ほのぼの昔話
さーて、次はどこに向かおうかね。このまま街道に沿って歩いてもいいし、街道を逸れて森を越え山を越えるのもあり。はたまた転移魔法使って別の大陸でも行きますかねぇ。
あたし、ミア・グロリアンスは魔王を倒した勇者の軌跡を辿る旅、所謂「聖地巡礼」をする放浪魔術師だ。勇者パーティーに憧れて修行していたんだけど、のっぴきならない理由でそれは叶わず、仕方ないから気分だけでも味わっているってわけ。
その巡礼旅の行き先について少々迷っている時だった。
「きゃぁあああああー!」
と、少女の叫ぶ声。振り返ってみれば、草原を走る女の子と、それを追う真っ赤なドラゴンがいた。
ううわっ、〈レッドドラゴン〉じゃん……。何でこんなとこにいんの? あいつらの生息地、活火山でしょうが。ここ、割かし寒い方だし。てか、その図体でそんなちっちゃな女の子を食べて、その腹が満たされんのかよ、大トカゲ。
レッドドラゴンは目測で約八メートル。赤い鱗に覆われたドラゴンで、口から火炎を吐き出す火竜だ。今はあの女の子を捕食するためなんだろう。火を噴く気配はなく、空を飛べるのに女の子を地上から追い駆けている。
「おーい、こっちこっち」
手を振って声を上げると、少女はあたしに気付いたようで姿勢をこっちに向けてスピードアップ。なかなかに足の速いお嬢さんだ。スカートだって言うのに、レッドドラゴンから少し距離が開いたように見えた。
「た、助けて下さい!」
「任せて……よっ!」
あたし的には軽く跳ねた程度だ。でも、実際はレッドドラゴンの顔面付近まで瞬間跳躍。ドラゴンは目を丸くさせたように見えたけど、確認してもどうしようもないから、すぐさま拳を振り抜いた。
甲高い鳴き声を一瞬だけ響かせたドラゴンは、遠くの森の上まで吹っ飛んでいき、墜落した辺りからは驚いた鳥たちが飛び立っていった。ドラゴンは並みの生命力じゃないからあの程度じゃ死なないだろうけど、魔物の中ではそれなりに知能はある。また襲ってくる勇気はないだろうね。
「あ、あの、あなたは冒険者さんですか?」
「うーん、どっちかって言うと放浪者かな。それよりどこか怪我してない? 痛むところとかあるなら魔法で治療してあげるよ」
「い、いえ、体は全然平気です。魔法で治療ってことは魔術師さんなんですよね? 素手であんな大きなドラゴンをぶっ飛ばすなんて、もしかして高名な賢者様とか!?」
「いやいや、あたしは修行しすぎただけのただの魔術師だよ。それに傍目には殴り飛ばしたように見えただろうけど、実際は身体強化の魔法を使ってるからね。そこそこ腕のある魔術師なら、あれくらいは朝飯前だよ」
「あっ、申し遅れました。私はクロエ。クロエ・ゼルファと言います。この度は危ないところを助けて頂き、本当にありがとうございます!」
ぺこりと丁寧に頭を下げた女の子、クロエちゃん。特に何かを装備している様子もなく、服装も素朴な町娘って感じ。手には蔦を編んで作られたバスケットを持っていて、買い物途中にあのドラゴンに襲われたんだろうか。
「あたしはミア・グロリアンス。クロエちゃんはこの辺りの町の子?」
「はい。この先にある〈サンローイ〉って言う街で宿屋をやってます。なので、ミアさん。是非、うちに来て下さい。今回のお礼がしたいんです」
「その申し出はありがたいかも。実は旅の行き先に迷っててね。サンローイにはいつか行くつもりだったから、これはいい機会かもって思うんだ」
「はい、是非! たくさんサービスしちゃいますよ!」
聖地巡礼って言う目的はあるけど、そこに順序があるわけでもないし、あたしの場合は急ぐ旅でもない。何なら早く終わらせると退屈しそうだから、五十年以上は掛けてゆっくり巡ろう、とか考えているくらいだ。だから、自由気儘に行き先を決めるし、その決定権を誰かに委ねるのも一興ってわけ。
クロエちゃんの案内で辿り着いた街、サンローイは勇者が魔族の軍勢から街として有名だった。ここは王都や他の都市、港町へと繋がる街道の中継地点で、人間側としては死守したい、魔族側としては攻め落としたい重要な街だったんだ。
そんな街だから活気に満ち溢れていて、賑やかなところだった。メーンストリートには商店がいくつも建ち並び、いろんな露店が道の両脇に所狭しと並んでる。飲食店も数多くあるみたいで、街中にいい匂いが漂ってるよ。
「話には聞いてたけど、賑やかな街だね。これじゃあ、宿屋も大繁盛でしょ?」
「そう、でもないんですよね、実は……」
「えっ? そ、そうなの? 何で?」
街には冒険者や行商人が溢れ返っている。宣伝なんてしなくたって宿泊を希望する客は勝手にやって来るはずだ。サンローイに向かう道中で聞いたんだけど、宿屋は両親が経営していたものらしい。長らくサンローイで店を構えている、言うなれば老舗宿屋だ。
それが繁盛していないって、どう言うこと……?
