琥珀の歌とお別れの時
ビー太くと似非ミントティーを試作し始めてから、先生とのお茶会は、今日で三回目になる。
「ぅわっ、熱つッ……アッツい!」
猫舌の私が熱いお茶を淹れると、何度やっても軽くリアクション芸になってしまうのだったが……。
「だ、大丈夫ですか、火傷などなさらないように……」
ルフナ先生は優しく私を気遣ってくれる。
お茶の為に、裏庭の井戸や森の泉から水を運んでくれるのは、私がこっそり詩文で魔法を掛けさせて貰った極小ゴーレム。先生の私物で、私が魔法をかけると苔玉を重ねてくっ付けたような可愛い見た目となり、毎日水の入った桶を自分の頭の上に乗せて運んでくれるようになった。
火を沸かすのは私と先生の魔法。ポットに入れた水に、私達は歌う。
「「琥珀の時を創るもと、大地の下に湧き巡る、その恵みへと熱く熱く陽を溶かし入れ、沸き立て軽く」」
二人で作った詩文、二人で重ねる歌と唄声。ミント色のポットの口からフシュリと白い湯気が見えると、とても嬉しくなって、私は先生と軽く手を叩く。
お茶会をするたび、先生の唄には張りが出てきた。音程外れも少しだけ改善され、私と一緒だといつもの森もなんだか嬉しそうに午後の陽の下、微笑のように影や光をちらつかせる。
「……最近、先生の授業もいつもより楽しいです」
実際、転移してから初めて出てみた授業もバトルも面白かった。
既視感のある教室に入ると、知らない本が私の座った席の机の上にポムんと現れる。それが次に受ける予定の講義の教科書だったりした。
ビー太くんは驚く私に「知らなかったか」と自慢気だった。ゲームの中では主人公がどう授業を受けているのかは余り詳しく描かれないから、私は「知りませんでしたともっ」と応えてビー太くんと一緒に毎日数時間、飽きずいくつかの授業に出させて貰った。
小テストはゲーム内知識でどうにかなったけど、ビー太くんが満点にプラス評価を毎回受けてくるのでちょっと悔しかったりもした。
バトルにはお茶の後にルフナ先生を誘い、ビー太くんと待ち合わせて三人で挑んでみた。
前列にはビー太くんが魔法剣士として、後列は私で攻撃魔法を長短こなし、ルフナ先生は回復とゴーレムでの攻撃プラス、バリア詩文魔法で中距離戦を務めてみせてくれた。
バトルの敵は学園付近の魔法方法論用魔法起動物(学園のスポンサーのご好意による贈り物)なので、安心して倒せた。
「授業もお茶もルフナ先生の近くにいられて、私は学園に来て今が一番楽しいです! ……あの、でも、研究のお邪魔をしていたらごめんなさい」
「いいえ、私もーー、そうですね、楽しい……のですよ、今までずっと穏やかに深い瓶の底にいるようだったのが、貴女の魔法に触れ、詩文を読んで、唄を聴いて、話をしていたら」
ーー自分が今までいた、深い瓶の蓋があいて、底から浮かび上がってみようかと思える位にはなりました。
先生の水色の瞳が森の日向に向けられる。
温かい場所、温かい時間、諦め凝っていた先生の感情は、今、日向を求め始めた。
「先生の隣にいると、やっぱり私の気持ちも琥珀の時間になります、長く長く、穏やかになって」
少し冷めてきたお茶を二人で飲む。先生といると、この世界の、現実のものより長い午後の時間がよりゆったりと流れていく。このまま一緒に居られたら、きっと樹脂が琥珀になるように、その中に思い出を閉じ込めるように私は彼を思っていけるだろう。
ーーけれど。
「導き手、我が敬愛する最高の師よ、教え子の心掴み上るか、琥珀の時を結び抱くか」
「……愛しき若芽よ、我が教え子よ、教えは巡りこころも通う、なれど琥珀は未だ微睡む、涙は乾けど器は木下、未だ大樹はしずく受くのみ」
私の恋は、先生の芯には響かなかった。
「気持ちを届けて、伝えてくださって有り難う御座います。でも、私はーー、貴女の手を取りながら『先生』にはなれても、伴侶とはなりえません。でも嬉しかった、研究者としての転機の1つに、貴女は間違いなくなりました、人としても変われそうです、ですけれど」
ーーどうか私を、貴女という最愛の教え子の、一番の先生にしてやって下さい。
ルフナ先生が私に向き合い、瞳を揺らしながら静かに穏やかに断ってきた。先生は、魔法学園の先生として、生徒の私の感情を説き、そして私を優しく振ってくれたのだ。
