第六十四話 前哨戦の行方
なんたることか、とナイトメアは言葉をこぼす。
辺境の老人5人と戦闘を開始して未だ、ナイトメアはまともに攻撃を仕掛けられていなかった。 それどころか指先一つ、呼吸の一つさえもままならない状態だ。
先の一撃から体勢を立て直す前に追撃が襲う。 むやみやたらと剣を振り回した所で正面以外からの攻撃で沈められる。 そもそもその剣の間合いに奴らはいない。
しかし、奴らはわかっているのだろうか。 この一見圧倒的優位に立っているように見えるこの盤面は、実際のところ硬直状態であるという事を。
奴らには火力が圧倒的に足りない。 このナイトメアを破り、体内にあるコアを破壊するための火力が。
確かに奴らの武器は大したものだ。 あの突きが体のどの部位に当たっても、その振動で一瞬立っているのも難しくなる。 あんな扱いの難しそうな棒を操る奴ら自身もまた然り。
だがこのまま悪戯に時が過ぎれば、時間切れになるのは奴らの方だ。 例えば魔獣の群れが此処に到達する時、または魔獣の元が地上に到達する時、そして母上の進行が始まる時。
まさかそれが分からないほど愚かではあるまい。
ならばこれは、時間稼ぎなのだろう。 そして、恐らくこの考えは間違っていないだろう。
奴ら自身が放つ激しいほどの殺気に対し、攻撃に込められた殺意が静かすぎることも、決して攻撃の手は緩めないが激しくもしない淡々とした連携にも納得がいく。 頭に渦巻く殺意と、冷酷なまでに緻密な指先を共存させるのはきっと経験のなせる事か。
不本意だが何の行動も妨害されてしまう以上、ここから先は待つしかない。 奴らの連携を乱す隙を。
徐々に杖を持つ手の握力が弱くなっていくことを、5人は感じ始めていた。
普段使いの武器よりも随分と長い武器に、重心を僅かにぶれれば姿勢を保つことも難しい足場、そんな中ナイトメアの一挙手一投足に意識を集中を向け続ける事は、老体の彼らの肉体、精神共に激しく消耗させていた。
5人の誰もが崩壊が近いことを予見する。
決壊はほかならぬモアから始まった。 辺境のまとめ役として寝る間を惜しんで奮闘した時の疲労のせいか、はたまた先のナイトメアとの戦いで負った傷が痛んだのかその双方か、モアの突きが空を切る。
そしてナイトメアは虎視眈々と狙っていた、援護が入るまでの一呼吸分の隙が生まれるこの瞬間を。
ナイトメアが高らかに叫ぶ。
『ソーン!!!!!!!』
右手の大剣が鞭のようにしなる。
モアの、そして援護に入ったスクラとアルビドの杖の先を切り落とす。
『小細工は先端だろう?』
ナイトメアは自身の大剣の二倍以上の間合いがあるモア達の長杖、その先端に固定されている球状に加工された特殊な金属が振動の原因であるという事をすでに把握していた。
攻撃と守備、1枚ずつ崩され残されたカリブとデインが一瞬硬直する。
「止めるな! 奴に斬撃を放たせるな!」
『遅い! ペオース!!』
モアが言い終わるのと同時に黒い斬撃は放たれた。
一瞬の意識の混濁を経てモアが飛び起きる。
目の前には大きく抉られ地表がむき出しになった地面とナイトメア、その血の滴り落ちる大剣の先にはデインが倒れている。
恐らく既に事切れている。
「地面に向けて斬撃を放ったのか」
『そうだ。 武器と足場、これで小細工は尽きたか?』
剣に付着していた血を振り払い、ナイトメアはモアに向かって歩を進め始める。
モアが持っている杖を確認する。 杖は斜めにスッパリと切り裂かれており、その先端は槍と言ってもいい鋭さになっている。
「わざわざ槍に加工してくれて感謝しよう。 そろそろ決着を付けたかった所だ」
『大丈夫か? その槍の間合いではいささか不安だろう』
「ぬかせ、化け物」
モアが武器を投擲する。
しかしナイトメアは難なく躱し、切先を向ける。
それを見て反射的に横に跳んだモアの一瞬後にナイトメアが通り過ぎる。
「見えん!!」
老体にむち打ち回避を試み続けるモアだが、数撃の後ナイトメアの斬撃によって出来た溝に足を取られ膝をついてしまった。
ナイトメアがモアの目の前に立った。
『これまでだな。 心配せずともすぐに、お前らの時間稼ぎが意味のある物になったのか確認に行ってやる』
ナイトメアが大剣を振り上げる。
「その必要はない」
その呟きごと両断するように剣が振り下ろされる。
「自分で確認するからなあ!!!」
モアが自分の左手を上に掲げる。
黒い大剣は手のひらを裂き、籠手を砕き、肘をつぶして肩で止まった。
「ああああああああああああああああああああああああああああ」
雄叫びとも悲鳴ともつかない絶叫を発しながら、右の拳をナイトメアに叩きつける。 正確には右の拳に握りしめた杖の先端を。
ナイトメアの視線が揺れ、膝をつく。
モアも振動を食らい、血を吐き力が抜けナイトメアにもたれかかる。
体勢を立て直そうと膝に力を込めようとしたナイトメアに、突如目の前に3本の槍の先端が現れる。
『背後!? いつの間に!』
右肩と左肩の関節部分、そして左側の腰が、背後から鎧の隙間を貫かれたのだ。
『しゃらくさい!』
大剣をしならせ背後に攻撃を試みるが、肩の動きが制限され思うように動けない。
そしてこの状況に冷静さを欠いたナイトメアは、急速に接近してくるひづめの音に気がつくことが出来なかった。
「離れろ!!」
その声にナイトメアの背後にいたスクラ、カリブ、アルビド、そして気を失っているはずのモアまでも躱すように横に倒れる。
反射的に首を向けたナイトメアが認識できたのは、自分の右側を通りすぎる赤い風だった。
次にナイトメアが感じ取った感触はズルリ、という摩擦音と同時に軽くなる右腕。 ボトリ、とある程度の質量を持ったものの落下音と共に右腕の消失を認識する。
『ギャアァ!!!!!!』
人体を主軸に構成されている魔獣であるが故の、人間の痛覚に襲われる。
ナイトメアの様子を確認して赤髪の少女、ロズは四人を回収する。
「ロズ……あの一撃は……」
「あんたたちの槍のおかげで刃が通る所はすぐにわかった。 後は槍に剣を沿わせながら角度の調節と、切断の瞬間に剣をもっていかれないようにしただけだ」
4人の中で一番軽傷だったカリブの問いに、馬に跨らせながらロズが返答する。
残りの3人も固定しロズが馬の尻を軽くたたく。
「4人でギリギリだ。 先に戻っていろ」
「ロズ……お前……ナイトメアと……」
遠ざかっていく馬にロズは呟く。
「モアに言われてしまっているからな。 もし負けたら任せる、と」
『ならば次はお前というわけか』
背後からナイトメアが言い放つ。
刺さっていたはずの二本の槍は既に引き抜かれ、切られた右肩の出血は止まっており、右腕の大剣を左手に持っている。
『お前も前に会ったな。 今の俺なら一人で十分だと?』
大剣を構えるナイトメア、しかしロズは首を振る。
「そう言うことではない。 ギリギリ……本当にギリギリだったがモア達は勝ったのだ…………ナイトメア」
抜かせ、そう言おうとしたのだろうか。 その声は空から降り注ぐ光の矢によってロズに届く事はなかった。
「方舟到着までの時間は無事稼がれた。 そしてそれが彼らの勝利条件だ」