「両親が冒険者に転職したって話しましたよね。それと同時期に別の、大きな宿屋がこの街にできたんです」
クロエちゃんが見上げるその先には、堂々と聳え立つ、お城みたいな屋根があった。サンローイの街に来た時、一番最初に目に飛び込むあの立派な建物は何なんだろうって思っていたんだけど、どうやらあれがクロエちゃんの商売敵らしい。
「だから、街の皆さんはうちが廃業したんだって思ったみたいで……」
メーンストリートから少し外れた路地裏に、クロエちゃんの宿屋はあった。
「ごめんなさい。サービスする、とか言っておきながら、こんなボロ宿屋でっ……」
最後の方は声を詰まらせながら、奥歯を噛み締めるように、絞り出した声だった。
痛い。痛すぎる。胸が。
こんな可愛い子が、何でこんな悲しい顔をしなくちゃいけないんだ。しかも、聞けばまだ十六歳。未来はまだまだいくらでもある。
「クロエちゃん、ちょっと辛い質問かも知れないけど……何で両親の後を継ごうって思ったの? 宿屋以外の選択肢もあるんじゃないの?」
「もちろんわかってます、このまま続けても無駄だって……。けど、私の家は生まれた時から宿屋でした。だから、宿屋じゃない家を、自分の家だって思うことができそうになくて……。宿屋辞めちゃうと帰る家がなくなるような気がして……」
やってしまった。あたしの問いは、彼女の頬を濡らしてしまうものだったみたいだ。
罪滅ぼしのつもりでクロエちゃんを抱き寄せると、幼い少女は嗚咽を堪えるようにあたしの胸に顔を埋めていた。
「す、すみません、取り乱しちゃって……。けど、ミアさんの腕、とっても温かくて……。私、一人っ子なのでお姉さんがいたらこんな感じなのかな、とか思っちゃいました」
ぐはっ! 何やこの可愛い生き物は……!
頬に流れた涙を拭いながら、上目がちに「てへへ」と微笑む美少女。頬を赤く染め、僅かに舌を覗かせるこの所業。あたしも一人っ子だから思ったけど、こんな妹がめっちゃほしい!
「クロエちゃん……あたしは放浪者で常に旅をしているけど、帰る宿はここだって今決めた。あたしはここに永久宿泊するよ」
「じゃあ、ミアさん専用の素敵な客室を用意しないといけませんね」
冗談っぽく笑っているけど、マジだかんね、マジ。あたし、この先ここ以外の宿屋には泊まらないから。どこにいたって転移魔法で一発帰還できるもんね。
宿の前にずっと立っているのもあれなので、とクロエちゃんは宿の中に案内してくれた。中は極一般的な、普通の、ログハウス風宿屋だ。二階もあるみたいで、両親と経営していた頃はさぞかし賑わったに違いない。
「とりあえず、ミアさんの部屋を用意しますね。二階へどうぞ。一番広い部屋を使って下さい」
宿屋は基本的に客室によって値段は変動しない。一番広い部屋を使いたければ早い者勝ち。お客さんが一人もいない現状、一名客のあたしがそこを使うのに何の違和感も躊躇いもない。
ただ、早く回復させたいとか、宿泊以外のサービスを利用したい時に別途料金を払うって感じだ。
「どうぞ、ここです」
二〇五号室。そこが案内された客室だった。確かに広い。五、六人で使っても全然窮屈じゃないんじゃないかな。周りの建物がそこまで高くないから、窓からは街を一望できる。まあ、そのせいであの立派な建物も目に入ってしまうけど。
「ミアさん、お腹空いてませんか? もうすぐお昼ですし、良かったら昼食でも」
「んー、ちょっと空いたかも」
「じゃあ、すぐ支度しますね。その間、ゆっくり休んでいて下さい」
どこか嬉しそうな顔を浮かべながら、クロエちゃんは部屋を後にした。本当は特に空腹感はないんだけど、クロエちゃんの感謝を無下にはできない。ちょっと休めばお腹も減るでしょ、ととりあえずあたしはベッドに寝転んだ。
んー……いい匂い……。甘ったるくない、爽やかな香りだねぇ……。最近の宿屋の風潮なのか、やたらと甘々な香りのする宿が多いんだよね。最近の若い子は、あんなところで寝ると落ち着くらしい。あたしゃ鼻が曲がりそうだけどね。
にしてもこれ、普通の回復ベッドじゃないね……? クロエちゃん、気を遣って高速回復用のベッドの客室に案内してくれたのかな? けど、それにしたってこのマナの流れは妙だぞ……。
「……んしょっとっ」
失礼かとも思ったんだけど、あたしはベッドを引っ繰り返した。ちなみに、二百年も修行しまくったあたしの筋力を以ってすれば、ベッドを片手で持ち上げるなんて容易いことなのだ。
それはいいとして、ベッドの紋章は……――はぁ!?
