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ゲッテルデメルング  作者: R&Y
間章
76/77

幕間

チュンチュン、小鳥のさえずりと柔らかな朝の陽ざしがシドの瞼をゆっくりと開かせる。


視界にわずかな違和感を感じる。


部屋を一望する。 板張りの床と壁、細工の施された木製の机と椅子、上に置かれた水差しには薬草の葉が浮いている。 開け放たれた窓の枠には小鳥が数羽、羽を休めている。 吹き込んでくるそよ風が人々の営みを喧騒という形で運んでくる。 


《下階では計5名の人間がせわしなく動きまわっている。 屋根には窓枠の小鳥たちよりも一回り大きな鳥が日の光を浴びている。 この建物に隣接している建物は7つ、人間の数は38名、そのどれもが凡庸な者たち。 そして遠方に強大な一つの神力》


目線を下げれば自らが横たわる寝台と薄手だが滑らで上質なことがうかがえる毛布。 


どれも辺境の自宅にはなかったものだ。


全身にのしかかる倦怠感を受け止めながら、体を少し起こす。


左腕の動きが鈍い。 見ると腕は包帯を一部の隙間もなく巻かれている。  


《頼りない腕は、しかしまばゆいほどの神力を宿し、世界の『原理』や『法則』に小さな波紋が広がり、消えていく》


靄が晴れてきた頭が現状の再確認を始める。




ニーズヘッグとの戦いの後、ロズを背負いたどり着いた箱舟には予想外の客人がいた。 


名はオルム、音に聞こえし神殺しの英雄。 実物を見たことがなくともニーズヘッグに勝るとも劣らない圧力、そして地面に積もる黒い雪が、世界を飲み込む大波と化していた魔獣の大群の消し炭が、本人であると証明している。


そこで体と精神の限界が来た。 精魂すべて使い果たして限界寸前の状態に、急に負荷をかけられて魂が動作不良を起こしてしまった。


目の前が霞む。 体から力が抜け、倒れ始める。


意識が途絶える瞬間、体が何かにぶつかる。 地面の堅い感触ではなかった。




次に目覚めたときにはすでにこの寝台の上だった。 


目が覚めたのは今から数日前、完全に意識が覚醒したのは昨日のことだった。


そして今日、責任者と面会する。


先ほどまではるか遠くに存在していた神力は、すでにこの部屋の扉越しから感じる。


扉は叩かれることなく開け放たれる。 


「約半年、ようやくのお目覚めだなあ、オレの自己紹介は必要ないだろう、辺境のシド。 もしくは失踪したはずの神の子、シド・オリジンと呼んだほうがいいかい?」


ここはいまこの世で最大の隆盛を誇るミズガルズ連邦、その四つの属州の一つ『南方領ヨルムンガンド』。 今や知らぬ者はいない『神殺し』の一人にして南部領総督、オルムの下でニーズヘッグ戦での負傷を癒していた。


「そうピリつくな。 まだ完治していないんだ、傷に触るぞ。 安心しろ。おまえさんの身元は誰にも言っちゃいないさ」


「神殺しの英雄、オルム。 お前がオレを治療する理由はなんだ? オレは前にお前の仲間であるノルンに殺されかけている。 知らないわけではないだろう」


警戒を解かずに最大の疑問を投げかける。 


「もちろん知っている、と言いたいところだがオレはその件を認知していない。 神殺しの英雄と一括りにされているが、案外一枚岩じゃないのさ」


神殺しの英雄、オルムが笑う。  40代中盤の男が敵意も殺意もなく、あまりに呑気に笑うので、さすがのシドも毒気が抜かれる。


「さて、挨拶も済んだことだし、本題に移ろうか。 まず初めに昨日簡単に説明を受けただろうが、もう一度おまえさんに今の状況を教えてやる」


「まず、辺境の集落は事実上の崩壊だ。 確かにお前さんらは見事ニーズヘッグを討伐したわけだが、あらゆる意味で被害が大きすぎた。生き残った生存者が百五十人、少し大きな村一つ分だ。 そしてニーズヘッグの権能によって樹海は消え、今や南方は地平の果てまで見るも無残な瓦礫の山だ。 もはや人の住める場所じゃなくなった」


