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これはたぶん、ふつうの恋の話。  作者: AYANO


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進路

「夏見先生、質問いいですか?」


 高校1年生の小林くんのレッスンが終わると、唐突に声を掛けられた。


「ん? どうした?」

「先生は音大出身ですよね? それをいつ、どのタイミングで決めたんですか?」

「うーーん・・・そうだなぁ・・・」


 純平が音大進学を決めたのは高校に入ってからだ。正確にいつだったか、というのは曖昧過ぎて覚えてないが、中学の時、父親に医学部は自分には無理だと言い、それから高校に入学した後、音大には行ってみたいなぁと思ったことは覚えている。


「はっきりとは覚えていないけど、高校に入ってすぐくらいの時に花純先生に音大に行きたいって言ったら、いろいろ教えてくれて。その頃から試験のためのレッスンや勉強を始めていたよ。ただし、副科のピアノは高校2年の途中から始めたから、もうちょっと早く始めればよかったって後悔したな・・・」

「そうなんですね・・・先生、もし、音大を目指すとなったら、またそれに向けてのレッスンをしてくれますか?」


 小林くんは縋るような目で純平を見ていた。


「ああ、俺が教えられることは教えるよ。ただ、音大は入るのも難しいけど、卒業後はもっと難しいし厳しい世界だ。バイオリンだけで生活している人なんて、ほんの一握りだよ。その辺りのことも含めて、ご両親と相談して決めるようにな」


 純平は音大卒の先輩として、夢だけではなく現実を教えることを忘れなかった。その答えを聞いてもなお、小林くんは元気な声で返事をする。


「はいっ、わかりました! それじゃあ夏見先生、また!」

「ああ、気を付けて帰れよ」


 小林くんはレッスンが終わった直後よりスッキリとした顔で帰っていった。

 それと同時に、純平も自分の受験の時を思い出す。


 それは、今思い出してもつらくて、悲しくて、苦しい、そしていまだに純平を縛り付けている記憶だった。


♩♪♩♬ ♬♩♪♩


 高校2年の夏休みに入り、純平と梓は直前に迫ったコンクールに向けて猛練習をしていた。しかし、コンクールの本番当日。筒居がやらかしたことが大きく影響していたせいか思うような演奏が出来ず、二重奏の結果は4位入賞と振るわなかった。

 ソロ部門では純平は5位、梓は7位と、梓にとっては苦い結果となってしまった。


 もともとレベルの高いコンクールだったとはいえ、筒居の起こした事件さえなければもっといい結果が出せたのではと思うと、怒りの矛先が筒居に向くのは仕方のないことだった。


 その悔しさのため、純平と梓は二重奏のパートナーを継続することに。

 このまま終わるわけにはいかない。必ずこのリベンジを果たしたい。その思いと決意を胸に、二人は夏休みのあいだほとんど毎日、公園での練習を行っていた。

 

 それと同時に、二人は音大受験のための練習と勉強を始めた。同じ高校で他に音大を希望する人もいないので、二人の距離がより近くなるのは自然なことだった。

 しかし、純平も梓も自分の気持ちを打ち明けることはしない。

 誰かに止められている訳でも、反対をされている訳でもないのに、なぜかお互いにブレーキをかけている。

 三歩進んで三歩下がる、つまり何も変わることがなかった。


 この二人の様子に周囲の人間は非常にやきもきしていた。

 吉田や橋本、江口、岸本など高校の友人、そしてクラスメイトたち。

 純平の両親、征司や加夜子、花純や田辺などバイオリン教室関係者、二人に関わるすべての人間が「早くくっつけよ!」と、もどかしさを感じずにはいられなかった。


 距離は近づいているのに、純平も梓も気持ちを隠したまま月日だけが流れていく。


 夏休みが明けてしばらくした頃、征司と加夜子が入籍した。

 ただし、結婚式などはしない所謂「地味婚」だ。

 加夜子は初婚だったが、年齢も36歳になっていたので、ウェディングフォトで十分ということで二人で決めた。


 クリスマスの夜以来、梓と加夜子の関係も少しずつ変わってきていて、早く入籍するように言ったのも梓からだった。その言葉がなければ、まだまだ入籍は先の話になっていただろうなと、征司が純平の両親にこぼしていたらしい。


 そして梓にも言っていない、征司と加夜子だけの決め事がある。

 それは、二人の子供を作らないということだ。


 これは決して、梓に言われたからではなく、再婚の話があった時から二人で話し合っていた。

 その意志が決定する前に、梓からクリスマスの夜にあんなことを言われたので、とっさに何も言えずに余計な誤解を与えてしまったが、今では梓も加夜子のことを受け入れてくれたので、征司と加夜子の決め事は二人の胸にしまったまま入籍することにした。


 征司、加夜子、梓の三人での生活が始まると、梓はそれまでやっていた家事から解放される。もちろん手伝いなどはするが、以前に比べて負担が減ったのは確かだった。

 そのおかげで、音大受験に向けてのレッスンや勉強、そしてコンクール練習に集中することが出来た。


 その年の12月には、去年も出場したアンサンブルコンクールに出場し、純平と梓は2連覇を果たす。総合でも2連覇を果たし、バイオリンコンクール出場者の間では名が知れるようになっていた。

 そのあとまた、全校集会で演奏をさせられたのには参ったが。


 こうして、筒居の執着・騒動で始まった高校2年生もあっという間に過ぎていき、純平と梓は高校3年生になった。

 クラス替えのない高校なので、二人は今年も同じクラスだ。


「梓、今日天気いいし、暖かいし、久しぶりに公園行く?」


 HRが終わり、帰り際に純平が梓に聞いてみた。


「純平くん実は、私もそれ考えていたの」

「じゃあ、決まりだな」


 二人は短い会話ですぐに話がまとまると、いつもの病院前で待ち合わせをする。


 二人の練習は、春から夏にかけては高台にある公園で練習し、秋から冬は純平の自宅にある防音室での練習が定番となっていた。

 

 これから日もだんだん長くなってくるし、また公園で練習できるなと思いながら純平が待ち合わせの病院に近づくと、病院前にはバイオリンケースを背負った梓と、その梓に話しかける同じ高校の男子生徒の姿が見えた。

 その様子を見た純平は、何とも言えない焦りを感じる。


 純平が知らないところで梓が男子に人気だというのは、橋本や吉田から聞いていた。誰かに取られる前に早く告白しろとも言われた。

 リハビリとして始めた梓の友達を作るというのも、気が付くと江口や岸本だけでなく、クラスメイトのほとんどがその影響を受けている。


 もともとみんな、梓が入学してきた時からお近づきになりたがっていた連中だ。それを梓がかたくなに拒否していただけで、少し梓が歩み寄った途端にみんな仲良くなりたいがために近づいてきた。


 梓も梓で、戸惑いながらも少しずつクラスメイトと打ち解けていく。

 さすがに病気のことは知られたくないようで話していなかったが、それ以外のことは何でも話すようになっていた。


 クラスメイトからは純平が梓を独り占めしていたと、訳の分からないイチャモンをつけられたが、それを聞いて梓も笑っていたので、まあいいかと純平も一緒になって笑った。

 

 梓はクラスメイトと仲良くなっても、純平との接し方は以前と全く変わらない。純平も今の心地よい関係性を壊したくなくて、ズルズルとそのままの関係を続けてきた。

 

 梓の一番近くにいる男は自分だからと安心しきって。


 でも、いざ目の前で梓が自分の知らない男と話をしているのを見ると、そんな余裕など一気に吹き飛んだ。


 純平は二人から目を逸らさず、まっすぐに近づいていった。

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