「……わかり、ました。私はーー『先生』、が好きです」
初めて一緒にお茶を飲めた時の私の喜びの横からも、先生は様々な角度で私を見ていて、聞いていてくれていたのだろう。
「歌は去らず、私の心もあなたのもとに。されど敬愛、ただ師と仰ぐ。応え導き伝えし賢者よ、森守る歌の使い手よ、私の心は去らぬが別れん」
ーー大好きです、ルフナ・ルーン先生。
私は確かに、失恋をした。きっと一番幸いな、そんな失恋をそっと贈られた。
ミント色のポットとカップの魔法が解けて、シュルリとリボン結びをほどくような音がし、もとの白い茶器へともどった。
それでも森は温かいままで。
*****
「ビー太くんビー太くん、聞こえますかー?」
私はルフナ先生と別れると寮に帰って、茶器を部屋に戻し、練習している念話でビー太くんに話しかけた。
「……き、こ…づ、らぃ」
「んーん、やっぱりまだ無理かぁ、えっと……」
私は諦めて魔法紙で出来た園内マップを見る。ビー太くんの位置は寮の前だった。
「今から寮を出るよ」
マップのビー太くんアイコンに話しかけ、了承を貰うと、私は改めて数日間いた、やりこんだゲームの中の寮の自室を見て、自分のローブ付き制服姿を軽く抱き締めた。
ーーばいばい、魔法学園。楽しかった。ちょっとしか居られなくて、ごめんねーー
パパンと私はローブを叩く。ビー太くんと私の合作制服は、ポチポチと小さな星を瞬かせた。
寮を出てビー太くんに会うと「少し遅かったな」、と平坦に文句を言われ。
ワシッと頭を撫でられた。
「えへへ、嬉しい。あのね、ちゃんと振って貰えたんだよ」
ワシわしっと、ビー太くんは自分より少し低い、私の頭を撫でてくれ続けた。
******
夕刻近くの森。ビー太くんは私に1つ大事な話をしてくれた。
「ご主人には言っていなかったが、転移した先の世界で軽々しく異世界人ぶるのはあまり良くない。特に転移先の会話可能な人間に異世界人だと本気で伝わってしまうと、強制的に次の世界にランダムに転移する事になる。そうなった場合、僕の権限でも更にその次の世界に飛ぶには手間と時間が掛かる」
ーーただ、例外はある。
ご主人が恋をして思いを遂げると、その世界の人物に一人一度だけ異世界人だと告げても転移に支障はなくなる。
「……、思い残す事はないか。転移すればこの世界は主人公を失踪扱いにする。僕の中のセーブデータがひとつ、一部壊れてバグになる」
「え、え? 壊れちゃうとルフナ先生やこの世界ってどうなっちゃうの?」
「変わらず続く。けれど、ご主人と思いを交わした記憶はキャラクターには残らない。他のプレイヤーの思い入れの深い、本来の攻略対象たちなんかが生き生きし出すんじゃないか?」
「ご、ごめん、やっぱり思い残し、ある、あります、ビー太くん! 転移、ちょっとだけ待って……お願い」
ーー解った、なるべく手早く済ませ。この世界の夜は少し短い、今日中だーー
「我が師のもとに、疾く報せ届けよ、魔法文!」
私は急いで学園の魔法紙のマップを取り出すと、簡単な魔法をそこに掛ける。
『先生、最後にお話したい、森で待ってます』、の文言が魔法紙に書かれ、白い小鳥の姿に変わり、夕日の落ちかかる空を飛んでいった。
「……先生、来てくれるかなぁ……?」
私は祈る。祈りながら震える。
ビー太くんは森の太めな木の幹の一つに背を預け、フゥと溜め息をした。
待つこと、おそらく10分ほど。体感でしか分からないけれど、その位。
「や、やっぱり研究棟にちょっとでも近付いた方が良い、かなぁ?!」
ビー太くんは応えてくれない。
私はビー太くんの近くと、少しでも校舎に近いと思われる森の道の間を、ウロウロとしていた。
今いる場所は昼間に先生とお茶を飲んだ、木々がちょっと拓けた、簡単な東屋の前だった。日が落ちたら人もゴーレムたちも来ないので、ビー太くんは異世界転移がしやすいらしい。
ウロウロ。ウロウロ。歩きながら私がまっていると、ビー太くんが急に簡単な魔法を使った。
「守護せよ、我が主を石塊より」
ホワンと私に防御力上昇魔法がかかる。
「え、なんで今魔法を……?」
しかも、簡単とはいえ、詩文を使ってわざわざ。
「……この世界で使える最後の機会だからな。ーーそれにーー」
ズバこん! ズゴゴゴゴゴゴ!!