まじめな声色で説明される辺境地域の現状を聞きながら、以前の風景が脳裏によぎる。 


住んでいた家や村の人々。 


大切なはずのその思い出たちは、しかしシドの心にわずかなさざ波を立てただけだった。


その無感情な自分に驚愕しながらも、平静を取り繕いながらオルムに話の続きを促す。


そのシドの様子を観察したオルムは、一瞬眉にしわを寄せたがすぐに何事もなかったかのように説明を再開した。


曰く、辺境の生き残りは全員当時ニーズヘッグ討伐のために辺境に来ていたオルムに保護され、今はアランを筆頭にこの南部領への入植の準備を進めていること。 


魔獣の母でもあったニーズヘッグが倒れ、魔獣は絶滅するかに思われたが、奴らはこの半年で生殖機能を手に入れ、ニーズヘッグの手足ではないれっきとした一つの種族として確立してしまったこと。 


好みに刻まれた傷、特に火傷は此処では完全に治癒することはできなかったこと。


最後の神が倒れたその日から夜空の少し寂しくなってしまったこと。 


「そしてシド、おまえさんには今回の出来事における重要参考人として、このミズガルズ連邦の中心、直轄州ユミルに出頭してもらう。 それがお前さんが気にしていた、こんな部屋をあてがってやって療養させていた理由だ」 


ミズガルズ連邦の直轄州ユミル、かつて大神の聖都にして世界の中心、真の『ヴァルハラ』が存在し、今は神殺しの英雄の名とともに人類の時代を象徴する存在である。


「心配しなさんな、別に取って食おうってわけじゃない。 中央の奴らは気になっているのさ、新たな神殺しの顔をな」


一瞬ピリついた空気を豪快に笑い飛ばす。


「出発は三日後、連中の催促にはもううんざりなんでね、少し急いでもらうが行けるよな、シド?」


「ああ、行ける」


その挑発的な問いに二つ返事を返す。


「ㇵッハッハ、元気でいいことだ。 ちなみにその道中はオレともう一人同行者がいる、楽しみにしておけよ」


話が終わり、オルムは部屋を出る。


急速に離れていく神力の気配を感じながら、体を横に倒す。


眼、耳、鼻、口、そして全身の感覚を鈍化させる。


そして相対的に鋭敏になる感覚がある。


まるで世界をめぐる風の記憶に浸るような、人では至らない新たなる視座。


未だかつて感じたことのない感覚に揺蕩いながら、シドの自我はソレに溶けていった。




旅立ちの日、人々がまだ寝静まる日の出前、杖を突きながら建物を出ると、馬車と二人の人影が出迎える。


小柄な方が一歩こちらに踏み出し、月明かりにその姿をさらす。


「久しぶり………半年ぶりだ………あぁ、本当に久しぶりだな、シド」


伸びた赤髪を揺らしながら、彼女は微笑んだ。





日の出が過ぎ、一台の馬車が直轄州への道を進んでいる時、ヨルムンガンドでも最も辺境に近い集落で老人が一人の男に声をかける。


「今日じゃったな、シドの出立は。 見送りに行かなくてもよかったのか、アラン?」


「ロズが行ったんだ、要らないですよ、モアさん。 それに今は一刻も早く全員分の衣食住を安定させないと、唯でさえ人手が足りないんですし」


「もうそんなにかしこまった話し方をするでない。 今はお前が我々の長なのじゃから」


その言葉にアランは気まずそうに頭を掻く。


「勘弁してください。 ここに最低限が保証されながら入植できたのも、ロズがシドに同行できたのも、すべてあなたの口添えのおかげなんですから」


「ホッホッホ、オルムの奴には貸しがあったからのう。 まあ、正しくはアルダの奴のなんじゃが」


「それでも助かりました、あなたが生き残ってくれなければそんなの関係なく、我々はニーズヘッグとの戦いでの消耗で野垂れ死んでいたでしょうから」


「ならばこの老体が生き恥を晒した甲斐もある。 ワシより先に虹の向こうへ渡った面々への多少の言い訳ができたというもの。 しかしワシの貯蓄はすでに底が見えている。 これからはお前が残った者達を導いでゆくのじゃ」


アランとモアとの間に一陣の風が吹く。


南から北に通り抜けたそれにアランは思いを乗せる。


(そうだ、オレは今や辺境の民たちを預かる身。 軽率なことはもうできないんだ。 まして未だ辺境は瀬戸際の状態、そんな中辺境(オレたち)とすでに道を分かったアイツのことを優先することなどできない。 だからせめて祈ろう、かつて辺境(オレたち)と道を同じくしたしたアイツとロズ、その二人の旅に祝福を………)


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