第五十二話 繋がれる決意
リーレの体を預け、死闘を繰り広げているアルダの元に向かおうとするワイズを見ていたロズの頭の中は、諦めの色で染まっていた。
統率個体第一の獣カリギュラ、その圧倒的な力の前に今のロズの心は折れてしまっていた。
最東端、ワイズの村から辺境を飲み込みながらここまで追ってきた怪物、統率個体ウロヴォロス討伐の立役者、謎の力を扱うシドを降し我々の前に立ちふさがっている。
対してこちら側は統率個体ナイトメア…………ギャラルの襲撃によって手負いのワイズ、アルダそして自分。
自分という戦力を過大評価するわけではないが、自分が剣を振るえたのならば最初の接敵時に何かしらの手を打てたのではないだろうかと思う。
カリギュラの言葉通りならば味方の応援は期待できそうにない。
ワイズが先ほどリーレに起こした奇跡を見てもロズにはとても勝機を見出せなかった。
しかしリーレを託した時のワイズの顔を見た時、何も言葉が出なかった。
しかし状況はロズの思わぬ方向に進んで行く。
なぜ生きているのか分からない状態のアルハンがワイズの文字通り命を使いカリギュラに肉薄している。
「ロズ。 信じられんって顔じゃな」
いつの間にか近くに立っていたアルダが笑っていた。
「アルダさん……………………」
「なに、すぐに戻る。 アルハンだけに無理はさせられんじゃろう」
「ちょっと体を軽くしようと思っての、これほどの長期戦となるとこの老骨にはちと堪えるんじゃ」
そう言うアルダはリーレやアルハンには劣るが立っているのもやっとの傷を受けていた。
腰に携えていた剣を地面に下ろす。
「リーレは…………無事か。 お前はまだ若い、これからもっと強く美しくなるじゃろう。 生き急いではならんぞ」
そう言い優しくリーレの頭を撫でる。
そしてアルハンの方を見る。
「ワイズよ…………その死に方は貴様が最も忌避していただろうに。 愚かな同志よ、その覚悟は無駄にはせん」
アルハンとカリギュラの戦場に歩を進めながら、首だけロズの方に向け告げた。
「ロズよ、今のこの状況は東部でカリギュラと戦った者達、そしてこの場において戦ったリーレ達が稼いだ時間、負わせた傷によって生まれたものじゃ。 これから先一時は諦める事も有るじゃろう、しかし投げ出してしまってはいかんぞ。 無駄にしてはいかんのじゃ」
アルダは走り出す。
咄嗟にその背中に手を伸ばす。
拍子に反対側の手が近くで寝かされていたリーレに触れる。
リーレに視線を向ける。
ワイズによって治癒されたその顔には何処か無念さが滲み出ているようだった。
「―――――――――私は―――――――――」
仄かに暖かいリーレの右手を両手で包むように握りしめた。
熱線が通りすぎた後、アルハンの眼前には余熱で融解した大地以外残っていなかった。
しかし脳裏にはしっかりと一瞬見えた背中が焼き付いている。
「アルダ…………」
すでに灰色の異形と化したアルハンだがその瞳にはまだ涙を流す機能が残っていた。
一方自らの最強の一撃を放ったカリギュラは今なお自らの眼前にいる男の存在を理解できないでいた。
「何故だ…………確実に回避不能、貴様の再生力であっても耐えられない熱量だったはずだ! 確実に殺せていたはずなのだ! それなのにあの男のせいで!!」
「貴様ならばあの熱の中行動できるのは理解できる! しかしあの男はただの人間だろうが!! なぜ! そもそもいつの間に!」
「それは! アルダが! お前なんぞの想像以上に! 凄いってことじゃぁ!!」
その隙をアルハンは見逃さなかった。
異形と化した腕をカリギュラに叩きつける。
「流石にあの威力、反動が大きいようだな!」
動きの鈍っているカリギュラに追撃を続ける。
いまやアルハンの体はカリギュラの巨体にも引けを取らないぐらいに肥大化しており、同じく大きくなった棘のような拳による攻撃は確かにカリギュラにダメージを与えていた。
魔獣が怪物に追いつめられる。
「うおおおおおォォォ! 貴様のような半端者の分際でェェェェェェ!!!」
カリギュラも鈍い動きながらなんとか炎の拳を向ける。
しかし硬質化した肉体に高い再生力、二つのルーンの力は今のカリギュラの炎を寄せ付けない。
そしてついにその腕でカリギュラの腹部の傷口を抉り、拳が腹部に突き刺さった。
ミシリ
「ぐ…………グアアアアアァァァァ!!!!!」
苦悶の雄叫びを上げたのはアルハンだった。
腹部に突き刺さるアルハンの右腕がカリギュラの接触部から赤く変色してゆく。
カリギュラが咄嗟に体内で生成した業火がアルハンの体の中に流れ込んできたのだ。
カリギュラの外皮を貫く際に拳に亀裂が入り、その傷口から浸食される。
「グググググッ、確かに貴様の皮膚は固いが中はそうでもないようだな!」
カリギュラはついに来た好機に声を荒げるが、その声色には苦痛が混じっている。
「そのまま中から融解していけェェェェ!!!」
ズバン!