ビー太くんの言葉を聞く前に、私は凄い勢いでやってくる、巨躯の岩ゴーレムに豪快に轢かれた。
「……必用だったからだ」
「だ、大丈夫ですか、さたんぬさん?!」
私を轢いた岩ゴーレムに乗っていたのはルフナ先生だった。猛スピードで走っていても魔法で振り落とされずに済むのだろう。
轢かれた私は痛くはない。身体は大丈夫だ。でも心がだいぶ残念だ。脱力した。轢かれて跳ねとび、森の湿った黒土の上にダイブし、私はこの世界に来た初日のように、また泥まみれになってしまった。
*****
土を払う魔法をかけてくれながら、ルフナ先生は私に「最後ってどういうことなんですか」と聞いてきた。
「あの……先生の方は大丈夫だったんですか、あんな大きなゴーレムでいらっしゃって」
「が、学園を出る迄はあの子で飛んで来たんですよ、被害は出てません、森に入ると土に引かれて地面を走ってしまいましたが」
……迷路みたいな道をどう走って来たんだろう……。
3メートルぐらい有りそうな巨躯ゴーレムは、東屋の後ろに今はシンと大人しく停止している。
「ごめ、ごめんなさい呼びつけて。来てくださって有り難う御座います」
私は気持ちを立て直す事にした。ビー太くんと私をチラチラと見るルフナ先生は、本気で私を心配してくれているらしい。
古く、魔女たちは岩に乗って空を飛んでいたのだと、何かの漫画で読んだ。ゴーレムで飛んで走ってくる魔法使いの先生だっていても何もおかしいことはない。
「先生、実は私は……『さたんぬ』は、この学園から離れなくてはいけないんです。いえ、学園からだけでなく、この世界からも旅立たなければいけません」
先生が言葉を失っている。理解が追い付かないのだろう。
「……、突然でごめんなさい。私、私は……先生がずっと大好きで。貴方と本当に出合ってお話したくって、好きだって伝えたくて。それで、そこの木に凭れている彼と、世界を渡ってここまで来たんです」
ーー思いをルフナ・ルーン先生に伝え終えられたいま、私はまた別の世界に渡らなくてはいけませんーー
「先生が好きでした。今だって、これからだってずっと好きです。でも、本気の恋にはならなかった、私の気持ちは敬愛で、恋とは少し違うんだということまで、先生は教えてくださった。だから、旅立つ前に、お礼が言いたかったんです」
ーー本当に有り難う御座います。
私は深々と先生にお辞儀をした。ジャパニーズスタイルの真っ直ぐ頭を下げるお辞儀だ。
すると、私のローブのフードが、私の頭に被さってしまった。私は照れながら頭をあげて、最後まで私格好つかないですね、恥ずかしい、と先生に向けて笑顔を作った。
「ーー貴女なら、貴女がいる世界だと思うから僕はーー」
一人称が『僕』になった先生の像が、私の目の中に揺れる。先生の目の中の私も、きっとちょっと揺れていそうだった。
「卒業した貴女を研究者に迎えたら、僕の助手になってくれたら、詩文も魔法も歌もきっと……、と、だから……僕は……」
「先生は十分私を知って下さいました。私の気持ちにもちゃんと応えてくれて、私はお返事まで頂けました」
ーー先生ならきっともっと凄い詩文が編めますよ!!
私は先生の胸に、エイヤッと入り込んだ。さよならの、ハグ。最後の最後、恩師との短い抱擁。
「……」
先生もゆるく、私の背に手を回してくれた。二人で作った苔玉ゴーレムは、きっと先生のもと稼働し続けてくれる、先生とのハグを解くと、なぜだか私はそう確信していた。
「ーーいってらっしゃい、私の教え子」
ビー太くんと手をとる私を見つめながら、先生は最後にそう言ってくれた。
「ーー行ってきます! 私の大好きな先生!!」
目の端から、世界が歪んでいく。別の世界に跳んじゃう前に、きちんと先生と会えて、話せて、行ってきます、まで言えるなんて凄く凄く幸せだ。
白い世界間跳躍に包まれながら、私はビー太くんにも感謝していた。
第一部完です!