前編
少し変わった婚約破棄騒動ものです。どうぞよろしくお願いいたします
三十歳にもなれば、人生いろいろあるなぁと実感する事が多くなる。
例えば面倒な仕事をやらなくて済んだら、五倍くらい面倒な職に就くことになったり、十以上も年齢の違う婚約者ができたり、職場に王太子が訪ねてきて、自分が大層好きな女の婚約破棄依頼をしてきたり。
俺は用意した紅茶を盛大に吹き出しそうになりながら、なんとか頑張って咽せた。鼻から出たかもしれない。とても痛い。
「…………は? 何? なんだって?」
「ですから叔父上! 私は彼女に一目惚れをしてしまったのです!!」
この国の王太子ビスケイスは、爛々と目を輝かせて力説した。
なんでも、今年入学した学園の学徒の中に、それはそれは美人な令嬢がいたのだという。その令嬢はショコラータ子爵家の長女で、名をガラナ・ミルキィス。柔らかな乳白色の髪に、宝石を思わせる紫の瞳が目を引く、美少女なのだそうだ。
魔法始祖の血を引く一族で、本人も高い魔力を持っている。彼女が扱う魔法は極めて繊細で、授業で披露する魔法は、どれも見惚れるほどの出来栄えなのだとか。
俺は相槌を打ちながら、甥っ子の夢見心地に辟易して、ひっそり溜め息を吐き出した。
「あー……はい、で、そのお嬢さんと結ばれたいって?」
「はい。ですので、叔父上にお願いに参りました」
にっこりと笑う顔は、腹黒さなど微塵も感じない。本当に純粋な恋慕一筋で、その女の婚約破棄を望んでいるらしい。
俺はいよいよ頭痛が襲ってきて、隠さず息を吐き出した。
* * *
俺の仕事は、貴族専門の婚約・結婚に関する相談窓口業務である。
貴族や王族の婚約・結婚は本当に特約が多く、家同士で解決できない問題が発生した時に、政治的観点からアドバイスを受ける事ができる窓口だ。
なんでこんな窓口が出来たかと言うと、簡潔に言えば世界中で若者に流行している、婚約ブームに対応するためである。
ここで間違えないで欲しいのは、婚約ブームである、ということだ。結婚ブームではない。
男と女が婚約関係になり、結婚までの道のりやイザコザを楽しみ、いざゴールイン! を迎える前に婚約を解消するカップルが山のようにいるのである。
ヤバいと思わんか? 少なくとも俺は世も末だなと思っている。
若いカップルの間では、婚約破棄すら人生経験だと肯定する連中もいるくらいだ。
さて、若者達の婚約ブームの裏で悲鳴をあげるのは、可愛い子息子女を育て上げた、親世代なのは言うまでもない。
家同士、政略か恋愛かはさておいて、様々な未来を予想し結ばせた婚約が、ゴールインする前に破談するのは、家にとってはかなりの痛手である。
もちろん、その状況を肯定的に捉えて、より良い家柄を取り込もうと画策する親もいる。というか今の状態では、知恵の回る方が勝ち残るので、そうならざるを得ないのかもしれない。
とはいえ、そんな柔軟思考な家ばかりでないのは、お察しの通り。被害を最小限にするために開設されたのが、婚約・結婚相談窓口だ。
対応職員は何人かいて、内容が内容だけに、就職するには国でも最難関と言われている。一応、俺の肩書きは責任者だ。まぁ職員みんなが優秀なので、俺は居なくてもいいんじゃないかと常々思っている。
俺の仕事など、時折舞い降りてくるクソ案件に対応するために、ふかふかの椅子に座らされていると言っても過言ではない。
──そう例えば、婚約者のいる王太子が相談室まで押し掛けてきて、冤罪による婚約破棄を求めるような。
「……ビスケイス。お前、もう一度、自分の発言を考えてみろ。お前にはカッフェス公爵令嬢がいるだろう? それなのに令嬢を二人も婚約破棄させて、自分は好いた女と結ばれたいって意味を分かっているか? だいたい、お前の父上が許可すると思っているのか?」
「ですから、叔父上の所に相談にきたのです。現状、父上は絶対に私の婚約破棄を了承しないでしょう。婚約破棄を可能にする立証を揃えて欲しいのです」
「…………マジで言ってる?」
「大マジです」
お兄ちゃん、あんたの息子、めっちゃ馬鹿。
心の中で字余りの一句を詠んでから、俺はますます痛い頭を片手で押さえて、思考回路を高速で巡らせる。
馬鹿どころの騒ぎではない。王太子がこんなでは、国の根幹をも揺るがしかねない。言動だけ聞けば人格を疑うが、為政者になる器としてなら彼は優秀なのだ。きちんと正さなければ、王家は世継ぎを失ってしまう。
ビスケイスを失うのは、俺としても惜しい。こんな男でも優秀で可愛い甥っ子だ。優秀すぎて昔から兄夫婦にゲロ甘に甘やかされて、自己肯定感及び自尊心が世界一高いだけで。
「……その、ショコラータ子爵令嬢の婚約者が、誰だか分かっているのか?」
「いいえ、わかりません。彼女も、子爵家も公言しないのです。だからこそ私は、彼女が望まぬ婚約をしているのだと確信しています」
貴族の身でありながら婚約者を公言しない、と言うのは、この国に限ってだが決して少なくない。
親世代が、子供達が婚約を破棄してしまった場合の醜聞を隠す、という目的もあるが、未成年者を守る為という、正当な理由もある。
