第六十三話 魔獣戦線
大地が揺れる 黒い瘴気が、母の息吹が空を穢さんと立ち上る
呼応するが如く魔獣共が唸る。 崇めるように、称えるように、恐れるように、詫びいるように。
前座は終わったのだと、ナイトメアは母の鱗片を無感動に見上げる。 あのカリギュラが、魔獣共が幾星霜の年月待ち望んだこの光景にここまで心が動かされないのは、器にした人間が混じっているせいか。 もしくは虚しくなったか。
この圧倒的な存在を前に、思えば今までの全てが全て、どうしようもない茶番に思えてくる。 ウロボロスとカリギュラの行動や生死など関係なしに彼女はこの時起き上がり、自分の力で侵食を開始し、敵も味方も世界丸ごと腹の中に収めるのだろう。 万が一彼女を脅かせる存在がこの世界に残っていたとして、ここに残っている魔獣では話になりそうもない。カリギュラが行った露払いは偉大なる母には認知されもしない。
しかし、この身が魔獣の神ニーズヘッグ、その第二子ナイトメアである限り母への奉仕を行うのが定め。 故に次の行動は決まっていた。
北に一歩足を踏み出す。 魔獣共が頭を向ける。 二歩目で追随を始める。
此処に集う魔獣、これから生まれ出る魔獣を率い前座で茶番な露払いを続けよう。
大地の鳴動より数刻、それはやってきた。 最初に発見したのは見張り台に詰めていた男だった。 濁流が如き黒が全て魔獣だと言うことを頭で理解するのに数瞬、視認の合図を送るのにまた数瞬、それは最初の防御柵が壊された音と同時に響いた。
壁に掘、足を取る罠の数々、弓矢の雨、それらに掛かった同族共を足蹴にして濁流は迫る。 しかしその推進力は確実に削ぎ取られていった。
「魔獣共の速度は大きく低下しました! これなら余裕を持って迎え撃てそうです」
物見の報告、しかし守備隊長を務めるオーグの顔は依然として厳しい。
「馬鹿が! ナイトメアが動けばこんな戦況なんぞ一瞬で覆る!」
(既にモア達決死隊の姿は見えないな。 ナイトメアは彼らに任せるしかない……それより俺達が注視するべきは、あの靄だ)
「見た感じ、頭上の靄が地面に到達するまでどれくらいかかりそうだ?」
「何とも言えませんがまだ猶予はあるかと思われますが……本当にあれが魔獣の卵なのでしょうか」
「魔獣の卵というのは少々語弊があるが、あの靄の様な粒子から魔獣が出現する」
アランの声にオーグが振り向く。
「別に調査隊の報告を疑っちゃいないが、もしその話が本当なら時間切れまでもうすぐだな」
「それでもみんなで乗り越える、その為に準備をしてきたんだから」
「分かっているさ、別にあきらめたわけじゃないぜ。 燃えてきたって話だ」
「それが聞けて良かった。 オーグ村長、ただいまより調査隊は守備隊に合流、ともに防衛にあたります」
「じゃあともに待とうじゃねえか、辺境逆転の目をよ。とりあえずお前は何時でも出れるようにしておけ。 俺の合図を聞き逃すなよ」
「了解」
ニヤリと口角を上げながら突き出されたオーグの拳にアランも拳を合わせる。
(さあ、このまま行けば魔獣共の勢いは完全に死ぬぞ……来るか? ナイトメア)
『行くぞ 人間共』
魔獣共の群れから黒い斬撃が放たれる。
「今の攻撃で第五から第三までの防衛線の罠への被害、計り知れず! 更に、魔獣共の為の道が!」
「魔獣共の勢いが戻り始めています!」
「魔獣の群れから何かが飛び出しました! ………第四防壁の上に着地! 間違いありません! 統率個体、ナイトメアです! 先行してきます!」
