決断
コンクール終了後、昨夜と同じように皆で食事に出掛ける事になった。アンサンブル部門1位のお祝いを兼ねての食事会だ。
ただ、花純は今日帰る予定になっていたので、そのままホールで別れることになっている。本人は残りたそうにしていたが、翌日は午前中からレッスンがあるため、泣く泣く別れを告げてタクシーに乗り、行ってしまった。
姉の杏子も、明日はバイトが早いと言って、早々に切り上げて帰って行く。
そしてお互いの想いを伝えあった純平と梓は、とりあえず家族には付き合っていることを秘密にすることにした。
征司には、もし二人が付き合うことになったら報告するように言われていたが、今さら付き合っていますっていうのも恥ずかしかったし、コンクールが終わったので、今後は本格的に音大の受験勉強に専念したかったからだ。
要するに、茶化されたくなかったというのが本音であった。
食事が終わった後、純平と房恵はホテルへ。梓は征司と加夜子とともに、自由が丘の喜代の家で今日は宿泊する予定となっている。
純平はもう少し梓と一緒にいたかったが、家族がいる手前グッと我慢した。その代わり明日、純平と房恵は帰る前に喜代の家に挨拶に行くことにした。それは房恵たっての希望だったからだ。
翌日午前。征司がホテルまで二人を迎えに来てくれた。
「遠山先生、わざわざお車ですみません」
「いえいえ、姉が実家の近くに住んでいるから、その車を借りてきたんですよ」
そんな他愛もない話をしながら、純平は約1年半ぶりに喜代の家にやってきた。
「まあ、まあ、いらっしゃい」
「初めまして、夏見純平の母の房恵でございます。その節は息子が大変お世話になりました」
「お久しぶりです、喜代さん」
純平が「喜代さん」と呼んだことに、房恵はぎょっとする。
「ち、ちょっとっ! 純平っ。失礼でしょっ」
房恵が焦って純平を窘めようとしているのを見て、喜代はコロコロと笑っていた。
「いいんですよ。私がそう呼んでほしいって、お願いしたんですから」
「え・・・? あ、そうなんですか・・・?」
「ええ。それにこんな“いけめん”に名前で呼ばれると、嬉しいですしね」
ウフフと嬉しそうに話す母(前期高齢者)を見て、征司はハァとため息を吐く。
それから征司の父のお仏壇にお線香をあげ、挨拶を済ませると、通されたリビングでは梓と加夜子が待っていた。
「おはよう梓。・・・おはようございます加夜子さん」
「おはよ純平くん」
純平は二人に挨拶をすると、迷いなく梓の隣に座る。
昨日からフワフワと浮足立っていて、純平は落ち着きがない。その様子を見た梓は、そんなんじゃすぐバレそうだと思っていた。
みんなでリビングに集合すると、この2日間のコンクールのことや、これからの受験のことなどを話す。すると、喜代がポツリと呟いた。
「お父さんも梓のバイオリンが好きだったから、天国で喜んでいるでしょうね・・・」
「うん・・・・・・お祖父ちゃんにも聴かせたかった」
祖父の話でその場はしんみりしてしまう。
その空気のまま、征司が祖父の話を語り始めた。
「父は開業医でね。本当は僕に継いで欲しかったんだよ。だけど僕は医者の仕事は出来ても病院の経営には全く興味がなくて、ずっと勤務医でいいと思っていたんだ。それともう一つ。梓の病気のためにも勤務医のままでいたかった。勤務医だと情報が集めやすいし、その病気に詳しい医者や知り合いと繋がりを持てば紹介してくれたりっていうメリットがあったからね。結局、父の病院は姉の旦那・・・つまり義兄が引き継いだんだ」
征司は梓のために本当に駆け回っていたんだと純平は思った。梓が征司の再婚にショックを受けて泣きじゃくった時、あの時梓に言った純平の言葉は間違っていなかったと改めて思った。