こ、こ、これはっ!
「く、クロエちゃん! クロエちゃーん! クロエちゃんクロエちゃんクロエちゃん!」
慌てて客室を飛び出したあたしは、クロエちゃんの名前を連呼していた。バカみたいな騒ぎっぷりだけど、仕方ないんだ。だって、ここの厨房がどこにあるのか知らないんだから。
「ど、どうしました、ミアさん!?」
一階まで下りて、宿の受付辺りまで来ると、驚いた表情のクロエちゃんが顔を覗かせた。
「も、もしかして、虫でも出ましたか!? ごめんなさい! 掃除は毎日してるんですけど……!」
「違う違う! あの部屋の回復ベッド! あのベッドの紋章は何!?」
「えっ? ベッドの、紋章ですか……? と、特に意識したことなかったので……。何か変でしたか?」
ま、まさか、クロエちゃんに自覚がない!? てことは、あのベッドは両親が用意した?
「ねえ、クロエちゃん。あのベッドの作り手わかる? どこの魔工具技師に頼んだの?」
「あそこのベッドは普通に家具屋さんで買いました」
「…………はい?」
「二〇五号室はうちで一番広い部屋なので、私自身も一番大事にしている部屋なんです。けど、両親がやっていた頃のベッドは個人的に可愛くないなって思ってまして。私が後を継いだ時に自分好みのベッドに変えたんです」
「あれ……普通のベッドなの……? 宿屋用じゃなくて……?」
「はい。宿屋ベッドって高いじゃないですか。しかも、デザインが地味と言うか、質素と言うか」
いやいやいやいや、宿屋ベッドってそう言うもんだから! デザイン性よりも機能性! 回復してなんぼだから!
てことは、ちょっと待ってっ……! この子、宿屋の仕組みを知らないまま……?
「く、クロエちゃん? 付かぬことを伺いますが魔工具技師のスキルなんてお持ちじゃ……?」
「いえ、全く」
「だよねー」
この子に魔工具技師のスキルがあれば、自分で買った普通のベッドに回復効果を付与することは可能だ。けど、回復ベッドを作れるような技師はエリート。宿屋なんて経営しなくたって技師としての報酬だけで食っていける。
「じゃ、じゃあさ、宿屋のベッドがそれ専用の、回復ベッドじゃないと意味がないってことはわかってるよね?」
「えっ……そ、そうなんですか……!?」
あたしは宿屋の仕組みを一から説明。どうして宿屋のベッドで寝れば回復するのか。その構造、その制限。何で回復ベッドは高価なのか。
丁寧に説明したつもりなんだけど、クロエちゃんはぽかんとした表情であたしの話を聞いていた。ほんとにこの子、何も知らずに宿屋をやっていたんだ……!
「ねえ、他の部屋のベッドも見ていい?」
「は、はい。それはもちろん……」
どこか不安そうな表情のクロエちゃん。何か自分が悪いことをしているんじゃないか、何か自分はおかしいんじゃないか。そんな暗い感情が滲み出ていた。
「その間、クロエちゃんはお昼の準備をお願い。他の客室を見て、考えを纏めるから。お昼食べながら、ゆっくり話そう」
「は、はい……」
「大丈夫。今の時点で一つだけ確実なことはある。それは、クロエちゃんは立派な宿屋の店主ってことだよ」
「あ、ありがとうございます!」
そう言って頭を下げたクロエちゃんは、厨房へと戻っていった。そして、あたしも客室へ。
予想はしていたけど、どこのベッドの紋章もあたしが知る既存のものとは少し違った。
ただ、不自然なのは「少し違う」って辺りだ。正確に計算し、構築した魔導理論や魔導構造から少しだけ逸脱している。けど、回復するって言う機能的には問題はない。何て言えばいいのか……AとBを直接繋げばいいものを、わざわざCって場所を経由している、って感じかな。
それだと効率が悪いって思いそうだけど、Cって場所を繋ぐことによって、そこにしかないエネルギーを共有しているって感じだから、一概には非効率とも言えない、本当に変な紋章だ。
そして、その不自然さが最も顕著なのは、あたしが寝転がった二〇五号室のベッドだ。
さっきの話じゃ、これはクロエちゃん自身が購入して、ここに置いたものらしい。今まで見てきた他の客室のベッドはおそらく、両親が用意した普通の回復ベッド。それをクロエちゃんが何らかの形で少し変異させたもの、既存の紋章を少し弄ったもの。けどこれは、言ってしまえばクロエちゃんが一から作り上げたものだ。
もし、この仮説が当たったとしたら……クロエちゃんの身に危険が及ぶかも知れない。
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