「防壁間を跳躍しています! 第三防壁に着地!」
「また跳んだ!」
物見の報告が矢継ぎ早に飛んでくる。 もはやオーグにもその漆黒の姿がはっきり視認できるところまで迫ってきていた。
(防壁に詰めてる者達には目も暮れず突っ込んでくるか。 そりゃあ、あんな範囲技を持っているんだ。 突っ込んでぶっ放して挟み撃ち、それが一番早い。 だが……)
「ナイトメア、第二防壁に着地……ならず! 決死隊がナイトメアを捉えた!」
「その状態は次点の作戦通りだ、ナイトメア! 合図を出せ!! もうあの中に化け物級はいない! ナイトメアと決死隊を迂回しながら、第三以降に詰めていた奴らと合流、魔獣共を直接叩け!!」
「ようナイトメア、久しぶりだな。 お前は自分が半殺しにしてきた人間達を覚えているか?」
『さあ、ようやく頭が冴えてきたんだ。 でもお前は覚えている。 俺に一撃も与えられずに逃げた奴だろう。 一矢報いられて良かったじゃないか?』
モアとナイトメアの目線が交錯する。
「いくら速くても着地点さえ分かっちまえばお前を打ち落とすことなんて訳無いんじゃよ、魔獣」
カリブが物見やぐらから降りて来る。
モア、カリブ、そしてデイン、スクラ、アルビド、五人の老人がナイトメアを囲む。
『五人? まさか五人で俺と戦うつもりなのか? 人間共』
「不満か? 魔獣」
『前、俺がお前らの言う村長とやらを十数人、纏めて潰したのを知らなかったようだな」
ナイトメアは嘲笑しながら腕についている大剣を構える。
『瞬殺だ、辺境じゃ俺を止められない』
「同じくそう思っていたであろう貴様の兄弟たちは辺境で朽ちたぞ。 そしてお前も死ね」
『馬鹿め、悠長にし過ぎだ ペオース』
ナイトメアが踏み出……せずにバランスを崩す。
『な!?』
杖を突き出したモアが、膝をつくナイトメアを見下ろす。
「漆黒の斬撃、中央でアルダ達をなぎ倒した技だな。 全方位攻撃であることに加え、先ほどの様に方向を絞ればかなりの攻撃範囲。 しかし発動には一瞬の溜めを必要とし、そして体勢を崩せば綻ぶ。 これだけわかれば十分だ」
『互いに間合いに入っていなかったはず! 人間が……俺より速く間合いを詰めたというのか!』
「すでに間合い内なんだよ、魔獣!」
デインの雄叫びに反応して飛び起きようと足に力を入れる。 しかし地面に足を取られ、もろに突きを食らう。
「ワシたちにはお前に及ぶ力は一つもない。 もちろんお前より俊敏な訳ではない。 だからお前のために取っておきで即席の浅知恵、小細工を用意してやったわ。 訳も分からず死んでいけぃ!」
カリブの突きにナイトメアが唸る。
『勝てると思っているのか? 踏ん張りの効かない地面にクソ長い杖でぇ? 小賢しいわ、人間!』
ゆらりと立ち上がったナイトメア。
「ちぃ、なかなか賢い」
『近づいてしまえば終わりだろう! 追いつけないんだろ、俺のスピードには!』
カリブの方向に跳びかかる。
「その為の人数じゃ、ボケ!」
「トロいんじゃ、アホ!」
その横っ腹にスクラの放った突きが当たりカリブの横に墜落し、そこにカリブが畳みかける。
「戦い難いだろう、この地面は。 慣らしたワシらもそうそう動き回れんしな」
「この杖はお前の手に装備している大剣の二倍以上の長さがある。 お前が一歩踏み込めてもまだその切先は届かない」
「さらにお前を囲み三人を攻撃に、二人は防御に努める」
「ついでにこの杖は特別製じゃ。 そのゴツい鎧を通しても中身がよく震えるじゃろう?』
「小賢しいか? それがワシらの対人戦術だ」