「父は大腸癌だったんだけど、発見された時はすでにステージ3でね、すぐに化学療法が必要な状態だった。でも父はその治療を拒否したんだ。自分を待っている患者さんがいるのに、化学療法で弱ってなどいられないと言って。それはもう、家族みんなで、父の友人でもある主治医の先生も巻き込んで説得したけど、頑として譲らなかった。それから1年程で父は亡くなったよ。最後まで医者として、自分の意思を全うしたんだ」
征司の話を聞いて、喜代は静かに泣いていた。
房恵と加夜子は、町立病院の外来の看護師として勤務している。なので、征司の父の決断がいかに重いことかを理解していた。
「父の決断は、それはそれで素晴らしいと思う。だけど僕は、父に治療を受けてもらって、最後まで生き抜いて欲しかった。だから父にできなかった分、梓の病気を治してやりたいと、それまで以上に思うようになったんだ。そんな中で知り合ったのが、夏見先生だよ」
「え・・・うちの、父・・・ですか?」
純平が征司に尋ねると、征司は深く頷き肯定する。
純平の父・康平は、町立病院で眼科医として勤務している。
「そう。夏見先生の論文は以前から読んでいて、ぜひ話が聞きたいと思っていたんだ。でも、誰に聞いても、どこを探しても、行方が分からなくて・・・そんな時、ある学会で知り合った人がたまたまうちの町立病院の先生で、そこに夏見先生がいるのが分かって、すぐアポを取って会いに行ったんだ。夏見先生は僕の話を親身に聞いてくれてね、それだけで僕は救われたんだ。それまではまともに話を聞いてくれる先生がいなかったから、余計にね。治療方法は依然として変わらないけど、自分も協力するって言ってくれたことが嬉しくて・・・だからあの町に移ることを決心したんだ」
征司が東京を離れて、何もない海に囲まれた港町の病院に転勤し、引っ越してきた理由を初めて聞かされた純平は、しばらく言葉が出てこなかった。
「幸いなことに近くには花純がいたし、梓のバイオリンもそこで続けられるっていうのも大きかったかな。そして何よりも良かったのは純平くん、君に出会えたことだよ」
征司は柔らかな笑みを浮かべて、純平を見ていた。
「あ・・・いや、俺は・・・なにも・・・」
「話は聞いているよ。梓の友達が増えたのは、純平くんのおかげだって。まあ、去年はそれで大変な思いをしたけど、それでも梓がこうして元気に学校に行っているのは、純平くんやその周りの友達が支えてくれたからだろう?」
征司に問われて、思わず純平と梓は二人で顔を合わせる。
去年、筒居が梓にしたことは今でも許せないし、梓の心の傷も完全に癒えたかどうかわからない。
クラスメイトたちも、何があったか凡そのことは理解しているが、誰もその話に触れることなく過ごしているのは、本当にありがたかった。
今回のコンクールでいい成績を残せたのは、江口や岸本だけではなく、クラスメイトたち全員のサポートがあったおかげと言っても過言ではなかった。
「純平くんが梓をお嫁さんにしてくれたら、嬉しいんだけどねぇ・・・」
突然二人の様子を見ていた喜代が、右頬に手を添えながらため息交じりに言ってきた。
「ち、ちょっとっ、お祖母ちゃん⁉」
「喜代さんっ」
純平も梓も、昨日から正式にお付き合いを始めたばかりでそんなことを言われるとは思わず、焦ってアタフタしてしまった。
しかし、おもしろがってそれに便乗する親たちが、さらに二人を揶揄ってくる。
「梓ちゃんが純平のお嫁さんになるなら、大歓迎よー」
「そうだな。二人ともお似合いだし。それとも、もう付き合っているとか?」
「征司さん、揶揄い過ぎですよ。でも、私もそうなってくれたらいいのにって、思っているけどね」
そんなことを言われて散々揶揄われたため、純平も梓も余計に交際していることを言いづらくなってしまう。
これに関しては、悪ノリした大人に大いに問題があった。




