、きつく抱き合って、キスをして、試験前で不安だったけど幸せだった。


 でも、その梓はもういない。


「ははっ・・・・・・そっか俺・・・フラれたんだな・・・・・・」


 純平は曇天の東京の空を見上げ、ひとり言ちる。

 一度止まったはずの涙は、再び容赦なく溢れ、純平の頬を絶え間なく濡らし続けた。



 それからどうやって帰ったのか、自分でもよく覚えていない。

 ただ、自宅に帰った純平の顔を見ても、両親は何も言わなかった。


 そして純平も両親には何も言わずに、それからずっと部屋に引きこもった。

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