婚約ブームは、おのずと婚約破棄の増加にも繋がったのは、言うまでもないだろう。
婚約した家柄同士が明快になっていると、再び婚約者を探すときに、どの爵位と婚約していたのかが足枷となる事が多いのだ。
実際、相談窓口が開設される前は、身分違いの婚約破棄騒動が原因で、貴族社会からハブられてしまい、爵位を返上した家もある。
相手を隠す家は、確かに問題を抱えている事が多いのは事実だ。特に成人する前の令嬢で、婚約相手が成人済みだったりすると、周囲が勘ぐるのも頷ける。
俺は冷めた紅茶を飲み干してから、改めて座椅子に座り直した。
「相手も分からない婚約者の婚約破棄を誘発させ、自身の婚約も穏便に破棄し、確固たる証拠を王と王妃に提出して納得させ、ショコラータ子爵令嬢とめでたく結ばれる……って、筋書きにしたいと?」
「さすが叔父上、話が早い!」
「いや何も進んで欲しくないんだが」
「私はミルキィス嬢を救いたいのです! 下賎な輩が彼女を汚す前に、彼女を救い出して、真実の愛によって彼女を幸せにしたいのです」
お兄ちゃん、あんたの息子、やっぱ馬鹿。
二回目の心の一句を詠んでから、俺はソファーから立ち上がらんばかりの甥っ子を、両手を上げて制する。
何が真実の愛だ。言っている事が無茶苦茶である、控えめに言って持論が汚物。お育ちがよろしくない。
おおやけにしていないが、確かに俺は相談者の要望で自分が扱える魔法を駆使し、事実を捏造して婚約破棄に持ち込んだ事がある。
だがそれはあくまで、相談者の身体を守る為だ。
性的虐待を受けていた相談者が、婚約者やその家族に罪を問うことができず、俺のところへ助けを求めにきた特殊案件。話を聞くだけではなく、相談窓口職員総出で相手の状況も踏まえて調査し、相談者の立場を明確にした上で、事実を捻じ曲げたのだ。
相談者の命が危険に晒されていたから、自分も納得して行った事であって、今、この状況で出来るわけがない。
目の前にいる甥っ子は、自分がいかに彼女を好きか、自分がいかに彼女を救いたいか、朗々と語り尽くしている。お馬鹿すぎて目も当てられない。恋は盲目と巷で言うらしいが、目ん玉を自分で抉り出したのではないだろうか。
呆れて閉口する俺をよそに、ビスケイスは興奮気味に息巻いた。
「それに! ミルキィス嬢も、私を好いてくれているのです」
「はぁ」
「二人きりになった時、私に身を預けてくれたのですから」
からん、と。回していたペンが落ちた。
俺は動揺してしまい、二の句が続けられず口を半開きにする。ややあってから意識を引き戻すと、まさか、という思いと、そんな、と言う困惑が頭を駆け巡った。
「……二人きり、だと?」
「そうです。彼女と同じ委員会の活動中に、運よく二人で行動する事が出来まして。エスコートしていましたら、ミルキィス嬢が、こう、体を預けてこられて……! やはり彼女も、私と思いあってくれているのです!」
俺はペンを持ち上げようとして、失敗して再度落とした。
もの凄い勢いのポジティブさ。逆に眩しい。とはいえ、俺としてはそうも言っていられない。尚も言葉を重ねようとする甥っ子を制し、なるべく声音を平静に保ちながら視線を下げた。
「……分かった。そこまで言うなら、まずはビスケイス、お前の婚約を破棄するよう誘導しよう」
「ありがとうございます! なんでも協力しますから、おっしゃってください!」
「ああ、はいはい、俺が動きづらい学内の事は、何かと頼むよ」
片手を振って退出を促せば、ビスケイスは立ち上がり、どの貴族もお手本となるような気持ちの良い角度で挨拶し、相談室を後にしていった。
完全に気配が遠のき、退出したことを確認してから、俺は思わずペン先を机に叩きつける。
こうしてはいられない。俺は放置していた書類をそのまま、座椅子を蹴って立ち上がった。
彼女が男と二人きりになるはずがない。彼女は常に細心の注意を払い、そんな状況にならないよう立ち振る舞っているのだ。俺は魔法を解除していないから、本当に二人きりになった事が事実であれば、作為的でしかない。
俺は隣室で事務処理をしている他の職員に声をかけ、出かける準備をするべく、事務室の通路を突っ切っていく。
いってらっしゃいませ、と背後で全員が頭を下げるのを尻目に、俺は扉を閉めて自室に向かった。途中で控えていた使用人たちが後に続く。
「……やってやろうじゃないか、事実無根の婚約破棄。絶対にあんたのお立場立件してやるから、覚悟しろよ……!」
小さく呟いて、目を細める。
悪かったな、彼女の望まぬ結婚相手で。そんなこと当人の俺が一番よく知っている。
ガラナは意図せず男と二人きりになり、恐怖で身を強張らせていたのだろう。ビスケイスは身体を預けてきたと言ったが、彼女は意識的に、抵抗を最小限にしようと萎縮したのだ。
抵抗すれば、殴られ蹴られる事が、彼女にとってごく最近まで、当たり前のことだったから。
こんな事ならガラナには、婚約者だと公表しても良いと、言ってやればよかった。
本当に冗談ではない。俺だって一人の男である。
大切に愛しみたい相手一人、護る責務と意地があるのだ。