アルハンの右腕、その強固な中でも脆い肘の関節部分が一刀両断される。
カリギュラとアルハンが切り離され、その拍子でお互いバランスを崩し倒れる。
カリギュラは咄嗟に腕で防御を行い襲撃者の追撃に備える。
突然のことだったが先ほどの一撃は自分の攻撃を妨げるものだった。
今自分の認識の限りではこの場にもう戦える者はいない。
人間の増援か、と感覚を研ぎ疎まし気配を探る。
感知したのは目の前に迫るたった一人の気配だけだった。
腕を切られて失いかけたアルハンの意識は直後に来る腕の再生による不快感と、近くで始まった戦闘音によって覚醒した。
「まさか先ほどまでガタガタと震えて何もできなかった貴様がこれほどの力を持っていたとはな!」
「ハアアアアァァァァ!!!」
(誰かが今戦っている…………)
先ほどの傷の超回復に伴いソーンのルーンが体を蝕み頭が朦朧としている中、その視界に赤髪の人物が躍動しているの様を捉える。
(あれは……ギャラル…………? いやでも…… ああ頭が回らない、これもルーンによるものか。 でも今正気を手放すわけには………… カリギュラヲ、コロサ、ナ、イ、ト、)
正常な思考が出来なくなっていく中、アルハンはやるべきことだけを噛み締め戦うために立ち上がる。
ロズの、アルハンの腕を切り落とした後に仕掛けた攻撃はカリギュラの腕によって防がれた。
反撃の炎の腕を躱すために大きく飛びのく。
「援軍が来たと思ったが、貴様か。 先ほどの一閃はまぐれか? それとも…………」
カリギュラの言葉が終わられぬうちに攻撃を仕掛ける。
彼女の二刀、右手の彼女自身の剣と左手のアルダの剣がカリギュラを襲う。
「まさか先ほどまでガタガタと震えて何もできなかった貴様がこれほどの力を持っていたとはな!」
「ハアアアアァァァァ!!!」
ロズの変貌ぶりはカリギュラを驚愕させるには十分すぎる物だった。
(ナイトメア…………ギャラルホルン…………考えるな。 今はただ…………戦え!)
今までの戦いを見てきたロズは憎しみでも悲しみでもなく、ただ決意を以て剣を振るう。
一度カリギュラを完全に対処したリーレに迫る精密な動き、二刀使い故の手数、今までの戦いを見てきたことによる行動パターンの把握、そしてなにより蓄積されたダメージによりカリギュラを追い詰める。
しかし炎の腕を防ぐ手段のないロズはカリギュラに対し決定打を与えかねていた。
(このままじゃあ、こちらの体力が持たないか!)
ロズが心の中で舌打ちし、カリギュラも状況を理解し目を細め炎の腕を伸ばした時、アルハンの巨体がカリギュラにぶつかる。
切り落とされた右腕、その傷口からは枝状の棘が生えザワザワと蠢く。
もはや右腕はアルハンの制御を離れているようで引きずった跡がある。
「ウオオオオ! もはや死に体の貴様が邪魔をするなあアァァァ!!」
カリギュラも足に力を込め踏ん張りアルハンを受け止める。
「イクゾ! アワセロ!!」
「はいっ!!」
もはや人間の物ではない声、しかしロズはその声にアルハンを、長年自分を心配してくれ父ギャラルホルンの好敵手であったレーネの村長を感じ取る。
アルハンは左手でカリギュラの腹部に突き刺さった右腕をつかむ。
「待て貴様! 何をするつもりだ!!」
カリギュラの焦った声を無視しその右腕を力いっぱい押し込んでいく。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!」
絶叫を上げながらカギ爪や炎の腕を叩きつけるがアルハンは止まらない。
カリギュラの悲鳴に応じて周囲の温度が高くなっていき、ついにはアルハンの皮膚をも始める。
「ヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメヤメアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――――――――――――――――」
「ア」
ぐしゃりと何かが破れるような嫌な音がして貫通し背中に拳が現れる。
カリギュラは全身から力が抜け、腕はダランと垂れ顔も項垂れている。
対するアルハンも体中がひび割れていたり灰と化していたりと歪さに拍車をかける。
しかしアルハンは右腕を放さない。
そして―――――今度は持っている腕を力いっぱい引っ張る。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――――――――――――――――――――――――――――」
腕が引き抜かれたカリギュラの腹部からは鮮血があふれんばかりに噴き出す。
限界を迎えたアルハンの左腕がボトリともげる。
アルハンが吠える。
「グオオオオオオオオオオ!!」
その合図と同時にロズが駆け出す。
カリギュラの腹部に空いた穴から上向きにアルダの剣を突き刺す。
「オ――――――――――――」
カリギュラはビクンと一瞬痙攣したかと思うと足元から崩れ落ちた。
「死んだ…………か? いや侮るな」
念のためにともう片方の剣をカリギュラの首元に狙いを定め、振りかぶる。
「!」
頭上に嫌な気配を察しロズはカリギュラの肉体から飛びのく。
ロズが一瞬前にいた場所は棘の生えた腕が叩きつけられ地面に落ちていた灰が舞い上がる。
「! アルハンさん!?」
ロズの目に映ったのは灰が視界を遮る中全身のひび割れた外皮の隙間から紫色の光が漏れ出し、その目を赤く血走らせた魔獣の姿だった。