精霊使いの親子 精神
ん? 精霊って万物に宿るって言ったよねだって?
うん、言ったぞ?
ん? 精霊は万物に宿る精神を元にしてるって言ったよねだって?
うん、言ったぞ?
ん? じゃあ、道に転がっている石ころにも精神があるってことなのだって?
うん、そうだよ。信じられないかい?
ん? だって石ころってしゃべらないしだって?
うん、そうだね。石ころはしゃべらないよね。
じゃあ、今日は精神とはなにかについて話そうか。
以前、存在が存在するためにやっているやり方が『無はない』であるって話したよね?
無がないから、存在が存在している。
存在の元は無である。
ここで、ハルは、充分満足に手に入れてあるものを欲しがることが出来るかい?
出来ないよね。お腹いっぱい食べた後にデザートにケーキまで食べたようなものだもんね。
このようにね、無いものしか欲しがることが出来ない。
欲しいと思うものには価値がある。
価値があるとは良いということなんだ。
物事に宿る良い心こそが精神。
だから、無があるところには、必ず、精神があると考えられているんだ。
万物の存在が存在する元が無。
だから万物に精神が宿っていると考えられているんだよ。
だから、精神とは『無いものを欲しがる』『良いものを欲しがる』それを邪魔する奴は、みんな悪。
なお、精神と知性は違うからね?
良いか悪いかでしか考えられないような奴が、決して、心の全てではないよ。
ただ『知ら無い』を満たそうとしているだけ。
無がないとういう深淵に、知という滝が落下しているだけ。
深淵を覗き込んでごらん?
「知りたい」と言う、魔の眼が、お前を見ているぞ。
ああ、それからな?
座って考えている間は、人は誰もが神なんだ。
考えることをやめて、実行に移すことで、神は死んで人になる。
なぁ、ハル?
座って考える神であるな、どこまでも愚直に前を向いて歩く人であってくれ。
考えることで存在するな、行動することによって存在してくれ。
実行することで考えは現象化し、考えは考えではなくなる。つまり、実行することで神は死ぬ。でも、実行後に訪れる真実によって、より高い次元の考えが新たに生まれる。つまり、より強い存在になって、神は生き返る。
そうやって理は進化する。先に進む。理論が展開する。神としての階位が上がる。階段を1段ずつ登って行くように、広く深く強くなる。
死ねないような神は強くなれないんだよ。
まぁ、まったく考えないのも良くないから、ひとつ考えたら、みっつ実行するくらいがバランス良くていいよ。
まぁ、ハルの場合は、みっつ考えて、ひとつ実行するくらいが、ちょうどいいかもね。
ん? 「存在が存在しない状態はある」と言えば、無があるように聞こえるって?
でも、今、お前は「無がある」と言ったよね?
「無がある」と言えば『無はない』ように聞こえないかい?
無とは、存在が存在しない状態のことを言い、存在が存在しない状態があると言えば、それは、無はないと言ったことと同じなのだ。
無は、ないと言えばある、あると言えばない。